彼女が農作業の手を止めて空を見上げると、ふわふわと年の頃なら20前後の男が浮かんでいた。青年は彼女と目が合ったのを嬉しそうに小さく手を振った。
「……久しぶりね、ポップ」
「おう、二ヶ月ぶりかな」
ゆっくり鳥が舞い降りるような優雅な仕草でポップと呼ばれた青年は彼女の立つ大地に着地する。
「いやいや、こういうときはまず“ただいま”かね?」
思案顔で唸る彼の、ぴったりと前面で合わせて彼の身体を包んでいるマントの下でなにやらもぞもぞと動いているので、彼女はあきれた顔でマントを捲ろうとした。
「今度は男の子?女の子?」
「男の子」
黄金色のマントを捲ると、青年の腰に必死でしがみつく黒髪の男の子がビクッと身体を震わせて彼女から顔を逸らす。
「……こんにちは。お名前は?」
彼女は腰を落としてできるだけ優しく尋ねたが、男の子は顔を背けたまま身動き一つしなかった。
「無理だよ、こいつ口利けないんだ。パプニカの北西で会ったから姫さんのとこにでも預けようと思ったんだが離れなくってよー。
仕方ないから帰ってきた」
その口調がひどく気楽だったので、彼女はムッとして立ち上がり、彼に食って掛かった。
「あんたねー、二ヶ月もここ空けといて言うに事欠いてそのセリフ!?仕方ないから帰ってきた!?よくもまぁそんな言葉が出たものね!!
フラフラ出てったと思ったら半年音沙汰ないなんてことはザラだし、帰ってきたと思ったら労いの言葉もなく!どーゆー神経してんのよあんたは!」
いきり立つ彼女から少しだけ目線を逸らして、きょろきょろと辺りを窺ってマントを男の子の頭から被せ……彼は彼女を抱きしめる。
「ただいま、マァム。お疲れさん」
「おかえりポップー!おかえりおかえりおかえりー!!」
「あーもーただいまただいま、わかったから、こら、もう、やめー!疲れてるんだよ俺はー」
「おかえりーおかえりーおみやげはー」
「あるあるある!だからどけー」
ポップにしがみ、纏わり付く子供達を制して、マァムが声を上げる。
「はいはい落ち着いて、そんなにくっ付かなくてもポップは逃げないわよ」
「うそだねー!逃げるよ、捕まえてないと飛んでくよーだ」
ポップの右肩にくっ付いている7歳くらいの男の子の言葉に、マァムが苦笑いをして頭をはたく。
「あたしが捕まえとくから降りなさい、ほら」
ぶーぶー不満を漏らす男の子はそれに仕方なしに従って、それでも視線はポップから離さない。
「大人気ねぇ」
「ここ帰って来るとうるさくて仕方ねぇや」
ため息を付きながらも嬉しそうな顔をしている彼に、マァムは満足げに頷いて台所へ向かう。
「お昼もう食べた?ロールキャベツとパンくらいならあるけど」
「ん、いや、ガキどもは?」
「もう二時越えてるのに食べてないわけないじゃない」
「そか、じゃあもらう」
彼は纏わり付く子供達を体から引き剥がし、やっとテーブルに着く。周りに居る5人の子供達は我先にと同じく席に着き、興味津々で彼の顔を見ている。
「ポップ、その子ここに来る子?」
ツインテールの目がパッチリとした一番年齢の高そうな大人びた女の子が、いまだにポップから離れようとしない男の子を指差して言った。
ポップはその言葉に少し閉口したが、少し間をおいてその女の子ではなく、腕にしがみ付く男の子に向かって言った。
「ここに来るか?」
「……そう、目の前でご両親を……」
夜の帳が下り子供達も眠った後、二人はダイニングでコーヒーを飲んでいた。
「弱肉強食で仕方ねえこととは言え、ひでぇ話だよ。遺体があそこまで欠損してたら流石にザオリクでも蘇生は不可能だ」
沈痛な面持ちでポップがテーブルに顔を伏せた。
「俺がもっと早くに見つけてたら助かったかも知れねぇのによ」
「…あんたが見つけたからあの子は助かったんじゃない。……それでいいのよ」
マァムは彼の握られた手に手を重ね、優しくさすった。ポップはそれが有難いとは思ったが、少し悲しくもあった。
「あの子、引き取るんでしょ?これからいっぱい優しくしてあげればいいじゃない。ね?」
「…………ん。」
そうだな、と力なく微笑みながら漏らした言葉がすこし痛々しかったが、マァムはあえてそれを見ないふりをし、話題を変えた。
「それで、ダイの手がかりは見つかったの?」
「……見つかったら取るものもとりあえずすっ飛んでくる約束だろ」
マァムが話を変えた意味を感じ取り、ポップは少しおどけてそう返した。もう一つの約束を知りながら。
「毎回訊ねるのも約束、じゃない。
どこ行ったのかしらねぇ、あたしたちの勇者様は。……ちょっと顔を見せるくらいしたっていいのに」
そういいながらマァムはコーヒーを一口。
「テランにも寄ったんだ。メルルも…元気だったぜ」
目を伏せて彼がそう言うので、彼女は呆れながらため息を付いた。
「あんたまだ気にしてんの?相変わらず気ぃちーさい男ねー。あたし達二人とも納得してるんだからいいじゃない」
そんなことを言いながらも、彼がきちんと全て報告してくれる事に安心もしていた。
故郷テランに帰った占い師メルルのお腹には、今現在子供が居る。
彼の子供だ。
しかしメルルとポップは結婚をしていない。彼は基本的にマァムと暮らしている。だが、マァムもまたポップと婚姻関係にはなかった。
マァムは故郷ネイル村に帰り、村から少し離れた場所で孤児を引き取りながら生活している。初めに孤児を引き取ると言い出したのはポップであったが、ダイを探す事をライフワークにしている彼には無理だと自分が請け負う事にした。
「夏にはポップもお父さんかー。こりゃ頑張らなきゃね」
「…………ん。」
しゃんとしなさい、男でしょ!マァムがポップの背中を叩きながら発破をかけたが、ポップは複雑な顔で忍び笑いをしているだけだった。
「やー、実感ないしさ……ほんとにこれでよかったのかなぁって思うし……
俺が好きなのはマァムなのに……メルルは嫌じゃなかったのかなぁ……」
うじうじうじうじとテーブルに突っ伏したまま、ポップが言っても仕方のない事ばかりを繰り返す。
ああもうなんて根性の無い男なんだろ、鬱陶しい。内心イライラしたが、優しい彼らしい愚痴にほんのちょっとホッとする。
「メルルが望んだ事よ。あんたが決めた事よ。あたしが納得した事よ。
メルルの忘れ形見、託されたんだから……しっかりしてよ!残り五年、メルルが天に召されるまで泣き言いわないって誓ったんじゃないの!?」
メルルは死に至る病気を患っている。様々な医者に掛かったが、確立された治療法もなく、残された命の年数しか分からなかった。
ポップは命をかけた戦友の病に対する自分の無力を嘆き悲しみ、何とか力になりたいと言った時に、彼女は仲間が全員の集まるテランの謁見広間で彼に告白した。
私のこの未来を見る能力を残せるように、ポップさんの子供が欲しいです。
それは大層衝撃的な告白であったが、彼は男を見せ、浅く頷き承諾した。
「当たり前だろ、メルルにこんなこと言えるわけねーじゃん。……おれがヘタるのはお前の前だけさ……」
沈んだ声で甘えごとを吐く彼にマァムは一層ムカムカしたが、彼を叱ったり怒ったりするのは違うような気がした。
「お前の前で格好付けるのはもうやめたんだよ、どうせ上手くいかねぇんだから。
弱くてヘタレでダメで……ごめんよ」
彼の顔を捕まえ、まぶたを親指で軽く抑える。
「泣かないで。涙見たら殴りそう。
久しぶりに帰ってきたんだから、そんな、あたしに弱いとこばっかり見せないでよ。
弱くてダメなあんたも許してあげるけど、やっぱり強がって意地張ってるポップの方が、ちょっと好き」
それで、メルルは意地張って強がってる彼ばかり見ていてて、弱音吐いてヘタってるポップの方がちょっと好きなんだろうな、とマァムは思った。
「……ごめん」
「あたしあんたのママじゃないわ。
メルルだってあんたの子供じゃないのよ。
だから、そんな……どっちと会ってても苦しいみたいな顔しないで」
自分の言ってることもきっとわがままだ、メルルと同じように。こんな時にダイが居てくれたらきっとポップだって今みたいに辛くないのに。ダイが、ダイが居てくれたら――――――
そこまで考えて、マァムははっとした。
ポップは寂しいのだ。
ダイでしか塞げない穴を抱えていてて、ずっとずっと、寂しいのだ。自分でもメルルでもアバン先生にもマトリフおじさんにも塞げない、穴。心に穴がぽっかり開いている。
――――――嫉妬するわ、ダイ。
「ねぇ……ポップ……あたしと子供、作る?」
彼はその言葉を聞いて、身体を大きく振るわせた。死の呪文のように聞こえたから。
「お、おめぇな!こーゆーときに、そんなことゆうなよ!
これ以上俺がダメになったらどーすんだ、ただでさえ、もう、いっぱいいっぱいなのに!」
心が崩れている時、人間は弱い。
大魔王を倒した男でさえ、こんな風に意図も容易く揺らいでしまう。
彼女は力ずくで自分の手から逃げ出す彼の後姿を見て、メルルも彼がここへ帰ってゆくときに……こんな風に見えるのかしら、と天井を仰いだ。
涙がこぼれそうになったから。