最初に見かけた時には心臓が止まるかと思った。
明るい髪の色の女の子。
どことなく焦点の合ってないような瞳の、ポニーテールが可愛い子。
アパートに近い商店街の一角の中華料理店。
閑古鳥が鳴いてた中華屋にふらりと入ったら、その子がいた。
一瞬で目を奪われた。
紫色のワンピースの上に、白いエプロンをつけたその子に。
気がついたら、毎日通うようになっていた。
そういえばこの店は、生きてるんだかどうかわからない爺さんが料理人だったはずなのだが、
厨房をみると黒いタンクトップのやたら目つきの鋭い若い料理人が鍋を振るっている。
その料理人は病的に肌の白いウェイトレスさんのことを「イン」と呼んでた。
無口なあのこは呼ばれるたびにこくり、と頷くだけで。
でも、不思議にそれで意思疎通ができてるみたいだった。
僕はそのたびに嫉妬で胸を焦がしてしまっていた。
告白しよう、と決めたのは桜が散る頃のこと。
毎日通っているせいか、なんとなくだけどインちゃんの僕に対する態度が柔らかくなってきたような気がする。
気のせいかもしれないけど。
明日こそ、明日こそ言おう、と決めて一週間。
僕は閉店間際の中華料理屋の外でインちゃんが仕事を終えて出てくるのをただ待っていた。
肌寒さも感じない。インちゃんが僕の名を呼んでくれる、そんな幸福な妄想に浸っているだけで胸の中から暖かくなってくるおかげだった。
キイ、と音がして中華料理屋の裏口が開く。
インちゃんだ!
そう思った瞬間、僕の心は暗い衝撃に溢れた。
インちゃんのすぐ後ろから、料理人が出てきたから。
黒いコートに黒いズボンのその料理人が鍵を閉めると、インちゃんはそのすぐ傍に付き従うかのように歩いている。
いつもの紫のワンピースの上に、黒いボレロを着てるインちゃん。
嫉妬で気が狂いそうだ。
桜並木を歩くインちゃんと料理人。
インちゃんが小さくくしゃみをしたら、料理人は長くて大きなコートをインちゃんに羽織らせていた。
ぶかぶかの大きなコートを着たインちゃんはどことなく嬉しそうで。
そんな顔を見たことのない僕は、恋心を打ち砕かれてしまった。
彼女にあんな顔をさせることは僕にはできない。
彼女をあんなふうに喜ばせることなんか、僕にはできない。
全身から力が抜けるような感覚。
インちゃんが、料理人に抱きついているからだ。
料理人は無表情のまま、インちゃんの顔を上向きにさせると、その可憐な唇にキスをしたのだった。
でも、僕はカンペキに不幸だというわけではなかった。
とてもいいものを見ることができたから。
ゆっくりと、花が咲くようにじわじわと、インちゃんが笑っている顔をみることができたから。
料理人に向かって、笑顔を見せながら、その名を呼んでいるのだろう。
可憐な唇が動く。
料理人も感情の片鱗らしきものをみせていた。
お姫様のようにインちゃんを抱き上げると、そのまま桜並木の向こうの土手に駆け上がる。
まるで怪盗のように、美少女をさらって行った料理人。
数日後、インちゃんと料理人は姿を消した。
まるで、もともといなかったかのように。
きっと、どこかの空の下で、言葉すくなに二人で会話をしているのだろう。たぶん。