放たれた精液は外気に触れてすぐに冷たくなる。精液が垂れて、これ以上べつな  
場所に付着するのは願い下げだ。フランソワーズは体を動かさずじっとしている。  
 バーを両手で掴み、鏡に額を押し当てている。背後の男はにやにやとしている。  
「今回は余裕で外に出したよ。安心したまえ」  
 汚らわしい液体が、体の中に注がれなかったことだけが、せめてもの救いだ。  
しかし一度ならず、二度も同じ男に犯されたことにかわりはない。フランソワーズの  
身も心もずたずたに引き裂かれていた。  
 男は気分良く身支度をすませる。勢いを失った陰茎をすばやくブリーフにおさめ、足下  
にずり落ちていたズボンをそのままはきこむ。フロントのファスナーを引き上げる音が小さく軽快だった。  
「…さてと、そろそろ出かけるか。1時間で準備したまえ。スタッフルームのシャワーを  
使っていい。玄関で待ってる」  
 あそこも隠しカメラが仕組まれている…着替えの時から、この家の中はくまなく  
探査していた。隠し撮りをされるのがわかっているだけにあそこは使いたくなかった。  
 これほど衣類はおろか体のあちこちが、精液にまみれていてはシャワーを浴びないわけにはいかない。  
(あなたがいい気分でいられるのは今だけよ!)  
 フランソワーズは心の中で男を罵倒する。男はすでに踵を返してレッスン室を出ようとしていた。  
「ああ…アルヌール君、もしブラジャーがストラップがはずせるタイプならはずして見につけて  
くれたまえ。そのほうが仕事はてっとり早い」  
 フランソワーズは返事をしない。  
「初仕事だし君がきちんと仕事が出来るか見届けたい。さっきもいったが今日はわたしも同行するからね…」  
 無言の彼女に構わず男はひとりで話す。  
「今度は君の白い顔に射精したいんだ…」  
 
「いやあ…さすがです。今回のリクエストにこたえてもらうとは夢にも思いませんでした。  
先生のプロダクションはさすがですな。これ」  
 都内のとあるホテルのロビー。首都らしく行き交う人種も様々だ。  
背広姿の男がふたりソファにもたれて談笑している。先生と呼ばれた下劣な男は、差し出された  
封筒の中を開き…なれた手つきで札束を数える。  
「支払いさえキチンとしてもらえればいくらでもそちらの要望におこたえしますよ」  
「本当に助かりました。今回の客は機嫌を損ねるとこちらも大変なもので…はい。  
これが部屋のカードキーです。もう本人はヤル気マンマンで部屋に入っています」  
「うむ。たしかに」  
 威張って先生とよばれる犯罪者は封筒を懐におさめ…キーを受け取る。  
「それでは今後ともよろしく」  
 先生の差し出した手に相手の男は喜んで両手を差し出した。  
 
 喧噪の中でも、フランソワーズのは商談の内容をしっかりととらえていた。  
(高級ホテルで堂々と売春のあっせんなんて…)  
 短いコートの裾を気にしながら、ふかふかとしたソファに小さく縮こまって座っている。  
なにせ下着の上にスプリングコート一枚を羽織っているだけだ。見えなくとも外の空気が吹き込んで  
くるようでスースーする。  
「待たせたね」  
 男が近付きテーブルを挟んで向かいに座る。  
「君は運がいいね。君の相手は若いそうだ。白人の踊り子かモデルってのが条件で君しかうってつけがいない。  
もし童貞なら筆おろしなんてたまらんぞ」  
 フランソワーズは男をにらみつける。  
「ああ、これがカードキーだ。チャイムを二回押して自分で入るように。今回は相手の気の済むまで  
一緒にいるように。そういう契約だ。それからこれ」  
 男はテーブルにもう一枚カードを投げ出す。  
「私はこの部屋にいる。仕事がおわったらこの部屋に帰ってきなさい」  
 フランソワーズははっとしてさらに厳しい視線を男にぶつける。笑いながら  
男は立ち上がり、ソファの横においた彼女の大きなレッスンバッグを引き掴んだ。  
「君の荷物は預かっておくよ。重くて困るだろう」  
 
(可哀想なアタシの初めての『お客様』…。お金は払っているのに、なにもできずじまいに  
なってしまうのよ。アタシにのされてしまうことも知らずに…おまけに買春でブタ箱行きよ)  
 ひとりフランソワーズはエレベータの中で壁にもたれ天井を見据える。  
心の中のひとりごとは清楚な彼女らしからぬ乱暴な言葉遣いだ。  
(お客様をふんじばって…そのあとはあの男の部屋へ直行だわ。たたきのめして  
家に行って…アタシの関係だけは処分させてもらおう…ごめんなさい。アタシは表沙汰になるわけには  
いかないの。姿をあらわさないほうがうまくいく…)  
 同じ被害者の女性たちのことを思うと胸が痛む。薬物中毒からの更正と…世間からの好奇の目は冷たい。  
皆が立ち直ってくれることを祈るしかない。  
 初仕事の後も、荷物を質にまた思い通りに体を弄ぼうとしているあの男。あの男が、  
部屋でどうしているか確かめることは簡単にできる。  
(アタシの相手の方も、あの先生も自由な身でいられるのもあとわずかよ。気の毒だからスキャンは  
やめよう)  
 正直お金で女を買う男の顔をさきに拝見するのも気がすすまなかった。人間と人間のつながりで  
楽しみや喜びを感じるのはお金で得るものではないはずなのに。  
(…アタシの力は他の人を救うためになにかができるはずよ!しっかりして!)  
 腹をくくって身構えると、背筋がしゃんと伸びた。扉が開く。  
震えながらも足は前に動く。  
「…ここね」  
 カードキーと同じナンバーがドアの前に記されている。天国から地獄へ  
突き落とす相手が中にいるのだ。  
 白く細い指が、二度チャイムを押す。  
「さあ!戦闘開始よ、フランソワーズ…」  
 
息を深く吸ってカードキーを操作した。ロックが解除される。  
「…プリマドンナのオーロラです」  
 あの男はひどい最低の源氏名をつけてくれた。あの男はバレエをなんだと思っているのか。  
足を晒して男に媚びる酒場の踊り子と同じ扱いだ。ブラジャーやスキャンティに紙幣をひねって  
はさんでもらって喜んでいるのではない。血の滲むような努力の果てに人間の素晴らしさと  
美しさを観衆に訴えるものなのだ。  
 部屋の中は明るい。位置だけ確認すると相手は奥のソファに陣取っている。  
(…背後から近付いて気絶させよう)  
「コンドームは必ずご使用ください。感染症対策のため、キスは禁止となっております」  
 ゆっくりと歩を進める。じゅうたんの感触が靴のヒール越しでもわかる。  
クローゼットの前の廊下を通り抜けると視界が開けた。  
「!ええッ!そんな…」  
 フランソワーズがその場で凍り付く。  
「…なかなか口上が板についているじゃないか。フランソワーズ」  
 ソファにもたれタバコをふかしながら、身近な知人が振り向いた。島村ジョーである。  
「世間は狭いなぁ。外人の白人女性でバレリーナかモデル…スポンサーにリクエストしたら  
君が送られてきたわけだ」  
 あまりの衝撃に言葉の出ないフランソワーズをたたみかけるようににジョーがつぶやく。  
「ボクは君を買ったんだ。だから文句はないよね。なにしてんの…早く脱いでよ」  
 

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