「・・・痛っ、・・・お、おい・・・黒」  
いつもより強引にベッドに押し倒した私の服を、力ずくで剥く。  
この服、買い替えたばかりなんだが。・・・お前が私に買ってきた服。  
下着もろとも、破り捨てるように上の服をはぎ取り、貪るように乳房に吸い付く。  
前戯も何もあったもんじゃない。  
 
またか。  
 
任務から帰還後、妹を部屋に置いたかと思ったら、自分の部屋に強引に押し入って来た。  
『・・・疲れた。抱かせろ』  
いつものことだが、抱く前の台詞は味気ない。  
尤もそれは私も同じだ。ケダモノであることに、人間も契約者もない。  
こいつも私も、同じ穴の狢なのだから。  
暇潰しに誘ったり誘われたり、それで気が向けば抱き合う。その程度だ。  
だから、どんな抱き方をしようがとやかく言うつもりはない。  
 
だが、  
 
こいつと愛を語りあうような仲になった憶えがないのと同じくらい、ワガママを胸で優しく抱き留めてやるような仲になった憶えもない。  
 
「噛むなこのバカっ!」  
 
私は右足で、下腹部を思いきり突き飛ばした。  
―――もう少し下でもよかったな。このケダモノには。  
 
お前がお乳をねだる相手は、あの琥珀色の女だろう。  
尤も、彼女は何考えてこのケダモノを手懐けているのか判ったものではないし、どうでもいいが。  
 
・・・いや、それこそ今はどうでもいい。  
このケダモノがいつにもまして凶暴な理由は、アレしか無いだろう。  
 
「妹を殺そうと、また思ったのか」  
 
緋色の女は、自分にそう言った。  
自分が力づくで組み伏せ、服を裂かれ乳房も露わなのに、その目はただ獣を冷静に分析する。観察者のそれと同じだった。  
「・・・お前、なんで」  
「ケダモノに何遍抱かれたと思ってる。毎回歯形を残されて迷惑だ」  
 
―――明日どんな言い訳をするか考える女の苦労が、男のお前に判るか?  
 
溜め息混じりでそう言うと、緋色の女は卓上の煙草に手を伸ばした。  
箱から取り出し、口に運び、燐寸で火をつける。  
しなやかな指の動き。  
唇と同じ、仄暗い中で輝く小さな紅。  
着衣が乱れた、上半身だけの裸婦。  
鼻孔をくすぐる、女の匂いが混ざった紫煙。  
 
―――絵になっている。  
 
『三週間だけの人間だ。今の男は、処女の清純さに娼婦の色香が好みだ。勝手なものさ』  
そう言っていた。  
 
「・・・すまない」  
「なら少しは学習しろ。こうやって蹴り飛ばすのは何度目だ。獣でも覚える」  
 
「あの子を見る目、まるで厄介物を見るような目だった」  
―――ベッドにおいたとき、重荷を下ろしたような溜め息までしてな。  
 
私に蹴り落とされたケダモノは、そのまま壁にもたれかかった。  
まるで何かから身を守るように、頭を抱えて、嗚咽を漏らす。  
「今更、俺が罪悪感や良識を持ち出すのは見当違いか」  
 
ああ。本当に見当違いだ。  
 
「お前が感じているのは罪悪感でなく、ただの疲労感だろう」  
鞭で打たれたように、獣は震えた。  
「・・・・・・・・・俺は、どうすれば良い・・・?」  
 
―――適当に鎌を掛けたつもりだったが、図星か。  
 
こいつもただの人間なのだ。  
好意を持った相手に、自らのあさましさを喜んで見せる輩などいない。  
その相手をより強く、愛おしく想うのなら、尚のこと。  
時折、こいつは殺ること為すこと、契約者でもないのに誰よりも冷酷だと思うことがある。  
だが、それはこいつの断片に過ぎないと思うこともあるのだ。  
 
少なくとも、今みたいな時には。  
 
―――黒の死神と恐れられようが、愛する妹に心労を重ね、惚れた女に過大評価して貰いたい。そんな、ただのありふれた人間なのだ。  
『私を抱くように、彼女を抱けないだろう?』  
『あんな乱暴な抱き方が出来るか。お前ならともかく』  
『―――私ならともかく、か・・・』  
 
何時かの何処かで交わした言葉。  
 
何故だったか、嬉しくもあり、寂しくもあった。  
契約者なのに。  
 
はぁ。  
 
灰皿に煙草を押し付け、火を消す。  
点けて一分も吸ってないが、構わない。  
これから、煙草一箱分以上の時間を使うのだから。  
 
―――こういうのは、私の役回りじゃないんだがな。  
 
たまにはいいだろう。  
 
私は獣を手招きした。  
 
 
緋色の女は、自分を優しく抱き寄せてくれた。  
唇の前戯も、指の序奏もない。  
ただ、その胸と腕で自分の頭を抱き締めた。  
 
白く細い女の腕。  
乳房の温もり。  
直に聞こえる、胸の鼓動。  
 
とくん  
 
我が子を慈しむように、耳元で囁く。  
「妹が人を殺す、それがどうした。一人殺そうが二人殺そうが、百万人殺そうが妹は妹だろう」  
信じられない。  
本当に、あの最低最悪の契約者か。  
「・・・お前に、身内贔屓なんて概念があったのか」  
「別に。顔に書いてあることを読み上げただけだ。厭わしい、でも愛おしいと書いてある」  
 
―――そして、今お前が一番厭わしいと思っているのは  
 
「厄介払いで妹を殺したくなるような、兄か」  
 
 
―――契約者にも、心があるのか。  
こんなにも心の琴線に触れることが出来るのだから。  
「お前を誤解していた」  
「・・・勘違いしてないか?」  
慈母の声が、強かな売女の声に戻った。  
「愛おしいなら生かし、疎ましいなら殺す。たったそれだけのことに何を悩む。さっさと決めろ」  
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・。  
 
期待した俺が馬鹿だった。  
 
「決めた。続きをさせろ」  
 
私は、安心した。  
ケダモノに悩みは似合わない。  
―――さて、明日はどんな言い訳を用意しよう。  
 
 

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