「っ! んんっ……」
押し殺した声がその場に漏れる。
何かを我慢するようで、少しばかり非難の色が混じった声。
「ちょっ、こんなところでなんて……」
その後に続いた言葉には明らかに非難の意味が込められていたが、拒絶を意味するような響きは無かった。
拒絶や拒否ではなく、困惑を感じさせる声だった。
「ポップ、せめて部屋に戻ってから…っ…!」
「我慢出来ねぇ。それにおめえの身体は随分火照ってるぜ。これは温泉に浸かってるからだけじゃねぇよな?」
子供の悪戯を叱る様な口調で、マァムは背後から手を伸ばす少年をじろりと睨み付けた。ポップはそんな視線に全く動じた様子も無く、彼女の肢体を背後から両手で撫で回している。
先程マァムが漏らした声は、悪戯小僧の愛撫によって上げそうになった声を我慢したものだった。
首からぶらさがり、胸元で揺れる輝聖石が微かな光を反射して淡い光を発するのも、今は欲情を高める付属品に過ぎない。
「そんなこと…あっ……でっ、でも、もし誰かに聞かれたら……」
「それはそれで」
「い…いわけないでしょっ…!」
身体の高ぶりを否定しようとして、不意に思い出したマァムの懸念を皮切りに、じゃれあいのような口撃の応酬が続く。
今2人がいるのは、とある温泉旅館の大浴場である。都合の良い作者の脳内設定の為、混浴なのは言うまでもない。
彼らが互いの想いを伝え合い、晴れて恋人同士となったのは今から半年前、それからは時間を見て2人で出かける事も増えた。
マァムが静かなで心休まるの雰囲気を好むという事もあって、温泉に出かける事もこれが初めての事ではない。ポップものんびりした旅館の雰囲気が好きだから、デートの場所としては最適と言えた。
では、何故このような口論が展開されているかと言えば…
「もう……いつも温泉に入ると触ってくるだから……。ゆっくり風情を楽しもうという心は無いの?」
そう、いつもポップが温泉内でマァムに悪戯してしまうからだ。毎度の事なので、流石の彼女も辟易してしまう。
とは言え、この世で最も愛おしい女性が、生まれたままの姿を無防備に晒した状態で目の前にいる。それも湯に浸かり、より扇情的になった姿で…だ。
そのような状況と、ポップの元々の性格を省みれば、こうなることは一目瞭然である。
「花より団子って言うじゃん?」
「……私は団子なわけ?」
「美味しく食べられるって事で、あながち間違ってもいないと思うけどな♪」
「………………馬鹿」
屈託の無い笑顔で平然とそんな事を口にするポップに、マァムは羞恥に頬を染めて、これ見よがしに悪態を吐いた。勿論、その言葉がよりポップの劣情を掻き立てることになるのだが。
当然、ポップはその手の動きを弛める事無く、巧みにマァムの身体をまさぐってくる。
「んくぅっ! ん……は、ァ、あ……駄目ッ…」
口では拒絶しても、内心では彼に触られる事が嫌いではなかった。故に、身体は正直に反応してしまう。
だが、何度も言うが、ここは温泉宿であり、その中の大浴場。他の宿泊客がいつやってくるか判らないのだ。
2人の素性を明かして名声を担保にしたり、各国の王とのコネクションを生かせば、完全貸切という手段も容易に取れるだろう。
だが、そのような力にあかした無人宿に泊まっても心の洗濯は出来よう筈も無いので、極普通の一般客として宿泊しているのだ。
「んぁっ、そこっ、やめっっ……」
「そっちも我慢出来なくなってきたんじゃねェか。やけに反応がいいぜ?」
「それは、っ……駄目…」
「ならいいじゃねェか。俺は見られても構わねーぜ」
「駄目よ!万が一見つかりでもしたら、これから先出入禁止にされちゃうじゃない!」
「うっ……」
マァムのその言葉に、ポップは今頃その可能性に考え至ったようで、言葉を詰まらせた。
彼としてもこの温泉宿はお気に入りスポットである。今後出入り禁止になるのは避けたいところだった。
「部屋に戻ってから…だったら……かまわないから…」
「いくらでも……?」
「…うん……」
「それじゃ行くか。取り消しはきかねェからな」
羞恥に顔を真っ赤に染めながら、やっとの思いで吐いた言葉が恥ずかしかった故か、間髪要れずにポップが発したセリフを吟味する間もなく返事を返す。
直後、目の前の少年の口元が意地悪くニヤリと歪んだのを見て、マァムは「早まったかもしれない」と、冷や汗を浮かべたが、後の祭りである。
こうやっていても埒が明かないので、溜め息を吐いて立ち上がるマァム。湯の中で揺れていた美しい肢体が露わになる。
「と、その前に…」
「え?」
部屋に戻る前に、ポップは1つの欲望をここで消化する事に決めた。少年の言葉に振り返ったマァムの唇を瞬時に奪う。
「んんんっっ!?」
突然の行為に驚いて、目を見開くマァム。そんな彼女を気にする事無く、それどころか彼女が驚いている隙にその口内に舌を差し入れているポップ。
行為は部屋まで我慢するが、その前に”前借り”というわけである。
「ふ……んっ、はぁ……」
ちゅくっ、ちゅ、じゅるるるっ……。
「んんんーーっ! ふっ、ふあぁぁ……」
口内を舐め尽くし、唾液まで吸われ、マァムは身体中が一気に弛緩していくのを感じていた。
こんなに恥ずかしい行為なのに、それを全然嫌がっていない自分がいる。その自覚がまた彼女の羞恥心を増大させていた。
少女の表情がとろんと蕩ける。もう驚きの表情も、僅かばかりの抵抗さえも無い。
それどころか、自らポップの首に両手を回してキスを強請る。
「ふぅ、んんっ、はっ、あぁ……」
今、この場に入ってくる者がいたとして、その客はどうする事も出来ないだろう。
こんな場所で堂々と、花も恥らう程の美少女が、濃厚かつ官能的なキスを交わしている。目にした瞬間、思考が停止することは間違いない。
「ちゅっ、んっ、んぅっ……ふぁ……」
勿論、今の2人の脳裏からはそのような思案は全て吹き飛んでいた。おそらく、今客が来ても平気で行為を続けてしまうだろう。それくらい熱く、甘い口付けだった。
「ちゅるっ、んんっ……ちゅぷっ、れる……ん……ふぅっ」
終わりが無い程に見えた熱烈なキスだったが、丁度一息ついたところで、ポップが唇を離した。
名残惜しそうに舌を伸ばすマァム。それを繋ぎ止めようとする透明の糸は、粘着質の名残を残してあっけなく切れた。
「あ……」
「続きは部屋で、な」
「………うん」
目の前で意地悪そうに笑う少年に、マァムの瞳は露骨に「意地悪」と訴えていた。
だが、その言葉に逆らえる筈も無く、潤んだ瞳で頷いたのだった。