『私達がそんなことを考えると思うか?』  
緋色の女は言った。  
 
『契約者にはあらゆる道徳も倫理もない。殺生すら食事と変わらぬ感覚なら、貞操観念など、それこそ睡眠と同程度の感覚しか持ち合わせない。』  
そう、言った。  
 
「あの子は、舞は・・・どうなる?」  
黒は黄に聞いた。  
 
「組織のどっかでお勉強して、卒業したらお仕事さ。女の契約者は使い勝手がいいからな。殺ってるだけじゃお仕事はできねーのよ」  
 
あの子も、ああなってしまうのか。  
緑の女や、緋の女のように。  
 
いや、「もとからそんなモノ」なのか。  
 
ちりん。  
 
鈴の音が鳴る方に目をやる。猫と・・・銀か。  
「上から連絡。明日、いつもの場所で受け取るから、ソレ持ってこいってさ。」  
言い終えると猫は大きなあくびをした。  
 
少女の身の上など欠片も気にして無さそうに見える仕草。  
それが自分の中でぶくり、と澱をためていく。  
 
・・・いいや、何を考えているんだ自分は。  
 
猫を責めるなど筋違いも甚だしい。  
今回も不眠不休で仕事に精を出したのだろう。  
任務を遂行するにあたって、銀と入念に事前の下調べを済ますのが猫の役目だ。  
 
 
今の舞の身の上は、誰のせいでも無い。  
彼女の力の発現は、父の手で無理矢理引き延ばされていたのだ。  
それが今終わった。それだけだ。  
 
「黒・・・どうしたの」  
銀が自分の顔を覗き込んでいた。  
 
 
「李・・・さん、もっと、強く・・・」  
自分の肩に爪を立てて、舞はかすれた声を絞り出した。  
少女と女、幼さと艶めかしさの同居した身体。  
髪の甘い微香。  
蜘蛛のように搦め取って離さない、白魚のような指先。  
ベッドの上で少女を組み伏せながら、黒は思った。  
 
どうしてこうなったのか。  
 
言い出したのは舞の方からだ。  
明日の引き渡しまでの時間、一時の宿に彼女を残し、離れようとする自分を引き留めた。  
『ひとりにしないで』  
『何もかも忘れさせて』  
・・・随分と月並みな言葉だと思う。  
ドラマか何かの台詞を、そのまま引用でもしたのか。  
『アナタと出会うのが運命だったんです』に勝るとも劣らない空々しさだ。  
それから、押し倒したのか、引き倒されたのか、唇を重ねて5分後。  
肌を重ねていた。  
 
『女の契約者なんてのは、皆売女か魔女だ』  
緋色の女はそう言っていた。  
 
自分が抱いているモノは、もうあの子じゃない。  
 
『逢瀬を重ねて、情を深めるの。継続して情報を盗れるようにね』  
緑色の女はそう言っていた。  
 
なんの為にこんな真似をしているのか。  
これから彼女は、彼女にとって全てが未知の場所に旅立つ。  
ならば、道案内の灯火が欲しいだけなのか。  
身体を売って自分を買うのか。  
情をうつさせ庇護欲でも煽るのか。  
 
ふっ、と意識が闇に飲まれそうになる。  
何だ。  
この程度で果てるなど、いつもの自分では考えられないのに。  
瞼が異常に重い。  
閉じかけた視界は、ひときわ赤い花瓶をとらえた。  
そこから何かが、ぬるり、と出てくる。  
赤子の顔が、自分たちを覗いているような気がした。  
 
 
『最低最悪の契約者と、最低最悪の人間。もし出来るのなら、どんな子供が産まれるんだろうな』  
緋色の女は言った。  
下は穿いているが、上にはシャツを羽織っただけ。  
時折、白い乳房が見え隠れする。だが恥じらう様子など全くない。  
自分と寝たばかりなのだから、今更恥じらう方がおかしいのではあるが。  
 
俺は、何気なく聞いてみた。  
『子供が出来たら、どうする。家庭を持ちたいと思うか』  
女は、まさか、と言った。  
『売るさ』  
ビール缶に手を伸ばし、開けて、飲み干し、――――放り捨てた。  
『知らないのか。契約者の子供は高値で取り引きされている。卵子や精子も。その商売を最初に始めたのは何処だったかな。ええっと、マイヤー』  
 
 
 
『・・・でね、その組織の女工作員、仕事で出来た子供を下ろした後、ある日突然、契約者になったんだって。しかも対価が傑作でさ。『感受性を取り戻すこと』なんだって。それ以来、身体以外で演技を磨くようになったって。』  
ベッドの上で、緑色の女は、さも他人事みたいに笑って言った。  
 
俺は、ふと聞いてみた。  
『・・・もしも、もしも持ったならという仮定が前提だが、子供と夫、捨てるならどっちを捨てる?』  
『子供ね。』  
即答だった。  
『ヒトとサルのDNAは98.5%が同じ。即ち、親子の証は1.5%以下にしか含まれていない。そんなのより、人生の1割以上を共にした相手の方が、ずっと大切よ。それに子供はまた産める。・・・でも、あなたは産めない』  
自分の頬に指を伸ばしながら、女は微笑んだ。  
 
 
―――ちりん。  
 
「あのお嬢ちゃん、可愛い顔してとんだ蟇口だ。お前を飲んじまうとはな」  
猫。  
俺は、意識を取り戻した。  
そこには自分と、自分の顔を覗き込む猫だけで、あの子の姿は無かった。  
 
「何てツラしてんだよ。さっさと着替えろ。帰るぞ」  
隣には、いつの間にか綺麗におり畳まれた自分の衣服。舞か。  
「・・・あの子は?」  
「お前さんが寝てる間にもう行った。ありゃ大した女狐になるぞ」  
 
ちりん。  
 
猫はベッドから床に飛び降りた。  
 
服に袖を通し、もう必要は無いと思うが刃物を仕込む。  
猫が聞く。  
「何か盗られてないだろうな?」  
・・・・そう言えば、財布が随分軽い。  
 
くくっ。  
 
安心した。  
「財布が空だ。・・・これだけ強かなら、何処でもやっていけるかな」  
あの緋色の女や、緑色の女みたいに。  
「何笑ってんだよ、気味が悪ィ」  
 
ふにゃあ。  
 
猫は大きな欠伸をした。  
 
 

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