「駄目よ、李くん、李・・・んっ」
男は女を抱き寄せ、強引にその唇を塞いだ。
殺風景な男の部屋に、一雫の水滴の音が響く。
「んぅ」
いつの間にか、日が沈み始めている。
虚ろな漆黒の瞳に霞む夕日を映しながら、男はそのまま女を押し倒した。
「銀。しっかり見てるんだろうな?」
黄の問い掛けに、銀は小さく頷いた。
「・・・これ以上はマズいんじゃないか」
顔を掻きながら、猫が横目で銀を見やる。
「なーに言ってんだ。どうせ人形だあ。なんも分かりゃあしねえよ」
「おい黒。ちんたらやってねえでさっさと済ましちまいな」
「・・・・・・」
男は女の口から唇を離し、彼女の背中に手をまわして器用にブラジャーのホックを外す。
少し遅れて、女の甘い喘ぎ声が漏れると、銀は数回瞬きをした。
・・・・・・銀、見るんじゃない。
裸になった男は台所の蛇口を見つめ、ゆっくりと視線を戻すと、静かに、女の上に覆いかぶさった。
「あぁっ!」
切ないようにかすれた女の喘ぎ声が、古びたアパートの天井に消えていく。
男は露になった女の乳房に顔を埋め、野良猫が餌を漁るようにただひたすら、その肌を貪る。
男に下敷きにされた女は、剥き出しの胸や大きく脚を開かされた姿を恥じらう余裕もなく、手馴れな刺激を与えられるたびに熱い息を漏らし、男の黒い髪を掴んだ。
「お願い李くん、もう少し、もう少し優しくして・・・!」
女のその言葉にようやく顔を上げた黒は、小さく笑顔をつくってから言った。
「すみません、貴女があまりにも・・・綺麗だったものですから」
「李、くん・・・」
銀はその日の黒がいつもと違うことに気づいていた。
今日はいつもより時間が掛かり過ぎている。
「あいつ、何をぐずぐずしているんだ?」
黄の苛立たしげな声が銀に向けられる。
「・・・知らない」
そう、銀には分からなかった。
何故、黒と彼女たちは裸で重なり合うのか。
何故、そんな時の黒は知らない男の人のように思えるのか。
何故、・・・・・・
「例の如く、さっさと挿れて情報を聞き出す。それだけじゃねえか」
黄のその言葉に、毛繕いしていた猫が呆れたように顔を上げた。
「黄。プレイボーイと言うものはだな・・・」
女のショーツにかけられた黒の指が止まる。
黒は戸惑いを感じていた。
何だ、この感覚は。
これまで何度も同じような「任務」を難なくこなしてきた彼だったが、言わばそれは、黒が彼女たちに対して無心であれたお陰でもあった。
物理的に反応する肉体が、昔教わったノウハウと天性の勘で彼女たちを抱いていたのだ。
しかし今は、何故だかこの女と繋がるのが躊躇われる。
しれは黒が女に対して微かに情欲の念を抱いているからであり、同時に、銀に対して罪悪感を感じるからであった。
「・・・どうしたの?」
女は、自分のショーツに手をかけたまま動かない黒に問い掛けた。
「・・・ワードを」
「え?」
「パスワードを、教えろ」
その言葉を聞いた途端、女は全てを理解した。
ああ、私は利用されたのね。
「・・・教えないと言ったら?」
真っ直ぐに黒の目を見つめる女のショーツを一気に下ろし、黒は言った。
「おまえに選択肢は、ない」
「ああぁっ!」
女の声に合わせて、黒の汗が飛び散る。
「言え、言うんだっ」
黒は少し苦しそうに眉間に皺を寄せ、強引に女を突き上げる。
「李、く・・・あぁぁっ・・・」
女は気づいていた。
乱暴に腰を振る黒の、自分の腰を掴む手の優しいことに。
部屋に響く水滴の音は、もう黒の耳には届いていなかった。
「4回か、今度の女は中々しぶとかったな」
黄はやれやれといった顔で、ようやく公園のベンチから腰を上げた。
「後は黒からパスワードを聞き出せば終了だな。銀、頼んだぞ」
そう言い、黄はノロノロと夜の公園を後にした。
銀は返事をせず、少し前の二人のことを思い出していた。
「ハァッ、ハァッ」
黒は呼吸を乱しながら、女の肩を掴んで言った。
「いいかげんに言ったらどうだ。おまえがパスワードを教えるまで、いつまでも繰り返すぞ」
意識の朦朧とした女は、静かに黒を見つめた。
「もうこれ以上されたら私・・・死んじゃうわ」
「そうだ。だから早く教えるんだ」
「教えなければ、私を殺す?」
「・・・ああ」
女はふふ、と悲しげに笑い、真っ直ぐに黒を見た。
「パスワードを教えるわ」
女は服を着て、部屋を出て行こうと玄関に立ち、くるりと振り返った。
「李くん」
「・・・・・・」
黒は黙っていた。
「私、李くんが好きだったわ」
女が言うと、黒は少し考えてから立ち上がり、女の前に立った。
「・・・俺は李じゃない」
黒が言うと、女は明るく笑った。
「わかってるわ」
ふと、女は黒の唇が赤く色づいているのに気づいた。
「私の口紅、ついちゃったわね」
黒が自分の唇に触れると、人差し指がうっすらと赤く染まった。
「・・・この色は、嫌いじゃない」
黒の言葉を聞いて、ドアノブに手を掛けた女が言う。
「もっとつけてあげればよかったかしら」
からかうように笑う女の顔に手が伸び、黒がその唇を塞いだ。
「ん、は・・・っふ」
暫くして、黒がねっとりと重ねた唇を離す。
「・・・これで暫くは落ちない」
公園のベンチで黒を待っていた銀は、黒が現れるとその赤い唇を見つめながら言った。
「・・・パスワードを」
言い終わり、黒は銀の隣に腰を降ろした。
「・・・・・・」
二人は黙って星空を見つめ、暫くすると銀が口を開いた。
「黒、口、赤い」
「・・・・・・」