僕の考えたロシア組
ロシア人にとって、台所というのは憩いの場だ。
古くソヴィエト時代には、盗聴と密告を恐れて、照明を落とした台所で、ろうそくの明かりのもとで、流しっぱなしの水道にまぎれて小声で噂話に興じたものだ。
(だが、これはどうもな)
レプニーン少佐は内心思いつつ対面に座るターニャに紅茶を渡した。
自分には指貫のように小さなコップと、ウォトカを用意する。
ヴラディバストークでの一連の工作にあたり、レプニーン少佐は軍施設ではなくFSBが確保している民間のアパートメントで暮らしていた。
ロシアには多数の武力省庁とその傘下の軍事組織が存在する。連邦軍、国内軍、国境軍、民間防衛軍、その他色々。
権限の競合することも多々あるそれら組織は、お互いに対する牽制も激しい。
契約者というジョーカーを抱えるレプニーン少佐の派閥にとって、他省庁の目の届かない隠れ家は必須といえた。
だが、隠れ家であるからこその問題もある。おおっぴらに警備が出来ないことがそのひとつだ。
そのために、レプニーン少佐は警備のために契約者を一人身近に置くことにしていたのだが、ここヴラディバストークで予期せぬ警備員の交代が起きたのだった。
デニムパンツにタートルネックのセーターを着たターニャは渡された紅茶を一息にあおった。
「ターニャ、紅茶はもう少し楽しめ」
「必要がありません」
たしなめる少佐に無表情で応えるターニャ。
幼くして契約者になった弊害だな、と少佐は思った。
「嗜好品を楽しむのは、確かに合理性とは程遠い」
レプニーンは言った。
「だが、他者といるときに、そのような行動をするのは異常性を感じさせる」
「……」
「契約者であることは、そのこと自体が切り札だ。簡単に手の内をさらすのは下手なプレーヤーだな」
「……一般人の振りをしろ、と?」
「手の内は隠すものだ。そのほうが勝率が上がる」
「合理的です」
では、といってレプニーンは手にしたコップをターニャに渡した。
「応用だ。紅茶の楽しみ方とウォトカの楽しみ方は違う」
一瞬、考えるような表情を浮かべた後、ターニャはウォトカを干した。
「素晴らしい」
にこり、と笑ってレプニーンはターニャの手からコップを取り上げた。
「……いえ」
ふとみると、アルコールで顔を真っ赤にしたターニャが椅子の上で左右に揺れていた。
「大丈夫です……失礼、先に休ませてもらってもよろしいでしょうか」
「かまわんが、一人でベッドまで行けるかね」
「……はい……」
ターニャはおもむろに髪の毛をむしった。
その日、黒い絨毯によってベッドに運ばれる少女の姿を目にしたレプニーン少佐は、契約者に対する態度をより一層頑なにしたのであった。