「ようボンクラサイボーグ」  
 その声に耳を伏せて日の当たる縁側で丸くなった黒猫を、声をかけたトラ縞の猫が蹴りを入れた。  
 「何を見事に無視ぶっこいてくれてんだ腐れ猫!」  
 「だー!なんでてめーらは俺を猫らしく眠らせてくれねーんだよ!毎回毎回トラブル持ち込みやがってー!俺は町の便利屋じゃね……」  
 かきん、と音がしそうなほど見事に振り向いた黒猫が固まる。  
 「……なんだ、そのマフラーは」  
 「ふっふっふ…ナナちゃんの手作りだ。うらやましかろ?」  
 うらうら、と見せびらかすようにトラ猫が眼帯の前でマフラーの端をゆらゆら動かせている。  
 「今年最初に編んだ初物だそーだ。この間貰ったマフラーを拙者が喜んだもんでまた作っ」  
 ガン。  
 トラ猫…名をマタタビというが…の自慢が終わる前に黒猫…こちらはクロという…が近場にあった湯飲みを投げつけた。幸いにも中身は空であったのだが。  
 「ななな…なにすっかこのクソ猫ー!」  
 「つまらん事で起こすなアホ」  
 クロは面倒くさそうにマタタビに背を向けてもう一度まるまって眠る姿勢を作った。  
 ムカッとしてマントからゲンノウを取り出したマタタビは、はっとした顔になってその背中にニヤニヤ声をかけてみる。  
 「はっはぁ〜ん、貴様やきもちを焼いておるな?」  
 黒い耳だけがぴくり、と正直に動いたが彼は何も言わずに立った耳を元に寝かせる。その様子を満足げに見ていたマタタビはくくくく、と忍び笑いをしてゲンノウをしまい、狸寝入りを決め込むクロの隣に立った。  
 「猫の癖に好みが犬だったり電気スタンドだったり…変わった奴だな」  
 そう言うと、また黒い耳がぴくりと正直に反応する。その様子がなんだか無性におかしかったので、マタタビはニヤニヤ笑いのままからかってやる事にした。  
 「ところでナナちゃんに貴様を呼んで来いと言われたのだが、マフラー貰ったことをつまらんなどと言うんだから来ないと伝えていいな?」  
 
 ぴくり、またまた耳が動く。なんと正直な耳か、と、マタタビはもっと愉快になった。  
 「……勝手にしろ。」  
 完全にふて腐れた声でクロが吐き捨てる。マタタビは思わず吹き出しそうになったがなんとか堪えて縁側から降りた。  
 「そーかそーか。では勝手にナナちゃんから貴様の分のセーターも貰ってくるとしよう。あっちの方が暖かそうで実は目をつけていたのだ。  
 貴様のよーな薄情男はナナちゃんには相応しくないと常々思っておったのだ。遠慮しておったのがアホみたいだ。彼女より昼寝が大事だというのだから試合放棄ということか、わっはっはっは」  
 声も高らかに笑いながら垣根をくぐって去っていくマタタビの声が高性能な耳で聞こえなくなった頃、やっとクロは目を開けて振り向いた。  
 「……けっ、くだらねーな」  
 のそりと身体を伸ばしてくるくる毛繕いをする。彼はサイボーグで外皮もぬいぐるみなのだからそんなことをする必要はないし、今までした事もない。だが彼はあえて何度もくるくる毛繕いをする。  
 それを花壇の影に隠れて見ていたマタタビが独りごちながら忍び笑いをかみ殺していた。  
 「くっくっくっく、キッドめ、サイボーグになっても動揺したときの癖は抜けんな。みてろ、今に『全くくだらん』と言うぞ…」  
 マタタビがくひひひと小さく笑ってみていると、クロが空を仰ぎながら「全くくだらん、実にくだらん」と呟いて立ち上がり、垣根を飛び越えてどこかへ消えた。  
 「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラヒーヒーヒー!し、死ぬー!!  
 がはははははははは!!ほれみろ伊達に付き合い長いわけじゃねぇんだぞ!アハハハハハ!  
 あの方向は一直線じゃねえか!あっはっはっはっは!」  
 ごろごろ転げまわりながらマタタビが大声で笑っていると、ふと目の前が暗くなった。  
 「ん?」  
 「……んなこったろうと思ったぜ」  
 ぬっと側に立っていたクロが自分の体長の何倍もある剣を携えながら声を掛けた。  
 「あら、いらっしゃったの?」  
 「生身の猫よりは耳がいいんでね、生憎」  
 セリフを言い終わると同時にクロが渾身の力を込めて剣を振り下ろす!  
 
 「い…今の太刀筋は明らかに首を狙ってたな貴様」  
 「いつでもお前を殺す心の準備は万端だぜ?」  
 ブーメランでなんとかクロの刃を殺しながら、マタタビがギリギリと歯軋りをする。  
 「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。  
 では拙者もいいことを教えてやろう。ナナちゃんが貴様を探してたってのは本当だ。とっとと行ってやれ」  
 「ほお、ステキな逃げ口上だな」  
 ムカつきでイライラしながらクロが更に剣に体重を込める。マタタビはブーメランを巧みに動かしながら何とかその重さを逸らしながらまた軽口を叩く。  
 「拙者が甘い顔をしてるうちに行った方がいいぞ。こちとら生身で通してんだ、いいともの後の番組でさいころ振って喋れるよーな甘っちょろい恋の話なんざとっくに卒業したんだぜ。  
 本当に今行かないってんなら拙者にも分があると思っていいんだな?」  
 マタタビは隻眼でギラリとクロ…いや、キッドと呼ばれた不良猫を睨んでいる。  
 「……な、なーんか勘違いしてやがんな?オイラは別にあんな電気スタンドのことなんざなーんとも思っちゃいねーぞ」  
 耳が、ピンと立っていた黒い耳がぴくぴくとせわしなく動き、ゆっくり寝かされた。それを見ていたマタタビはまた声を上げて笑う。  
 「それを聞いて安心した。  
 シーツに包まってクロちゃんクロちゃんと泣くもんだから、てっきり拙者の片恋かと思ったがゆっくり攻略できそうだ」  
 「………………あんだと?」  
 「いい声で鳴くんだぜ、ナナは」  
 「――――――いきなり呼び捨てか」  
 「腰抜けは指咥えて見てな、拙者好みの女に変えてやるよ」  
 ぷつ、とクロの何かが音を立てて切れ、目つきが変わった。マタタビはそれを知っていたかのようにクロの圧力の隙を付いて逃げ出し、垣根の上にするりと上る。  
 「あばよへっぽこサイボーグ。いつまででも惨めなプライドにすがってるがいいさ。」  
 高笑いと捨て台詞を残してマタタビは垣根の向こう側に消えた。  
 
 「クーロー」  
 ぼんやり放心していた彼を呼び戻したのは、ブルーメタリックの身体を光らせた猫だった。  
 「……なんだ、ミーくんか」  
 背筋がぞっと総毛立ったのを悟られないようにクロは極めて普通に振舞う。  
 「なんだとはご挨拶だな。せっかく誘いに来てやったってのに」  
 ミーくんと呼ばれた猫は、剛くんとコタローが鈴木夫妻の家に遊びに行く算段をしていることを説明して、一緒に行かないかと言った。  
 「で、ボクがクロとナナちゃんとマタタビくんを誘って、コタローくんが五郎とチエコを…」  
 そこまで言ったミーくんの言葉が凍る。クロの目つきが尋常ではないことを悟ったから。  
 「…クロ?」  
 「悪いな、オイラとマタタビはちょっと用がある。ナナだけ連れてってやってくれ」  
 そう告げてクロはミーくんに背を向けてすたすた歩き出した。マタタビの消えた垣根に向かって。  
 「いやナナちゃんの電車に先に行ったんだけど、留守でさ。ここ来たら居るかなと思って」  
 そうか、じゃあ見つけたら新居に行くように言っとくから先に行っといてくれよ。一度も振り返りさえせずに言い捨ててクロは板壁の上に登る。  
 「……あのさー、余計なお世話かもしんないんだけど……  
 さっきそこでマタタビくんが歩いてるの見たよ。なーんか声掛けづらい雰囲気だったから先にクロに、ってこっち来たんだ。喧嘩?」  
 ミーくんの物怖じしない言い草に、クロは渋い顔をして嫌々振り向いた。ミーくんは相変わらずきょとんとしている。  
 「んあー、喧嘩っつーかなんつーか……まあ、お前みたいなお子様には関係の無いこった」  
 「痴話喧嘩か」  
 「なーんでオイラがマタタビと痴話喧嘩しなきゃなんねーんだよ!こんな身体になったってオイラはあくまでノーマルだ!」  
 「…………忘れてるかも知んないけど、ボクの耳お前と同じ性能なんだよねー」  
 わざとらしいイントネーションを付けるミーくんのセリフに、ぐっと言葉を詰まらせたクロは苦々しい顔のまま垣根の向こう側に消えた。  
 「悪趣味なカマ掛けてんじゃねーよ」  
 
 「……ちくしょう、何だってんだ。どいつもこいつもムカツクったらありゃしねぇ」  
 ムカムカしながら彼は一直線でナナの住む電車に向かう。ミーくんが言うには不在らしかったが、他に行く所が思いつかなかった。  
 それに、もしマタタビの言ってたことが本当ならミーくんからナナが隠れた可能性もある。  
 「あのクソ猫、もしマジで襲ってたらただじゃおかねぇぞ」  
 あーもうなんでオイラはこんなにムカついてんだ。別にマタタビとナナがどーなろーがオイラの知ったこっちゃねーだろうに。頭のどっかがそんなことを言うが、足は止まらない。  
 どんどん早足になって、最後には風を切る勢いで疾走していた。  
 「ったくめんどくせえ女だなあのお嬢チャンはよー!」  
 わがままだし。  
 家事はできねーし。  
 そりゃちょっとは頭いいけど、ドジだし、すぐ自分のこと否定するし…大体発想が後ろ向きなんだ。  
 騒ぎは見境無く起こすし、隙を突いちゃベタベタするしよー。  
 思いつく限りのナナの嫌な所を挙げ連ねながら頭の中で何度も反芻する。  
 「そもそもマタタビの奴にマフラーなんかやるのが悪いんだ!しかもこのクソ蒸し暑い6月に!バカは単純に出来てるって相場は決まってるだろうが!」  
 その気も無いのに優しくするから罰が当たったんだ、ざまあみろ、これに懲りたらもう金輪際、よその馬鹿に無駄な毛糸使うなよっ  
 息せき切らせながら、ようやくクロはナナの暮らす電車が置いてある空き地にたどり着いた。大声で彼女の名を呼びながら電車の中を見回す。  
 「はぁ、はぁ、はぁ…やっぱ、居ない……」  
 けど他に彼女の行く場所なんてクロには思いつかない。電車の中にあるどこから引っ張ってきたのか知らない様々な家具はそれなりに片付いていて、ちょっとそこまで買い物にでもという感じだった。  
 「……しゃあない、待つか」  
 はぁ、と一息ついて彼は電車の長椅子の上で丸くなった。  
 ぽかぽか差し込む日は少しずつ翳りだしていたが、クロは目を閉じてうつらうつらと居眠りを始めた。  
 頭の中にわだかまるいろんなことが腹立たしかったが、怒り狂って暴れるのは何か違う気がした。  
 
 「――――きて、――起きて、ねえ、クロちゃんてば」  
 「んぁー?」  
 「どうしたのよ。クロちゃんがうちに来るなんてめずらしい」  
 ぐにゃぐにゃ歪む視界には、真っ暗な電車の中で彼を揺り動かすナナの顔。心配そうで、怪訝な。  
 「っ!」  
 がばっとナナの身体を掴んでクロが激しく揺する。  
 「ナナ!お前大丈夫なのか!壊れてねーか!マタタビにどこをどうされたんだー!」  
 ぐるぐる目玉の回ったクロは頭の中で暴走する繋がらない単語をとにかく必死でぶちまけた。切羽詰って余裕が無くて、ぐるぐるクロちゃんカッチョわるーい。  
 「きゃあああー!なっなんなのよぉおぉおぉー!?」  
 「むっ無理矢理されたのかー!」  
 「しっしーんーじゃーうー!」  
 がくがくがくがく力の限り身体を揺すっていたクロが、はっとしてナナから手を離した。  
 「げほげほげほっ…はぁ、はぁ、はぁ……頭がクラクラする……」  
 「いや、その……すまん…」  
 「な、なんなのよ、もう……げほっ…」  
 ナナが呼吸を落ち着けた途端にクロに食って掛かって怒り出したので、クロは今までのいきさつを話した。そして、体の調子はどうなのかと締めくくる。  
 「……ぷあははははははは!!」  
 心配そうなクロの顔に向かって思い切りナナが吹き出した。しばらくクロは意味も分からず固まっていたが、次第に怒りが込み上げてくる。  
 「なっなんだその態度はぁ!心配してやってんのにナメてんのかテメー!」  
 「あはははははいやぁーお腹痛いーきゃははははははは!」  
 「ぐぐぐぐ…いー度胸だこのクソ女ァー」  
 「おバカなクロちゃんもだいすきー!」  
 ぴょん、とクロの胸に飛び込んだナナがぐりぐり顔を擦りつけて嬉しい、嬉しいよーと何度も呟いた。  
 「――な――――ななんだよそりゃあ!」  
 
 「はい、麦茶」  
 氷のたっぷり入ったガラスのコップを受け取って、蒸し暑い電車の屋根の上でクロはぼんやりしている。  
 「……落ち着いた?」  
 「んー。」  
 よかった。にーっと悪戯っぽく笑ったナナはちょこんとクロの隣に座ってきらきら輝くちょっとくすんだ街の明かりを見ていた。何も喋らずに、ただじっとしている。  
 クロはそれを横目で見ながらやっぱり無言で麦茶をごくごく飲んだ。ときおり生ぬるい風が吹いたりなんかして、ナナの耳がゆらゆら揺れる。  
 『ロボットのアタイがどーやったら生身のマタタビくんに乱暴されんのよ。』  
 呆れ顔半分、喜び顔半分でナナが彼にそう言ったとき、クロは全身の力が抜けるような気がして、実際その場にへたり込んだ。いつもだったらこんなアホなことに頭に血が上るわけはないのに。  
 「クロちゃんってさー、サイボーグなんだよねー。  
 アタイの場合は部品変えれば理論的には半永久的に動くけど、クロちゃんの場合は組み込まれてる生物組織が弱っちゃったら死んじゃうんだよねー」  
 視線を変えずにナナがぼんやりした声でそんなことを言い出すので、彼は面食らって声が出なかった。  
 「ミーくんもそうだし、コタローくんや剛ハカセは生身だからもっと短い間しか一緒に居られないだろうし……アタイ一人残っちゃうね」  
 楽しくも悲しくもなさそうに単なる事実を述べているだけだと言わんかのごとく、無表情にナナが続ける。  
 「…でも部品取り替えられるってことは、アタイの交換はいくらでも利くってことじゃない。  
 この今思ってるクロちゃんがすきーって気持ちも取り替え利くのかしら?それともある日壊れて誰かが直してくれたらこの気持ち消えちゃうのかしら?」  
 アタイって何なんだろう?ナナが妙に悟ったような神妙な面持ちで夜景を見つめながらにそんな事を言った。  
 「おせっかいやきの電気スタンドだろ」  
 
 「んもー!そうじゃないわよっ」  
 「じゃあコタローに作られた家事の出来ないお手伝いロボナナちゃーん」  
 けけけと笑いながらクロが空を仰ぐと、隣でナナが大きな目に涙をいっぱいに溜めながらうるうるしていた。  
 「役立たずで誰にも必要とされないおちこぼれのナナちゃーん…」  
 ぐしゅっと鼻を啜りながら彼女が自虐的にそう言ったので、うっとクロが身体を引く。  
 ぼろぼろ涙を零してひーんと泣きながら身体を振るわせるナナを見、クロはあっちこっちをきょときょと確かめて咳払いを一つして頭の後ろを掻く。  
 「あー、その、なんだ。言い過ぎた。うん、まあ……すまん。」  
 「許さないーごめんねって謝って!」  
 「……ごめんね!」  
 「そんな怖い声じゃイヤ!抱っこしてちゅーしてくんなきゃ許さないー」  
 「――――――お前な。」  
 うるうるぼろぼろ涙でくしゅくしゅになった瞳をきっと吊り上げて、ナナが一歩も譲らないといった風に見得を切るのでクロは諦めて腕を伸ばした。  
 「……これでいいか?」  
 「ちゅー!ちゅーが残ってるもん!ちゅーして!」  
 「…チューチューってお前はネズミか…」  
 半目になって嫌そうにクロがナナの額に掠めるようにキスをした。  
 「すんませんでした!」  
 「―――ん、し、しかたないから…許してあげるわよっ!」  
 ひっく、ひっくとまだ止まらないしゃっくりを続けながらナナはクロに抱かれながら小さく丸まった。固くてちっとも暖かくないけど、とても嬉しかった。  
 「あ、アタシのこと、し、心配した?」  
 「あー、したした。町内走り回った」  
 「ほんと?」  
 「疑うならミーくんに聞いてみろ」  
 
 「……信じる。うれしい」  
 「――――――そりゃ、おめでとう」  
 どこか遠くで電車が走る音がする。遮断機の音を風が細切れに連れてきて、耳を弄ぶ。  
 いつか、いつか遠い昔にこんな風景を見たことがあるような気がする。でも当然こんな所に来た事はないし、そんな覚えもない。けれどクロは何だか懐かしくて物悲しいような気持ちになっていた。  
 まだすんすん鼻を啜り上げているナナは目を閉じて手(というか前足)をぎゅっと握って離さない。  
 剛やコタローが死んだあと、オイラとミーくんが死んだあと――――――こいつはどうなるんだろう?そんなのきっともっと先のことだろうけど、いつか必ずそんな日はやってくる。  
 もしオイラが完全にロボットだったら、コタローに頼んで子供でも作ってもらうんだが。  
 無責任にそんなくだらない思い付きをして、クロはふっと笑った。もしそんなことが可能でも、やっぱりこいつはオイラが居なきゃヤダなんて言うんだろうなと思った自分の傲慢に。  
 「なに笑ってんのよー」  
 「いんや、別に。」  
 「……ふうん……?  
 そだ、セーター作ったから後で着てね。お揃いで手袋も作ったから冬に…」  
 「…………お前のその趣味の悪い発想はどっから出てくるんだ?今時ペアって……」  
 げんなりした彼の表情を見てナナは少し悲しくなったが、多分そんな事を言うだろうなと予想はしていたので特にショックは受けなかった。いつものことだ。  
 「……いいよーだ、マタタビくんにあげるもん。欲しいって言ってたけどクロちゃんに取っといてあげたのにさー。冷たいんだから」  
 つん、とそっぽを向いたナナの顔をクッと自分のほうに振り向けて彼は言う。  
 「いいかーお前、あの野郎にこれから毛糸一本でもやってみろ、もう絶対に口きいてやんねぇからな」  
 最初わけがわからなくてきょとんとしていたナナが急にぱっと表情を変えて嬉しそうに尋ねる。  
 「えっ…ねえそれってやきもち?クロちゃんってば!それってナナちゃんグッズ独り占め?」  
 きらきらニコニコ嬉々として尋ねる彼女を、彼は鬱陶しそうに抱いていたひざから下ろした。  
 
 「元気じゃん、お前」  
 「いやーんクロちゃんったら、ねえ、ねえ、どうなの?ジェラシー?ねえってばぁ!」  
 「……あーうるせー女だなテメー。襲うぞ!」  
 カーッと威嚇したクロの顔を見て、頬を染めたナナがしっぽの豆球をいじりながら「やぁだ、もっとロマンチックに誘ってよぉ」ともじもじ顔で彼に抱きついた。  
 「ばっばか!そっちの襲うじゃねェー!  
 だいたいオイラ達でいったい何をしようってんだ!?剛もコタローも見るからにモテねーのに“そんな機能”なんか作れるわけねーだろうが!」  
 イライラオロオロ取り乱すクロを尻目に、チッチッチッチ。ナナがしたり顔で指を振る。  
 尻尾についてる豆球をくるくる回して取り外し、ソケットの部分を分解すると、赤やら緑のコードが見え隠れしているLANケーブルのコネクタが現れた。  
 「じゃーん、必殺イントラネットー!ねーねーどっちがサーバーやる?アタイやってもいいよ」  
 ナナがそれはそれは嬉しそうな顔でしきりに瞬きを繰り返しているので、クロはそれをぼんやり眺めながら相変わらずこいつは頭の回転が速いなぁ等とちぐはぐでとぼけた事を考えていた。  
 「……なるほど、データーのやり取りをダイレクトにやる訳か。確かに広義においては間違っちゃないが…なんか味気ねーなぁ」  
 「心配ないよ!少なくともアタイは元々がデジタルなんだから混線なんかしないし、当然赤ちゃんだって出来ないもん!」  
 元気一杯に言い切るナナに、クロはため息を付いた。  
 「…………はぁ…………マジですんの?」  
 「クロちゃんが言い出したくせに。逃げる気ぃー?」  
 口を尖らせて不満とも扇動とも取れる言葉を漏らしながらナナが半目になるので、クロはホントにこいつは“それがどういうこと”なのか解ってんのか不安になった。  
 「……途中で止めねーから覚悟して返事しろよ。何でもゆうこと聞くならしてやるが、どうする?」  
 「はーいはーい!言う事ききマース!」  
 やったやった!ナナが小躍りをしながらクロの胸のカバーを開けて手探りでごそごそケーブルの差込口を探る。  
 「でもなんかこれじゃアタイがクロちゃん押し倒してるみたいね」  
 「――――――つまんねーこと言ってるとぶつからな」  
 
 呆れ顔でもうどうにでもしろという態度でクロがそっぽを向く。何度も体内にナナを収納した事があってもやっぱり手探りで内部をごそごそいじられるのは気分のいいものじゃないらしい。  
 そのうち小さなカチっという音が聞こえてナナが手を引き抜いた。  
 「接続完了!設定情報はこっちで構築して送るから回線開いてて。サーバーはアタイがやるから」  
 まるで今から祭りにでも出掛ける様なノーテンキで浮かれた声。今から自分がどうにかなってしまうなんて危機感は全くない。――――――オイラは一応男なんだぞコノヤロー……  
 「はーいおくりまーす。……オッケー、オンラインになりました。」  
 ナナがこほんとひとつ咳払いをして、クロと繋がっている自分の尻尾のコードをきゅっと握る。  
 「じゃあ――――――クロちゃん…きて。」  
 目を閉じて息を止め、じっとクロの意識がやってくるのをナナは待っていた。  
 クロはといえばその格好に多少なりともむずがゆいものを感じたのか、少しだけ躊躇してナナの身体を引き倒した。  
 「きゃ!?」  
 「…黙ってろ…」  
 「……ん、いいよ……!」  
 意識が遠のいて真っ黒になる。目隠しのまま長いトンネルをくぐっているような感覚を、変な感じ、とクロは思った。  
 ぐにゃぐにゃしてて頼りなくって……ちょっと居心地悪い。  
 「キャーいらっしゃいクロちゃーん〜」  
 どーん!とものすごい勢いでクロの身体を衝撃が走る。あわや吹き飛ばされる寸前で踏み止まったクロが目にしたのは、現実世界と同じように黒いワンピースを着たナナだった。  
 「お…おう」  
 いつもなら文句の三つ四つもでそうな追突に、彼ははにかみさえしながら返事をして。  
 「……へへ、今日はぎゅってしても怒らないね」  
 「時と場合を考えれば別に怒ったりしねーの、オイラは」  
 慣れない言葉にふいっと顔を逸らしたクロが真っ白で何もない空間に視線をやる。  
 「――――――しっかし愛想のねー場所だな。何とかなんねーのかコレ」  
 「なるよー」  
 
 ここはアタイの頭の中だもん、なんでも思うがまま!  
 ふふんと誇らしげにしているナナが胸を張って手を一振りすると、ギンガムチェックのクロスを広げたテーブルとティーセットが魔法みたいに現れる。  
 「現実世界と違ってお腹が膨れたりはしないけど、気分だけなら文句なし!」  
 「おっ、面白いなそれ」  
 「今アタイの全てのデーターはクロちゃんと共有してるからクロちゃんも思い浮かべれば具現化できちゃうんだから」  
 彼女の自慢げな言葉に、にやりと笑った彼が何やらうーんと唸ってロダンの考える人の格好になった。  
 「何を出すの?」  
 「今必要なもの」  
 言葉が終わるか終わらないかの瞬間、クロとナナの目の前に、壁のない畳敷きの部屋に大きな布団が現れる。クロは満足げに、ナナは硬直したまま口から言葉を零した。  
 「おー、ホントに出た」  
 「――――――く…く…クロちゃん?」  
 「……いやーやっぱ和室だよね。詫び寂びに隠れるエロス!燃える!っつーか」  
 そそくさと布団にもぐりこんだクロが福々しい顔で片手をぱすぱす自分の側の枕の上で弾ませる。  
 「ヘイカモン」  
 「〜〜〜〜〜〜〜っ」  
 顔が赤くなっているナナがその場に佇みながら言葉にならない抗議の声を上げているので、クロはニヤニヤ笑いながらそれをじっと見ている。  
 体が滑らかに動かないみたいに、瞬きまでも硬い様子なのがクロの嗜虐欲を煽っている。彼はどんどん楽しくなってきた。それみたことか、オイラを弄ぼうなんて百年早ぇんだよ。  
 「どーしたお嬢ちゃん、ビビりか?  
 これからすっげーことになるぞー。腰が抜けるぞー。痛いぞー。気持ちよくて狂うぞー。息もつけなくなるぞー。おめーがするっつったんだからなー。オイラどーなっても責任とんねーからなー」  
 そんな脅しみたいな声に怯むことなく、意を決した表情でナナが布団に向かって歩き出す。  
 その様子に今度はクロが面食らった顔をしたが、にやーっと笑って掛け布団をちょいと持ち上げた。  
 
 ナナが布団に入ると、一息つく間もなくクロがナナの身体に覆い被さった。そのデリカシーのなさと早業に彼女が目を白黒させる。  
 「あっあっ……やだ…」  
 こそこそ、まるで囁くように耳元で砕けるいつもと違う彼の熱っぽい呼吸が、ナナの全身にびりびりと電気を走らせる。現実みたいに胸が苦しくてせつない。  
 「く…クロちゃぁん……アタイ…なんか……くるし…っ」  
 その声さえ自分のもので無いような気がした。ふわふわ浮かれてるのにずっしり重くて、どこにも逃げられない。  
 「……んん、ナナの体、生きてるみたいにやぁらかい」  
 そんなこえにはっと正気に返ると、ワンピースの裾から、温かくて柔らかい猫の肉球がするする進入しているのに気付いた。両手でなんとか押し返そうとすると、くるりとうつ伏せにさせられる。  
 「んっ…うぁん…初めてなのに…うしろからなんてやだぁ……!」  
 「仕方ねーだろ、オイラ猫なんだもん」  
 くすくす意地悪く笑う彼の声がする。それに背筋とお尻がシンクロするかのようにゾクゾクして、心地いいのか気持ち悪いのかさえ分からない。  
 彼の手がずるずる下着を下ろしている。やだやだ、そんな、キスもまだしてないのに!ナナは必死になって身体を捩ってみるものの、こそこそ這い回る彼の片手が生む快感に抗うことさえ難しい。  
 はぁはぁと砕ける自分の吐息に窒息しそうになっているのに、きもちよくってヘンになりそう。  
 ――――――し、しんじゃうよー!  
 クロちゃんに触られるのがこんなに気持ちいいなんて思ってもみなかった。瞼がずっとひくひくしてて感覚がなくなっちゃう。首筋に思い出したみたいに当たるひげが、夢心地のナナを強引に引っ張りあげている。  
 「大人しいな、もっと喘げよ」  
 つまんなさそうに呟いたクロがナナの太ももの付け根をくすぐるように何度も愛撫しながら何度もゆるく指を立てる。  
 「やだぁ……はずかしい…!」  
 その未知なる感触に戦慄しているのを気取られないようにと、ナナは必死で叫びそうになる声を殺した。  
 
 「なんでも言うこと聞くんだろ?」  
 またもニヤニヤ声でクロが意地悪くそんなことを言うので、ナナはついに我慢の限界を超えたらしく、泣き出してしまった。  
 「……うっ…うわぁん……エロクロぉ〜……ひぁあぁん…ひっく、ひっく…いたあぁい……!」  
 「まだ指だけだぞ」  
 「痛いもん、指だけだって痛いんだもん!!もっと優しくしてよ!  
 クロちゃんっていっつもそう!アタイが困ったり怒ったりしたら楽しそうなのよッ!  
 絶対サドだわ!しんじらんない!鬼畜!破壊のプリンス!エロ猫!」  
 くすんくすんと啜り上げながらも、ナナが激昂した。いつもの調子で怒鳴りながら彼の胸倉を掴んで揺さぶり、怒涛の悲鳴をあげる。  
 「アタイはクロちゃんのおもちゃじゃない!  
 アタイのこと好きじゃないから意地悪ばっかりするわけ!?アタイはクロちゃんのこと好きだから!大事にしたいから言うこと聞くの!わかってる!?」  
 「わ、わかってる、怒るなよ」  
 「分かってない!いきなり服脱がして触って!こんなのゴーカンといっしょじゃない!」  
 喚き散らしながら子供のようにバタバタ足で布団を蹴り倒すナナを尻目に、クロは呆れ顔で布団から這い出て腰を落ち着ける。尻尾をくるんと身体に巻きつけて彼女を見ていた。  
 さてどうしたものか、とクロは思案していた。どうも自分のやり方をナナは気に食わないらしい。生身だった頃は発情期の手順はこれで間違い無かったはずだが、サイボーグになったから勝手が違うのかもしれない。  
 ――――――つーてもなー……それ以外のやり方なんて知らないわけで。  
 ……仕方が無い、ここは頭を垂れて教えを乞うほうが得策だろう。ため息一つ付いてクロは未だ怒りの収まらぬナナに切り出した。  
 「あー、その……やり方が気に入らないのなら――――――」  
 その言葉にナナの体がぴくりとも動かなくなり、妙な空気が流れて彼女がぴしゃりと言い放った。  
 「アタイがそんなこと怒ってるって、本当に思ってんの?」  
 布団の隙間から垣間見えるナナの目はぞっとするほど冷えている。  
 
 アタイね、クロちゃんになら何されてもいいと思ってる。  
 クロちゃんがアタイを必要だって言ってくれなくてもいいの、アタイがクロちゃんを必要だってちゃんと解ってるから。  
 でもこんなのはいや。アタイは身体だけ繋がって嬉しいと思えるほど自分のこと嫌いじゃない。  
 「傷ついた顔して誰かに擦り寄るなんて電気スタンドのプライドが許さないの」  
 明るく照らすの、何にも見えないみんなのために闇の道しるべになるの。それがアタイの役目。この仕事は気に入ってるわ。  
 「クロちゃんの闇だって照らしてみせるよ」  
 だからちょっとはアタイのこと好きになって。側にいるだけでいいの。ちゃんとアタイのこと見て。  
 後半はもうすっかり涙声だった。流れる涙を拭いもせず、かといって眼光は彼を鋭く射抜いたままにナナは言葉を吐き出す。  
 クロはそれをじっと訊いていた。言葉を挟むことはおろか身じろぎさえしないで。  
 「――――――あのなぁ……なーんか勘違いしてるだろ、ナナ」  
 彼はすっと立ち上がってのろのろ歩き、布団の上でしゃがみこんでいる彼女の側に寄り添うようにして座った。  
 「お前はオイラが必要なんだよな?」  
 「そうよ」  
 「オイラがお前のこと要らないなんていつ言ったんだ」  
 一人でトばすのは構わんけど、オイラを置いてくな。クロはそんな事を半目になって言ってからナナの頬にキスをした。涙の味がして、それは単なるデジタル信号情報だけれども、彼は悲しい味だと思った。  
 「どうして欲しい?オイラよくわかんねーからさ、教えてくれよ」  
 情けなさそうに笑う彼の顔が可笑しくて、ナナはくすくす笑いながらクロの首に抱きつく。何度も顔や頬をこすり付けて小さく何かを呟いた。  
 クロはそれがなにを言っているのか解らなかったが、解らなくてもいいような気がする。  
 彼女と彼はあらゆる意味でまったく異質なものだけれど、何かが通い合った今の瞬間、同じものに変質し、同化したのだ。  
 いつか相手と分かれてしまうその時がやってきても、きっと大丈夫。  
 二人はそんな事を漠然と理解し合っている。  
 
 仕切りなおしは意外にスムーズに行った。ナナがああしろこうしろと指示を出したのはキスと爪を立てるなという事だけで、あとはクロのなすがままにされている。  
 「……いっぱい濡れてるな」  
 「ばか…」  
 「…………最後までいっていい?つーか入れるぞ」  
 ストレートな物言いにナナは顔を赤らめたが、その顔がさっと青くなったのは一呼吸も置かないうちだった。くるりと反転する自分の身体がうつ伏せになるのを悟った時にはもう遅かったから。  
 「ちょっちょっとぉ!なんで後ろからすんのよー!!」  
 「だってオイラ猫だし」  
 「お願いだから最初だけはふつーにして!」  
 「猫はこれが普通ですよ?」  
 「アタイ電気スタンドだもん!猫カンケーない!」  
 「因みにオス猫のアレには刺がついててすんげぇ痛いらしーから覚悟するよーに」  
 「うっうそぉ!!……し、しんじらんない!サド!変態!」  
 「はーい、奥まで入れるから腰を高くしてくださーい。因みに高くして入れないと角度的に君が痛いだけでーす」  
 「あっあっあっいやぁ…は、いってくる…ああー」  
 くねくね扇情的に腰を振るナナの身体をがっちり固定しながらクロがぐーっと腰を沈めたのを確かめるように、彼女が声を上げる。  
 「ひぃ…んぁ……なんか、ざらざらしてるよぉ…クロちゃんの……」  
 「ばっ…バカかお前、ンなこと実況せんでいい!」  
 「やぁだね…!クロちゃんの顔が見えなくて怖いんだもん……なんか喋ってないとアタイ痛みと怖いので狂いそ…」  
 まくり上がっているスカートから伸びる小さくて細い足ががくがく震えながらなんとかその機能を果たしているのを見て、彼はなんか自分がとんでもなく悪い事をしているような気になった。  
 それでも習性上この格好が一番しっくり来る。  
 もし鏡に今の自分たちの姿が映っているのを見たら―――どう見てもオイラが無理強いしてるように見えんだろーな……とクロはため息を付いて、ふっと視線を逸らすと大きな姿見がドンと置かれていた。  
 
 「――――――なんだこのでかい鏡」  
 急にテーブルセットや布団と同じように忽然と現れた姿見は、絶妙の角度であんぐり口を開けて呆けている二人の痴態を映していた。  
 「………鏡ないかなーとか思ったんでしょ……  
 ん…やだ、やだあ…早くしまって!顔が見えてはずかしーよー……」  
 赤くなりながら届きもしない鏡を動かそうと、ナナがバタバタ手を動かすもんだからその振動が伝わってクロにとって非常にいい按配だ。  
 「わっばかばか!動くなって!大人しくしてねえと大変な事に」  
 ゾクゾク神経が逆巻く感じ。盛んに快感をつかさどる部分に、ちょうどいい刺激が焦らすように与えられて夢心地になりそう。目の前が危うく霞んできたクロはナナの身体をぎゅっと抱きしめて動きを殺す。  
 「うーごーくーなー!」  
 「キャーキャーキャー!クロちゃん胸!胸触ってるー!」  
 「…ああん?胸だぁ?…………なんにもねーぞ」  
 ナナの抗議の声にクロが自分の触っているペタンコのそこを何度か擦ってみたが、期待されるような凹凸はからっきしなかった。  
 「うううううるさいわねうるさいわね!胸だってアタイが言ってんだから胸なのよ!」  
 キーと怒り出した彼女の半泣き声がなにやら可愛らしいので、クロは調子に乗ってもう一度その部分に前足を這わせてみる……が、やはり何も無い。無いよなあ、と自分を納得させてもう一度声をかけようとして、ふと気付いた。  
 彼女がぷるぷる小刻みに震えて、小さく何か囁いているのだ。耳をすませてよく聞き取ろうとしてもくぐもっているやらアクセントがめちゃくちゃやらで何を言っているのか皆目検討が付かない。  
 「なんだ?痛いのか?」  
 「・・・・・ァ・・・・!」  
 「どーした?おい、こらナナ」  
 「・・・ぃ・・・ょ・・・・・・・・」  
 「きこえねーよ、おいって」  
 「…っ――――――そんなにしたらいっちゃうって言ってんのよッ!ばか!」  
 
 鏡に映るナナの顔は見たことないほど羞恥と快感で艶っぽく綻んでいて、ちらちら鏡に映る自分と視線が合うのが恥ずかしいのか、その度に視線逸らす仕草がいい。  
 「いっちゃうーえろえろナナちゃん感じちゃったー」  
 水を得た魚のように心底楽しげな声を出しながら、クロは鏡に映るナナの顔をぐっと持ち上げ、自分と目が合うようにする。  
 「やっやだっあっあっ!」  
 染まっていた頬をもっと真っ赤に染め上げて、じたじた足掻くナナの体がうすく痙攣しながら弓なりに反った。  
 「オイラに痛くされてんのに感じてんだ。ナナはヘンタイだぁー」  
 首筋に舌を這わせながら彼がそんな事を言う。猫のざらざら痛い舌の感触がナナをますますいきり立たせてしまう。彼はそのことにうすうす気付いていて、何度も故意に舌でなぞった。  
 「ち、ちがうもん!痛くっ……くぁああっ……あっあっいあっあっ…」  
 「ほら、痛いの気持ちいいんだろ?ほら、ほら、ほら」  
 「やぁあっあっあっ!ちが、ちっあっあっがぁっあっ……ああぅん」  
 「オイラがサドならナナはマゾだな。みろ、あのエロい顔」  
 ヒドイこと言わないで、と掠れ声が砕けて消えた。その儚さが物悲しさを連れてくる。クロはなんとはなしにナナの上半身を振り向けてキスをした。  
 イメージしていた金属と金属の接触ではなく、柔らかい唇と唇が合わさった感覚が彼の野生を呼び戻す。  
 ナナはといえば急に繋がった下半身をそのままに、上半身を振り向けられたと思ったら思いがけず唇を奪われてパニック以前に頭の中が真っ白になっていた。  
 どうして?なんで?なにこれ?どうなってんの!?  
 鏡に映る自分の全身の力が抜ける。もう立っていられないとばかりにナナがへにゃりと布団へ突っ伏した後も、クロは彼女の腰を離さなかったし、揺することも止めなかった。  
 「あーっあーっあぁー!!」  
 大きく三度、ナナが絶頂の声を上げて気絶してもクロは行為を止めずにいた。  
 そっくり反対写しになった二人がいつまでも繋がっているのを、大きな姿見が静かに見ている。  
 
 目が覚めて、クロはゆっくり身体を起こした。周りを見渡しても誰も居ない。あくびを一つして背筋を伸ばし、電車の屋根から華麗に舞い降りる。  
 「ナナ?」  
 呼べども返事はなく、朽ち果てた粗大ゴミがざわざわ風の音にさざめいているだけだった。  
 「――――――なんか嫌な感じがする」  
 ふと人の気配を感じて振り向くと、白髪の老婆が彼を呼んでいた。  
 「おいで」  
 普段なら呼ばれたところで擦り寄ったりはしないが、何だかヘンな違和感を感じて彼は呼ばれるままに老婆のもとへ歩いていった。  
 「お前はあの黒猫にそっくりだね。……もうあれから70年も経ってしまった。  
 これからわたしは旦那の墓参りに行くのだけれど付いて来るかい?」  
 老婆は何度か彼の頭を撫でて億劫そうに立ち上がり、また同じ歩みで同じ道を歩き出した。クロは違和感に導かれるままに老婆の後を追う。  
 「名前を付けなくてはね。黒猫だからクロちゃんだね。帰ったらきっとミーくんが喜ぶよ」  
 ほほほほ。老婆が愉快そうに笑うのと同じタイミングでクロの直感が警鐘を鳴らす。おかしい、と。  
 「最近めっきり言葉が少なくていけないから、ミーくんのいい話し相手になってあげておくれ」  
 「……おい、婆さん…お前もしかして――――――チエコか?」  
 猫のセリフに老婆ははっとした顔になって言葉を失った。普通なら気絶してもおかしくないシチュエーションだ。  
 「…あ、……あんた、クロちゃん?……本物の?クロちゃん?」  
 しかし老婆は気絶などせずにかすれ声でそう尋ねる。何の変哲もない黒猫に向かって。  
 「えらいことババーになったな。うちの婆さんみたいだ」  
 そのセリフが終わる前に彼の体が何物にも触れずにふわりと浮いて、老婆の腕の中にかき抱かれた。  
 「あんた今までどこでどうしてたの!わたし達はずいぶん探したのにちっとも見つからなくて!」  
 「お前の超能力も健在そうで何よりだ」  
 チエコと呼ばれた老婆は大泣きをしながら彼を抱きしめて、お帰りなさい、とまた泣いた。  
 
 「みんな逝ったか――――――」  
 「もう70年だもん。ゴローも8年前にねー。ついに生きてるのはわたしとミーくんだけ」  
 墓参りの帰り道、一人と一匹の影法師が長く長く伸びている。  
 「ナナは?」  
 「一緒だったんじゃないの?」  
 「いや。気付いたら側に居なかった」  
 何やってんのよこの甲斐性なし。チエコが口を尖らせながら彼の頭を叩くので、オイラが知るか!とクロが言い返す。  
 「……あいつフラフラどっか行くからなー。今ごろどこに居るんだろ?」  
 「お腹の中にでも仕舞っとけばよかったねー。得意でしょアンタ」  
 「オイラはカンガルーか?」  
 チエコの軽口を苦笑いで返し、黄昏の空を見上げる。微かに星が瞬いていた。  
 「明日は晴れるねー」  
 同じように空を仰いでいたチエコが曲がった腰をゆっくり反らしながら声を上げる。その声にクロはああ、とだけ短く返事をして後は黙った。  
 「アンタ、ナナちゃん探しなさいよ。あの子にはあんたが必要なんだからさー」  
 「……オイラにだってあいつは必要なんだから言われなくても探すわい」  
 しっかしちょっとうたた寝している間に70年も経ってるだなんて浦島太郎かよー。彼が老婆を振り向きながら笑うと、老婆は嬉しそうに微笑んでいた。  
 「あん?どうした?」  
 「探してどうするの?」  
 「……?一緒に暮らすけど?」  
 「ずっと?」  
 「……ヘンなこと訊くな、当たり前だろ。オイラが死ぬかナナが壊れるまで一緒だ」  
 そう、よかった。  
 黄昏の深い闇の中で優しく呟いた老婆が空気のゆらぎのなかへ陽炎のようにふっと消えた。クロは何事かと慌てたが、見る見るうちに背景が崩れてゆくのをなす術もなくぼんやり眺めていた。  
 
 「――――――おい、こらナナ起きろ」  
 「んー」  
 もう一度彼が目覚めたときには、ナナのケーブルの突き刺さったままじっと彼女を抱いている自分の腕が見えた。ぼんやりする頭がガンガン痛い。その不快感の赴くままに眠る彼女を揺さぶる。  
 「お前のせいでヘンな夢見ちまったじゃねーかよ」  
 呟き声はささやかで、うつらうつらと再び夢の世界へ戻っていくナナを引き戻す気などない様子だった。  
 クロは夜風に身を震わせて彼女を抱きなおす。  
 もしもオイラが死んでしまったら…なんてことはもう考えるのは止そう。くだらない、つまらない。  
 確かにそんな日はいつか来るだろう。けど来たら来た時のことだ、また考えればいい。大事なことも楽しいことも悲しいことも他に沢山あるし、明日はまたくるし。  
 今生きてることのほうが考えなきゃなんないことだ。  
 「……明日コタローに子供作ってもらいに行くか」  
 肌寒い深夜の風がびゅうと吹いて、クロのヒゲを弄ぶ。ナナの耳がぱたぱた風に遊んでいい塩梅だった。  
 「やっぱ寒いな……セーター取ってこよ。」  
 ずず、と鼻をすすったクロがよっこいしょと立ち上がりかけたとき、腕の中から声がした。  
 「あれはマタタビくんにあげるって言ったでしょ。  
 ……クロちゃんには新しいクロちゃんだけの毛糸でナナちゃんスペシャルセーター編んだげる。もちろん赤ちゃんの分も」  
 「――――――い、いつから起きてた?」  
 「最初っから」  
 「……お前のそーゆう趣味悪ぃとこオイラ嫌いだ」  
 「いいもん。アタイがクロちゃんだいすきだもん」  
 笑いながら拗ねたみたいにナナが彼の首に抱きついた。少し息苦しかったが、顔が見えないのをこれ幸いとクロが重い口調で彼女にだけ聞こえるように小さく叫ぶ。  
 「電気スタンドにも命はあるんだ。たとえ、わずかな間でもオイラお前と居れて嬉しいぞ」  
 

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