その部屋は、本で埋め尽くされていた。  
 
 床にはかろうじて足の置き場がある程度に本が散らばり、四方の壁は本がみっちり詰まった本棚で見えない。  
ただ、その中心。雑然とした書庫といった趣の部屋の中心に本の空白地帯があった。  
 しかし、完全な空白ではない。そこは本ではない別のものが占めているだけであり、何もないというわけではなかった。  
 人間。  
 この血の通わぬ記録者達の群れの中で唯一、いや唯二の生きた存在であった。  
 胡坐をかき、その上に少女を座らせた少年の名前は白野・蒼衣。  
兎のぬいぐるみを抱きしめながら少年に腰掛ける少女の名前は夏木・夢見子と言った。  
 少年は、少女を抱え込みながら絵本を読みきかせる。情感のこもらぬ、ただ読み上げるだけの朗読であったが、少女に不満はないようだ。  
 というより、少女は聞いてすらいないように見受けられる。ただじっと、座っているだけ。  
少年が山場を読み上げても、読み終えても表情は変わらず、ただじっと、少年に体重を預けていた。  
 と、不意に少女が身じろぎする。ずり落ちた身体を安定させるためのような動きだ。しかし、それが二度、三度と続く。  
少年は、ただ少女の動きに身を任せていた。少女の、それまで外界から一切の刺激を受け付けなかった無表情が少し、ほんの少し崩れていた。  
 上質なビスクドールような、白い肌がわずかに紅みを差している。あどけない横顔はいまだに表情を形作っていないが、わずかに潤んだ瞳と  
身じろぎする度途切れ途切れに漏れる吐息が少女の人間性を肯定していた。  
 蒼衣は血の気が通いだした夢見子のうなじを見下ろしながら、いつからこんなことが始まったのかを思い出していた。  
最初は、ただ同じような姿勢で読みきかせをしていただけだった。それがいつの頃だったか、たまたま少女が少年の太腿の上で揺れ動いた時。  
おそらくそれが最初だ。少女はその未知の感覚に驚いたのか、大きな瞳をいつも以上にきょとんとさせていた。  
そして、今まで見たことがなかった少女の表情に惹かれた蒼衣は、少女とこうして過ごす時間を増やし、少しずつさりげなく少女に新しい遊びを教え込んでいった。  
 擦れるとぞわっとする。角度があるとぞくぞくする。さりげなく足を組み動かすことで少女にどこをどうすればいいか示唆する。  
自分が感じているものがなんなのか、おそらく少女は知らぬままそれを受け入れていった。気づけば、少女は自分からたどたどしいながらもその感覚を求めるようになっていた。  
 
「…………っ」  
 
 声が漏れた。息の詰まったような音を発する少女に優しげな笑みを蒼衣は送る。  
 おそらく、少女にとって自分は机の角かその程度の存在だろう。あるいは肉でできた椅子か。そういえば人間が座椅子に化けるという話もあっただろうか。  
 などとつらつらと益体もないことを考えていた時、  
 
ぱたり。  
 
 音がした。誰かにいけないことを見咎められたような気まずさを感じ、咄嗟に身をすくめた蒼衣は、自分の置かれた状況を思い出し改めて背筋を緊張させた。  
 何度も聞いたことがある、本が落ちる音だ。そしてそれはここでは特別な意味を持つ。  
 
ぱららららららら……  
 
 ページが捲れる音がする。窓がなく、ドアも開いていないこの密室で自然に捲れることなどないはずなのに。  
 
ぱら、ら。  
 
 止まる。  
 蒼衣が、恐る恐る落ちた本に視線をやると、本は直立し、蒼衣に見せびらかすように大きくその内容を広げる。  
そして死人のようなおぞましい指がページの下から現れて一枚捲ると、ずるりとその指は、ページの潜りこんでいった。  
 ぐびり、と息を飲み込みながら蒼衣は指が開いたページを見る。そこには優雅な筆跡の活字が見開きで大きく書かれていた。  
 
「 保 守 」  
 
 

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