「くしゅん」  
隣から聞こえた小さなくしゃみに、黒は目を開け、背中越しに様子を窺った。  
夜も更け、普段なら熟睡している時間だった。  
「寒いのか?」  
黒が寝返りを打つと、ころりと銀も黒の方を向き、小さく頷く。  
ノースリーブから伸びた細い腕に触れると、寒かったのか、冷えていた。  
 
初夏といっても、夜になれば冷え込む日もある。  
黒は余分な毛布を持ってくると、横たわる銀にかけてやった。  
ドールの銀は、生活する上での基本的なことはプログラムされていたが、当たり前のことが抜け落ちていることもあれば、一人でできないことも多かった。  
自我を持たないと言われているだけあって、人に何かを要求することもない。  
だが黒は、感情の発露が乏しいだけで、彼女にも心はあると信じていた。  
 
『一人にしないで!』  
 
銀の声を、黒は確かにあの地獄門の中の不思議な空間で聞いた。  
 
いきなり背負わされた契約者と人間の運命。  
あのとき下した決断が正しかったのかどうかは、正直今でも分からないが、世界中が敵だらけという今の状況でも絶望せずに生きていけるのは、彼女のこの一言があったからだと黒は思っていた。  
 
毛布にくるまった銀にさらに夏掛けをかけて、黒は一緒に横になる。  
枕元の明かりを消す前に、もう一度彼女の方を見ると、アメジスト色の瞳は開かれたままになっていた。  
「まだ、寒いか?」  
黒の問いに頷く銀。  
隠れ家の周囲を偵察するため、寝る前に足を水に浸して観測霊を飛ばしたのがまずかったようだ。  
黒は毛布の中に手を突っ込むと、冷え切った銀の身体を引き寄せて抱きしめた。  
「寒かったり、暑かったりしたら、ちゃんと言え」  
彼女には難しいことかもしれなかったが、黒は言わずにはいられなかった。  
すると、銀は素直に頷き、ほんの少しだけ黒にすり寄る。  
「温かい……」  
囁くような銀の声に、思わず彼女を抱く黒の腕に力が入った。  
 
二人しかいない逃亡生活は、これまで仲間としてやってきた二人の関係を微妙に変化させた。  
今までにない空気が二人の間を流れ、その雰囲気に背中を押されるようにして、黒は何度か銀にキスをした。  
銀は黒にされるがままで、その理由を問うこともなかった。  
だから黒も、彼女に対する感情をひとつの言葉に集約して、ありふれた枠にはめることはしなかった。  
ただ、無意識にベッドの中での接触は避けていた。  
 
力を込めれば折れてしまいそうな華奢な身体と、シャンプーの香りに混じった女の臭い。  
気がつけば、黒は銀の前髪にそっと唇を押しあてていた。  
頬を撫で、その手で顎を持ちあげると、銀がゆっくりと瞳を閉じる。  
黒は引き寄せられるように、眼前の淡い色をした唇に自分のそれを重ねた。  
 
いつものように、スキンシップの延長の成り行きでするキスにするには、二人の密着度が高すぎた。  
深く口づけた黒は、柔らかい唇を割って口内に舌を侵入させる。  
銀に拒む様子はなく、絡め取られるままに自分の舌を差し出した。  
静かな部屋に、ただひたすらに口づけを交わす気配が、淫靡な残響を伴って響いた。  
 
すぐにやめるつもりが止まらなかった。  
そればかりか、黒の手は銀の身体のラインを確かめるように何度も上下した。  
頭の片隅ではこのまま続けたらマズイと警鐘が鳴っているのに、黒の身体は本能に促されるように銀を求めた。  
「んっ……」  
塞がれた唇の隙間から時折漏れる甘い銀の声が、黒の行動を加速させる。  
いつの間にか黒の手は、銀のささやかに膨らむ胸を服の上から弄っていた。  
キスを続けながら胸を刺激していると、布越しでも分かるほどにその頂点が主張し始める。  
黒は銀の服の肩に手をかけて、腕の方へと引き下ろした。  
 
そして、ようやく黒が銀の唇を解放する。  
名残惜しそうにお互いの唾液で濡れた唇が離れると、黒は至近距離でアメジスト色の瞳を見つめた。  
人形のように光に反応しない大きな瞳だ。  
その煌めきにハッとした黒は、少しだけ理性を取り戻した。  
白い首筋と細い肩を黒の前に晒す銀は、感情とは無縁の表情で、ただそこに横たわっていた。  
きっと、続けてよいかと黒が問えば、何をされるか分からなくとも、彼女は拒否しないだろう。  
だがそれは、何かが違うような気がして、黒は溜息をついた。  
「……すまない。どうかしていた」  
そう言って、銀の服を元通りに着せると、彼女から離れて横に寝転んだ。  
 
「人間と象だって愛し合える……」  
「?」  
「ジュンにはモーリスが必要。禁断の愛と言われても、二人は愛に殉じて生きる」  
「銀?」  
黒は珍しく動揺して銀の顔を覗きこんだ。  
自分の行為のせいで、彼女がおかしくなってしまったと思った。  
 
「黒……」  
銀は真っすぐに黒を見据えると、そっとその腕に手をかけた。  
二人はじっと見つめあう。  
が、その表情からは、銀の言わんとしていることが黒には伝わらなかった。  
「……よく分からないが…………俺が悪かった」  
とりあえず黒は謝った。  
すると、銀の頬が僅かだが膨らむ。  
「銀?」  
黒の呼びかけに、銀はぷいっと顔をそむけた。  
「銀、お前、怒ったのか?」  
銀の意外な行動に、黒は驚くと同時に胸をほんのりと熱くさせた。  
彼女にも心はあるのだとあらためて思う。  
自然と顔がほころんだ気配が伝わったのか、銀は黒に背中を向けると黙ってしまった。  
 
普段感情を露わにしない人間が怒ったのだからよっぽどのことだ。  
黒は内心で少し慌てて、真摯な気持ちで謝った。  
「悪かった。二度とあんなことしないから、許してくれ」  
「……違う」  
「?」  
「……嫌じゃなかった」  
「銀…お前……」  
もしかして、モーリスのくだりは、彼女なりに自分を誘っていたのだろうか。  
そう考えて、黒はやっと銀の言動に合点がいった。  
「そうか……ごめん」  
女に恥をかかせてしまったことを謝って、黒は背後から銀を抱きしめた。  
銀も自分と同じように思っていたことが単純に嬉しくて、こめかみにキスをする。  
そして、振り向いた銀の唇を、黒は優しく自分のそれで塞いだ。  
しばらくの間二人は、唇を重ねるだけのキスを延々と繰り返した。  
 
「銀、今日はもう遅いから寝よう」  
濡れ光る銀の唇を拭ってやりながら黒は言った。  
実のところは、胸がいっぱいで、続きをしようという気にはなれなかったのだ。  
素直に頷く銀を見て、黒は枕元の明かりを消す。  
最早、背中あわせに寝るという選択肢は二人になかった。  
黒は銀を抱きしめながら彼女の呼吸に耳を澄ませ、意識が落ちたのを確認したのち、自分も眠りについた。  
 
おわり  
 
 
――没ネタ。。。  
 
「銀、お前……俺がお前にしようとしてたこと、知ってるのか?」  
「知ってる」  
「どうして…」  
「偵察のとき、見た」  
「そうか……でも、お前には、少しはや…」  
「早くない」  
「いや、でも、やっぱり…」  
「ジュンとモーリスもしてた」  
「は? ……モーリスって」  
(象じゃなかったか!?)  
「無理だ」  
「大丈夫」  
「人間と象は有り得ない」  
「……(ジト目)」  
「俺を信じろ!」  
「嘘……」  
 
結局二人は背中合わせに戻って寝たという――。  
 
 
 

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