「…ほんとに?」  
…うん、ほんとよ。  
でなきゃ、こうしてきちんと返事をしないわよ。  
丸い眼をするポップの顔をまともに見れずに、マァムは俯いた。  
いつだっただろう、彼から告白を受けたのは。  
―――あれから、二か月は過ぎていた。  
そろそろきちんと返事をしないといけないな、と自分の中の自分が急かした。  
「…おまえ、ほんとに?焦って返事をしたとかじゃねぇだろうな?」  
まだ信じられないのだろう、ポップは疑いの眼差しを向ける。  
「…じゃぁ、どうすれば信じてくれるのよ!?」  
ちょっと面倒臭くなってきた、マァムは溜め息をついた。  
「…いや、ごめん…、なんかまだ、信じられなくて…。」  
ポップはしまった、と言わんばかりに慌てた。  
そして、咳払いをすると、眼前のマァムにふかぶかと頭を下げた。  
「こんな俺で良ければ、末永く宜しく。」  
何だかそれが大袈裟に見えて、マァムは吹き出してしまった。  
「…なんだよぅ?」  
「…そんな、大袈裟じゃないの?」  
「笑うなよなぁ、俺、おーまじめなのに!」  
マァムの両の頬を引っ張ってポップが苦笑いした。  
「…やだぁ、痛いっ!」  
「痛かねぇやい!」  
ふっと両手が離れた、マァムが顔を上げた隙に、ポップがマァムに口付けた。  
びっくりしてマァムは硬直したが、いつの間にか背中に回された手が暖かくて、身を任せた。  
 
 
―――はじまりは、こんな感じ。  
 
 
「うーん…」  
マァムは頭を抱えていた。  
恋人同士になって、一か月。  
「そろそろ許すべきなの??」  
 
まだ、身体の関係は無かった。  
ポップから何も誘いが無いのはある意味、意外だった。  
このまま無くても大丈夫?  
それにパプニカの姫君は首を振る。  
「…浮気されちゃっても、知らないわよぉ?」  
――浮気?そんなのいや。  
「じゃぁ、許すべきよね。」  
――耳年増。  
後で感想聞かせてね、なんて言ってるみたいよ。  
 
 
月明かりがふわりとベランダに落ちている。  
マァムは、ふぅ、と溜め息をついた。  
 
二日ほどパプニカに泊まりこみで資料をまとめる予定だ。  
 
ポップも別室に泊まっている。  
 
同じ部屋で寝泊まりしないのは、まだ迷いがあったし、何よりポップが別々で、と言い出したのだ。  
 
――どうしてなの?  
本当はあたしのこと、そんなに好きじゃないのかな…。  
マァムはそれを考えると、涙が出そうになった。  
 
――こうしてウジウジしているのなんて、あたしらしくないわ。  
 
マァムは立ち上がって、ポップに真相を聞くべく、彼の部屋へ向かった。  
 
 
「…あれ、どうしたんだよ。」  
先程風呂に入ったのだろう、洗い立ての黒い髪でポップは扉を開けた。  
「うん、ちょっとね…。」  
「ごめん、なんか、こんな格好でさ。お前が来るってわかってたら、風呂に入らずにきちんとした服で待ってたのにさ。頭とかバサバサじゃん。」  
ひひっ、と彼は短く笑う。  
それと対称的にマァムは口許で微かに笑った。  
「…ん?なんだ…元気ねぇな…」  
さすがにポップもマァムの様子がおかしいことに気付いて、顔をのぞきこんだ。  
「…手を出さないって、どういうことなの?」  
「…はぃ?」  
予想外の質問にポップは固まった。  
「ね、あたしのこと、本当はそんな好きじゃないんじゃないの?」  
不安からか、聞きたかった色んなことが溢れ出す。  
「だから、スケベ大魔王だったあんたも、そーやって何もしてこないんでしょ!?」  
――駄目だ、泣きそう。  
「…好きだぜ?」  
それまで黙っていたポップが、今まで聞いたことの無いような低い声で、呟いた。  
 
その低いトーンにびくり、としてマァムは眼を見開いた。  
「…なんだ、じゃ別に我慢する必要なかったんじゃないか。お前がその気ならさ。」  
自虐的にポップが吐き棄てるように言った。  
「…えっ…。」  
「…お前に拒否されるのが怖くて、なかなかキス以上は手が出せなくてなぁ。…でも今夜こうして来たってことは…イイってことだよな!?」  
待って、と言う前に、既に彼女はベッドの上に押し倒された。  
強引に唇を、彼の熱い唇で塞がれ、更に舌を甘く噛まれて、彼女は酸素を求めてもがいた。  
「…ま、って…っ!」  
短く、マァムは叫んだ。  
「…待たねぇよ。」  
掴んでいた彼女の両腕を握り直して、ポップは熱っぽい声を出した。  
 
自分より華奢だと思い込んでいた体型も、やっぱりオトコノコだったんだ、と認識した。  
自分より広い肩幅、明らかに自分のそれとは違う堅い肌、そして額の汗さえも。  
やだ、と口の中で言葉が小さく爆発しても、彼は、止めない。  
いとも簡単に脱がされた部屋着が床に落ちた。  
下着姿でマァムはまだ抵抗をする。  
「…ね、お願い…っ、まだ、あたし…。」  
――心臓が溶けそう、息が詰まる。  
どうしてうまく喋れるの?  
ベッドの上にいるマァムにはいつもの彼女らしさは無い。  
本当に嫌なら殴ってでも行為を止めさせることは可能だろうが、――いつもとは違う彼に動揺していた。  
「…やめない」  
冷たい手がマァムの背中に回される。  
余りの冷たさに、ひっ、と軽くマァムは悲鳴を上げた。  
と、彼は何の前触れもなく、眼の前の彼女の下着を剥ぎ取った。  
早業に彼女は叫ぶことも、手を上げることも、裸体を隠すことも出来ず、闇に浮かぶ白い肌をそのままに晒した。  
 
きれいだ、と彼が息を呑んだので、マァムは慌てて、その豊満な胸を手で隠す。  
「…何で隠すの?」  
悪戯っぽくポップが彼女の耳を舐める。  
背筋がぞくっ、と甘い痺れを憶え、思わずはなしてしまった手を彼に捕まえられた。  
「…や」  
こんな強引にするものなの?  
マァムの目が潤むが、ポップはそれにはお構い無しで、彼女の胸に吸い付いた。  
「…きゃっ!?」  
擽ったいような、少しキモチイイ…?――まさか。  
何だろう…、でも、何だか嫌だ。  
マァムは、まだ心を決めずにここに来てしまった自分を責めた。  
眼の前の彼はいつもの温厚でちょっとスケベでちょっと弱虫な彼と同じだとはどうしても思えなかった。  
 
こんなに『男』を間近に見たことは、今の今まで、無かった。  
 
――今、耳元で熱い呼吸をしているのも、自分の胸を乱暴に弄んでいるのも、低い声であたしの名前を呼んでいるのも、紛れも無くポップ――。  
 
男の人は、本当はみんなこうなのかしら???  
 
 
――抗えないのは何故?  
 
 
やっぱり雄よりも雌のが、弱い、ん、だろう、か。  
 
彼の熱があたしの身体に移って、とろけそうだ。  
 
 
 
好きなんて言葉は今は一切聞くことが出来なかった。  
というより、彼が何を考えて、何を想って、何がしたくて、あたしの身体に触れるのかすら読み取れなかった。  
 
 
それは、ただ恐怖でしかない―――。  
 
 
湿度の高い部屋が歪んで見える。  
 
次第にこれが現実か夢を見ているのか、それも危うくなってくる。  
 
「…っ、ねぇ…やだ、やぁ!」  
喉で引っ掛かっていた言葉がようやく押し出された。マァムは拳でポップの肩を軽く叩く。  
――でも、  
彼の指はそれには止まること無く、未だ彼女の柔らかな肌を這う。  
 
マァムの眼が涙で滲んだ。でも、それすらも、彼は動じていない。  
 
「…やめて…?」  
 
――怯えた声で訴えても、未だ。  
 
――好きだから、止めないの?  
まるで、あたしの声が届かないみたいだ、とマァムは絶望に近い気持ちで彼を見つめていた。  
 
とうとう、彼の手が彼女の下着に掛けられた。  
マァムは驚いて身をよじるが、丈夫に作られていなかったそれが、びりりと簡単に破かれてしまった。  
 
「いやぁぁぁ!!」  
驚いた為か、絶叫に近い声で、マァムは泣き喚いた。  
「…ちょ、ちょっと、本当、ポップ…いや…いやなの…!あたし…まだ…だめ…」  
言葉が途切れ途切れにこぼれる。  
 
 
何でこんなに恐怖を憶えるのか、よくわからないけれど、こんな気持ちのまま、抱かれるのはどうしても耐えられそうに無い。  
 
 
背中を冷たい汗が流れてひやりとする。  
高揚感等何処にも無い。  
充分な愛撫もされず、彼女の身体はまだこわばったままだったが、彼は知ってか知らずか、堅い自身をマァムの入口に押し当てて、一気に貫いた。  
「あああああっ!」  
何かが身体で破れる音がした。  
痛みでマァムは泣き叫んだか、ポップは更に奥へと押し進める。  
「んぁあ!いたぁい!やだぁぁ!」  
結合した部分から鮮血が滲んでいる。  
ポップは無言で突き動かすことを止めない。  
「いたいぃ!!いたいのぉ!!ポップぅ…お願いっ…やめてぇぇぇ!」  
――叫び続けた。  
 
いつもの彼は何処?  
 
今あたしを犯しているのは一体、誰?  
 
 
 
――外は酷い雨に変わっていた。  
マァムは現実から逃げるように、ただ雨音を追い掛けた。  
今、身体に襲い来る痛みも、身体にのしかかる体温も、全て虚構だと、思いたかった。  
 
思いたかった、の、に。  
 
「―――あ、いして、る…。」  
その闇をこじ開けるように、ポップがやっと言葉を発した。  
正気に戻ったのか。  
本当はずっと正気だったのか。  
マァムは、なんて残酷なことを言うんだろう、とぼやけた彼の輪郭を見つめた。  
痛みに叫び疲れて、声は既に枯れ切って、出ない。  
結合部が渇いて、押し進められる度、ぎし、と骨が擦れるような感覚が胎内に響く。  
 
 
ねぇ、好きって何よ、愛してるってのは、こんなことなの?  
 
 
あたし、何にも知らないだけなの…?  
 
 
 
―――わからない。  
 
 
 
それが、初めてのセックスだった。  
 
 
あたしはまだ幼かった。  
彼もまだ幼かった。  
 
 
今となってはそれもわかる。  
 
彼はあたしを独り占めしたかったのだと。  
 
彼自身を全て受け止めて欲しかったのだと。  
 
――ただ、幼過ぎた。  
 
 
…違う?  
 
 
あの後、ポップに一方的にさよならをして、眼の前から消えたあたしは『男』というもの全て拒否した。  
例え、ただの話し相手だとしても、『男』だと意識したら、あの夜が蘇ってくる。  
真っ暗闇が足元に深い落とし穴を作っているかのような、黒い夜が。  
 
セックスなんて到底、いや、もう一生無理だろう。  
 
――あたしの心と身体につけられた、消えない傷――。  
 
されどあたしは逃れられない。  
―――日に日に育ってゆく胎児を身体に宿しながら。  
せめて、この子は、本当に愛されることを知るようにと願う。  
 
 
あたしには、それだけしか出来ない。  
 

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