返して、あたしのポップを返して!ここであたしのこと無理やり抱いた、強引で優しい彼をあたしに返してよ!
返して、返して、あたしのポップを今すぐ返して。俯き、地面にかなりき声で涙と共に彼女が何度も叫びをぶつける。叩きつける。殴るように、叱るように、怒り狂いながら。
「もう、あの時の……お前の事だけ考えてたら世界だって救えると思ってた頭の悪いクソガキはもう居ねぇんだよ。今お前の目の前に居るのは、使徒も親父も魔道士もやめた単なるワガママなクズ野郎だ。
……すまん」
闇の中に広げられた言葉がマァムをどうしようもなく絶望させた。溢れる前に涙が流れる。止め処なく熱い雫が頬を伝う。
「謝らないで、アンタに、謝られる筋合いなんてないわ。
あたしに謝っていいのはポップだけよ。アンタなんか、知らない」
振るえる唇を無理やり動かして言えたのはそこまでだった。マァムはその場に全身の力を使い果たしたかのようにへたり込み、ぐったりと動かなくなった。
「……俺はこのまま行く。明日の朝には姫さん共々お前の大嫌いな男は消える。
だから、もう、泣かないでくれ。……地上で最後に見るのがマァムの泣き顔なんて……俺ぁ…たまんねぇよ……」
これ以上の傲慢もないものだ、と彼は自分のセリフの自分勝手さに大層辟易したが、ただ本心だけをつむいだ。最後に嘘を残して行くのが躊躇われたのだろうか。
「自分の子供を宿してるメルルのことより愛してるあたしを捨てていくの?
もう二度と戻れない場所に、居ないかもしれないダイを探しに行くの?
そんなのあたしに許せって言うの?
ポップが居ないあの家であたしに生きていけって言うの?
なんて身勝手、最低だわ、こんな男に惚れてたのかと思うと虫唾が走るわよ。
あたしアンタを一生許さない。
アンタなんか大嫌い。魔界でもどこでも行って勝手に野垂れ死ねばいいわ、その死体はきっと魔界の大烏がしかめっ面で啄ばんでくれるでしょうよ」
マァムが罵詈雑言を吐き捨てながら怒りで力漲った表情をして立ち上がり、ポップに口付けた。
「慈愛の使徒は今死んだ。ここに居るのは嫉妬と憎悪に駆られた鬼女よ。
お前の一番引き裂かれて苦しい脆い心を泥だらけの汚いブーツで踏み潰してあげる。
今ここであたしを抱きなさい。昔、恋焦がれた女を犯したみたいに日が昇るまで何度も抱きなさい。
今度は忘れてなんかやるもんか、一生、一生、お前の苦痛に歪む顔を肴にして毎晩舌なめずりしながら笑い声を上げてやる。気狂うお前の顔をいくらでも思いついて腹を抱えて転げてやる」
それは狂気ではなかった。
まごうことなき確かな正気。彼女の優しかった目はまるで鬼岩城の紋章のように吊りあがり、その口から出てくるのは聞くに堪えない汚言ばかり。しかしポップはそんな彼女から目を逸らしたりなどしなかったし、耳を塞ぐ事もなかった。
「分かった」
ただそれだけを言い、ジャケットに手を掛けてジッパーを下ろす。規則正しく動く手が月明かりに照らされて鈍く光っていた。
「さあ、好きにしてくれ。」
まるでこのまま殺せと言わんばかりに無防備な裸体を晒して彼が落ち着いた声で言った。その声が少しも震えたりしていなくて、それどころか今までマァムが聞いたどのセリフよりも優しい口調だったことが、さらに彼女をどん底へ叩き落す。
「……いい度胸ね、さすがは腐っても勇気の使徒サマだわ」
頬を叩き、その乾いた音が治まらぬうちに彼を地面に引き倒す。いかに大魔道士といえど肉体的には普通の人間と強度はそれほど変わらない。武道家たるマァムが懐に入れば、喉仏を砕かれて呪文も唱えぬまま死ぬだろう。
すげぇ、息を整えるヒマさえないな……おっそろしいスピードだ。
ずきずき軋む頭の痛みに耐えながらゆっくり目を開くと、虫けらでも見下すようなマァムがスカートを持ち上げ下着を引きちぎっている。
「そら、自分で性器を扱いて立てなさい」
冷たくそう彼女が言ったので、彼はそれに従い下半身に垂れるそれを握り、軽く上下に擦る。次第に硬度を増してゆくそれを冷めた目で見つめていた彼女は言う。
「ふん、よくもこんな状況で立てられるもんだわ」
まるで潤滑していないそこに自分の身体が埋まって行くのを、彼は痺れた頭で見ていた。無理に動く彼女が引きつった顔で自分を睨んでいる。すこしも楽しくなさそうに。
「ポップと暮らして5年、一度も子供が出来ないのは不妊薬を飲んでるからよ。ダイが居ないのにあたし達だけ幸福になっちゃいけないような気がしたから。
ダイが帰ってきたらポップにあたしからプロポーズするつもりだった。ふつつかな女ですけど、どうぞ末永くよろしくってね。フラれても良かったの、メルルの方が俺には必要だって言われたって良かった。
……ホントはそう言って欲しかった、彼女を、心から愛してるんだって、あたしじゃ太刀打ちできないって――――――でももういい。そんなセリフ聞いたら今すぐあんたを殺す」
彼女は身体の一点に集中する痛みを無視するかのごとくに身体を動かしている。彼の身体の上で弾んでいる。
「たくさん出してね、あの家に子供がまた一人増えるわ、その手に抱きたいでしょう?でもアンタは魔界へ行くのよね。
あははは、いい気味。お前になんか抱かしてやるもんか、あたしとポップの子供、抱かしてやるものか」
よほど堪えていたのか、大粒の涙がぼろっと大きな瞳から流れ出た。
「メルルは優しくて家庭的でいい子よ、あんないい子をフッてがさつですぐ暴力ふるうあたしなんかと一緒に暮らして、アンタ馬鹿じゃない?
恥ずかしくないの、子供だって居るのに一度でもメルルの家に泊まった事ないじゃない。メルルと寝た日だって夜中に帰ってきてたわよね、知ってるの、全部、知ってる。
なんて男だろうって思ったわ、こんなひどい男が帰ってきて嬉しかったもっとひどい女の方が好きだって言うんだから気が狂ってんじゃないかしら」
胸に涙が降る。しとしとと涙が途切れることなく降っている。
自分と彼女の胸に降る暖かい雫を見つめながら、ポップはぼんやりマァムの声を聞いている。これはきっと彼女の懺悔なのだと思うから。
偽悪的に次々と繰り出す言葉の端々にある自分を引きとめようとしている感情が透けて見えても、心を落ち着けて彼はじっと耐えている。
二回目の最後のセックスは、一回目とは逆に強烈なレイプであった。彼はマァムに犯され、日が昇るまで実に七度絶頂に至った。
日が昇る。山の稜線が輝いている。
「……帰って来る、マァムの元に、ダイを連れて、必ず、戻ってくる」
「……………………」
服を正し、背中越しにそんな言葉を掛ける。彼女は動かない。虚ろな目をしてぐったりと岩に腰掛けているだけだ。
「……アンタを信じたっていつもろくな事がない……」
ぼそぼそとかすれる声で聞き取れないような独り言を口の中で言うマァムはゆっくり目を閉じた。
「俺……“おれ”、マァムのことが好きだ。大好きだ。愛してる。他の誰より、愛してる。
この五年間ほんとに幸せだった。お前と暮らせて、幸せだった。毎日お前の元に居ればよかった。一日だって離れないで居ればよかった……
帰ってきたら……きっと毎日べったり鬱陶しいほどお前の隣に居るよ」
「……どうせ帰ってこないくせに……」
「――――――――――――メルルに言付けを。
悪い男で済まなかった、子供をよろしく頼む。名前は好きに付けてやってくれ……平和を喜び、人を愛する優しい名前を。……愛してる」
彼は言い終わるとふわり宙に浮かび、二度と振り返ることなく疾風のように朝日の中に消えた。
「……最初からそう言いなさいよ、馬鹿」
言葉が唇の外に出た途端、マァムは声を上げて泣いた。
息を吸い込み思い切り声をあげてしゃくり上げる息が途切れて呼吸が出来なくても。
どうしてあたしの愛する男はみんな不幸になるんだろ、みんな死に急ぐんだろ、せっかく平和になったのに、せっかく平和を勝ち取ったのに、こんなんじゃ意味ないわよ、どうして、どうして。
身体が震える。
今の今まで慈しむみたいな彼の指が滑っていた肌が、血が噴き出しそうに痛んだ。
「行かないで、あたしのこと一人にしないで、あんたが、ポップがいなきゃ、あたし、ダメなの、だめなの……行かないで、いかないでよぉ……」
マァムが泣き崩れながら叫ぶ声を、全てを見ていた滝が哀れむかのようにかき消した。
「あんたなんか嫌い、キライ、だいきらい!」