―――とまぁ、そんな夢を見た。  
 
「・・・ヨーロッパの片田舎で、お前と、お前の子供と、私の三人で暮らしているんだ」  
黒は、相変わらず私の方を見ない。  
 
―――そんなことはどうでも良い、か・・・  
 
聞き流して当たり前だ。  
契約者が夢を見て夢を語るなど、ありえない。  
 
安宿の薄暗い室内で黒が見ているのは壁に掛かった地図。  
そこには幾つものピン留めされたメモ紙、×印、顔写真、切り抜かれた新聞記事、あらゆる戦略予定が地図を飾っていた。  
紙切れと写真で埋め尽くされ、隙間から覗く地図の形と、その上に書かれた幾つものマーク。遠目には、幼い日に見た聖夜の降誕祭で序幕を演じた知恵の木に見えた。  
 
尤もこの知恵の木は、これから刈り取る命を綴った死神の予定表だ。  
 
地図に負けじと、派手にデコレートされた焼き菓子のようなデスクとを行き来しながら、黒衣の死神は呟いた。  
「お前の伴侶か・・・核弾頭か、大砲の的と結婚するようなものだな。身が持たない」  
地図に貼られた顔写真の一枚に×印をつけながら、黒はカーマインに答えた。  
仄暗いベッドから聞こえる女の方に振り向く素振りは欠片もない。小脇に抱えたファイルを開くと、地図とファイルとを素早く視線が往復する。  
 
―――次はこの街で破壊工作か――  
 
計画書を入念に見つめる黒の背中を見つめながら、カーマインは言葉を続けた。  
もし今の自分の言葉を後で聴き直すなら、鏡で今の自分の顔を見たなら、今、何故自分は『男に甘える女』を演じているのだろう―――そう思うような声色と視線で。  
「ああ。私もそう思う。夢の中じゃ、私を追ってきた三人のエージェントと相討ちになってた」  
 
私と、お前の子供を庇ってさ――  
 
「なんだそれは。割に合わない話だな。どこかの救世主ならともかく、売女と、どこの種ともわからない子供の為にか」  
黒は淡々とした口調で返すと、ベッドの上で夢を嘯く女にファイルを放り投げた。  
やはり、振り返らない。  
黒の視線は地図から卓上のスキットルボトルに向かった。  
 
「・・・そうだな。三人のMI6は差詰め東方の三博士か」  
柄にもない冗談を言っている――――最近、こいつはそんなことが多い。黒はそう思いながら飲んでいる内に、掌で感じる重量が半分になった。  
「寝言はそのくらいでいいだろう。俺はもう出る。お前もさっさと殺ってこい」  
そう言いながら蓋をすると、黒は半分になった酒に畳んだ地図と偽造身分手帳とをバンドで留め、カーマインに投げ渡した。  
「・・・・・・・・・・・・・・」  
 
「その色目はターゲットに使え」  
黒は自分をじっと見つめる女の視線に無粋な言葉をプレゼントした。  
こいつが、まるでアンバーみたいに自分を見つめるから。似合わないのに。演技は任務の間だけで十分だ。この女の本性を考えると不気味すぎて鳥肌が立つ。  
「いじわる」  
・・・本当に気味が悪い。  
 
 
アンバーにもこの夢の話をした事がある。  
何故だかわからないが、彼女は一言だけ『ごめんなさい』と私に言った。  
一体何に謝っていたのかよくわからなかった。  
 
―――そう言えば、彼女の姿を最近見ないな。  
 
別段、珍しいことでもない。国から国へ、組織から組織へ飛び回るのが彼女の任務だと黒から聞いたことがあった気もする。考えても仕方がないか。今は他人の仕事より自分の仕事を考えよう。契約者らしく。  
 
手帳には聞き出すことと聞き出す相手。地図には潰して回る街と、最終集合場所に大きな×印がつけられていた。  
 
集まるのは・・・なんだ、天国門の目と鼻の先じゃないか。  
 
「それじゃあ、さっさと殺ってくるよ」  
その言葉を最後に、私達は別れた。  
 
−終−  
 

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