あ〜ったく、何でこうなっちまったんだ。
ゴミ箱につっこんだ泥まみれの背広を見て鉄男は舌打ちした。一昨日買ったば
かりだというのにその背広はもう着れない。
自転車にて死霊追跡の際の思わぬ横転。班長とともに田んぼに体をつっこんだ。
死霊こそ魂禁で打ち抜いた物の、たかが死霊一匹。大した金にはならない。
普段は一着四千円の安物しか買わないのに、奮発して一万五千円の物を買った
のが、今更ながら痛かった。
「あ〜畜生。あのくそ幽霊!背広代返せ!」
ガン!
苛立ち紛れに鉄男が目の前のゴミ箱をけ飛ばすと、後ろから声が掛かった。
「着れなくなった物はしゃ〜ないけ〜。慣れない買い物はいかんっちゅ〜事やな
ぁ」
「だああああ班長!あんたがそれを言うなあ!大体あんたのせいなんだぞわかっ
てんのか!?」
「ぴゅう〜」
「口笛吹いてごまかすな!」
鉄男に後ろから声をかけたのは、班長こと日本天使連盟送迎部第二十一班タン
ポポ組隊長黒鉄美咲。大胆にも美咲は浴衣のまま足を組んでベッドに腰掛けてい
るので、露わになった太股が眩しい。
何故かその体は、鉄男と違い泥にまみれていない。年期の差だろうか?
鉄男の言ったとおり、今日背広が駄目になってしまったのは元を辿ればそんな
美咲のせいなのだった。
タンポポ組の移動は自転車。もはやこの世の物でない執念を追いかける物とし
ては、数ある組の中でももっともショボいだろう。
本来鉄男は其れを走らせ、其れで死霊に追いつき、其れに乗ったまま死霊を撃
ちぬく。そして美咲は本来、其れの荷台に乗ってその様子を眺め風を感じている
だけなのである。
だが時と気まぐれにより其れは変化する。
今日がまさに其れだった。
見つかったターゲットがサラサラパツ金長髪の男だったことを知り、美咲が自
分だけで始末をつけたいと駄々をこねたのである。
自転車の運転にはまあ問題はなかったのだが(車ならおそらくスピード違反で
逮捕だったろう)、問題は魂禁だった。
『ちょっ……!隊長ぉぉぉ!何でこんな至近距離で外すんですか!?三メートル
ないっすよ!?』
『う〜む。撃つのは難しいのう、おや、この玉で最後じゃけん』
『っだああああ!貸せええええ!……って、うわああああ!!?』
『!』
何度撃っても外す美咲に痺れを切らし、鉄男が魂禁を奪おうとした。だがその
瞬間、自転車は大きくバランスを崩し、田んぼに落ちたのだった。
鉄男は、田んぼに落ちながらも逃げる死霊に魂禁を打ち込むことにはどうにか
成功。だが泥まみれになって背広は駄目になり、体の汚れを落とすため即座に適
当なホテルに入る羽目になったというわけなのだった。
シャワーからあがり捨てる羽目になった背広を眺め……まあ、機嫌が悪くなる
のは当然といえるだろう。
攻める鉄男の目を見ず美咲は言う。
「あのサラサラパツ金プリンスをうちのものにしたかったけ〜」
「あんた、反省してねえだろ……」
がっくりと肩を落として鉄男はベッドに座り込んだ。
その瞬間視界をふわりと何かが覆った。
「!」
「反省してないわけじゃなかー。頭は拭くけえ」
どうやら美咲が鉄男の頭をタオルで覆ったようだ。言いながら美咲はシャワー
で濡れた鉄男の頭を拭く。
着る物のなかった鉄男はトランクス一丁でシャワーからあがっていたが、美咲
のその態度に何でもいいから着ておけば良かったと後悔した。
タオル越しとはいえ無遠慮に自分の体を探る小さな手。
……しかも想い人の。
落ち着ける物では、ない。
「……いいっすよ」「悪かったのーテツ。背広代は払えんがここの料金ははらうけえ」
会話が噛み合わない。
「いいっすって……」
「良くないけ〜、まだ濡れてるけ〜これじゃ風邪ひくけんのう」
(そーゆー意味じゃねっつの!)
噛み合わない答えを返す美咲に鉄男の中で何かがはじけた。
鉄男は自分の体を拭く美咲の手を掴んだ。
「!」
――ギシッ
そのまま美咲の体を押し倒す。お世辞にも質が高いとは言えない安物のベッド
が軋んだ。
「……テツ」
「誘ってるんすか?班長?」
美咲が僅かに目を見開くのを見て鉄男の口の端が僅かにひくついた。
(やべえよ……勢いでごまかせねえぞ、これ……)
鉄男の背中を冷たい汗が流れる。
広がる沈黙。
幾ばくかして美咲のため息がそれを打ち消した。
「はぁ〜……」
ご丁寧にも鉄男を見据えた上での深いため息である。
自分のとった行動に逆に動けなくなっていた鉄男は、美咲のその態度に声を荒
げた。
「なっ……ちょ、おい!班長!」
「……美咲でよか」
「!?」
だが困惑する鉄男とは逆に、落ち着いた視線で鉄男を見据え美咲は語りだす。
軽いため息を交えながら。
「ふぅ……自分から押し倒しといて敬語つかーいうのは、どうかのう?テツ」
「えっ?それって班ちょ……じゃなくて……み、ミサキ?」「何でなまっとるかー」
「……あんたに言われたかねえよ」
部下である鉄男に突然押し倒される。この状況下に置いて美咲は実に落ち着い
ていた。
美咲の虚を突いていたはずの鉄男は、逆に攻められていた。
「これが初めていう訳じゃなかろ?」
「そ、そりゃまあ……」
「初めてはいつじゃ」
「え〜と……確か、十四の時です」
「うちよりはようじゃなか!何をまごついとる〜!」
「え!?あ、いや、それは〜……」
「……それは?」
「それは……」
鉄男は僅かに黙って美咲をみた。
美咲はやや気分を害した様子で不機嫌に眉を寄せ鉄男を見ている。
位置的には自分が有利の筈なのだが、端から見ても分かるほどに今の鉄男は美
咲に呑まれていた。痺れを切らしたのか美咲がせかす。
「そ・れ・は・っ!? テツ!早く言わんか!」
「はっはい!はっ、班長!」
「何じゃ!」
「班長は!俺のこと好きなんすか!?」
「――!」
美咲の声が止まる。
心なしかその瞳孔が開いているように鉄男には見えた。
(やべえ……!なんだよ今の台詞!小学生か?少女漫画か?りぼんかおれはあぁ
ぁぁ!?)
ダラダラと背中から汗を流し顔を青くする鉄男。
美咲は瞳孔を開いたままその動きを止めていた。
(〜〜〜っっ!……ええいっ!こうなりゃやけだ!)
鉄男は気合いを入れると美咲の体を抱きしめた。
「班長!お、俺は本気です!」
「……!」
「は……班長が、ずっと、好きでしたぁっ!」
「……!!」
決死の告白。
美咲の体が僅かに震えた――と、鉄男が思った瞬間だった。
「……美咲と呼べっちゅーとろうがあぁ!!」
「ぶべらっっ」
美咲の必殺・アッパーカット!が鉄男の顎にヒットした。