「見えてるわよ」  
素っ気無く言い放つ少女が振り向きもせずに彼に釘を刺した。  
「派手に焦がしたわね」  
砕け散るしぶきがキラキラと光るお団子に結わえた後れ毛の向こう側に見える。眩しいような、暗いような。  
じゃぶじゃぶと滝つぼの水を踏みしめ、彼女が彼の目の前に立つ。彼は黙って一直線に伸びる健康で頑丈な足を見ていた。  
「どこじろじろ見てるのよ!エッチ」  
唇の端をちょっとだけ持ち上げるような……いわゆる魔性の笑顔というやつをやってみせて、彼の頬に太ももをぺたりと摺り寄せる様にくっつけた。  
「……冷たいくて気持ちいいでしょ?」  
ああ。彼が気まずそうに小さく言葉を返したので、彼女は珍しくいい気分になった。  
彼と来たら小心者の癖に強引でその上強情なのでちっとも彼女の自由にならないのだ。彼女はそれを面白くないとは思っていたが、ついぞそのことについて彼に意見はしなかった。  
「ずいぶん熱いのね……風邪でもひいた?」  
ばっばか、そんな熱くねえよ、お前が水の中に居たから体温低いだけだ。早口でそんなことを言いながら水から腕を引き抜く。腕を焦がしてこの水辺にやってくるのはこれで二度目。何かの呪文を習得せんと猛特訓中らしい。  
緑色の法衣がさっと岩場のほうに飛び退いて距離をとった。  
「……どこいくの。べホイミ、して欲しいんでしょ?」  
いらっしゃい弱虫クン、痛いの痛いの飛んでいけってしてあげるわよ。彼のプライドをつついてやる。こういうことを彼女に言われるのを彼が一番嫌いなのを彼女は良く知っているのだ。  
正直で単純なもので、彼の顔色がさっと変わる。ムッとして口をつぐみ、視線がきつくなった。  
ナメんな、おめぇのべホイミなんか効かねえよ、おれだってずっとずっとレベルアップしたんだ。姫さんのベホマだって全快するのに1分近く掛かるんだぜ。彼が得意げにひけらかす。  
「あら、じゃあベホマ掛けてもらわなきゃ危ない大怪我した事あるわけだ」  
喧嘩売ってんのかてめー。彼が思わず身体を構えた時、彼女は既に水辺から飛び上がっていた。目にも留まらぬスピードというのはこういうことを言うのだろう。  
身体から滴っていた雫が地に降る前に彼女の身体は彼を射程距離内に捉えていたのだから。  
 
「ほら、どんくさいわよ大魔道士様」  
目と鼻の先にキラキラ光る髪の毛を振り乱しもせず、微笑むマァムが拳を突き出している。  
「もう一歩踏み込んでたらアウトね」  
「……そうだな、アウトだったよ」  
ポップが輝き燃える左手の魔法力を解除したのを、彼女が呆れ顔で一瞥した。  
「――――――なんだ、元気じゃない」  
目が虚ろだったからまたいつものへたれ人格が出たのかと思った。彼女がぴっと鋭い音をさせて拳を収め、背を向けて歩き出す。  
「…………ん、まあ、ちょっと出たかな。  
なんつーか、上手くいくのかなあって……背負うものがどんどん膨れて手に負えなくなっていく感じがしてさ」  
彼がてくてく彼女の後を追う。彼女は黙って元の位置に戻る。背後で水に入る音がした。  
「やるしかないでしょ、なにがあっても」  
「いやあまあ、そうなんだけど」  
「だったらくだらない事うだうだ考えてないで特訓でもしたらどう?時間ないのよ。身体動かしたら不安感じてる暇も無いわ」  
「……や、不安つーんじゃなくて……」  
だったら何?振り向き様にマァムがそう言いかけた時、背中に彼の額がぼすっと降ってきた。  
「心が静まらないんだよ。ずっと鈍く興奮してるみたいで集中できねんだ。イライラしてるんじゃなくてピリピリしてるんじゃなくて」  
腕がつかまれる。いつもの、強引で強情な、あの手で。  
「……や、やめて。こ、こんなとこで、なんて、冗談でしょ?」  
「――――――だめ?」  
耳元に吐息。あの、甘ったるくて熱っぽい湿気を含んだ呼吸が鼓膜に纏わり付く。  
「ダメに決まってるじゃないの!お昼よ!?外よ!?周りに人居るのよ!?」  
「いいじゃん、たまには、そゆうのも」  
耳の後ろに舌が這う。柔らかく敏感な肉がずるずると唾液を介して熱を伝える。  
「あっ…や、やめなさいよっポップ……それ以上やったら――――――」  
「どうなんの?」  
 
しゅるっ……頭上でリボンの解ける音。さらさら流れる髪が彼の顔を隠す。舌は……止まない。  
「あっ…あっ……」  
短くて低い嬌声が鼻の奥で爆発する。彼の指は胴着の隙間から潜入して、太ももと豊かな胸を弄っていた。  
「やぁっ……もう、ほんとに、怒るんだから」  
「あのなあ、男の前でぱんつまる出しして何言ってんのお前」  
「ばかっこれ下着じゃないッ……あっやっちょっと!もう、指…ゆび止めてよぉ」  
「あ、ほんとだ。下にもう一枚履いてるのな」  
「あっやっあっああっあっやっ……いやっ」  
「ぬちょぬちょじゃねえか。マァムはエロエロー。ちょっと触っただけなのにもう濡れてんの」  
「やっ……ばかぁ!もう、ホントに怒った……いい加減にしないとこのまま投げ飛ばすわよッ」  
「してみればー。因みに今おれが持ってるのは君の服です。  
濡れたら乾かすの手間だぜー。髪もびしゃびしゃになるぞー。おれとお揃いでぬれぬれのままみんなんとこ帰るのか?何かあったのが一目瞭然だな」  
きっと勘のいい姫さんなら素晴らしく下世話な発想で愉快なウワサを振りまいてくれる。ポップは彼らしくもなく品の無い引きつり笑いをしてみせた。  
「……あんたね、一人で落ち込むのは勝手だけどあたしまで巻き込まないでくれない?  
あんたを慰める役目請け負ったつもりはないわ。自力で立ち上がれないなら自滅でも何でもすればいいのよ」  
こいつはダメだ、一度甘い顔を見せたら際限なく依存してくる。マァムは彼の悪癖に批判的ではあったが否定する気は無かった。彼が憎い訳ではなかったし。……だがここまで悪化してしまっては話は別だ。  
「――――――相変わらずキツいねお前は」  
「ぶっ飛ばされなかっただけでも有難いとおもいなさいよ」  
「へいへい」  
衣服から両手を抜き、彼が彼女の首筋から舌を離す。透明な唾液の糸が長く垂れて途切れた。  
「ふとももぺたってやるから誘ってんのかと思った」  
軽やかな指が彼女のふくよかな胸に深く埋まって半回転し、急激に遠ざかる。  
「ひゃ!?」  
 
「……やっぱエッチしたいんだろ?」  
顔真っ赤だぞ。一度合ってしまった視線を逸らせない彼女がはっとした顔で胸を庇う。脈打つ心臓の鼓動が一層強くなったような気がした。  
ああダメだ。自分と来たらこの腑抜けに依存されたりするのがどうも快感らしい。知恵と勇気で臆病を吹き飛ばす彼よりも、こうして自分のところに逃げ帰ってくるダメ男が好きらしい。  
彼女がこうやって甘やかすものだからポップは距離を測りながらもどんどん彼女にのめりこんでいくのだが、もちろん彼女はそんなことを気づくどころか思いもしていない。毅然とし、誰にでも同じ態度のつもりなのだ。  
「珍しくおめえから誘ったのに無下にしちゃ男が廃るな」  
何か考えるそぶりを見せて彼がマァムの腰を抱き寄せる。曳き付けられた顔が引きつる前にポップはマァムの唇を奪う。無粋な言葉を封じるように。  
からからの口の中に彼の舌が這う。生温くて別の生き物のように蠢く舌がつれて来る唾液が喉とくちびるを灼いた。  
「ん、んん!」  
正気の沙汰ではないと思った。この場所に自分が居る事を知っている人は大勢いて、もうじき昼食に呼びに来るころだ。これを見られたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。  
「……こら、や…めなってば、も、もうすぐお昼だから誰か呼びに来ちゃう!」  
「あ、声変わった。じゃあ隠れてしたらいいじゃん。」  
ここで止めたらマァムの方が困るんじゃないか、というような彼女を困らせるような自尊心満載のセリフを彼は吐かない。あくまでも自分が無理を言っているというポーズを崩さない方が彼女が乱れやすいことを覚えたらしい。  
「そ、そういう状況じゃないでしょーが!もう、何であんたって緊張感が持続しないの!?」  
「だってキミがボクを誘ったりするんだもん。ふとももぺたーってするんだもん」  
くりくりした目で彼女の顔を覗き込む。ぼんやりそれを見上げて、ああ彼はいつの間にか自分より背が高くなっていたのだなと現実から目を逸らした。  
「慰めてなんかやらないんだから」  
最後にひと睨みした彼女に向って、彼は上等じゃん、と破顔した。  
 
ポップがもう一度彼女に身体を求める事について回答を求めたが、彼女は黙して答えなかった。その沈黙を許可と取った彼がインナー越しに胸に触れても、頬を赤らめるだけで声を上げない。  
「あんたとするときはどうも水が関係するわ」  
「おれが水のステータスでも持ってるのかね?水辺に居るとなんかうまいこと行くような気がするんだよ、マァムとだけは」  
本当は水に大していい思い出がないのだが、そこはそれ、少年も睦言の交わし方を心得始めたという事だろう。  
「じゃあこれから枕元にコップを置くのはやめとく」  
蠱惑的な声は彼女の意図したように呆れたニュアンスにはならずに、彼の背中で這い回る劣情を更に強くしただけだった。冷静を装うのにちっとも冷淡でないところが可愛くて魅力的だと彼は思う。  
ざらざらする薬指が太ももとビキニラインの境界線をゆるゆると辿っている。人差し指と中指が下着の上をなぞりながらかすかに円を描いた。びくっと律儀に肩を振るわせたマァムの首筋を押さえるようにもう片手が彼女のあごを固定する。  
彼女の目に見えるのは滝の裏側。呪文によって削り取られた岩板にポップが背を預け、抱えられるようにしてマァムの愛撫を続けている。  
『ここなら多少声出しても聞こえないだろ?』  
思えばあの時に走って逃げてりゃ良かったのかも、と襟元を滑る舌の軌跡を繋ぎながら思ったが、機嫌よく振り返って微笑むポップの顔にやられちゃったのだから仕方が無い。  
ったく…他に人が居ない時はカワイー顔するんだから。安心して弱音を吐く。無邪気に虚勢を張る。子供っぽいくせにどこか懐かしくて切ない何かを思い出させるのだ。それがマァムにとって抗えないものだった。  
視線をもう一度滝の向こうにやる。透明なカーテンの向こう側の景色が歪んでて、時折キラキラした日の光が刺したりなんかしてとてもきれい。こんなにも美しい世界を、魔王は世界を独り占めしたいという。気持は解らなくもないけれど。  
「ねえポップ、バーンってのはどうして世界を独り占めしたいのかしら?」  
「……ハァ?なんだよ急に」  
「一緒に居られないのかしら、仲良く、みんなで」  
無茶言うなよ、と彼が呆れながら下着の中に親指以外の指を全部滑り込ませ、ぬるつくそこを撫で上げた。  
 
「あっ!ひっ……あ…んっ!んふぅ……」  
「共産主義者かおめーは。そんな理想論で世界が救えるならおれもお前もこんなとこにいねーよ、現実を見ろ現実を。」  
だって、だって、わかんないんだもの。爪が鈍くて甘い痛みを残しながら柔らかな肉をえぐっている。ときどき埋まる指の繊細さが彼の性格を現しているようで思わず悲鳴を上げそうになった。  
「泣きそうな声出してんなよ、ゾクゾク来るだろ」  
お尻を突き上げている突起を隠すように彼がそっと腰を引いた。それを見逃さぬようにマァムの腰が追いかけて擦り付ける。  
「あ…ぅ、やめ、やめれ…!」  
「どうして。気持ちいいんでしょ?」  
「くそっこのエロ女め」  
にひひひ。にやーっと笑いながら徐々に強さと激しさを増して腰を揺さぶっていると、差し込まれていた指が眠りから覚めたように動き出した。  
「やあっ!きゅ、急に、二本……無理、やだぁ!」  
「エロい娘にはお仕置きだべさー」  
サボっていた片手も起きだして乳房をつかみ、尖っていた突起を探り当てて少し強くつまみあげた。マァムがたまらずにつま先で立ち上がる。  
「ひやぁあーっ」  
「どーもおめーは男を甘く見ている節がある。いかんよ、そうゆうのは」  
男女平等ですよ、民主的にいきましょう。実力主義の世界ですから負けたら従わないとね。ポップが短く丁寧な言葉を呟きながら彼女の身体に舌を這わす。時々ずるずる上下に動いて、ズボンを脱ぐ事も忘れない。  
息が続かない。冷たい水の奥に隠れているはずなのに、彼と彼女の吐息が滝の影に充満して二人の体温をじりじりと上げている。  
「指でいきたいか?」  
一番敏感な肉芽をなぞりいじりながらそんな事を尋ねる彼の顔が真っ赤で、彼女は声を上げて笑いそうになった。でも多分それは彼も同じだったろう。  
 
「そっちがいきたいんでしょ?」  
意地悪く言うと、ちょっとムッとした彼が唇に噛み付くように舌を吸い上げる。  
「素直じゃねえな、たまには可愛いことのヒトツくらい言ってくれよ」  
そんなのあたしの領分じゃないわ、とでも言いたげに彼女が顔を逸らしてしまったのでポップはやれやれとため息を付いて彼女の下着を捲り下ろし、自分の腰をあてがう。  
「……っ」  
背筋に歪んだようなイビツな快感が這い回った。視界がぎゅっと狭まる感じがして、耳に滝の音が入ってくるのに聞こえない。硬い異物が差し込まれる感覚はさくらんぼを一個丸呑みしてしまった時に似ている。息苦しくて、甘い。  
「ぁはぁ…ん…やぁ、なんか・いつもより…あっああ……あぁぁァ……」  
絡みつくように這い上がってくる肌の薄い痙攣が、お腹の奥の辺りに特に集中して差し迫っていて、毎度の事ではあるけれども夢心地一歩手前のじれったさがいい。  
「焦らすヤツが悪い」  
粟立つ腰にざらっとした男の左手が添えられる。右手は右のおっぱいに。くり、くり、人差し指と親指で突起がなぶられて快感中枢が大げさに反応した。下半身から力が逃げていくように足元が揺れる。  
「焦らっ…!?」  
何度も揺する無駄な肉の無い腰がじきに自分で動き出すから、それまでは緩急つけて焦らすようにせかすように、丁寧に。細かに付いている傷は出来るだけ視線に入れないように、キレイで見目麗しい肌だけを讃するように。  
「あっやっやっあっつよ、つよい、つよ……んぅ!」  
ひっく、ひっくと短い嗚咽が途切れ途切れに水面を叩き続ける音の隙間から顔を出す。そのタイミングがたまらんな、と彼は苦笑いを隠す。  
「ん、なんだもっと強くか?」  
細かく大胆に振動を繰り返す彼女のきつく結ばれていたはずの口元から、細く尖った舌が見え隠れする。聞こえないほど掠れた言葉が引きつっているのか、何度も紅く火照った頬の向こう側に差し出された舌が見えた。  
強がったって駄目だぜ、こちとら全部お見通しよ。  
 
 「ん、んっ、んっんっ!」  
 唇を食いしばっても鼻から漏れるリズミカルな呼吸に従うように頬が赤く染まっている。  
 「……あし、届かないと深くなるだろ」  
 「ばか、どこで、こんな、こと、おぼえ、たのよっ」  
 彼が岩に腰掛けたまま膝を揺するたびに向かい合わせに抱き合って膝の上にいる彼女の胸が上下に動く。大きな胸がゆっさゆっさ、たゆんたゆんと恥かしそうに反る身体にあわせて不規則の規則を守って彼を惑わしている。  
 「顔見えたほうが、いい」  
 「ばかばかばか!見ないでってゆってるのに!やだもう!」  
 「見てないときよりよっぽど色っぽい声出すくせに」  
 淡い紅色の肌に流れる雫が捲り上げられた服に吸い込まれていく。それを目で追いながらも彼は揺する身体を止めたりしない。  
 「……気持ちいいか?」  
 「やっ…なんてこと、聞くの……」  
 「俺は気持ちいい。すっげぇ……いい言葉、思いつかねぇくらい……」  
 足を小刻みに揺らす仕草を緩やかにして彼が拙い単語をつなぎ合わせ、必死の口調で唇から言葉を紡ぐ。その必死さにマァムの呼吸は徐々に苦しくなった。  
 彼が何か、言葉で言い表せない何かを自分に伝えたいのだという事は解る。なのに、それが一体何なのかがわからない自分が歯がゆく、悲しい。  
 「……うん、あたしも、いいよ……いい……」  
 背中駆け巡る快感に眩暈を覚えるのに、気を失うどころかむさぼり続ける鋭い感覚はどこか寂しく、甘く切なくあえぐポップの顔とちぐはぐで可笑しいと思った。  
 「き、気持ちよかったら、その。我慢しなくて、言っていいぜ。  
 誰もいないし、その方が俺、励みになるから」  
 視線は逸らしがちで、それでも尻すぼみでない声がそんな事を言ったので、マァムは心臓の鼓動がパンクするのではないかと心配になった。  
 ポップの表情があまりに真剣で滑稽で、この上なく真っ赤だったから。  
 「ばかばかばかばか!こっこれ以上励まなくていいわよッ!」  
 
 「ははははーいっちゃうー、だって」  
 「うるさいな、そっちこそいくいく騒がしかったくせに」  
 彼女が右手に持ってる青色のリボンが風にはためいていて、彼はぼんやりそれを見ている。気だるい発散がずっと治まらない。  
 「……昼飯…食い損ねた」  
 「誰のせいよ、誰の」  
 手捌きも見事にお団子が結わえられて、布が巻かれてリボンが結ばれる。風がもう一度吹くとすっかり乾いた後れ毛がさらさら揺れた。ポップはそれを触ってみたい衝動に駆られたが、立ち上がるのが面倒だったのですぐに諦めた。  
 「服も乾いてめでたしめでたし。さ、あんたも午後からは真面目に修行しなきゃマトリフおじさんに言いつけちゃうんだから」  
 穴あきグローブもきっちり装備しなおして水の中に入る。精神を集中させて滝の水を何度も殴る。飛沫が霧になるまで容赦ないスピードで。  
 ポップはそれを見ながらぼんやりしている。動こうという気は特にないらしい。  
 コツなんだよな、センスとかいうあいまいなモンじゃなくて。なんかあるはずなんだ……誰にでも理解できるきっかけみたいな、生まれて初めて魔法を成功させたときの呼吸みたいなモンが。それを習得するためには撃って撃って撃ちまくるしかない。  
 「……撃てないものをどう練習しろってんだ」  
 彼が誰にも聞かれないように小さな呟きを口の中で噛み砕いた時、目が自然に彼女の方へ行った。  
 右手からヒャド、左手からメラ。同じ大きさ強さ出力に固定する。まずこれが難しい。どう集中しても右手の出力が頭で考えるバランス通りに行かない。実力以上に大きく放出することに慣れているさしもの彼でも、引き絞って抑制することは最大で放つより神経を使った。  
 しかしまあ対消滅なんて物騒な呪文をよくもあのエロ師匠はパーティ一の腰抜けに渡そうと思ったもんだ……これでも結構熱血漢でオマケに無謀なんだぜ。  
 視線を外して彼が自分の手を見た時、弱くはあったが"自分が頭の中で考え得る限り"等価の出力で魔法力が安定していた。  
 
 「げっ………で…出来た…?」  
 無意識の産物は偶然というには出来過ぎていて、彼の常識だとか良識だとかは好奇心と自尊心によって瞬時に吹き飛ぶ。  
 これを合わせれば、呪文を完成させることが出来るのではないだろうか。よしんばうまくいかなかったとしても出力のヒントくらいは掴めるのではないだろうか。  
 「……おれってば天才、だったりして……」  
 深呼吸をめいっぱいして両手を重ね合わせるような仕草で魔力を練る。まばゆい光で目は利かないがその他の全ての感覚が異様に研ぎ澄まされ、まるで全身が瞳になったかのようだ。  
 できる。何故か彼はそう悟った。何かに導かれるように魔法力の弓と矢が天を仰ぎ、力が解き放たれる。  
 輝く光の球体が轟音を上げ猛スピードで雲に吸い込まれてゆく。魔力のカタマリが過ぎ去って行った後には雲が掻き消え、真っ直ぐな"空白の軌跡"だけが残っている。  
 「…………で…た……ホントに出た……」  
 かすかに震える両手は少し熱を失っていてうまく動かなかった。  
 「ちょ、ちょっとポップ!今の何!?」  
 慌てふためいた彼女の声にようやく我を取り戻した彼がへにゃりとその場に腰を抜かして笑い出す。  
 「あ…あは、あは、あはははははは……はは……は、は……今の、見た?」  
 「見たから飛んできたのよ!アレ何!」  
 「お前も見たよなあ…じゃあ夢じゃな……あはは……ははははは…やった!出来た!すげえ!エクセレント!天才!ポップ君えらいっ!」  
 「……何なの一体……」  
 「ひみつ」  
 ぷぷぷ、と押さえ切れぬ笑い声が指の隙間から漏れる仕草があまりにも業とらしかったので、彼女はふいっと何も言わずに背を向けてもと来た場所に戻っていった。  
 「あれ。……気になんないのォ?」  
 大またで颯爽と歩いていく彼女の背を追いながら彼が浮ついた声ではしゃぐ。その格好と来たらとても"常にパーティで一番クールな役割"とは思えない。  
 まるで母親の気を引きたくて仕方ない悪戯小僧だ。  
 
 「……追い付こうって必死になればなる程どんどん引き離されてっちゃう。  
 あんたやダイ見てるとあたしの努力なんて無駄って言われてるみたいで自信無くすわ。」  
 おやおやマァム様ともあろうお方が弱気発言ですな。ポップが茶化すようにけらけら笑う。  
 「――――――あたしがアバン先生に武道や魔法を習ったのは誰かを守る為よ。お姫様を助ける為や敵討ちの為じゃない……だからここまでが限界なのかしら」  
 いえいえ馬鹿言っちゃいけませんやダンナ。歩みを止めた彼女の背に小馬鹿にしたような笑い声はまだ静まらない。  
 「あのねぇ、真面目な話なんだけど」  
 「やだなァおれっちも到って真面目でゲス」  
 肩に手が添えられる瞬間、彼の手を叩き落としたマァムが振り向きざま彼の腹めがけて一撃を放つ!  
 「ぐけぇ」  
 「いい加減にして!こっちだっていつも余裕があるわけじゃないのよっ!」  
 「……だ、だぁら、たまにはお前も――――――げほげほげほ…ちくしょ、マジで入れやがった」  
 かっこいいシーンなのにおれときたら締まんない。すうっと遠くなる消えかけた意識の端っこに何かが見えたような気がしたが、彼にはそれが何かはよく解らなかった。  
 何ができる訳じゃないけど何かしてやりたかったんだ。おれが良くぶつかる問いに惑ってるお前を。自分の限界なんざスライムにでも食わせちまえ。お前がするのは世界を守ることだ、目を逸らすな。  
 最初に彼が気付いたのは何だったのか。今更スピードの特訓なんか始めた彼女の焦燥に違和感を受け取ったのだろうか。決して他人に弱味など見せない彼女の。  
 気を失いぐったり倒れたポップを引き上げるように起こして、彼女は彼を引きずりながらぼんやりと思っていた。  
 どうなんだろあたし、セックスするけどなんだか要領得なくて。でも多分、彼も同じなんだろな。好きとか嫌いとかより人と居ると安心しちゃう。慰め合いみたい。どうしたらいいかわかんなくて……心細いの。  
 「……面倒だなァ、こういうの」  
 彼女はうすうす気づいている。彼の気持ちに。でも理解はしていなかった。それがどういうことなのか。  
 
 目が覚めた時にはすっかり体力が戻っていて、焦げていた右手もすっかり回復していた。視線をやると彼女はまたスピード向上の特訓を繰り返している。  
 「……切羽詰ってんなことしても成果ねえっつってんのに、あの体力バカは」  
 こりゃきついお仕置きが必要かねぇ。彼が指先に溜める魔法力が集約されて唇に呪文が乗る。  
 「ラリホー」  
 「ザメハ!」  
 間髪入れずに響き渡る覚醒の呪文によって、彼の睡眠の呪文がかき消された。  
 「見えてるってのよ、エロ魔法使い」  
 「……こんちまたご機嫌ナナメだねぇ……」  
 「あんたいい加減マジメに特訓したら?  
 あたしのことなら心配なんてしてもらわなくても結構!それより自分の頭の上のハエを追いなさいな。いつまでもこうやって叱っててやれないのよ」  
 「――――――マホカンタでカキーンってな。そっくりそのまま返すぜそのセリフ。」  
 彼が立ち上がりいやはや相変わらずの面倒見の良さに感心しますなと引き笑いを繰り返した。  
 「いつまでもおれが甘えてると思うなよ」  
 太陽を背にし、彼が岸辺から彼女めがけ飛び上がる。とっさに身構えた彼女が見上げる空には舞うマントが一枚。それに気付き、体勢を変えようとした時には既に彼は彼女の後方にいた。  
 「ほれみろ、こんな単純なことに惑わされるおめぇがどーかしてんだ。」  
 もう一度彼の睡眠呪文が響く。マァムは反撃することもないまま力なく崩れた。まるで糸がふっつり切れてしまった糸繰り人形のように。  
 「……なんつーかさ、緊張と集中で凝り固まってて逆に回り見てねえんだわ。  
 自分一人で何でもかんでも背負う癖やめろよな。何のためにおれ達が居んだよ」  
 ぶつぶつ言いながら眠る彼女を抱きかかえながら彼がじゃぶじゃぶ水を掻き分ける。水分を吸ったズボンやジャケットが重い。空を見上げると真っ白に輝く入道雲が黙々と勢力を拡大している。  
 もうじきあの雲が太陽を隠して稲妻と大雨を連れてくるに違いない。それまでに適当な雨宿りの場所を探さなければ。彼はぼんやりそんな事を考えた。  
 風は北北西。集合までの残り時間はもう決して多くはない。  
 
 
 「やぁんっ!」  
 触った指が滑り、かすかな指紋の凹凸まで感知できるほど敏感になっていた肌が燃えるように紅く染まった。  
 「……やあんておめー……顔触っただけだぞ」  
 「やっやっ触んないで、今触られたらあたし」  
 小さくだめ、だめ、と身体をよじりながら繰り返す彼女の言葉が掠れていて必死で、彼はクラクラとめまいさえ覚える。だめだめなんて言われたら、男として触らんわけにはいくまいよ。  
 人差し指をピンと立てて頬から顎を伝って首筋に至り、鎖骨まで一本線を引く。  
 「あっやだ、ひあっあーあぁあーやあもっあっあっ許し…っあっぁあー!」  
 ひっくひっくと吃音が続いて細かな痙攣を繰り返す彼女の身体が何度か大きくグラインドした。よほどこの感触に耐え切れぬものを感じているらしい。  
 ……ならこんなので胸なんかつついた日にゃあどーなるかね。彼が汗でしっとり上気する襟元から指を抜き、踊りだしそうになる爪先をなんとか押さえつけながらふくよかな胸に近付ける。  
 「む―――むね、さわってもいいか?」  
 「ばっばかッダメって言ってるのが聞こえないの!!」  
 「い、いや聞こえるんだけどなんつーか、こー……自分でもサイテーだと思うんだが……真っ赤になってテレてるおめー見てるとさー……な?」  
 「やだもうこの変態!しんじらんない、もう、放して!」  
 半分泣き出した彼女の声は強さはあるのに嫌悪感がまるでない。形だけが嫌がっている風で、それが彼を更に加速させる。急かすように何かを待っている。  
 「――――――いつも思うんだけど、本当にいやだったら殴るよな?  
 他のヤツがこうしてもお前はこんな風じゃねえだろ?」  
 冷えた不安げな声がして、蠢いている彼の手が止まった。見上げた彼の顔には深い影が落ちていて表情はよくわからない。  
 「それともあいつがもしこうやってもおめえそんな顔してんのかな。……だったらなんか……せつねぇよなぁ」  
 ぎゅうっと抱きしめた身体に顔を埋めて彼がよく分からないことを言って黙る。何を言うのよ、どうかしてるわ。呆れの言葉が浮かんでは消える。何故か声が出ない。  
 「だめだなおれ、おめーといるとどうも弱いトコばっかボロボロ出てきちまう。おめーだって強かねぇのに」  
 
 格好悪くてイヤになる、せめてあいつよか強くなりたい。そんだらちっとは意気地が出て人の弱さから目を逸らすような真似しねぇで済むのに。  
 「あいつあいつって誰の事だか知らないけどね、あんたの言う強さって誰かとの比較じゃないと思うわ。  
 これって病気の自慢みたいで不毛だと思う。」  
 「……おめえはおれとこうする事が不毛だと思うんだ。」  
 「不安に負けて傷の舐め合いするのが不毛だって言ってるの」  
 「不安に思うのが弱さってんなら……おれ勇気なんざいらねえよ。よわっちくて卑怯なクズでいい。  
 ダメなやつだって誰に言われてもいいから――――」  
 そこまで言い、彼ははっと口ごもってそのまま静止した。彼女はその先を促してみたいひどく無責任な思いに駆られた。が、なんという言葉で何を訪ねたいのかも曖昧で、そのはしたない好奇心と呼ぶべき声はついに出ない。  
 諦めたようにゆっくり彼が身体を離す。  
 お前にたまには甘えさせてやろうかなーんてガラでもないことするもんじゃねーやな。ダメダメ、俺じゃ器が小さすぎてとてもじゃねーけどお前を支えられそうもねぇや。  
 そんな事を言いながら表情をパッと変える。  
 「早く強くなりてーなぁ。さくっと平和を取り戻したダイがパプニカの王様になる頃には、おれも強くなってるかな?」  
 マァムはそれをじっと見ていた。それこそ言葉の隅々から視線の行く末、膝の向きや指の先まで何物も逃さないようにじっと。  
 彼女は精神的な自分の未熟さを自覚していると思っている。それがみっともない背伸びでしかないこと以外決して間違ってはいない。だからこそ罪は深い。  
 「……強くなって、それからどうするの?  
 あたしを助けてくれるの?それから他の誰かをまた助けて、みーんな助け終わった後はどうするの?昔のアバン先生みたいにどっか消えちゃうの?  
 たまにダイよりよっぽどポップの方がアバン先生に似てるような気がする時あるのよ」  
 雨はまだ止みそうもない。吹き込んでくる風はひんやりと冷たくて身震いを誘う。  
 
 
 
 

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