薬品のにおいが染み付いた白い壁、白い天井。  
 断章騎士団の息がかかった病院の個室で、白野蒼衣はベッドに横たわっていた。  
 〈泡禍〉によって半身を負傷し、この病院に運び込まれたのだった。  
「ん……」  
 うっすらとまぶたが開く。  
 蒼衣はようやく目を覚まし、自分の置かれた状況を確認しようと頭をはたらかせた。  
「僕は……たしか〈泡禍〉に……」  
 ぼんやりとした寝起きの意識に、横から聞き覚えのある声が割り込んだ。  
「ええ、〈泡禍〉にやられたのよ。正確には〈泡禍〉で〈異端〉と化した〈潜有者〉に、ね」  
 雪乃よりも大人びた声が蒼衣の身になにが起きたのかを説明した。  
「可南子さん……」  
「おはよう。気分は……いいわけないわね。リンゴでも食べる? 切ってあげるけど」  
 そういうと返事も待たずに見舞いのものと思しきカゴからリンゴを取り出して果物ナイフを滑らせはじめた。  
 普段から刃物を扱うためか、可南子はみるみるリンゴを等分していき、あっという間に切り分けてしまった。それも部分的に皮が残されていて、かわいらしいことにウサギの形をしたリンゴに仕上がっていた。  
 
 蒼衣は半身にかすかな痛みを感じながらも身を起こし、気になっていたことをたずねる。  
「可南子さん。〈泡禍〉はあのあと――――」  
「〈泡禍〉なら心配することないわ。ちゃんと〈雪の女王〉が焼き払っていたから事件は解決したと見て問題ないと思う。神狩屋さんもそう言っていたから安心していいわよ」  
 いくつものウサギリンゴを皿に載せ、冷静な声音で答えた。  
「そうですか。それならよかった」  
 差し出された皿を受け取り、小さなアンティークのフォークをリンゴに突き刺す。  
 まだ痛む体は不自由なものの、この病院の実態と目の前にいる可南子の落ち着きを見るかぎり大事はないのであろう。  
 蒼衣はサクッとリンゴの頭をかじった。  
 どれだけの時間を眠っていたのかはわからないが、いつの間にか渇いていたノドにリンゴの瑞々しい果汁が染み込んでいくようで心地よかった。  
 気がつけば腹も少し減っていて、けっして軽くないケガを負ったにもかかわらずそんなことを気にしている自分がちょっと滑稽に感じられた。  
「どう、お味のほうは?」  
 ベッド脇のスツールに腰かけた可南子が自分も手でリンゴを頬張りながら訊いてきた。  
 新鮮なリンゴはもちろんおいしくて、  
「とてもおいしいです。それに、かわいいリンゴなので食べるのをためらってしまいそうです」  
「あら、ありがとう。わたしがこういう形にリンゴを切るなんて意外だったかしら?」  
「あ、いえ、そういう意味では……」  
 しどろもどろの蒼衣に可南子は「ごめんごめん」といって苦笑した。  
 いたずら好きというわけではないのだが、まじめな蒼衣を前にするとついついからかいたくなるらしかった。  
 
 〈葬儀屋〉というおどろおどろしい仕事をしている彼女からは想像もつかないが、戸塚可南子は〈断章保持者〉のなかではかなり“普通”に近い人間だ。  
 〈泡禍〉の経験者として人並み以上のトラウマを抱えているにせよ、付き合う上では神狩屋とならんで打ち解けやすい感性の持ち主だった。  
 そういう意味で蒼衣は可南子に対して“普通”の人としてのつながりを感じずにはいられなかった。  
「ねぇ」  
 蒼衣がリンゴを食べ終わるのを待っていたタイミングで可南子が声を発した。  
 空になった皿をキャリーに片し、今度は一転してまじめな表情で蒼衣に向きなおった。  
「はい?」  
「唐突かもしれないけど、訊いていいかしら?」  
 可南子のまっすぐな視線が蒼衣の瞳に吸い込まれる。  
 そこにからかいの色はなく、尋問するような圧迫感もなかった。  
 ただ純粋な疑念と、ほんのわずかな気遣いのかけらが可南子に問いを投げかけさせているのだと蒼衣は理解した。  
「なんでしょう?」  
「きみは、なぜ〈ロッジ〉に身を置こうとするのかしら? 神狩屋さんから聞いたのだけどね、きみはできるだけ“普通”であろうとしているそうじゃない?」  
 蒼衣の眉がぴくりと動いた。  
「きみの〈断章〉が何に由来するのかまでは知らないわ。でもトラウマを抱えたきみがなおもこちらの世界にとどまる必要はあるの? 元の生活にもどって“普通”の人生を送りたいとは思わないの? ……おせっかいでごめんなさいね」  
「いえ」  
 短く答えて蒼衣は顔をうつむかせた。  
 
 その問いは可南子でなくともいずれは誰かにたずねられることだと覚悟していた。  
 神狩屋の〈ロッジ〉のメンバーは事情を知っている。  
 蒼衣が『突き放すことでその人を破滅させる恐怖』をトラウマとしていることが原因で、またそれが〈騎士〉として活動する原動力になっていることを。  
 けれど第三者の目には“普通”を求めながらも〈騎士〉を続ける蒼衣が奇異に映るのはしかたのないことだった。  
 なにがしかの事情があることはわかるだろう。  
 やむにやまれぬ理由があって〈泡禍〉と闘うことを選んでいるのだと、そう思うだけにとどめてたずねたりはしないだろう。  
 だが蒼衣に近しく、“普通”からもまだ完全に切り離されていない可南子にとって、それは確かめなければならないことだったのかもしれない。  
 僕が完全にこちらの世界に染まる前に、そういう覚悟ができているかどうか、もしくは迷っているのなら踏みとどまらせようという意図があっても不思議ではない。  
 そして蒼衣は、この問いが単なる可南子の質問という形を超えて、蒼衣が自分を自分たらしめる理由――――動機の確立につながることも意識した。  
 一般人でありたい自分が異質な世界に身を置き、異常な事態とかかわっていることはもはや修正することのできない特異性だった。  
 それでも“普通”から外れかかっている少女を見捨てられないからここにいるのだと、自分を納得させるために蒼衣は言葉を紡いだ。  
 
「僕は“普通”が一番だと思っています。それは僕に限らず、すべての人にとっても言えることだと考えています。  
 でも〈泡禍〉とそれに苦しむ人たちがいることを知って、そして僕にはそういう人たちにかかわる能力を持っていることがわかったいま、僕はひとりでも多くの人をなんらかの形で助けたいと思います」  
「それは善意? それとも義務感? わたしからすればかかわる必要がないのにこんなことをするのはどうかと思うわ。きみの場合はとくに」  
「たぶん可南子さんのおっしゃることは正しいです。でも、こちらの世界で正しいことなんて数えるくらいしかないんです。人が傷ついて、死んで、殺して、なにひとつ正しいことなんてない。それでもまかりとおっているのはそうしなければならないからなんです。  
 だけど、善意とか義務などとは別に、ただ〈泡禍〉にかかわる人を少しでも救うことができれば、それは善悪と関係なしに正しいことだと思います」  
 蒼衣の瞳は揺れることなく、偽りのないちからに満ちていた。  
 その視線を受け止めながら可南子は小さく溜め息をついた。  
「きみの言うことは間違っているけどとても正しいわ。でも、それはすべて〈雪の女王〉がこの世界に身を染めているからこそだと思うけど、  
 もしも彼女がこの世界から足を洗うようなことになれば、そのときこそきみは“普通”に戻れるのかしら。そのころにはいくらきみでも、もう……」  
「わかりません。雪乃さんが〈騎士〉をやめるなんてこともいつになるかわかりませんし、そのときに果たして僕が“普通”に戻れるだけの人間を保っていられるかもわかりません。でもいまは、少なくともいまは雪乃さんのそばにいたいんです」  
 それは誓いの言葉であり、自分を納得させるための儀式でもあった。  
 蒼衣の気持ちは揺らがない。  
 葉耶の記憶を忘れず、二度とおなじことが起きぬように痛みと向きあうために。  
 諸悪の根源である〈泡禍〉と闘うために〈騎士〉になることを決意した蒼衣にとって、それは心を支える唯一にして絶対の真理であった。  
 
 可南子は蒼衣の言葉を聞いて、どこか悲しそうに笑顔を浮かべた。  
 歳の差も少なく、蒼衣にとってはやや年上のお姉さんにあたる少女。  
 これからも〈騎士〉として活動すれば蒼衣がどのような未来をたどるのか、想像に難くないのだろう。  
 だからこその質問であり、蒼衣自身にもう一度考えさせようとしたのかもしれなかった。  
「そう、それならしかたないわね。変なこと訊いてごめんなさいね」  
「いえ、僕が中途半端なのがいけないんです。ご心配をおかけしてすみません」  
 可南子はやや残念そうにして――――しかしその瞳はまだあきらめていなかった。  
「うん、心配なのかもね、わたし。きみがそんなだからつい口を出したくなってしまうの。まだ引き返せるんじゃないかって。ごめんなさいね。でもね、それって考えて答えの出ることではないかもしれないわ」  
「え……?」  
 言葉の意味を理解するよりも、そこで可南子がスツールから立ち上がりベッドにひざをついて近づいてきたことに動揺してしまい、とっさに反応できなかった。  
 伸びてくる手が蒼衣の頬に触れ、その冷たさにぞっとした。  
 しかし混乱した頭は体に正しい命令を下すことができず、近づいてくる可南子にされるがまま、冷たい唇に口をふさがれるのだった。  
 つながった唇と唇の隙間から、あたたかくぬめっとした舌が蒼衣に侵入してくる。  
 そこでようやく頭が事態に追いつき、あわてて蒼衣は可南子の体を押し戻した。  
 
「な、なにをするんですか、可南子さん……」  
 体を引き剥がされた可南子は舌なめずりをして、かすかに笑みを浮かべた。  
「だから、考えても答えが出ないかもしれないってことよ」  
「いえ、ですからなぜそれがこんなことにつながるんですか」  
 可南子のなかでは理屈と行為の関連づけができあがっているのかもしれないが、蒼衣にとっては飛躍した論理以外のなにものでもなかった。  
 可南子は笑みを崩さずに、洗い立ての喪服の前ボタンに手をかけた。  
「この世界で生きることはすなわち常識から外れることに等しいわ。衣食住はもちろん、三大欲求すら喪失することになってもおかしくない。〈雪の女王〉もサプリメントで栄養を補給しているでしょう?」  
「それはわかりますけど、それとこれとは……ってなんでボタンを外してるんですか」  
 前掛けのボタンをひとつ、またひとつと外していく手はとまらず、下には白くて生地の薄いシュミーズが見えるまでになっていた。  
「失ってからでは遅いのよ。失う前でないと引き返せない。そしてきみはまだ“普通”であることの良さを実感しきれていないわ。寝たり食べたりはしても、そういうことってまだしたことないんじゃないかしら」  
 『そういうこと』の意味が三大欲求のアレによる行為だということはさすがの蒼衣でも理解できた。  
 “普通”の高校生なら通過するかもしれないイベントで、“普通”を目指す蒼衣がいまだ経験していないことのひとつでもある。  
 それを可南子は経験しないままに判断を下すのはどうか、とそう言っているのだ。  
 可南子の言葉とその姿に、蒼衣は急に目の前の女性が異性であることを思い出して顔が赤くなった。  
 
「で、でも、だからといってそういうことは……そ、それに可南子さんには瀧さんがいるじゃないですか」  
 耳まで真っ赤になった蒼衣はさも名案を思いついたとばかりに〈葬儀屋〉瀧修司の名を挙げた。  
 瀧の助手として常にいっしょに行動しているのだから、“普通”ならそこは男女というもの、多少の恋心が芽生えていてもおかしくはなかった。  
 だが可南子はわずかに顔を曇らせ、  
「瀧はパートナーというだけでそれ以上の関係も未練もないわ。もちろん尊敬しているところもあるけれど、彼はそもそもそういう好意とは無縁の人なのよ。完全にこちら側の住人なのよね……」  
 どこか寂しそうに言うのだった。  
 しかし下着姿の女性を前にした蒼衣はそれどころではなく、心に浮かんだ言葉を次々と口にするので精一杯だった。  
「あ、でも、僕はまだ心の準備とか、そういうのがまだですし――――」  
「こういうのは勢いでなんとかなるものよ。神狩屋さんだって勢いで駆け落ちしていたでしょう?」  
「それ聞いたら神狩屋さん、ヘコむだろうなぁ」  
「本人の前で言わなければいいのよ」  
「それでも僕はやっぱり、こう、なんていうか、雪乃さんのそばにいたいと思うだけの、まあ好意というかそういうものが――――」  
「……わたしのこと、きらい?」  
「いえ、けっしてそういうわけでは……」  
「きらいでなければなにも問題ないわ」  
 落ち着きを失った蒼衣とは正反対に、可南子は大人の余裕をもって蒼衣のあごの下をさすった。  
「落ち着いて…………痛くしないから」  
「いや、あの、その……」  
 目の泳いでいる蒼衣の気を静めるように、可南子は蒼衣のあごを上向かせ、さきほどと同じように流れるような仕草でその唇をふさいだ。  
 
「んっ……」  
 口をふさがれてはわめくこともできない。  
 言葉もつくれず、ちからで抗おうにも半身を負傷した身だ。  
 満足なちからの出せない蒼衣に、日頃から文字どおり骨を砕く仕事をしている可南子に腕力で敵うはずがなかった。  
 唇の間から生温かい可南子の舌がゆっくりと忍び入り、蒼衣の舌に触れる。  
 ビクッ、と怯えた弟をやさしく撫でてあげるように、蒼衣の震える舌に自分の舌を絡ませていく。  
 舌の裏側をはじめ、付け根、歯茎、口蓋のいたるところまで舐めつくす。  
 唾液と唾液が混ざりあって、くちゅっと卑猥な音を立てた。  
「あ、はぁ……はぁ……」  
 呼吸を求めて顔を離すと、唾液がふたりの唇と唇をつなぐ架け橋のように糸を結んだ。  
 はじめての濃厚なキスに蒼衣は肩で息をし、満足げな顔をしている可南子を見上げた。  
「僕は、こんなことをされても――――」  
「うん、気持ちが変わるかどうかはあとでいいわ。まだぜんぶ終わってないのだから」  
 蒼衣の言いたいことを先回りして封じ込め、主導権をにぎったまま可南子はスカートの裾を持ち上げて蒼衣の下半身にまたがった。  
 上半身だけを起こした蒼衣の下半身、ふとももに腰を下ろし、まるで小さな女の子のような『あひる座り』になって蒼衣に身をすり寄せた。  
 健全な青少年である蒼衣には、この局所的に近すぎる体勢がこの上なく恥ずかしく、だけど体力的にもどうにもできず、可南子の言うとおりにするほかなかった。  
 
「きみは……はじめて、よね?」  
 年上の女性にそう言われ、蒼衣は倒錯した興奮を禁じえなかった。  
 両脚を封じられ、なかば拘束された状態で強引に口づけされ。  
 本来なら肉体的に優勢の男がイニシアチブを握るはずなのに、蒼衣は女性である可南子に力ずくで侵されている。  
 だが蒼衣はそんな自分の非力さをむなしく思うよりも、さきほど味わった接吻のぬくもりと女性の唾液の残り香に少なからず未知の快感を覚えていた。  
 蒼衣は可南子の確認にこくりと従順な態度でうなずいた。  
 理性を失わないように自分を戒めても、意識してしまった以上、可南子の色香はウブな蒼衣をまどわすに充分だった。  
「さわって……いいわよ」  
 可南子の喪服は前が開き、袖に通した腕にひっかかっているだけだ。  
 無防備な前面には白いシュミーズが静かに揺れていて、つつましやかな胸がわずかに生地を押し上げていた。  
 はじめての経験で、それも年上の女性にリードされる形で、目の前には胸がある。  
 たとえ性欲に乏しい男性でも男であるかぎり、この状況で鼓動が高鳴らないわけがない。  
 目と鼻の先、手を伸ばせば触れることのできる位置に女性の胸があり、とくに未成年の少年にとってこれほどまでに期待を抱かせるものはないと言える。  
 それは蒼衣とて例外ではなかった。  
 雪乃のそばにいると誓ったとはいえ、それとこれとは別であり、そしていまは完全に主導権を可南子に握られてしまっている以上、蒼衣には逆らうすべがないのだ。  
 でもこのことが雪乃に知られたら……、とそんな葛藤が意識の水面下で火花を散らしていたが、蒼衣に選べるのは「はい」か「イエス」しかないのだった。  
 可南子が喪服の前を手で押さえ、控えめな胸を突き出してくる。  
 蒼衣はそっと、手のひらを置いた。  
 
 やわらかかった。  
 
 ふに、という表現が似合うようなやわらかさで、かすかな弾力性もあって手のひらを押し返してくる。  
「ん……」  
 可南子のノドからくぐもった声が聞こえた。  
 
 蒼衣は理性をなくさないよう何度も頭のなかで反復しつつ、けれど目の前の神秘から目が離せなかった。  
 薄っぺらい生地の向こうに確かなぬくもりを感じ、蒼衣はすこし指を立てて可南子の胸をさわることにした。  
「ぁ、んっ……」  
 堪えるようなうめきが余計に興奮を募らせる。  
 指の先端で円を描くように胸の周りを走らせ、ゆっくりと輪の半径を縮めていく。  
 その行きつく先はなだらかな丘のてっぺん。  
 そこだけ盛り上がった頂上に指が到達し、自己主張する突起をつまみ上げる。  
「く……ぅ……」  
 蒼衣の肩に置かれた手にちからが入る。  
 目をかたく閉じた可南子の顔はすでに上気していて、突き出した胸の先端をいじられる快楽に必死で声を抑えようとしていた。  
 その表情がまた苦しげでなまめかしく、女性が情欲にあえいでいる姿をはじめて目にした蒼衣は自分の欲望がわきあがるのを感じた。  
 肌をおおった布の上から肉の薄い胸を揉んでいく。  
 その手が先端の突起をさするたびに可南子の口から声が漏れた。  
 胸全体をほぐすように揉み、たまに指と指で突起を挟み、きゅいっと指の腹ですり合わせてやるとビクン、と可南子の体が大きく跳ねた。  
 蒼衣が揉むのに慣れてきたころ、可南子は乱れた呼吸を整えながら距離を取るように体を離した。  
 
「ふふ、なんだかんだいって、きみもやっぱり男の子なのね」  
 視線を落として真下、蒼衣の下腹部にできた盛り上がりを見てそう言った。  
 蒼衣は男の子というくくりでまとめられたことが引っかかったものの、なによりも理性を保つことを忘れないようにするので必死だった。  
 ましてや体の一部をコントロールすることなど、すでに埒外のことだった。  
 呼吸が乱れているのは可南子だけではない。  
 女性を目の当たりにした興奮で本能的な欲求が高まった蒼衣もまた同様に息が乱れていた。  
「でもね、そういう気持ちも大事なことなの。いずれなくしてしまうものでも、なくさないですむのならそのほうがいいのよ。さあ、もっとたしかめて……」  
 言いながら下着の裾を持ち上げ、ひざ立ちで近づいて蒼衣を頭からすっぽりと包み込んでしまった。  
 ぶかぶかなシュミーズの薄闇のなか、蒼衣はいきなり目に飛び込んできた女性の素肌に息を呑んだ。  
 暗いとはいえ、控えめに盛り上がった胸やその真ん中にある敏感な部分、ムダな肉のない腰のくびれがくっきりと見えた。  
「もっと、気持ちよくなればきっときみは、わかると思う……」  
 そうつぶやいて可南子は下着のなかの蒼衣に胸を押しつけ、かたや空いた手を蒼衣のズボンのなかに差し入れた。  
 綿繊維のトランクスを持ち上げる力持ちな男の子を、可南子はそっと撫で上げた。  
 
「んぁ……」  
 シュミーズの内側で声があがった。  
 その反応に気をよくした可南子は笑みを浮かべ、やさしく、かわいがるように蒼衣のものの先端を撫でていく。  
 トランクスにおおわれているため、全身を握りしめることはできないので先の部分のみに集中して指を這わせる。  
 それだけでも免疫のない蒼衣は指が触れるたびにムチを打たれたように体を震わせた。  
 くりかえし指でいじっているといつしか布に染みが広がっていく。  
 一方で下着のなかの蒼衣はつつましい胸と先端を押しつけられながらも気が動転していて何がなんだかわからなくなっていた。  
 他人にさわらせる以前に見せたことすらない恥部を、よりにもよって年上の女性に、いいようにもてあそばれているのだ。  
 いつもはそれほど衝動の強くない人間だと思っていた自分が、一方的になぶられることで自分のものを膨張させている。  
 そのことに蒼衣はひどく戸惑っていた。  
 腰の先から波のように伝わる快感もまた無視できないもので、蒼衣は身動きも取れずただただ可南子のなすがままにいたぶられていた。  
「そろそろいいかしら。うふ、気持ちよすぎて、わたしの胸にはしてくれないのかな?」  
 くすりと笑って蒼衣をシュミーズの暗闇から解放した。  
 従順な反応を見せる年下の少年の頬に小さくキスをひとつ。  
 そして蒼衣のズボンを手際よくひざまで下ろし、トランクスの隙間からすっかり大きくなったものを抜き出した。  
 
 そこにはいたずらされた証のように、先端部にねばっこい液体があふれていた。  
 可南子は蒼衣のそれに指を巻きつけると上下にこすりはじめた。  
「んあ、く、ぅ……」  
 今度は刺激が強かったのか、蒼衣のあえぐ声も大きい。  
 可南子の細い指で直接さわられたそこは、まるで抵抗するようにひと回り大きくなると共に硬くなるが、それもムダだった。  
 上へ下へとさする指は触れるか触れないか、という焦らすようなさわり方で、蒼衣の実直な分身は踊らされているようにビクビクと脈動し、先から液体を垂れ流すことしかできなかった。  
 可南子の指はたださするだけでなく、裏の筋張ったところをなぞったり、鎌首部の段差に沿って指をうごめかせたり、執拗に蒼衣の性感帯を刺激する。  
 ひと通り指でいじりたおした可南子はスカートを持ち上げながら腰を下ろし、ピクピクと痙攣する蒼衣のものをスカートのなかに隠してしまった。  
 次はなにをされるのか気が気でない蒼衣をよそに、可南子はショーツの布越しに蒼衣のものと自身の局所を密着させた。  
 出っ張りをへこみに入れるだけが正道ではなく、擬似的にそれを体験する方法を選んだのだった。  
 ショーツのくぼんだ直線部に蒼衣のものを沿え、ゆっくりと可南子が腰を動かした。  
 
「あっ、う、はぁあ……」  
 人肌のぬくもりは本物で、局部のやわらかさも偽物にあらず。  
 内か外か、ただそれだけが異なる擬似的な一体感に蒼衣はいままでと比べものにならない抱擁感を覚えた。  
 幼いころに母の胸に抱かれたような、抗うことのできないあたたかさがあった。  
「んっ、気持ち、いいのね? いいで、しょう?」  
 蒼衣があごを仰け反らせて快楽に顔をゆがめ、その表情に可南子は満足げな笑みを浮かべた。  
 擦りあげる動きはときに早く、ときにゆっくりと緩急をつけることで蒼衣の快楽にも波をつくる。  
 単調な気持ちよさではなく、大きくなったり小さくなったりする波のような刺激こそがもっとも興奮を呼び起こしやすい。  
 速度だけでなく、たまに蒼衣の先端部のみを行ったり来たりして快楽がこみあげるように導いたりもする。  
 もはや可南子のショーツは蒼衣の我慢した証でびしょびしょに濡れており、布きれ一枚を挟んでいるとはいえないほど、溶けあうように互いをこすりあわせていた。  
「くっ、はっ、ぁ……ん、んっ……」  
 可南子がしなだれかかるように蒼衣の首筋に抱きつき、その背中を支えていた蒼衣の呼吸が乱れ――――  
「ん、そろそろ……、限界、かしら? いつでも、いいから、ね……」  
 許しの言葉を耳にして、蒼衣は下腹部にわだかまる塊が急速に駆け上がるのを感じた。  
 年上とはいえ女性に全身を乗っ取られるような被支配感。  
 男である自分が犯されるという感覚に得体の知れない興奮を覚えながら、蒼衣は抑えの利かなくなった性を外に放った。  
「あ、はあぁぁ――――」  
 頭が痺れてまっしろになるような解放感。  
 可南子はそんな蒼衣の表情に、心からの笑みを浮かべた。  
 
 白濁した液体にまみれたスカートを脱いで代わりのものを履いた可南子に蒼衣が頭を下げた。  
「その、すみません……」  
「きみが謝ることはないわ。元はといえばわたしが誘ったのだし」  
 可南子は苦笑しながら蒼衣に顔を上げさせた。  
 それから少しだけ声を硬くしてたずねる。  
「どうだったかしら。ああいうことも“普通”の世界になら当たりまえのこととしてあるけれど、気持ちに変わりは?」  
 けっきょくのところ、じつに遠回しなことだが可南子は蒼衣に“普通”の世界での生活を捨てきる覚悟があるのかどうかを知りたいだけだった。  
 蒼衣は興奮のあまり最後のほうで自分を見失ってしまったことに苦い思いを噛みしめながら、それでも揺らぎのない声ではっきりと答えた。  
「僕の気持ちに変わりはありません。やっぱり、なにがあったとしても、僕は雪乃さんのそばにいてあげたいです」  
「そう……。それならしかたないわね」  
 溜め息をついて可南子はスツールから腰を上げた。  
「それじゃ、わたしは戻るわね。あと小一時間もすれば神狩屋さんの〈ロッジ〉の誰かがお見舞いに来てくれるはずだから」  
「あ、はい。ありがとうございました」  
 可南子は笑顔を浮かべながらスタスタと歩いて部屋を出ていった。  
 蒼衣の気持ちが動くことはないとわかり、疑念が晴れてすがすがしいような、それでいてどこか寂しそうな笑顔だった。  
 もしかしたら可南子は、もはや断章騎士団の一員として生きるしかない自分を、まだ後戻りのできる蒼衣に重ねていたのかもしれない。  
 自分の代わりにせめて蒼衣は“普通”の世界で平和に暮らしてほしかった、とそういうことだったのかもしれない。  
 そんなことを考えながら蒼衣は布団のなかで体の位置を直し、果たして次に見舞いに来てくれるのは誰だろうか、と見覚えのある顔を思い浮かべて想いを馳せた。  
 

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