4月の羅針盤:蒼衣 
 
白野蒼衣は悩んでいた。  
平静より「何か困っているのか」と尋ねられることの多い、いわゆる線の細い顔立ちをしている蒼衣だが、ふと鏡をみるといつも以上に眉尻が下がり、自分でも可笑しくなるくらいの『困ってますオーラ』を醸し出している。  
悩みの元凶は、一応はこの店の商品であるダイニングテーブルに陣取り、真剣な表情で書き物をしている、時槻雪乃。  
蒼衣の今の肩書きは、大学生兼「アンティークショップしらの」の店主だ。  
蒼衣の両親は神狩屋の一件で『名無し』に存在を消されたが、消されるまでの間に“事故で死亡した”との扱いで生命保険金と父親の死亡退職金がそれぞれ支払われていた。  
騎士団には、泡渦に巻き込まれた人物と遺された家族のためのそのような社会的処理に長けたロッジもあるのだということを、蒼衣はそのとき初めて知った。  
そして神狩屋の遺産も、“全てを蒼衣と雪乃に遺す”との遺言が執行された結果、最悪高校中退も考えていた蒼衣は、こうして、ロッジの再建を目指しながら、忙しい日々を過ごしている。  
一方の雪乃も『騎士の活動には時間の融通が利く方がいいから』との理由で短大へ進学し、この春から2回生――つまり、最終学年だ。  
少女らしさは残しつつも幼さのすっかり抜けた雪乃の端整な横顔を眺めながら、蒼衣はため息をつく。  
――雪野さん、進路はどうするの?  
ここ数日、何度も喉から出掛かっては飲み込んだ、問い。  
人に拒絶されるのが怖い蒼衣にとって、返答が読めないその問いを発するのは、覚悟がいる。  
視界の端に揺らめく白いワンピースをなるべく見ないようにしながら、蒼衣は本日何度目かわからないため息をついた。  
 
 
4月の羅針盤:雪乃 
 
時槻雪乃は苛立っていた。  
進級してからの数週間、雪乃は多忙な毎日の合間を縫っては、ここ『アンティークショップしらの』に立ち寄っている。  
神狩屋跡地に昨年建てられた店は、神狩屋時代から一変し、そこはかとなくお洒落な、若い女性も入りやすい雰囲気になっている。  
店の一角には『雪乃さんがいつでも使えるように』とゴスロリコーナーが設けられ、店主である蒼衣の愛想のよさも相まって、中高生の客もじわじわ増えているようだ。  
今の雪乃の立場は、一真ロッジの預かりの騎士だ。  
『雪の女王』の断章を使う機会は減ったが、一定の回復期間――リストカットの傷が塞がる程度の時間――を開ければ何とか断章を制御することが出来ているため、今も現役の騎士として最前線に立ち続けている。  
尤も最近は、風乃の探索能力を利用した後方支援に回ることも増えてはきているけれど。  
風乃に頼るしかない現状に、憤懣は尽きない。しかし、以前のように自由に断章を使えない身で泡渦に立ち向かうにはその憤懣を圧し殺すほかない……そう思えるくらいには雪乃は大人になっていた。そうならざるを得なかった。  
――いつ死んでもいいと、そう思っていたのに……  
雪乃は、苛立ちの元凶である蒼衣を横目でにらみ、目線を手元のレポートに戻した。  
 
 
4月の羅針盤:颯姫&夢見子 
 
田上颯姫は。  
「夢見子ちゃん、見てください!キレイなドレスですよねー♪」  
もし夢見子の心が壊れていなかったら、『その発言、今日30回目です。ちなみにこの一月数えきれないくらい同じことを言ってます!』とツッコミが入っていただろう。  
が、夢見子は無反応。故にエンドレスで繰り返される、ゼクシィをパラ見しながらの颯姫の感想。  
救いは、颯姫が同じことを繰り返していることに気づかず、毎回ワクワクしながらページをめくっていることだ。  
「颯姫ちゃん、夢見子ちゃん、お昼だよー」  
颯姫と夢見子に与えられた一室のドアを、千恵がノックした。  
「はーい!今開けまーす」  
ゼクシィを閉じて、颯姫はドアを開ける。  
「今日はオムライスだよ」  
「おいしそうですね♪」  
テーブルに食器を並べ、昼食の準備をする千恵と颯姫。  
さっきまで眺めていたゼクシィは、颯姫の手によって本棚にしまわれる。  
「夢見子ちゃんのご本も片付けますねー」  
夢見子が眺めていた本も、本棚へ。  
食事の度に毎回繰り返されている片付け手順を、千恵は苦笑いしながら見守る。  
夢見子が読んで(?)いた本は、2ヶ月ほど前に蒼衣の家から夢見子が持ってきたものだ。  
一真ロッジが出払うので蒼衣宅に預けた日、帰り際にどうしても手放さなかったのでそのまま本ごと連れ帰ってきたと一真が言っていた。  
『プロポーズをしようと思ったら読む本』  
本棚に丁寧にゼクシィと並べられたその本の背表紙を見るたび、千恵は微苦笑するしかない。  
「全く、間が抜けたお二人さんなんだから……」  
付き合っている訳ではないのにプロポーズ読本を用意する蒼衣と、その本を見るやいなや、誰の持ち物かも訊かずにゼクシィを買ってきた雪乃の顔を思い浮かべながら、千恵はつぶやいた。  
 

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