桃尻姫 〜出陣編〜  
 
 山のむこうに陽が落ち、夜の闇がそこまで迫っていました。  
 仙人の家から出てきた桃子は正装でした。長い黒髪はてっぺんで結わえられ、前髪から  
鉢巻の桃印がのぞいています。上にはノースリーブの桃色陣羽織、下は几帳面に折り目の  
入った赤いスカートです。  
「この剣、あなたには渡せない!」  
 桃子は斬鬼を見すえて剣を構えました。斬鬼は動じることなく爪をカチリと鳴らして  
戦闘態勢をとりました。  
「や、やべーって姫、勝てっこねえ」猿がまっ青な顔で言いました。  
「ももたん、ここは引くんだっ」雉はすぐにでも飛んで逃げてしまいそうです。  
 そんな家来の中で犬だけが持ち前の忠誠心の高さをみせ、白く大きな体をおどらせて  
敢然と斬鬼の前に立ちふさがりました。  
「姫さま、どこまでもお供します!」  
 犬の行動に桃子はうれしくなって、胸がふるえました。その時です。突然犬の首輪が  
激しく光りました。首輪は小さくて黄色い玉が数珠のようにいくつも連なっているもの  
でしたが、その玉ひとつひとつが吠えるように光を放っていました。  
「こ、これは!」  
 驚きとまどう犬にむかって桃子が言いました。  
「犬神さん! 私に力を貸して!」  
 わおおおおおおおおおん! 風を切り裂くような犬の遠吠えが山に響きました。犬の  
尻尾が炎のように青白く輝いて燃え上がり、全身をつつむ光が桃子に飛びついてひとつの  
大きな光の玉になりました。  
 まっ白い光の中で桃子は全裸でした。着ていたものは溶け出すように全部なくなって  
肌に触れるのはあたたかい光だけ。トロトロした粘液の海の中に漂っているような上も  
下もない感覚です。桃子の頭に生まれる前の記憶が流れ込んできました。大きな桃の中で  
汁につかって眠っている自分。それはとても甘い匂いのする気持ちいい場所です。光と  
なった犬のエネルギーがそこに合流して桃子をつつみました。桃子のあらゆる部分から  
侵食して細胞ひとつひとつを犬色に染めてゆきます。えもいわれぬ快感とともに、桃子の  
体に人智を越えた力がわきあがりました。  
 
「桃キューン! メークアップ!!」  
 歓喜の声をあげるように叫ぶと、犬神の力が形となって次々と桃子の体を覆いました。  
足には白く大きな靴、太ももまでのびた黒ソックスは上辺に赤いライン。申しわけ程度に  
乳房と股間を隠すスーツ、肩の部分は犬の毛のように逆立っています。手には銀の籠手と  
赤いグローブ、その手が刀の鞘をしっかりと握りました。  
「犬神憑依っ!!」  
 髪の色は深いブルーに変化し、結わえていたリボンは消えて頭から耳のようなものが  
ふたつ、ぴょこんと姿を見せています。そのフサフサはもちろん犬のものです。  
「ほう……!」  
 桃子の変身を見ていた斬鬼が、口もとをゆがませて笑いました。  
(姫さま、姫さま)  
 桃子の心に犬の声が響きました。  
(いったい何が起こったのですか、犬神憑依とは……)  
「話はあとよ、今は……」桃子は剣を構えて斬鬼に向き直りました。  
「いっしょに戦いましょう! いくよ、加速装置っ!」  
 犬靴のくるぶしの部分にある回転体が猛烈な勢いで回りはじめ、青白い炎が噴き出し  
ました。次の瞬間、弾かれるようにダッシュした桃子は、目にも止まらぬ速さで斬鬼に  
突撃しました。突きは十本の爪をかわし正確に斬鬼の心臓をとらえました。  
「がはっ!」斬鬼が目を見開いて吹っ飛びました。  
「まいったか!」  
 鬼を見下ろし桃子が勝鬨をあげました。桃子が足を踏み切ったところは地面が大きく  
えぐれて陥没していました。遠い間合いをたったの一歩で詰めたのです。  
(す、すごい、これが姫さまの……)  
「んーん。私と、あなたの力よ」  
 あまりの変貌ぶりに声の出ない犬に、桃子は自信の笑みをうかべて言いました。  
 斬鬼は胸から激しく血を流していました。  
「これが……邪鬼王の恐れた力……」  
 うつろな目で桃子の姿を見ながらつぶやきました。その青い体がぐずぐずと、溶ける  
ように崩れてゆきます。  
「行くのか、鬼ヶ島へ……。どこまでやれるかな……小娘が……!」  
 やがて斬鬼は爪だけを残して地面の青いしみになってしまいました。  
 ふう、と息をつくと、桃子は急に気が遠くなって、暗くなった視界で自分の倒れる  
どさりという音だけが耳に入りました。  
 
 桃子が目をさますと、まわりで見守っていた仙人たちは歓声をあげました。見えたのは  
部屋の天井です。どうやら家に運ばれ寝床に寝かされているようです。布団の肌ざわりが  
やけにスルスルするのでめくってみるとなぜか全裸で、桃子は短い悲鳴をあげました。  
「憑依合体を解除する時は裸になって気を失うみたいじゃのう」仙人がニヤニヤしながら  
言いました。きっと桃子の体をたっぷり見たのでしょう、すっかり元気を取り戻しています。  
「まだエネルギーの制御ができないようじゃ、慣れるまでは我慢じゃな」  
 仙人の横では布団を囲むようにして犬、猿、雉、金太、小熊、花子、海亀がみんなして  
安堵の笑みをうかべています。たぶん安堵の笑みでしょうが、みんなでよってたかって  
私の裸を見たんだ、と思うと無性に恥ずかしくなって布団をかぶりたくなりました。  
「姫、憑依合体のことは、師匠から聞きました」  
 犬、いえもはや犬神と呼ぶべき家来が神妙な顔をして言いました。  
「声が……聞こえたの」  
 桃子は誰にともなくつぶやきました。  
 鉢巻をつけ刀を手にとった時に聞こえた声。それはまだ見ぬ母のように慈愛に満ちた  
響きをもっていました。桃子が特別な力をもっていること。鉢巻と桃キュンソード、  
三匹の家来と憑依合体。声は桃子の全身に染みてそのあとは自然に体が動きました。  
 桃から生まれたものに与えられた運命と、使命を、知ったのです。  
「僕らが姫さまと合体することで鬼をも倒す伝説の力が発揮される……しかし驚きました、  
 まさか僕もそんな力をもってるなんて」雉がまだ半信半疑という顔で言いました。  
「くう〜、俺も姫さまと合体してえっ」猿は首の数珠をジャラジャラいじっています。  
「あたいも……」と思わず金太が言って、花子の視線を感じて頬を染めました。  
 仙人が咳払いをしてから、いつになく真剣な表情で口を開きました。  
「桃子、お前は鬼ヶ島へ行かねばならん。わしが教えることは、もうない」  
「はい」迷いなく答える桃子の瞳は澄んでいます。  
「あすの朝、発ちます。鬼退治に行ってきます」  
「うむ。今夜はもう休みなさい」  
 仙人がうなずくと、金太が横から口をはさみました。  
「あたいも行くぜ」  
「だめじゃ」ところが仙人は厳しく言い放ちました。  
「今のお前では、足手まといになるだけじゃ。斬鬼と対峙して感じたはずじゃぞ」  
 金太は口をつぐみました。  
「やつは鬼ヶ島四天王の一角にすぎん。その四天王を統べるのが、邪鬼王じゃ」  
「わかってる、だけど……」  
「カグヤの二の舞にさせるわけにはいかん。金太、わかってくれ」  
 火愚矢とは桃子たちの兄弟子にあたり、先に鬼ヶ島に向かい消息不明となっている人です。  
「……わかったよ」  
 金太はしばらくうつむいていました。小さくつぶやくのが精一杯でした。  
 
 仙人のところで過ごす最後の夜は静かにふけてゆきました。  
 体はひどく疲れているはずなのになかなか寝つけず、桃子は、窓から差しこむ月明かりを  
なんとなく眺めていました。  
 いっぽう隣の部屋では、花子が、月明かりに照らされる金太の裸体を眺めていました。  
「ねえ……そんなに……あの子がいいの?」  
 ぽつ、ぽつと言葉を区切りながら、横たわる金太の肌に指をすべらせます。脂肪のうすい  
肌にさわるたび敏感な金太は声を抑えられません。かすれた声がもれてしまいます。  
「ちょっと……嫉妬……しちゃうなあ……」  
 そう言った花子の気持ちは本当でした。桃子がここに来るずっと前から、花子は金太と  
肉体を交わらせる関係になっていたのです。ひと目見たその時から、兄弟子の火愚矢なんか  
には目もくれず、同性である金太に夢中になりました。火愚矢は甘いマスクと立派な男根を  
もっていましたが、大きくて張りのあるおっぱいも健康的にくびれた腰もえくぼのあるお尻も  
もっていなかったのです。  
「おぼえてる? はじめての夜のこと……。私が布団に忍びこんだら金太、まずびっくり  
 して、それから怒ったような戸惑ったような顔して……最後は気持ちいいって顔になった」  
 金太は目を閉じてじっと聞いています。  
「その時知ったの、金太のクリトリス私より全然ちっちゃくてかわいいって。お風呂とかで  
 おっぱい大きいことは見て知ってたけど、クリトリスは全然ちっちゃいんだってこと、  
 はじめて知ったのよ。この……」  
 耳元でささやきながら花子は指を金太の股間に進めました。金太は脚をかたく閉じて  
いましたが、花子の白くて細い指に触れられると魔法にかけられたように力が抜けて  
しまいます。指の進む先はもう体を動かすと水音をたててしまいそうなくらいヌルヌルで、  
それがいけないことのような気がして金太は顔をそむけました。  
「いいのよ、見せて……気持ちいいって顔、もっと見せて……」  
 
 花子が指をゆっくり上下させると金太の声がひときわ高くなりました。熱いヌルヌルが  
指先で運ばれて性器全体をこすります。  
「好きでしょう? これ……」  
 花子は満足げに笑みをうかべて言いました。  
「ね? あの日から、すぐクセになっちゃったものね……」  
 金太が許しをこうように、花子の腕に自分の腕をからめました。  
「私のまねしてあの子を責めてたみたいだけど、ほんとはされるの好きなんでしょう?」  
 花子は許さず、さらに強く指を押しつけ、指先を金太の奥のほうへ入れました。  
 声をのみこむような金太の声がして、すぐにもう一本、指を入れました。  
「ほら……入っちゃったよ……こんなによろこんでる」  
 中指と薬指の二本が金太の膣穴にすべりこみました。中はすっかりほぐれて肉のひだが  
時おりしゃっくりするみたいに動いて花子の指を受け入れていました。窮屈に締めつけ  
られる指はすぐトロトロに熱くなって、この感覚を自分の男根でじかに味わえないことを  
心の底から残念に思いました。  
 花子は金太の内ももやおへそに舌を這わせながらささやきました。  
「こうやって……気持ちいいことされちゃうの……好きなんでしょう?」  
 大きいストライドで力強く出し入れしたり、おなかの裏のところを素早くこすったり、  
奥の奥まで入れたまま指先でかきまわしたり、手のひらでクリトリスを強く刺激したり、  
動きを変えるたびに金太と金太の中の肉の反応が変わります。  
 布団の上でうごめく金太はかなりの汗をかいて、小さな水玉がいくつも乳房をなでる  
ように落ちて布団にしみを作っています。呼吸と鼓動のビートがどんどん荒々しさを  
増して布団のしみがじわじわ広がってゆきます。  
「ねえったら、金太……」  
 花子は指を抜くと、もうまったく力の入らない脚をひろげて股間に顔を突っ込みました。  
 
 汗と愛液のまじった濃厚な金太のにおいが鼻をつきます。鼻先でクリトリスにさわり  
ながら長い舌を膣口へと入れました。金太のうすく白濁した愛液を味わうとまるで金太  
そのものを支配したような気になって、花子は思わず身をふるわせました。金太の味が  
舌から全身にひろがってゆきます。仙人の言っていた合体とはきっとこれに近い感覚に  
違いないと花子は思いました。  
 またしばらく舌を出し入れしたり中のひだを伸ばすように押しつけたりクリトリスを  
強く吸ったりしていると、金太がびくんと体をはねさせました。快感がいちばん上に  
達したサインです。なおも許さず舌を動かし金太の中を味わいつくします。金太が手で  
頭を離そうとしても太ももにしがみついて吸います。そのうち金太はあきらめたように  
力を抜いて深い快感の底へ沈んでいきます。  
「……ね、好きなんでしょう? 私のことが……」  
 ようやく花子が股間から顔を離して金太の顔を見ました。  
「好きだ……っ」金太の声はほとんど泣いていました。  
「あたいは、花子が好きだ……花子が好きだし桃子が好きだっ」  
 金太の言葉を聞いて、花子は、やさしい笑みをうかべました。  
「聞いた? 桃子ちゃん……」  
 金太ははっとして飛び起きようとしましたがうまく体に力が入らず、ごろりと転がる  
ようにしてフスマの隙間からのぞいている桃子の姿を見ました。桃子は暗がりの中でも  
わかるくらい青ざめていました。  
「桃子……」  
「ごめんなさい、わたし……」  
「あした、早いんでしょう? もう寝なきゃ」  
 花子が金太の愛液にまみれた唇を開きました。  
「帰ってきたら続きをしましょう。その時はみんなで、ね」  
 桃子はもう一度ごめんなさいとつぶやいて、足早に部屋を離れました。  
「桃子っ!」金太の声が、誰もいないフスマの向こうに飛んで消えました。  
 やっぱりちょっと妬けちゃうな、と花子は思いました。  
 
 長い夜が明けました。  
「地図は持ったな? 山をおりればすぐに海じゃ、船着場に小舟がある」  
「はい」  
 仙人と桃子が、家の外で声をひそめて話していました。明けたといってもまだ薄暗い  
空です。桃子の横で三匹の家来が眠い目をこすっています。  
「なあ、姉さんたち、ほんとに起こさなくていいのかよ」猿があくびをしながら言いました。  
 桃子のふたりの姉さんは、まだ家の中で眠っています。きっと同じ布団の中で。  
「いま顔あわせたら……行きづらくなっちゃうから」うつむきながら答えました。  
「うむ……それもいいじゃろう、お前はきっと帰ってくる、皆で待っておるぞ」  
「はい」  
「島に一寸という男がおる。まずやつに会え、お前の力をさらに高めてくれるはずじゃ」  
「いっすんさん?」  
「わしの、まあなんというか、同胞じゃ」  
「わかりました」  
 短く言ったあと、なんともいえない重い沈黙がふたりを包みました。  
「師匠、あの、今まで……」言いかけた桃子を、仙人が制しました。  
「よいか桃子、戦場におもむく時、感傷的な別れは必要ない。感傷は戦場で心の弱さとなる。  
 ちょっと散歩に出かける時のように普通に行け、そして、普通に帰ってこい」  
 それを聞いて桃子はうなずき、深々と礼をして、仙人に背を向けました。  
 
 遠ざかる桃子たちの背を見届けて、仙人が家に入ろうとしたとき、ふと昨日の斬鬼の  
爪が視界に入りました。ばらばらに落ちている爪を処分しようと集めはじめて、仙人は  
首をかしげました。十本あったはずの爪が一本、どこかに消えていたのです。  
 
 地図にしたがって山をおりると一気に視界がひらけて、暗い海が広がっていました。  
 濃い霧におおわれた海の向こうに、鬼ヶ島の影があります。小さな海岸の小さな船着場  
にはたしかに木の舟が一艘、荒い波に揺られていました。  
「いよいよですね」犬神が緊張の面持ちで言いました。  
「ま、大丈夫だろ、いけるいける」猿の声はふるえていました。  
「行こう、ももたん」雉はすでに離陸して準備万端です。  
「よおし!」  
 桃子と犬神と猿が舟に乗りこみ、桃子の肩に雉が乗りました。  
「いざ! 出陣っ!」  
 桃子のかけ声にあわせて、家来たちがオーッと拳を振り上げました。  
 舟が岸を離れ、すこしずつ故郷の山が遠ざかってゆきます。おじいさん、おばあさん、  
さまざまな思い出が桃子の胸を行き来します。家来たちとの出会い、山の道中、厳しい  
修行、厳しくもやらしい師匠、そして仲間たち……。  
 そんな時です。波の音と風の音にまじって、桃子は声を聞きました。たしかに声です、  
人の声、自分を呼ぶ声です。  
「姫さま!」猿が海岸を指さして叫びました。桃子は驚いて舟のしっぽに身を乗り出し  
ました。舟がひときわ大きく揺れました。  
 金太と花子の姿がそこにありました。  
 ふたりは手を振りながら、声をかぎりに桃子の名を叫んでいました。  
「ピンチの時は呼んでくれー! どこだって助けに行くからーっ!」  
「約束やぶっちゃだめよー! ぜったい帰ってきなさーい!」  
 ふたりの声がはっきりと聞こえます。桃子はぼろぼろ涙を流して手を振りました。  
「ありがとおー! いつもみんな、いっしょだよーっ!」  
 師匠の言ったことは正しくないかもしれない、と桃子は思いました。  
 感動的な別れは、きっと私の強さになる。  
 桃子たちは霧に包まれお互いの姿が見えなくなっても、手を振りつづけていました。  
 
(つづく)  
 

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