カーテンに遮られながらもそっと差し込んでくる日の出の光をその身に受けながらも、ベットの中の人物は起床を躊躇った。  
春眠暁を覚えずというが、人にとって最も絶ちがたい行為が睡眠であることは間違いない。  
「マァム、朝だぞ〜早く起きろ〜」  
ドアが開かれると同時に、間延びした声が部屋に響く。  
意識が朦朧としているので、声を正確に判別することは出来ないが、このような起こし方をする人間は一人しか考えられない。  
普段朝に弱い筈の彼が今日は随分と早起きなことである。今しがた日が昇ったばかりではないか?  
そんなことを思っているうちにカーテンは開かれバッと布団が剥がされた。日の光が不意に目を刺激する。  
 
「ちょっとポップ!何を・・・」  
 
普段の彼らしからぬ行動に抗議しようとして彼女は絶句した。眼前に立つのは蜂蜜色の髪をした乙女、毎日のように鏡に映る顔である。  
果てしなく嫌な予感に襲われてそっと手を自分の髪に持っていく。  
洗髪こそかかさないが、入念に手入れされているとはお世辞にも言えないクセの強い黒髪、ご丁寧なことに黄色いバンダナまで既に装備されている。  
体に目を向けて見れば、身につけているのは緑色の法衣・・・否定材料は何も無かった。  
 
「どういうことなのか、説明して欲しいんだけど?」  
怒りを懸命に抑えながら『彼女』は目の前の女性に当然の疑問をぶつける。大魔王に啖呵を切ったその瞳に睨み付けられれば大抵の者は竦み上がる。  
が、『彼』は一向に意に介する様子すらなくむしろ悪戯めいた笑みさえ浮かべながら答える。  
「夜明け前に交換呪文をかけたんだよ。今現在、俺とお前で身体を交換し合ってるのさ」  
「下らないことしてないで早く元に戻してよ!大体何の為に・・・っ!まさか・・・」  
 
言いかけて背中に悪寒が走った。予感が的中しませんようにと密かに願掛けしたが無駄だった。  
「そのまさかだよ。たまにはこういうプレイもいいんじゃねぇ?」  
目にはさながら獣のような光を宿し、口元は悪魔のような笑みを含んだままゆっくりと近づいてくる。  
逃げなければ!そう思った時には両の細腕はしっかりと捉えられてしまっていた。  
 
『彼女』は何とか逃れようと試みるが、その腕力の圧倒的な差を考えると文字通り『無駄な抵抗』に過ぎない。  
 
「逃げちゃ駄目だって」  
「ちょ、や、やめてポップ!」  
 
バンダナをするりと外し、逃げられないように手首を固定する。今の『彼』はまさに獲物を目の前に舌なめずりをする肉食獣だった。  
耳元に吐息がかかり、白魚のような指がそっと首筋へと触れようとしたまさにその時、ドアをノックする音が響いた。  
 
「里長様、今しがた件の少年が保護されたそうです。至急議場までお越しください。」  
 
その時ほど『彼女』は運命の神に感謝したことは無い。それとは対照的にマァムはドアの方を向いて小さく舌打ちしたが、直にポップの方に向き直って返事を促した。  
『彼女』は一瞬何のことか理解しかねたが、自分が今「ポップ」になっていることを思い出し、慌てて扉の外へ返答する。  
「わかったわ・・・いやわかった!直に行く」  
 
やっとの事でポップの口真似をして返事をすると、傍らではマァムが必死になって笑いを堪えている。  
−覚えてらっしゃい!歯噛みをしながら心中で毒つくのが精一杯だった。  
 
大魔王が倒れて3年、世界はまだ痛手から立ち直りきってはいなかった。  
 
ある者は姿を消した勇者を探して旅に出、ある者は自らの故郷に戻り復興に尽力した。  
しかし、捜索に携わった者がいくら足を棒にしても一向に勇者の姿を見つけることは出来なかった。  
ポップとマァム、メルルが地上を、ラーハルトとヒュンケル、クロコダインが魔界を隈なく探し続けたにも関わらずである。  
そこでポップはある決断をした。見つからない者を探し続けて時間を浪費するより、  
地上を去るとまで言わざるを得なかった勇者が心置きなく帰ってこられるような世界を作るべきだと主張したのだ。  
 
仲間達とさんざん討議した結果、魔物や異種族のように人間社会で日々の暮らしさえ困難な者達や、  
人間であっても既存の国民国家・教会の統制の前では安寧を得られない者達が生きていける場所を作るということで話が纏った。  
当初はデルムリン島に移住させようと試みたが、人数が予想を遥かに上回ったことから、  
かつてアルギード王国があった地が選ばれ、そこに里が作られたのだ。  
 
無論、まだ大戦の傷が癒えていない人間達や、それを隠れ蓑にした貴族や教会勢力の反対もあったが、  
アバン、フローラ夫妻、レオナ、シナナ王など各国の王側面支援が効を奏して乗り切ることが出来た。  
里長には一番最初に発案したポップが就任した。マァムは伴侶となってその責務を支えることを選んだのである。  
 
里の意義は誰でも自由に暮らせる場所を作ると同時に、各地で塗炭の苦しみを負う者達を導き、その平穏を絶対に守ることにある。  
数多くの者達がその理想に共鳴し、成立から2年にして里はますます発展を速める様相を呈していた。  
 
会議で再三話題に上ったのは、先日ベンガーナ郊外で確認された魔族のハーフの少年のことであった。  
しかし、議席の主役である筈の『ポップ』は全くの上の空で、はやくこの呪文が解けないものかとばかり考えており、  
その為に自らを呼びかける声にも気がつかなかった。  
「おい、ポップ!大丈夫か?」  
「あ、クロ・・・いや、大丈夫だよおっさん」  
不意に肩を揺さぶられて『彼女』はびっくりとして向き直った。声をかけてきたのはクロコダインだった。  
 
ちなみに『彼』はここにはいない。  
ポップの姿をしたマァムがここにいるのを良いことに大方どこかへ遊びに行っているのだろう。  
そう考えると無性に腹が立ったが、かといって関係ない人間に当り散らすわけにもいかず、頭を抱えて溜息をついた。  
それを見て隻眼の元獣王は、ポップの疲労がたまっているものと思って休息を進めた。  
「普段から根詰めすぎなのも身体に毒だ。たまには少し休んだらどうだ?」  
「ごめんなさ・・・いやごめんな、そうさせてもらうよ」  
『彼女は』これ以上続くとボロが出そうで怖かったので、有難くその申し出を受けて大人しく退室した。  
 
とは言え、今すぐ寝室に戻る気にはなれなかったマァムは、とりあえず書斎へと向かうことにした。  
ひょっとしたら、交換呪文とやらの解除の方法がわかるかもしれないとも思ったし、  
普段彼が自分にも秘めている部分を腹いせに覗いてやろうと思ったのもまた事実である。  
 
彼女は良人を愛してやまなかったし、仕事に対する情熱を燃やしている時の顔が何よりも好きだった。  
だが、それとこれとは話は別だと思った。  
ポップはアバンとマトリフ、両方の偉大なる英雄に師事して両者から後継者と認められた男であるが、  
同時にその悪いところまであますところなく受け継いでしまっていた。  
彼女がそんな夫の悪癖に振り回されたのは一度や二度ではない。  
惚れてしまった弱みゆえか、最後にはついつい許してしまう彼女であったが、  
そろそろ本格的にお灸をすえなければならない、そんな思いを抱きながら書斎の入り口のドアを開いた。  

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