雨が降る。 
 地に冷たい雨が注がれる。 
 風が吹く。 
 草原を駆ける風が抜ける。 
 雪が降る。 
 倒れた樹木にも皆平等に。 
 日が昇る。 
 人の営みを司る光の女神。 
 毎日、毎日、変わりなく、全ての事象は時間というモンスターに襲われる。 
 全ての人間が平等に、それに浸食され、過去を少しずつ失ってゆく。 
 英雄の冒険譚が神格化された伝説になることすら止める事は出来ない。 
 人は老い、物は壊れ、永遠というものがないことを知る。 
 だが消え去る事を恐れてはならない。失われるものを嘆いてはならない。 
 そんなことをしていては目の前に萌えいずる若葉を見失い、一番素晴らしいものに気付けない。 
 さあ目を開け、足を前に出せ、お前の手は動く。 
 例え鼻先に広がる闇が全てを覆っても、闇ある限り必ず光もある。 
 伝説の中の勇者がたった一人と一匹の仲間を連れて大海原に漕ぎ出したように。 
 雑念を振り払え若き勇者。 
 今こそお前の未来を切り開く時だ。 
 
 「――――――今こそお前の未来を切り開く時……か。」 
 少年はロマンチックでセンチメンタルな言葉の並ぶ本を力なく閉じ、同じように目を瞑る。 
 「おれに未来なんてねぇよ、この先進んだって光もねぇ。……あるのは憂鬱でクソッタレなひどいメロウだけさ」 
 母さん…おれは行くよ、クソ親父を連れて母さんの時代から続く反吐の塊みてぇな物語に終止符を打ちに行くんだ。二人の女を捨てて自分だけの人生を勝手に謳歌してやがるあのクソッタレを殴りに行くんだ。 
 「……母さん、あんたの愛して止まなかった男を殴る息子を許してくれるかい?」 
 
 ポップという男が地上から消えて、15年の月日が流れていた。  
 
 
 
 自分の蔵書に埋もれて術の解説書に辞書とノートを片手にかじりついている少年に向って、マトリフは静かに切り出す。 
 「リュウ、外道にゃなんにもねぇ。禁呪はずっと昔にオレが全部さらったがアバンを助けられるようなもん一欠けらだって無かった。外道ってのはおまえみてぇなガキが覗いて済むような世界じゃねぇんだよ。」 
 その気配に初めから気付いていたのか、少年はちょっと解説書から目線を外して彼を一瞥しただけで何も言葉を発しなかった。その様子が予想済みかのように固い表情を全く変えずにマトリフはもう一度言った。 
 「いいかリュウ、おめぇは平和の使徒として生まれた時から正義の金看板背負ってんだ。アバンやダイ、おめえのクソ親父がやっとの思いで手に入れたもんを軽々しく扱うな。だいたい平和を求める奴が外道で手に入れた力で勇者様を救っていいと思ってんのか?」 
 鋭い眼光で睨まれた少年はそれでも体勢を変えようとはせずに、ただ口の端を持ち上げて笑った。 
 「……やだねぇ師匠、この臆病者がそんなおっかねー魔法に手ぇ出すワケねーじゃん。そろそろモウロクかい?」 
 クソ親父と一緒でおれは腰抜け野郎なのさ。少年は言いながら本を閉じてノートを隠すようにカバンの中に手早く仕舞った。その様子を咎めようともせずにマトリフは続ける。 
 「お前のクソ親父もたいがいの天才だったが、お前さんはその上を行く頭を持ってる。未来を見通す能力だってあるんだ、そんなものを軽々しく扱うことの恐ろしさなんか言われなくても分かるだろう?」 
 “禁呪”とラベリングされているケースに解説書を収め、棚に戻す少年は少しの間身動きを止めたが、まるで意に介さぬといった風に身支度を済ませた。 
 「へいへい、分かってるよ、師匠。今日はフライの誕生日なんだ、目出度い日にお説教は無粋だぜ」 
 身体の側をすり抜けながらリュウと呼ばれた少年が部屋の外に身を躍らせる。 
 「お前はおれと違って親や兄弟、仲間だって大勢居るんだ。そいつらに泣かれるなよ」 
 捨て台詞のようなそっけなさで彼の背中にそれだけ言うと、背中越しに少年が手を振る。 
 「心配ねぇって。おれも女は泣かさねぇ主義だから」 
 「――――――クソガキ、そういう奴が一番泣かすんだよ」  
 
 
 
 「まさかあんたの誕生日に逝く羽目になるとはねぇ。あたしもヤキが回ったものだわ」 
 ぐったりとベッドに横たわる彼女を見つめる8人分の目玉は、彼女の挙動の全てを記憶するかのように一つたりとも微動だにしない。 
 「ごめんなさいね、フライ。あたしいいお母さんじゃなかった……心配ばかりかけたわね」 
 そんなことない母さん、あたしはずっと幸せだった。毎日毎日、とても幸せだったわ。彼女の手を握りながら、14・5歳の彼女に良く似た女の子がぽろぽろと涙を流しながらそう言う。 
 「アンナ、あなたが一人目だったわ。ポップがリンガイアの森で出会った時にはまだほんの小さな子供だったのに……今、もう赤ちゃんが居るなんて不思議ね。影に日向によく支えてくれたわ。」 
 「いいえ母さん、私こそ母さんに勇気を貰ったわ。ポップには、優しさを。」 
 「ロラン、フラン。あなた達兄弟はロモスの北西の泉で倒れていたのをポップと二人で見つけた。正直二人とももうダメだと思ったけどこんなに元気に育ってくれて……あたしの誇りよ」 
 「母さん…おれ…ポップみたいな素晴らしい魔法使いに、きっとなるよ。約束する」 
 「おれは魔法は使えないけど、たくさん勉強して王宮に採り上げてもらえるような学者に。必ず」 
 「エレノア、あなたがここに来たのは4歳の時だったわね。今でも覚えてるわ。嵐の日にここのドアを叩いたのよ。あたしに武道を教えてください、強くなりたいのってね」 
 「ええ、ええそうよ母さん。父をモンスターに殺された復讐に狂ったあたしを毎日抱き締めていてくれたわ。だからあたし真人間に戻れたのよ」 
 「キュロス。あんたには本当に苦労させられた。ちっとも懐いてくれなくて、ポップが居なくなって荒れちゃってね……ごめんなさい、引き止められなくて……」 
 「いいんだ、いいんだよ母さん。おれ馬鹿だった……ひどい言葉をたくさん言ったね。今でも本当に後悔してる。一番辛かったのは母さんなのに……ごめん、母さんごめん……」 
 「……ステフ。ついにあなたはたった一日しかポップと一緒に居られなかったわ。やっぱり命がけででも引き止めるべきだったっていまだに後悔してるのよ……馬鹿ね、止められるわけないのに」 
 「……………………。」 
 青年は軽く頭を横に振り、目を閉じて母の張りのない手に口付けをする。 
 「リュウ……お前は本当に頭のいい子だわ。メルル母さんに似て本当に優しい子。一度だってあたしの手を煩わせた事はなかった。……本当はもっと甘えて欲しかったのよ」 
 「……おれも、マァム母さんに甘えたかった……けど、甘えたら、おれ、すんげえ甘ったれになりそうで怖かったんだ。……歯止め、利きそうもないから」  
 
 そしてゆっくりと全員を見渡し、彼女はゆっくりと切り出す。 
 「……ステフ。あなたは本当に剣の鍛錬を良く頑張ったわ。あたしの古い友人に剣の達人が居たけれどもまるで彼と見間違わんばかりよ。 
 フライ。エレノアと一緒に毎日武道の稽古に明け暮れて、そのうえ僧侶呪文までマスターしてしまった。大魔王と戦った頃のあたしよりきっと強いわ。 
 リュウ、あなた本物の天才よ。マトリフおじさんも認めるほどのね。ほとんど全ての魔法を会得している。……禁呪、も。」 
 名を呼ばれた三人はぎくりと固まり、沈黙。その様子を満足げに見回し、彼女は言う。 
 「でもお願い。魔界になんか行かないで。あそこはあたしの大切な人を全て飲み込んでいった地獄なの。もう、あそこにあたしの知ってる人が向うのは耐えられない。しかもそれがあたしの子供達なんてもっと許さないわ。 
 約束して頂戴、絶対に、行かないって。母さんの最後のお願いよ。……おねがい」 
 そう言う彼女の顔は微笑んでいた。まるで言ったって仕方が無いことを悟っているかのように。 
 三人はそれに応えるかのように同時に浅く頷く。その様子に彼女は諦めたように笑った。 
 「フフ…嘘つきの顔が並んでるわ。 
 帰って来るって言ったポップと同じ顔をしてる。……行くんでしょ、どうせ。 
 いいわ、好きになさい。もう引き止めて後悔するのは止めにする。思う限りやってらっしゃい。でも……必ず戻ってきて。それだけは嘘を付かないで。お願いよ」 
 そう言うと、深くため息を付くように深呼吸をした彼女は目を閉じた。 
 「彼達に……ダイやレオナ、ヒュンケル、クロコダイン、ラーハルトに会えたら伝えて頂戴。最後まで待てなくてごめんなさいって。 
 ――――――もし、彼に……ポップに会うことがあったら……思い切り頬を叩いて、嘘つき、って言ってやって。 
 それから――――――――――――」 
 微かに唇が動き、声なき声が引きつるようにして途切れ途切れになって、彼女は動かなくなった。 
 誰も声を上げては泣かなかった。誰も何も言わなかった。 
 8人は沈痛な面持ちで一人一人胸の前で十字を切り、祈りの言葉を思った。 
 “いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う彼の人にあれ”  
 
 
 
 ……そうか、逝ったか。くだらねぇジジイばかりが残って、若い連中は皆逝っちまう。長生きなんざするもんじゃねぇ。マトリフはそう言って全くくだらねぇ、ともう一度苦々しげに吐き捨てた。 
 「約束どおり、母さんの葬儀が済み次第おれ達はデルムリン島の魔窟を通って魔界へ行く。」 
 「……師匠の言うことも聞けねぇバカは破門だ。もう二度とこの洞窟に足を踏み込む事はゆるさねぇ」 
 ずるずると重い足取りを引きずって、マトリフが宝箱に掛かってある布を取り去った。 
 「餞別にくれてやる。お前ら三人分の装備だ。この地上で考えうる限り最高の素材を使ってある。マジックアイテムもオレとアバンが趣向を凝らしたモンばっかりだ」 
 深々と三人は頭を下げ、流れる涙を彼に気付かれぬようにさっと拭った。 
 「ケツの青いクソガキ共だが、オレのトコに最初に来た時のお前らのクソ親父よかマシに育てたつもりだ。 
 オレがもうちっとシャンとしてたらぶん殴ってでも止めるんだがな……さぁオレの気が変わらぬうちにとっとと出て行け。」 
 シッシ、とまるで犬でも追い払うかのように手を振り、マトリフはソファに横たわって目を閉じた。頭の中には様々な思い出が過ぎったが、彼は何も言わなかった。 
 三人は黙って部屋から出てゆき、ドアが閉まる。乾いた音がして後は耳が痛いほど静かになった。 
 「……待つのは嫌だ、性に合わねぇ。とっととケリをつけて帰って来いバカ弟子ども。  
 ――――――死ぬなよ」 
 呟いて目を開くと開いた宝箱の中に一通の書簡が見えた。それを拾い上げ広げる。 
 『今までどうもありがとう御座いました。アバン国王に直々に教えを請えたのも師匠のお陰です。言葉の不自由なわたくしに根気強く戦いの基礎を教えてくださって感謝しています。 
 わたくしは三人の中で長兄役をやっておりますが、おそらくメンタルが一番弱いのはわたくしでしょう。わたくしも一度ヒュンケル様にお会いしたかった。不死身の秘密を教えて頂きたかった。 
 必ず二人をこの命に代えても守り、全ての人を連れて戻ります。ですから、どうか我々が帰るまでご健在でおられます様に。ステフ』 
 文字を辿るマトリフの目尻からぽたりと雫が落ちる。 
 「……クソガキ、師匠を泣かすたぁ何事だ、おめえらなんか、破門だよクソッタレ」 
 マトリフは流れる涙を拭こうともせずに震える身体を押さえ込んだ。 
 何故平和になったこの時代に15や20の子供があんな場所に行かなきゃなんねぇんだよ、ええ、神様とやら。テメェの性根の悪さには反吐が出るぜ。まったく、クソッタレだ。  
 
 
 
 よう。クソガキ共、音には聞いたぜ。全く末恐ろしい奴らだよ。俺達がどんだけ苦労してここに立て篭もったと思ってやがるんだか。ふざけやがって。 
 玉座に構える大魔王のように、長い足を組んだままつまらなさそうに三人を見下ろしている男は数度頭を振りかぶって眠気を振り払う仕草をした。 
 「いやだいやだ、どんどん正気に立ち戻る時間が減っていく。俺の魔力もここまでかね」 
 男は黄金色のマントを持ち上げて肘掛に腕を置き、固まったまま動かない三人の少年少女を一瞥して笑った。 
 「どうした、この身体が恐ろしいか?無理もねぇ、こんな醜悪な生き物は地上にも魔界にも居ねぇからな。これが本物のキメラってやつだよ。サラマンダーと大魔神、サタンパピーとアークマージがそれぞれ半身に混ざっている」 
 玉座の近くにある5つの墓を見、リュウはプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも気丈に叫び声を上げた。 
 「何故勇者の仲間であるお前が魔道に身を堕とした?答えろ!」 
 「……そうだな、勇者様を守るためってとこかな。……正確にゃ、死体を。」 
 魔界の連中は行儀が悪くてよ、死肉を食えばそいつの力が宿るなんて野蛮な迷信が残ってるんだ。やだねぇ教育のなってない奴らは。男は軽薄な口調を崩したりは決してしない。 
 「姫は、レオナ姫はどうしたのよ!一緒に行ったんでしょう!?何故命に代えても守らなかったの!」 
 リュウの威勢に心を奮い立たせ、フライが雷鳴の杖を強く握り締めながら震える声で叫ぶ。 
 「おやお嬢ちゃん、えらく可愛らしい顔をしてるな。……俺の初恋の女に瓜二つだ。いい女になるぜ、お前さん」 
 あっはっはっは、と片手で顔を覆いながら大笑いする男を三人は睨みつける。笑っている男から発せられている重圧のなんとすさまじい事か。全身から汗が吹き出て止まらない。 
 「姫さんはダイに会う前に死んだ。いい女だったのにもったいねえ。 
 ダイは……勇者様は出合ったときには昏睡状態だった。ベホマもザオリクも効果がねぇ。あの時ほどドラゴニックオーラを怨んだこたぁねぇな。 
 でも我らの勇者様はやってくれたぜ。もうここには大魔王も魔竜王もいねぇ。地獄は平和そのものさ。 
 で、お前達は一体何をしにここへ来たんだ?もうここには何もねぇよ。人間の居る場所じゃねぇ、とっととママの所へお帰り。」  
 
 そのセリフが一斉に彼らの呪縛を解き放った。三人が流れるような連携で男に襲い掛かる。 
 「ベギラゴン!」 
 「バギクロス!」 
 極大呪文同士が互いに干渉し合い、真空の刃を携えた熱線の巨大な火柱が玉座から立ち上がり数歩前に歩み出た男を包み込む! 
 「この俺を舐めるなよ若造ども!」 
 たったそれだけの気合で男は真空の刃を押さえ込み、熱線をかき消した。しかしその真後ろには白銀の矢のように隼の剣を構えた男が突っ込んできている。 
 「甘いなクソガキ、遅ぇよ」 
 ばきいん、ということさら鋭い金属の爆ぜる音がしてステフの身が凍る。 
 「人間の頃は確かに弱かったが、今はこの魔界で最強のキメラなんだぜ?スピード重視の隼の剣如きで貫ける訳ねぇだろ、もっと考えろよ。腰の雷神の剣はお飾りか?出し惜しみして死んじゃあ意味ねぇだろがボケ」 
 ぎりりと腹にめり込む男の拳がもう一度インパクトを生んだ。接触状態のまま振りぬいてステフを身体ごと投げ飛ばしたのだ。 
 げほげほと咳き込むステフに慌てて駆け寄ったフライが即ベホマを唱えると、全く戦意を喪失していないステフは少しだけ頭を下げて自分の位置に立ち戻った。 
 「……ほぉ、お前言葉がないのか。通りで嫌に無口だと思った。――――――そういや、お前らと同じくらいにゃ成長してるかな。俺の子供にも一人言葉のない奴がいてなぁ……あいつぁ…ちゃんと生きてるのかねぇ」 
 くっくっくっく、と忍び笑いを漏らして男はまた玉座に腰掛けた。 
 「お前らは討伐隊というわけか。地上で俺はなんと呼ばれてるんだ?わははは、愉快だなこりゃ」 
 魔王だ、大魔道王と呼ばせよう、あっはっはっは、混沌の大魔道王がいい、男は声を上げて本当に楽しそうに笑った。 
 「地上で、あんたの名前は大魔道士ポップという。その昔世界を救った勇者の使徒だ。いまだに語り草さ、平民の出から素晴らしい功績を立てたとランカークス王国では英雄になっている。」 
 リュウの言葉を聞き、一瞬きょとんとしてまた男は大笑いをする。今度はさっきよりもずっと長く。 
 「わははははは!こりゃあいい、あの田舎村が今じゃ王国になってやがるのか、すげぇな、刻の流れを感じるよ!ぎゃっはっはっは、親父や母さんもさぞいい暮らしをしていることだろうな」  
 
 「お婆さんもお爺さんも、お前が地上を出てったその日に死んだのよ。可哀想に、孫にも会えずにさ、さぞショックだったんだろうねぇ。親不孝な子供を持ってまったく心の底から同情する。」 
 「………………なん…だと」 
 「ばあちゃんは心臓発作で死んで、じいちゃんが毒を煽ったそうだ。ひどい話だぜ」 
 「……婆さん、じいちゃ…」 
 目を大きく開き、男はぶるぶると震えだした。 
 「そうだ。おれの名前はリュウ、という。強く純粋で誰からも尊敬されたドラゴンの騎士さまにあやかって付けられた。悪かったな、平和でも愛されもしない愛想のない名で」 
 「あたしの名前はフライ。こっちはステフ。どっちも父にあやかって付けたと母さんから聞いた。 
 父親の名前は、ポップという。」 
 「……ばかな……そんな、バカな……」 
 「バカはお前だ。マァム母さんは死んだぜ、つい3ヶ月前の事だ。病名は心労。お前が殺したんだよクソ野郎!」 
 両手にイオラの魔法力を溜め、セリフから一呼吸も置かぬうちにそれを男に向って開放する。スパークする電流カーテンの向こう側で、全くの無防備だった男の身体が蠢いた。 
 「いける!あいつは動揺してるわ、身体のモンスターを引き剥がしさえすれば何とかなるよ!」 
 「ばかやろ、よく目を凝らせ!サラマンダーの身体が電撃を吸収してる!お前の雷鳴の杖は封じられたな」 
 「……くッ…やっぱダメージは打撃とヒャド系と真空だけか……あのマクロベータのおっさんの言う通りおそらく補助系も効かな……と、大魔王には元から効かないか」 
 「逃げろ!」 
 軽口を叩くフライを突き飛ばし、そのセリフを合図にしたように三人の居た場所に音がする前に大きな穴があく。 
 「ベタン!?……キャアアアア!」 
 声を上げたフライは足をバタつかせてその場から逃げられない!それを庇うようにステフがフライの身体と地面の間に滑り込んだ。 
 「……くっくっくっく……そうか、お前ら、俺の子供か…… 
 どおりで俺の女どもの面影があると思ったよ。そうか、お前、あの時パプニカで拾った子か……そうか、そうか……生きてやがったのかよ……くっくっくっく……こりゃあ、笑えるなァ」 
 あっはっはっはっは。清々しいような笑い顔で男―――ポップ―――は天井を仰いだ。 
 マァムが死んだ、死んだのか、あいつ、あれほど待ってろと言ったのに、先に逝ったか!  
 
 ぼろぼろと涙を流しながら、ポップが一人だけ地に立つリュウに視線を向ける。 
 「お前らはお母さんの無念を晴らしに来た訳だ。泣かすねぇ、実に泣かせる。俺はこういう話に弱いんだよ。お人よしなもんだからさ!」 
 ひっひっひっひっひ、まるでしゃくり上げるかのような引きつり笑いを押さえもせずにポップが笑い転げる。その様子にリュウの視線はより一層きつく鋭くなった。 
 「俺は待ってろと言った、待ってろと、必ず帰る、ダイを連れて必ず帰ると……言ったじゃねえかマァム!何故俺を置いていった!なんて女だ!俺はどこへ帰ればいいんだよ!俺が……帰る場所がねぇだろうが!!」 
 「うるさいなクソ野郎、黙れよ。元々おまえの帰って来る場所なんか地上と共に母さん達を捨てたその瞬間からもうどこにもねぇ。愚かな魔法使い、その場で一人朽ち果てるがいい」 
 右手にメラ、左手にヒャド。両方の魔力を平等にバランスよく活性化させ、合わせる。大丈夫だ、俺は天才だ、出来る、一発勝負だ……落ち着け、落ち着け…… 
 リュウは何度も深呼吸をして両手を合わせた。光のアーチェリーが出来上がる。 
 「……ヒュウ、素晴らしい。おめぇメルルの子だろ?よくもまぁそこまで極めたものだ、感心した。どこでその呪文を手に入れた?」 
 「バルジ塔の対岸洞窟の中のマトリフ師匠の書斎だ。お前が精度を増した術をベースにオリジナルスペルをアレンジしてある。マホカンタでは弾けないぞ」 
 これか賭けだ、一度外せばもうおれには打てない。相殺なんてマネは絶対にやらせない……引っかかれ、ハッタリ大魔道士! 
 リュウがどんどん膨れ上がってゆく光の弓を極限まで引き絞り、ポップの真正面から見得を切る。 
 「……ほぉ、そりゃあすげぇ。どんな魔法でも反射されちゃあお終いなのにそれを克服したのか。とんでもねぇガキだな、師匠はなんて言ってる?」 
 「アンタ以上の天才だと、そしてその才能でいつか滅びるだろうと。死にたくなければこの呪文は使うなと言われた」 
 「……俺と死ぬ気か?」 
 「へっお前と心中なんてゴメン被るな。おれは生きるんだ。生きて、地上に帰る。母さんに怒られるのが怖くて魔界でひねくれてるお前とは違う」  
 
 そうか。では全力で応えるとしよう。ポップはそう言ってマントを外した。隠れていたモンスターの肉体が凶悪にひしめき合っている。 
 「お前はラッキーだったな、この身体になって俺は人間の頃に使えていたほとんどの魔法を失ったが、たった一つだけ全く変わらぬ威力と効果で使える魔法がある。それがメドローアじゃなくて本当にラッキーだった。 
 俺が使えるのは、一番最初に師匠から譲り受けたベタンだけなんだよ。 
 ――――――でも知ってるか?人間ってのは一旦外から体勢を崩されると精神集中を持続できねぇんだ。これは生理学的に証明されているそうだぜ。 
 ……サテここで問題です、お前の身動きできない身体に重圧が一気に掛かった場合、その光の矢はどうなるでしょう。1、消滅する。2、減退する。3、暴走する。 
 ピッピッピッ、ブー。正解は3番。 
 お前一人が消える。」 
 ベタンの呪文が発動する直前に呪文を解けば助かるだろうが、見たところお前そんなに魔法力が残ってねぇから二発目は撃てない……チェックメイトだ。お前らの負けだよ。 
 ポップがにやりと笑って魔法力を片手に集める。 
 「命乞いをするか?俺はお人よしだ、まだ正気が残ってるうちだったら逃がしてやれる。さぁ、どうするかね現役世界一。」 
 「……すると思うか?お前の血が混じってるんだぜ、意地っ張りでプライドのバカ高い自信家の血が」 
 「する。師匠に言われなかったか?魔法使いはパーティの露払いなんだ。自分勝手なセンチメンタルで全員を危険に晒すような真似は教わってねぇはずだからな」 
 ぶつん、とリュウの中で何かが途切れた。一気に両手の魔力がスパークする。 
 「今そのムカつく鼻っ柱をへし折ってやらぁ!!」 
 「くっくっくっく、クールに、クールにな、ボク。そんなに顔真っ赤にしてちゃ地上のドラゴンでさえ倒せねぇよ」 
 「うるせぇ!!……くたばれ腰抜け魔法使い!!」 
 「フン…バカが。」 
 そうポップが呟いた次の瞬間。  
 
 背中に何かをぶつけられた。二回、三回。軽い衝撃が続く。 
 「……嬢ちゃん、兄ちゃん、そんなショボい攻撃しかねぇのか?つまんねぇことせずにおとなしく隠れて……な」 
 「引っかかった!やっちゃえリュウ!!」 
 がくん、と身体の動きが急激に鈍る。ここではじめてポップは焦った。 
 「なっ!?なんだこれは!!」 
 振り返るポップ、その瞬間をリュウは見逃しはしなかった。 
 「メドローア!!」 
 ドォオオン!重苦しい魔法の発動する音に弾かれて顔を元に戻すポップ。目の前に迫る光の矢。しかし身動きが取れない。 
 ステフとフライが背中に投げつけて飛びのいた物、それはまだら蜘蛛糸だった。蜘蛛糸の玉はまるで生きているかのようにポップの身体に巻きつき、もがけばもがくほど絡まりつく! 
 「し、しまった……クソ、くそったれぇええ!!」 
 光の矢が彼を飲み込む。 
 大魔道士、ポップを飲み込む。 
 腐った血の色をした赤黒いアークマージの法衣から放たれるマホカンタの光の壁がギラリと光った。 
 ギィン! 
 「なっなにぃ!?」 
 そう声を上げたのはポップ本人だった。確かに魔法力が弾かれる音がし、衝撃が体中を駆け巡ったのだ。 
 「リュウ逃げてえーーー!!」 
 少女のカナリキ声が広間に響き渡り、いち早く茫然自失の状態から抜け出したポップが遠ざかってゆく光の矢を見ていた。 
 「……あのクソガキ…なんて根性だ……こんな状況でハッタリかましてやがった…っ!!!」 
 オリジナルスペルだと、笑わせやがって。そうだ、有り得るはずがねぇ、そんなことは魔法物理上ありえねぇ、ちくしょう、こんな初歩の初歩でこの俺が騙されるとはな、敵ながら天晴れだぜ。 
 どおおおおおん!大広間の壁を、ドアを、窓を光の矢がまるで熱されたナイフがバターでも切るように楽々とえぐって突き進んでゆく。  
 
 魔法エネルギーを全て弾くように構成されているマホカンタに弾けない魔法は存在しない。マホカンタを素通りするならそれは呪文ではない。だがスペルで力場を作れるのは呪文でしかありえない。 
 たった数秒の間に目まぐるしく思い描いた魔法理論方程式の大前提、魔法とはエネルギーそのものであるという言葉をポップは数十回口の中で唱えていた。 
 つまりあいつは「呪文ではありえない呪文を作った」とハッタリをかましたんだ!チクショウ、ウカレてノっちまったぜ……嘘は規模がでかいほど騙されやすいか……師匠の言うこたぁ万に一つも無駄がねえ!! 
 「……は、は、ははは…はははははははは!! 
 残念だったな息子ォ!この身体に埋め込まれているモンスターは自分の身体を守ろうと勝手に動くんだよ!勝手に、勝手に動…動くんだよ……だから地上に帰れねぇ…誰も近くに寄れねぇんだ…よ、クソが」 
 がっくりと膝を折り、その場に力なくうな垂れたポップの右斜め前から鋭く雷神の剣が切り込んでくる。耳元で空間を切り裂くようなほどのスピードで刃が唸った。すばやく身体を逸らし、人間ではありえない跳躍力でポップはステフから間合いを取る。 
 「ハァッハァッ…あ、あぶねぇ…っ…… 
 さっき腹を殴った事を根に持ってんのか?案外恨みがましいんだな……ステフとか言ったっけ…? 
 …嬢ちゃん、あんた策士だねぇ……まだら蜘蛛糸といいさっきのベタンに引っかかったフリといい……とても俺とマァムの子とは思えねぇ。なんて頭の回転が速ぇんだ…この俺が恐怖すら感じるぜ」 
 「ありがとう。あんたにそう言ってもらえると自信がつくわ」 
 雷鳴の杖を構え、冷静にこちらを睨んでいる少女は一片たりとも隙を見せない。 
 「だがどうする?もうお前らの切り札はドアと一緒に消えちまったぜ。お前ら二人でこの俺を倒せるとは到底思えないがね。それとも命乞いをするか?嬢ちゃんはかわいい娘だ、クソ息子よりは優遇してやるよ」 
 じりじりと迫るポップからフライを庇うようにステフが一歩前に踏み出る。 
 「くっくっくっく、お前、嬢ちゃんが好きなんだろ? 
 いいねぇ青春だ。俺にもそんな頃があったよ。マァムの為に命張って何度も死にかけた……懐かしいねぇ」 
 でもダメだ、お前に娘はやらん。ポップの冷たいセリフと共に彼の身体から頭を出しているサラマンダーがその口から炎を噴き出した!  
 
 「フバーハ!!」 
 パキイイインと、薄く大きな氷が割れるような高い音がしてフライとステフの目の前に光の壁が張り巡らされる! 
 「……ワオ、お前さん僧侶かい?まさかそんな高等呪文まで使いこなすたぁ……侮れねぇ、実に侮れねぇなァ俺の子供は」 
 「あたしは武道家僧侶。母さんと同じくね。 
 それに勘違いしてもらっちゃ困るけど、あたしがステフを好きなの。」 
 だから彼は誰に許しを請う必要もないわ。当然アンタにだってね。気丈にも自分を睨みつけながらそう軽口を叩く少女に、ポップはくっくと笑った。 
 「やだね、俺は戦士って職業がどーも好かねぇんだ。昔の恋敵と同じなもんだから」 
 口の端を持ち上げた時、部屋の隅でがたん、と音がした。全員が一斉にそちらを振り向くと、法衣のぼろぼろになったリュウが荒い息を吐きながらずるずると這うようにこちらに向っていた。 
 「リュウ!!」 
 いち早く駆け出したフライがあっという間に彼の元に駆けつけ、ベホマを唱えようとするが、彼に制された。 
 「無駄だ、もう俺には魔法力がない。戦闘不能者に…無駄な魔法を使うな」 
 ぼそぼそとかすれる声で声を絞り出す少年の前に庇い立てするようにステフが立ちはだかる。 
 「よくぞあの至近距離からかわしたな、さすがに驚いた。そんな芸当が出来る奴ぁ先生だけかと思ってた。……ま、先生は人間二人を抱えて逃げたんだけどな」 
 「…ア…アバン先生が…二人もかかえて…?………ったく、あの人ホントに人間かよ……」 
 ゆっくり歩み寄るポップにぎっと鋭い視線を投げかけ、リュウが二人を遠くに離れさせる。 
 「同感だ。特別製にしても度が過ぎる。俺も常々疑ってた」 
 ずるずると身体を起き上がらせて少年は必死の形相で立ち上がる。 
 「殺せ……もう魔法力は空っぽ…メラの一発も撃てねぇ……クソッタレ、自動魔法防御だと……面白おかしい機能付けてんじゃねぇっつーんだよ」 
 ひひひひひ、と引きつった笑い声でポップが身体を振るわせた。 
 「望み通りにしてやろう、どの呪文で殺されたい?メラゾーマか?マヒャドか?お前のハッタリは素晴らしかった。最高の呪文であの世に逝かせてやる」  
 
 そうだな、願わくばメドローアと言いたい所だがそれも叶わないみたいだし、オマカセするよ。 
 少年が不敵な笑みを零して精一杯の強気を見せたが、それが数秒後に砕け散る事になる。 
 「分かった、望みをかなえてやろう」 
 ポップの両手が輝きながら燃えた。 
 「……なっ!?な、何故!?」 
 「ハッタリってのはこうやってやるもんだ。……なんてね、アークマージがほとんどの魔法を使えることは知ってるだろう? 
 こいつの力を使えば……こんな芸当だって可能なのさ」 
 光の矢が、生まれる。 
 「ただアークマージの魔法力は人間の時に比べると出力のコントロールが難しい。とても実践じゃ使えねぇ。それに反発もあってか理由は不明だが本来効果が持続する魔法も消えちまう。魔法力が回らなくなるのかね?どう思う天才クン。 
 ……だいたい規模も小さくてカッチョ悪いし、ホントはあんま出したくねぇんだけど…まぁいい、大サービスだ」 
 リュウの生み出したメドローアの三分の一にも満たない小さな魔法の弓矢が的を狙う。 
 「心配するな、規模は小さくても確実にお前の身体の半分をえぐってくれる。……即死だ。痛みも感じんだろ、有難く思え」 
 引き絞られる魔法の弓。光り輝くエネルギーのカタマリ。 
 「どこがいい?胸か?頭か?好きなところをリクエストしな」 
 「……じゃあ、胸で……頼むわ、しっかり狙えよ」 
 ぎりっと遠く離れるステフやフライにもリュウのかみ締める歯の音が聞こえた。そしてその後平静な声のリュウが言った。 
 「フライ、ステフを今のうちに全快にしておけ。 
 ステフ、俺が撃たれたら即人間部分の首を刎ねろ。恐らく身体を統合しているのは人間の頭の部分だ。キレイに切れ、失敗するな」 
 「舐めるなよクソガキャアアアア!!」 
 二人の距離は5メートル。 
 「消し飛べェ!」 
 最後のチャンス。 
 「メドローア!!」 
 神様、お願い、最後の、お願い。 
 バッシュウゥーーッ!! 
 光の矢に向ってリュウが踏み込む! 
 「死に急ぐかバカ息子!あばよクソ野郎!」 
 「うるせえぇ腰抜け魔法使い!!跳ね返れメドローア!!」 
 「………な…なあっ!?」 
 ギィン!!  
 
 「……な、な……何故……!」 
 「はぁっ……ハァッ…ハァッ………く、クールに…クールにな、魔法使い」 
 二人がその言葉を交わした次の瞬間、既に行動を起こしていたステフが雷神の剣でポップの首を刎ねる! 
 …ド ン ッ ! 
 短く鈍い音と共にスローモーションのごとくゆっくりとポップの首が床に転がった。 
 それを待ち受けていたフライが両手に翳した魔法力を注ぎ込む! 
 「ザオリク!」 
 呪文を唱えた本人も、目を疑うような光景がその場に展開された。ポップの生首はまばゆい光の中で急激に細胞分裂を起こし、影も形もなかった身体がどんどん再生されてゆくのだ。 
 「……すごい…蛙の実験の時と…同じ…」 
 光が全て治まった頃には、完全に人間の形になっているポップの身体が現れた。ステフはマントを外し、ポップの身体にかける。 
 「ほらな……お前、やっぱすげえよ……人間、しかも……生首を再生させちまったぜ…普通…30パーセントが欠損していたらザオリクでも生き返りゃしねーってのが定説なのに……はは、やっぱお前も天才の血を受け継いでんだよ……」 
 天才ついでに、ベホマ頼むわ。リュウがそう言って倒れこむので、とっさに身体を受けたフライはリュウの胸の上で粉々に爆ぜているオリハルコンの胸当てを取り損ねた。 
 がしゃん!金属が割れる音がして粉々になった胸当ての形が永遠に失われる。 
 「…よく保ってくれたわね。まったくひやひやしたわよ。心臓が止まるかと思ったわ」 
 師匠と先生が作ってくれたんだ。万に一つだって失敗しやしねぇさ……リュウは満足げにそう言ってふっと気を失った。 
 「……お疲れ様、リュウ……よくやってくれたわ。あたしたち兄弟の誇りよ、あんたは」 
 ステフはこくりと頷いてフライの頭を撫でた。 
 その大きな手がひどくゆっくり何度も何度も自分の頭を撫でてくれるので。フライはずっと我慢していた泣き声をあげた。 
 「うわぁあああ……こ、こわ、怖かったよぉぉぉォ……ステフ、あたし、あたし、怖かった、こわかったのぉー」 
 リュウの身体に顔を伏せるようにしてフライは泣き出した。ステフはそれを少しだけ困ったように抱き締めている。  
 
 
 「くっくっくっく…そうか…シャハルの鏡か。あの二人ならやりかねぇ…くっくっくっく」 
 横たわり動かないポップを三人が囲むようにして腰を落として見下ろしている。 
 「そう言えば話したことがあったな、シグマ戦のこと。すっかり忘れていた。 
 おれの身体を再生したのはどいつだ?ああ、嬢ちゃんか。無駄な事だ、どうせ俺の身体にはもう生命力など残っちゃねぇんだ。無理に復活させたところですぐに尽きる。 
 さてお前らは何を聞きたいんだ?それとも復讐か?……好きにするがいい」 
 ポップは相変わらず失笑気味の顔つきのまま喋っている。 
 「別に。ただ新しく覚えた魔法の実験台になってもらっただけよ。 
 それと……伝言をね。 
 マトリフ師匠からは“お前のようなバカな弟子にはたっぷり灸をすえてやるから先に地獄で待ってな”ってさ。 
 アバン様からは“済まない”って一言だけ。……泣いてたわよ、国王様」 
 少女の言葉に沈痛な面持ちになったポップはそうか、と一言だけ言ってごほごほと激しく咳き込んだ。 
 「じゃあ俺もお前さんに言っといてやる。何故30%以上欠損している生物にザオリクをかけてはいけないか。 
 細胞には各々寿命がある。それを活性化させることで新陳代謝を促して治癒を得るのが回復呪文というのは知ってるだろ? 
 だがザオリクやザオラルという復活呪文は違う。死んだ細胞そのものを活性化させるんだ。 
 だから細胞自体の絶対数が少ないと肉体が薄まったような状態になる。ちょうどジュースをコップ半分だけ入れて水を混ぜてのばした感じだ。それで復活させたって寿命が縮まるだけっだっていう理屈は理解できるだろ? 
 つまりそういうわけさ。分かったら他人にかける場合は気をつけるんだぜ。運が悪けりゃ生き返った次の瞬間に即死だ。わかったな」 
 ええ、分かったわ。フライは深く頷いた。 
 「それから、ステフといったな。お前のあの太刀筋は痺れたよ。もしかしたらアバンストラッシュよりもすげぇ技を習得できるかもしれん。鍛錬を怠るな。……一発で仕留めてくれて嬉しかったぜ」 
 目を閉じ、ステフは深くお辞儀をした。  
 
 「リュウだったっけ? 
 俺ァお前にやられて……しかも、あんな格好のいいやられ方…大満足だ……本当に……感謝している。お前の母さんには申し訳ないことをした。心からすまなかったと思っている。 
 もし墓前に手向ける言葉を許してもらえるなら、ポップがすまなかったと言っていたと伝えて……ああ、もう目が…仕方ねぇ、タイムリミットだ。 
 ……さて、マァムとメルルに怒鳴られてくるかね」 
 ポップが引きつる声でそう言って浅い呼吸を繰り返しているところに、今までじっと黙っていたリュウがぼそっと一言いった。 
 「お前なんかが母さん達の居る天国へいけるわけないだろ」 
 その言葉にポップは失笑し、ちげぇねえ、素直に地獄でハドラーと酒でも飲むかとため息を付いた。 
 「……マァム母さんの遺言だ“大嫌いなんて嘘よ”」 
 ポップはリュウの素っ気無いセリフににやりと薄く口の端を持ち上げ、呟くように一人ごちた。 
 「最高の呪文だ。まるで俺の全てを浄化しちまう。俺は偉大なる僧侶戦士の初めての男になれたことを誇りに思うよ」 
 安らかに笑い、ポップが閉じた目から止め処なく涙を流しながら震える言葉をやっとの事で搾り出す。 
 「さようなら世界最高の大魔道士、さようなら地上最低のクソ親父」 
 リュウはすっくりと立ち上がって見下すように言葉を吐きかけた。 
 「……なんだ、俺をクソ親父と認めてくれるのか……………………ありがとよ」 
 最後にそう呟いて、ポップは事切れた。実に静かにあっけなく動かなくなった。 
 「一発くらいなら回復したか……メラ!」 
 まるでそれを待っていたかのようにリュウはポップの身体に火を放ち、めらめらと紙くずのようによく燃えるその死体を見ていた。二人も何も言わなかった。 
 あっという間にケシ炭になったその身体は、まるで黒い土塊の様にぼろぼろと崩れて人の形を容易に失う。フライはその土くれを一掬いポケットに忍ばせて立ち上がった。 
 「……さて、魔王の宝箱でも拝見しましょう」 
 玉座の下にまるで隠すかのようにあった宝箱の中には、ポップが人間だった頃の衣服とアイテム、バンダナが丁寧に畳まれて収められていた。そして小さな銀の箱にはアバンのしるしが四つ、何かの魔法の武具の宝珠が二つ並んでいる。 
 「……帰ろう、あたし達の家に。母さんに報告しなくちゃ……ね。」  
 
 
 
 三人は魔界から地上へ帰ってすぐに取るものもとりあえずルーラを何度も唱え次ぎ、一直線で自分達の家にたった二日の間に帰り着いた。 
 ここにはもう誰も暮らしていない。三人が出てゆくときに、残りの家族はそれぞれ別々の場所で生活を送る事になったからだ。 
 「……やっと帰って来たわ…長かったように思うけど……三ヶ月のことなのね…永遠みたいな気がする……ね、父さん」 
 フライが、持っている黄色いバンダナにそう語りかけているのを横から見ていたリュウがすっとバンダナを取り上げた。 
 「なっ……リュウ!なにす」 
 ブチブヂブチッという鈍い布の裂ける音がして、バンダナはリュウの手の中で左右に分かれて真っ二つになった。 
 「ちょっとぉ!あんたなんてことするのよ!それはあの人のトレードマークで小さな時からずっと…」 
 カッといきり立ったフライはリュウがそれぞれの墓前に二つに分かれたバンダナを置き、膝を折って両手を組み合わせて深く祈る様子を見て、吐き出しかけた言葉を収めて同じように膝を折り、祈った。 
 「母さん、クソ親父がようやく帰ってきたよ……もう、二度とどこへも行かない……」 
 ステフは二人を唇を真一文字に結びながら見つめ、まるで黙祷のように目を閉じた。 
 
 
 ようやく終わった寂しい魂の追いかけ合いに打たれたピリオドは少し物悲しかったが、生きて彼らを知る者はため息をついて納得した。 
 そして連れ帰った三人の希望通り、本当の墓の場所も公表されずに人々に忘れられてゆく。 
 今、三人の眠る墓の上には優しい風が吹いている。日が昇り、雨が降り、星が瞬き、雪の積もる朽ち果てた家と共にゆっくり時間を経ている。 
 ほとんど誰も彼らの名を思い出さぬようになった頃、ネイル村に一つの言い伝えが生まれた。 
 林の向こうの崩れかけた小屋に、気楽そうな線の細い男と優しい目をした黒髪の女、少し怒りっぽい桃色の髪の女の幽霊が楽しそうに三人でベンチに座りながら談笑している、という他愛もないうわさが作った言い伝え。 
 そしてネイル村の母親は、自分が母からそう言われたように子供に言うのだ。 
 「幽霊の邪魔をしてはいけないよ、あそこはあの三人の魂の入れ物なんだからね」 
 
 『魂のいれもの』  おわり。  

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル