「ハ〜イ、どうも」
三号機関本部、オフィスのドアをノックもなく入ってきた女性に、一同の目が集まる。彼女の手には、書類が入っていると思わしき封筒があった。
「げっ」
主のいないらしいデスクの上で、ヒマワリの種を一心不乱にかじりついていた1匹の小さなげっ歯類の手から、食べかけの種がポロリと落ちる。
見つめていたモニタから視線を外すと、未咲は立ち上がり彼女に軽く会釈をした。
「マダム? ご無沙汰しています。 珍しいですね、あなたが此方にいらっしゃるなんて」
「よく来てくれた。 彼女を呼んだのは、私だ」
オフィスの奥から、低く落ち着いた男性の声色が聞こえる。
「小林課長が?」
「なんで、呼んだんだ」
未咲は視線の先を小林に変える。小動物は不貞腐れたような言い方をすると、器用に後ろ足であごの下をバリバリとかきむしった。
マダムは眉根を寄せると、声のする方に唇を突き出し、
「あら、ひどい言いようねリカルド」
「猫<マオ>だ、今じゃこっちの名前が気に入っているんだ」
尻尾をパタパタと振って見せる。
「まあ、どうでも良いけど・・・」
「ソコ、さらっと受け流すな!」
いちいち反応してくれるマオにマダムはいたずらっ子のような表情を浮かべた顔を近づける。
「じゃあ、どう言って欲しいのよ〜。 モモンガの外見で名前が猫だなんて、ユニークね。 とか?」
「・・・。 もうイイ」
これ以上はからかわれるだけと悟ったマオは胡坐をかいて座り込み、マダムは何事も無かったかのようにデスクチェアを引き出して腰をおろす。
恒例のじゃれあいが終わるのを見届けると、未咲は彼女に声をかける。
「それはそうと、今日はどのようなご用件で?」
すると、様子を伺っていた小林が間に割り込み、未咲に向き直った。
「私が手短に説明しよう」
その言葉が合図のように、あたりはしんと静まり返る。
「今、君にはイザナミ、イザナギの件以来偵察という任務を遂行してもらっている」
「はい・・・」
「しかしこの偵察という任務は非常に危険が伴うものでもある。 そこで・・・」
「君の生命の安全を確保するため、とある契約者と今後は行動を共にしてもらいたい」
突然の指令であったが、仕事である。と未咲はこの時内容について疑うことをしなかった。
「わかりました。 で、とある契約者とは?」
ひらひらと封筒を振る手が見える。
「それについては、私が説明するわね」
「小林課長から、私はあなたの身の安全のために最も適切な能力を持つ契約者の選定を任されたの」
「で、あなたの任務内容にも合致する能力を持つ契約者がこの人物」
マダムは椅子に座ったまま封筒から書類を取り出すと、ハイと未咲に手渡す。
「ありがとうございます、少し内容を確認させてください」
「性別は男性。・・・能力、テレポート・・・対価は・・・踊り? ダンスでもするのですか?」
ぶつぶつ呟きながら受け取った書類に軽く目を通し始めると、あまり具体的な表記ではない能力や対価の項目のあたりで読むのをやめた。
「まあ、そんなところなんだけど」
若干言葉を濁している様子のマダムを未咲は怪訝に思い、
「あの、むしろ出生地や家族構成とか・・・不要な情報が多くて、どのようなテレポートをするとか、重要な内容が単語でしか表記されていないのですが・・・?」
わざとマダムはあさっての方を向いて答える。
「実は、多少の問題があって・・・まあ、それは慣れてもらうしかないんだけど」
「慣れる? いったい何に慣れる必要が?」
「あのね、落ち着いて聞いてくれるかしら?」
「? はい」
「一度のテレポートで移動できるのは、本人を含め対象者”だけ”なの」
「それのどこが問題なのですか?」
「あっ、まさかっ!」
ここまで話すと、今まで退屈そうに寝ころんでいたマオがガバっと起き上がり、会話に乱入してきた。何か思い当たる節があるらしい。
「あら、わかるの?」
じゃあ、あなたが代わりに言ってくれる? とばかりのマダムに気がつかず、マオはそのまま自分の知っている知識を披露し始める。
「もしや、身につけているものを除いた本人と同行者ということじゃないだろうな? そういうのだったら、以前見たことがあるぞ!」
「どういうこと?」
何を言っているんだかよくわからない。 といった未咲の問いに、マオは得意満面だ。
「要するに、テレポート先では”真っ裸”ってことだ。」
「マオの言うとおりね」
あ〜あ、言っちゃった。とばかりに肩をすくめて見せるマダム。
「はぁぁっ!? 裸!! それは、ダメ! いえっ、大いにまずいです!」
「そもそも、同性ならともかく、異性ですよ? あぁぁっ、ありえません!!」
想定通りの拒否。
あなたがあからさまに言うからいけない。 そんな視線をマオに向け、彼のせいにしながら未咲をなだめる。
「だから、慣れるしかないって。 大丈夫、訓練された契約者なんだから変な気は起こさないわよ」
「いくら訓練された契約者だからと言っても、やはり男性とは・・・」
顔どころか耳まで真っ赤にして拒否する未咲に、マダムの瞳がキラリと光った。
「あら、そんなこと言ってるけど」
「あなたの家に入り浸ってるそのマオの中身は、中年オヤジよ? 知らなかった?」
「!!!」
突然の矛先に、ぎくりと全身の毛を逆立てて静かにその場から離れようとしたその矢先、未咲の手がマオをガシっと掴む。
「・・マオ! それは本当か!!」
いつにもまして、目が吊り上っている。自分の目線の前まで手に掴んだマオを持ち上げるとグニグニと握りしめた。
「ぐぅおお、苦しい!!」
「そういえば、私がシャワーから出てくると脱衣所あたりでウロウロしていることがあったが、まさか!?」
「ぐわぁぁ、俺が見ていたのは上の方じゃない、足首だっ!! 」
「足首?」
「彼って重度の足首フェチなのよね〜」
一瞬マオを掴む手の力を抜くと、マオはチャンスとばかりにスルリと逃げ出し、滑空しながら小林のデスクの上に舞い降りた。
「まあ、確かにたまに上の方も見ることがあったかも知れんが・・・」
ここは安心とばかりにしゃあしゃあとうそぶく。
「やっぱり見てるじゃない!! どうして黙っていた!!」
「いや、聞かれなかったから、そこは合理的に判断して」
「こんな時ばかり都合良く、合理的なんて言葉を使うな!」
いつもの冷静な彼女の面影はなく、そこには普通の一人の女性がいるだけだった。
「とりあえず、所詮動物と思っていれば、裸を見られても平気だった。ってことじゃない? 未咲」
「なら、契約者だって同じよ。 所詮契約者と思って、堂々としてればいいのよ」
デスクチェアから立ち上がり、未咲の肩を軽くポンポンと叩くとマダムは無責任に言い放つ。
「マダム〜〜」
半分ベソをかいたような、困惑の色がその瞳にあった。
「ん、ごほん・・・」
半ば蚊帳の外になっていた小林の咳払いで、皆の意識が現実に引き戻される。
「はっ・・・あっ、も、申し訳ありません、取り乱してしまいました」
冷静さを取り戻してみると、一人で取り乱していたことがかえって恥ずかしいものに思えた。とにかく何か取り繕おうと、もっともらしい質問をしてみる。
「しかし課長、どうして女性にしてくださらなかったのですか?」
「残念ながら、三号機関に所属するテレポート能力保有者が少ないのだ、今現在女性の契約者もマダムに探してもらっている最中だ」
「彼はその間の代役に過ぎない。見つかり次第、当然変更する」
いつものように落ち着いた様子で、淡々とした返答が返ってくるだけだった。 流石の未咲もこの冷静ぶりに多少のいらつきを覚える。
「ということで、決まっちゃったことなんだから仕方ないわよ〜」
もう、諦めちゃいなさいな。 そのような意味を込め、マダムは未咲の肩に軽く手を置いた。
「決まっちゃったって、そんな・・・」
力なく肩を落とした背中からは哀愁が漂う。
「ご愁傷様だな」
同情をするかのようにマオはそう言ったが、実際にはからかい半分なのは見え見えだった。 そのおかげで未咲に睨まれ、あわてて小林の肩の上に逃げ込まねばならなくなった。
「どうして今まで教えて下さらなかったのですか? 事前に打診等があるべきです!」
今まで秘密裏にされていたことを恨むように、暗に見直しを要求してみせた。 しかし返ってきたのは彼女の期待に反するものだった。
「無用な混乱を避けるためだ。 それに君に予め打診したところで、何の意味もない。 この人事について変更はない」
小林は一呼吸つくと、この指令を下すに至るまでの経緯を説明することにしたようだった。
「一之瀬、いや霧原。 これは何も君の身の安全を確保するためだけの処置ではない。 万が一君が敵の手に落ちれば、君自身の意志に関係なく我々の持つ情報が敵に渡ることになるだろう」
「MEスクイーザーというものが存在している以上、我々は秘密を守るために死体ですら回収しなければならない」
未咲の瞳からは困惑の色は消え去り、事態をようやく呑み込めてきたおかげでいつもの冷静さをやっと取り戻した。
「平常時の彼の扱いに関しては君に一任する。 ただし、緊急時における彼の任務は”君の生死にかかわらず身柄を確保すること”だ」
「わかったな? 君がこの命令を拒否することは許されない。 これが”組織”というもののやり方だ」
”組織”と聞いてハッとし、諦めと決意を表情ににじませる。
「・・・わかりました。 ただし、彼に能力を使わせるつもりはありません」
能力さえ使わせなければ、なんてことはないはず。 未咲はそう自分に言い聞かせると、せめてもの抵抗を示す。
「それは君の行動の結果次第だな。 期待している」
本心からの言葉だろうか、小林の口元は薄く笑みを浮かべているかのようだった。
マダムは思った以上の混乱がなかった事を残念に思ったのか、からかうような口ぶりで小林に話しかける。
「あら彼女、思ってたより大人しく無茶振りを受け入れたわね。 私が来る必要ってなかったんじゃない?」
デスクに寄りかかりながら、未咲の耳元に囁くように告げる。
「本当は資料だけ送って小林課長に説明してもらうつもりだったんだけど、どうしてもって、彼がね」
「マダム?」
「だって、こんな人事を彼から話したらセクハラにしか思えないでしょ? ああ見えて、結構気にしてるみたいなのよ?」
マダムの流し眼の先にいた小林は、まがってもいないネクタイを慌てて直しながらそれ以上の言及を制止した。
「・・・マダムそれ以上は・・・」
「そういうことでしたか。 ただ、これはセクハラではなくても十分パワハラです」
どうりで珍しくマダムがここに立ち寄ったというわけか、と心の中でため息をつくが、それは口にせず小林を皮肉る。
「も〜、あなたってこういえば、ああ言うって感じね」
そう言って未咲にウィンクすると、書類の入っていた封筒をゴミ箱へ投げ捨てた。
「さて話もまとまったことだし、そろそろウワサの彼も呼んでみんなでランチに行かない?」
その言葉に一瞬顔の表情が固まり、
「来ているのですか? というか、今の話聞かれていた?」
未咲はひどい脱力感に襲われてしまった。
マオはようやく小林の肩から降りてきて、マダムを仰ぐように見上げ、
「周到な準備だな。 ところで小動物は入店できるんだろうな?」
「あら、ついてくるつもり? モモンガが入店許可されてる店なんてこの日本中にあるわけないじゃない」
「ちっ、俺は仲間外れか」
それを聞くと、すねて毛玉のように丸くなる。
「仕方ないわね、個室にしてもらうから隠れているなら来てもいいわよ」
「んじゃあ、遠慮なく」
マオは言い終わらないうちに、未咲のバッグのファスナーを器用に開けて中に滑り込んでしまった。それを見た未咲は慌てるが、当の本人は毎度のこととばかりに澄ましている。
「ちょっと、何で私のかばんの中に潜り込むのよ?」
「気にするな。 広々として、居心地がいいんだ」
いつの間にかドアの前に移動したマダムの手には、ノブが握られている。
「準備はいい? 呼ぶわね」
「さあ、入ってきて」
そして、ドアはゆっくりと開かれた。
その後、何度かテレポート事故を起こして騒動をかもすこともあるようだが、彼らは今でも精力的に活動をしている。
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