赤と黒
赤毛の女はグラスのワインを口に含んで、黒髪の男に唇を重ねる。
細い体で、そのまま黒髪の男をソファの上に押し倒した。
口元以外は彫刻みたいに動かない二人。
黒髪の男が唇を離した。
「どういうつもりだ?」
「どうもないさ。それとも、私みたいな貧相な女じゃ不服だったか。契約者でも渇きは感じるし、選り好みもある。違うのは、終わったあとの余計な思い入れがないことか」
上体を起こし、赤毛の女はテーブルのグラスに左手を伸ばす。
「私達の感情は無くなったわけじゃない。単に深みがないだけだ。この安物みたいに。」
赤毛の女は残りのワインを口にするが、今度は飲み干した。
「たかが口づけ一つで動揺するな。黒の死神と呼ばれたお前らしくもない」
黒髪の男は少しだけ不機嫌そうに、眉間に皺を寄せて答える。
「女と唇を重ねるのも、抱くのも初めてじゃない。お前が今そんなことをするとは思わなかっただけだ。」
黒髪の男の顔が、無表情に戻る。
「追われている契約者のすることじゃない。目的の達成か、追跡者の殲滅が優先だ」
赤毛の女は皮肉を含んだ微笑で答えた。
「今の私は契約者ではない。それに、そんなに時間をかける気もない。」
赤毛の女の左手が、グラスから黒髪の男の頬に、首筋に、流れるように動く。
「夕餉の礼だ。私なりの。」
その指先が黒髪の男の服に伸びる。慣れた手つきで留め具を外していった。
「ほんの1ヶ月前まで、裸で組み手が私の毎日だった。別に苦ではない。それに組織にいたころも娼婦の真似事をしていた。色目を使った聞き出しから、繋がっている最中の殺しまで。慣れるのに時間はかからなかった。そんな生き物だからな、私もお前も」
「そんな生き物が礼をするのか」
「するさ。恩の売り買いと、それが成立する相手を見極めるのは、生き死にに直結する」
「俺がそんな相手に見えるか」
「見える。口づけ一つで動揺し、女に押し倒される今のお前はな。さっきも聞いたが、お前、本当に契約者なのか?」
契約者さ、と黒髪の男は抑揚無く答えた。
「お前も喪失者には見えないがな。その計算高さは。それとも女は皆そうなのか。」
――ほら、そんなふうに皮肉付きで返すところも――
赤毛の女はクスクスと小さく笑う。
それにつられたのか、黒髪の男は少し柔らかな顔になる。
「・・・本当によく笑うな。さっき初めて見たかと思ったら、二度目だ。」
「お前と、ローラのおかげかな。・・・実際、彼女の家族と一緒にいたのは、そんなに長くない。でも、あの濃密な時間は、これまで生きてきたどんな時間よりも長く、そして短かった。時間を惜しむという感覚を初めて味わえた。」
――さ、そういうわけだから、時間がない――
「いい加減、目を閉じろ」
瞼を閉じ、視界が赤から黒にかわった。
だが次に感じたのは、唇を重ねる感触でも、服の下をまさぐられる感触でもなく、ちいさなデコピンの痛み。
「・・・なんてな。続きは帰ってからのお楽しみ。それまでご褒美はお預けだ。」
体を離して、赤毛の女は唯一の持ち物である毛布を羽織る。
黒髪の男も、それを見越していたのか手早く着衣を整えた。
「普通、契約者は夢など見ない」
赤毛の女は唐突に言った。
「いや、記憶を取り戻した後の事を考えてみただけさ。・・・悪夢を作ってきた女が見るには、分不相応な夢だ」
「そうか・・・なら、夢を見たくはないのか」
黒髪の男は、じっと赤毛の女を見る。
赤毛の女も、じっと黒髪の男を見た。
「いいや。見てみたい。・・・何を言ってるんだろうな。他愛もない。」
「それでもいいさ。お前はもう契約者じゃないんだろう、カーマイン」
「そういえば、そうだった。自分の言ったことをもう忘れてたよ、黒」
「やっと俺の名前を呼んでくれたか。」
「なんだ、気にしてたのか?本当の名前でもないのに。なら後で、色んな声でいくらでも呼んでやるよ」
赤毛の女は、そう言いながら三度目の笑顔を見せた。