「家の中を勝手に漁らないでください。機密情報なんてありませんからね」
「いやだなぁ、冷蔵庫から保冷剤をとってきただけじゃないですか」
「そもそも、気持ちだけでいいと言ったはずです」
「気持ちだけで風邪は治りません」
彼はにこやかに笑った。
何故だろう。
この人が笑うと・・・余計、癇に障る。
「じゃあ、他には何が要るんですか。風邪薬ならもう飲みました」
「隣人愛です」
―――私、これでも英国国教会の信徒ですよ。
白々しいと、私は思った
「どうして私の家がわかったんですか」
彼女は私を、ギロリと睨むように見る。
「違法な手段で得た情報なら、然るべき所に報告させて頂きますよ?ノーベンバー11。」
―――ジャックで構わないと、そう言いませんでしたっけ?
私はタオルに包んだ保冷剤を、彼女の額に載せた。
「そんなことしませんよ、ミサキ。あなたの友人に聞いただけです」
「まさか・・・何故彼女を!?」
「いえ、仕事で偶々天文台に行きまして。そこの主任さんの学歴に、あなたと同じ学校名がありましたから。別におかしくはないでしょう?」
―――普通に見れるものを見て、考えられることを考えてみただけです。
「そして昼に遭ったときのあなたの顔は、少し熱があるように感じた」
胡散臭い。
・・・と言いたそうな顔だなと、私は思った。
私、霧原未咲は純情ぶるつもりはない。
もう大人だ。
でも、抱かれる相手はちゃんと選ぶつもりだ。
そういうつもりだった。
見た目。
人格。
社会的地位。
その他諸々。エトセトラ。
目の前にいる金髪の白人。
趣味に合うかどうかはともかく、見た目は申し分ない伊達男。
人格。
飄々として掴み所がない・・・極端に言えば、胡散臭い。
社会的地位。
イギリス外交官。
―――というだけなら申し分ないが、それは表向きの顔。
裏の顔はMI6のエージェント。
斥候・偵察・諜報活動のプロフェッショナル。
この観点において、抱かれる相手としては最悪だと思う。
自分が警視庁公安部外事四課課長だということ考えると、尚更。
そして何より、この男は
契約者だ。
「信用ないですねぇ・・・別に、喘がせて何か聞き出したりしなかったでしょうに」
煙草をくわえた彼は、私にそう言った。
・・・携帯やパソコンにいじられた形跡はない。手帳も無事だ。
確かに、自分の疑心暗鬼がすぎていたかもしれない。
「おや、これは有難い。冷えてきたところです」
手近にあるバスローブを彼に被せた。
「なら全裸でベランダに立たないでください・・・確かに室内禁煙とは言いましたけどっ!」
「やましいことが無い証拠です」
「合理的な判断・・・どっかの契約者は『勝ち残るための進化の形』とかいう寝言をほざいてましたが」
―――ああ、今のは仕事内の話だから、オフレコでお願いします。
「とんだ見当違いです。契約者は常に弱者で敗者だ」
彼は台所からボトルとグラスを持ってきた。
両方とも十分すぎるほど冷たい。
彼が冷やしたのだろうか。
・・・少し加減を誤れば、人の身すら凍てつかせるその力で。
「違います。けど、何でそう思いました?」
驚いた。
―――前々から思っていたが、契約者は
「人の心なんて読めませんよ」
・・・・・・・・・・。
「種明かし、しましょうか」
彼は笑顔で言った。
「嫌煙家の私が煙草を吸っている、なら契約能力の対価に違いない、ではその能力を何に使った?おや、ボトルとグラスが随分冷えている・・・そう言えば、彼はこの力で何人も」
あなたはそう考えた。でも、
「仕事という理由も無しに、私は、一度でもあなたの気分を害したことがありましたか」
―――嫌煙家が、たまには煙草を吸いたくなっても良いじゃないですか。
惚れた女の前でカッコつけたくなることくらい、ありますよ。
「・・・・・ごめんなさい。わたし、」
「なに、慣れてます。・・・そんな顔しないでください。あなたには似合わない」
彼は私に、笑顔で返してくれた。
でも、少しだけ寂しそうな横顔だった。
『殺人能力?そんなもの、現代の法治社会では生きるのに邪魔でしかない』
『犯罪者が社会的敗者以外の何者だというのですか』
『殺人犯として一生追い回され、道端で野垂れ死ぬだけです』
『見てご覧なさい、契約者共の末路を。軽々しく殺しては、軽々しく殺されていく』
『ハヴォックの時のCIAですか。あれは、下手に生け捕りにした方が外交的にややこしくなるからですよ。私は殺す相手はちゃんと選びます。後先を考える』
『・・・だというのに、時と場所と相手を選ばず、見境無く殺す。ジャパニーズ・ヤクザの方が、まだ頭が回りますよ。何処が合理的なんだか』
『その上、たかが能力を持ったくらいで、選民思想に染まる坊やまであらわれた』
『合理的思考というより、ただの人格障害です。残らずサナトリウム送りですよ』
だから、残念です。
「私はそういう連中とは違う。それを証明するために、あなたの麾下に入った」
神と国に忠誠を尽くし、法を守り、人々を助け、鍛錬を怠らなかった。
誠実。
友情。
礼儀。
親切。
快活。
質素。
勇敢。
感謝。
殺しのライセンスを持つからこそ。
その身にかなう範囲で、どれ一つ、常に忘れぬよう心がけた。
契約者になってからは、前以上に。
「私はMI6として、如何なる任務であれ、その任に殉ずるつもりでした」
それなのに
「なぜ、教えてくれなかったのですか。そんなに信用できませんでしたか」
「愚問だな。自分の首を甘んじて落とさせる契約者などいるのかね」
「成る程。実に人間らしい、合理的な判断です。なら・・・そのご期待にお応えしましょう!」
ひゅん
酒瓶を背後に放り投げた。
ドン!
制御を解かれた中のドライアイスが爆発し、無数の氷弾が肉を裂き骨を砕く。
今だ。
立ちこめる濃霧。
落ちたサブマシンガンを素早く拾い上げ、トリガーに指をかける。
残りは
「四対一か。分が悪い」
ぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅぶ
一人、二人、三人四人。
どれも胸と腹に赤い汚点をつくって、倒れた。
だが、黒衣を纏った純白の男は立っている。
汚れなど一つもなく。
「ふ、不死身か貴様?このバケモノめ・・・!」
「そんなわけないでしょう。用意周到なだけです。あなたが私に教えてくれたじゃないですか。『そなえよつねに』と」
はだけたシャツからのぞくのは、弾丸がめり込んだ保冷剤。
「流石は日本製。保冷剤まで高品質だ。安い上に何処でも買える」
―――ベストに出来るくらい買っても、お釣りが来ましたよ。
「・・・そうだった。子供の頃、質実剛健たれとも教えたな。・・・君の勝ちだ」
三指敬礼、本当に懐かしい。
「いえ、私の負けです。」
保冷剤の裏は、紅く染まっていた。
『いやぁ、ご心配をおかけしました、ミサキ。単に潜入捜査で連絡を取れなかっただけです。今、上にも報告を済ませましたよ。
そうそう、あの保冷剤、役に立ちました。本当に良い物だ。銃弾も防げた。
あ、だからってサブマシンガンを至近距離で撃たれたら流石に保ちませんから、注意してくださいね。
弾を防げても割れた氷片が刺さったら意味無いです。
それに貫通しなくても、肋骨が折れて肺に刺さることもあります。
防弾ベストを装備したからといって『カミカゼ』は止めた方が賢明です。
というか、日本人であるあなたの方がよく御存知でしたね。
・・・さて、そろそろウチの古女房と坊やにも連絡を入れないとどやされるので、今日はこの辺で。またすぐに、どこかの道端でお目にかかれますよ』
「ふぅ・・・」
メールを送り終えると、肩からどっと力が抜けた。
・・・・・・こんなに疲れたのは、本当に久しぶりだ。
契約者になった、あの日以来だろう。
―――さて、もう一通送らないと。
カタン
何か落ちた。
急に、どうでもよくなった。
「最後まで律儀に対価を払う必要も無いか・・・」
私は煙草を放り捨てる。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。