桃尻姫 〜襲来編〜  
 
 桃子たちがあわてて仙人のところへ駆けつけると、そこは空気が変わったように冷たい  
緊張感に包まれていて、湯あがりの肌がぞくりと粟立ちました。突然雉に呼ばれたせいで  
服を着てる間がなく、三人とも寝巻き用の浴衣を軽くはおっているだけの格好です。  
「師匠!」  
 桃子がまっ先に、浴衣の裾をひるがえして仙人のもとへ駆け寄りました。血だまりの中で  
倒れる仙人の頭を持ちあげると、もはや虫の息で、でも桃子の短い浴衣からのぞく太ももや  
おへそを見て鼻息を荒くしていました。大丈夫そうね、と桃子は思いました。  
「桃から生まれた女は、お前か」  
 下腹部に重く響く声がして、桃子は顔を上げました。夕陽を背にして鬼が立っていました。  
 青い肌の鬼は全身が鋼のような筋肉で覆われていて、そこに刻まれた無数の傷が百戦錬磨  
ぶりを思わせます。歌舞伎役者のような長い白髪が風にゆらめき、その中に同じ白のツノが  
二本、雄雄しく立っています。何よりも目をひくのは鋭く光る十本の爪でした。大きな手  
よりも長く長く伸びた爪、その一本一本が業物のごとく研ぎ澄まされ、何者も寄せつけぬ  
冷気を放っていました。すこしでも近づいたらやられる、桃子は直感しました。  
 桃子が息をのんで返事できずにいるのを見て、金太が叫びました。  
「あたいに何か用かよ!」  
 全員の視線が金太に注がれました。金太は鬼だけを見ています。  
「お前か……」鬼はまったく表情を動かさずに金太の方に一歩、足を出しました。  
「金ちゃん」  
「まかせろ」桃子の言葉をさえぎって、金太が言いました。唇をまっすぐに結んで鬼を  
にらんでいます。でも唇の端が小さくふるえていました。金太も怖いのだ、そう思うと、  
桃子の胸がきつく締めつけられました。  
 
「あねご、危険じゃァ、あいつはただの鬼じゃねェ」金太の足もとで小熊が言いました。  
小熊のしゃべり方は妙に仁義なき感じなのですが、その姿はクマのぬいぐるみにしか見えず、  
声も幼女のようにカン高いので相当な違和感があります。  
 金太は前を向いたままで、右足を小熊の前に出して鬼に対する壁を作りました。それと  
ほぼ同時に、鬼の両手が揺れ、爪の切っ先が金太に飛びつくように襲いかかりました。  
「う!」短い悲鳴が、刃物の巻き起こす風の音と混じりあって響きました。  
「金ちゃん!」  
 金太の浴衣が切り裂かれて、破片が吹雪のように舞い散りました。金太は身構えることも  
できずに、ただその引き締まった裸体を鬼の前にさらしました。  
「お前の持っている剣を、渡してもらおう」  
 カチカチと爪音を立てながら鬼が言いました。金太は声を失い、戦慄しました。鬼の爪は  
金太の肌を一切傷つけることなく、その上の布だけを切ったのです。恐るべき精密さでした。  
「なんだよ、服しか切れないのか? 意外とナマクラだな」  
 金太はそう言って笑いました。強がりでした。鬼がまだ何の力も出していないのは明らか  
です。わかっていても何か言わないと、精神が鬼の威圧感に耐えられなかったのです。  
 体を見られて、心まで屈服させられたらそれで終わりです。  
「なあ小熊、そう思うだろ?」足もとの小熊に目をやって、金太はまた声を失いました。  
 あわれ小熊は、全身の毛を刈り取られてしまっていました。  
「あねごォ……」もはや小熊に見えない白くて細いものが、ひときわ高い声をあげて、  
泣きそうな顔で金太を見上げました。金太はそんな小熊を踵で軽く蹴り出して、離れろ、  
とつぶやきました。小熊は一目散に後ろへ走りましたが、後ろにいた犬たちは、愛らしい  
クマの面影がまるで消えてしまった仲間を不気味がって、ひきつった笑顔をうかべました。  
 
 小熊が逃げるのを見届けてから、金太は鬼に向きなおりました。さっきまで入っていた  
温泉のぬくもりは消え失せて、妙に冷たい風が金太の肌を撫でました。  
「で? 用件はなんだっけ」  
 むき出しになっている胸の先が、かすかにふるえています。金太は自分の体を隠そうと  
せず、気丈に胸を張って、恐ろしい鬼と対峙していました。  
「剣はどこにある?」  
「さあ、知らないなあ」  
 そう答えると、また鬼の爪が動く気配がして、金太は思わず目をつぶりました。  
「ひあっ!」  
 金太の胸に冷たいものが押しあてられて、今まで出したことのない声が出ました。  
 目を開くと視界の下のほうで、左右の乳首が爪に挟まれてその形を変えていました。  
「う、うっ」爪はやわらかな乳首を傷つける寸前の圧でつまんでいます。ほんの少しでも  
動くと、痛みに満たないその痛みは鋭く激しいものとなって金太を襲うでしょう。乳房に  
うずまる爪は凍てつくように冷たく、なのに、金太の全身から汗が噴きでてきました。  
「このまま……えぐりとってやろうか」  
 鬼はそう言って、別の爪の先端で乳首の先っぽをチクチク刺激しました。  
「や……やめ……っ」  
 心臓がものすごい速さで脈打ち、呼吸がどうしようもなく荒く不規則になってゆきます。  
 命を握られている、その感覚は、金太の思考を急速に停止させました。  
「あっ、ぁあ、ううああああっ」奮い立たないといけないのに、体も、頭も、働くことを  
やめようとしています。わけのわからない叫び声をあげることしかできません。爪は執拗に  
乳首を刺激してきます。完全に勃起しても容赦なく刺激します。少し爪がめりこみ新たな  
甘い痛みが乳首から全身に広がりました。このまま機械の電源が切れるみたいにぷつんっと  
落ちてしまう、ヨダレもオシッコもぜんぶ垂れ流して絶対的強者に屈服してしまう。心を  
麻痺させる薬のカプセルが乳首のところでつぶされて血液を流れ徹底的に冒しました。  
 
「もう一度だけ聞く、剣はどこだ」  
「うぅ、しっ、知らない……知らないいいぃぃっ」  
 金太は涙と鼻汁を流しながら残った力を絞り出すように答えました。  
 鬼がとどめを刺そうとしたその時です。突然空から白い糸が降ってきて、一瞬にして  
鬼の手首が縛りあげられました。金太の乳首は赤みを残して爪の束縛から逃れました。  
「浦ちん!」桃子が声をあげました。後ろでずっと金太の限界を見計らっていた花子が、  
ギリギリのところで助け船を出したのです。  
「いじめる子は、きらいよ」  
 花子が自慢の釣竿をしならせると、ホールドされた鬼の両手首が勢いよく持ち上げられ  
ました。竿の扱いにかけては花子の右に出るものはありません。金太が膝を折って崩れる  
ように座りこみ、その恐怖と恍惚のまじった何ともいえない官能的な表情は花子の心を  
くすぐりました。  
 金太をいじめていいのは私だけ、誰にも聞こえない声でそうつぶやいて、竿にいっそう  
力を込めました。  
 ところが鬼は両腕を高く吊られたままぐっと腰を落として、巨大な刀を振り下ろすような  
動きで糸を思いきり引っ張りました。  
「あぶない!」桃子が叫ぶのと同時に花子の体は宙に浮き、竿を離す間もなく鬼のほうへ  
もっていかれました。十本の爪がミキサーのブレードみたいに口を開けて花子の眼前に  
迫りました。自分の顔面がずたずたにつぶされて湯気をたてているところを想像して、  
花子は全身をぞくぞく震わせました。  
「う!」次の瞬間わき腹のあたりに衝撃を受けて、刃は花子の前髪をかすめ横にスライド  
してゆきました。家来の海亀が体当たりをして花子の軌道を変えてくれたのです。  
「浦島さん! 大丈夫ですか!」  
 ワラの山につっこんだ花子は失神しそうになりながら海亀の声を聞きました。体の震えが  
ひどく、生ぬるいオシッコが股を濡らしているのに気づきましたが、止めようもなく広がり  
小さな水たまりを作って湯気をたてました。  
 
 鬼は手にからんだ糸を悠然とはずすと、ひとり残る桃子を冷たく見下ろしました。  
「ま、待て、斬鬼よ、待ってくれ……」  
 仙人が声を振りしぼって呼びかけました。  
「わたしを知っていたか」斬鬼と呼ばれた鬼は表情を変えません。  
「剣を渡す、すぐに持ってこさせる。桃子、たのむ……」  
 仙人は桃子の耳を寄せると、桃鉢巻を忘れるな、とささやきました。桃子はうなずいて、  
仁王立ちする斬鬼に注意を払いながら家の中に入りました。  
 桃鉢巻は仙人が長年大切にしているもので、神棚にうやうやしく奉られています。黒い  
重箱を開けると、まっ赤な生地の中央に大きな金の桃のマークが入っていて、桃子はすこし  
親近感をおぼえました。たいへん神聖なもので、誰にも触れることを固く禁じられていた  
鉢巻です。その封印をいま解くことの意味は桃子にはわかりようもありませんが、師匠の  
言葉を信じ、ていねいに箱から出して自分の頭に装着しました。  
「おねがい……力を貸して……!」  
 鉢巻は桃子の頭にぴったりと、吸いつくような心地よさで収まりました。鏡を見ると、  
額の部分の金桃がほのかに光っています。そこを指先でさすると、何かの声が聞こえる  
ような不思議な感覚にとらわれました。  
 その時、鉢巻に呼応するかのように、かたわらに置いていた桃子の剣が光を放ちはじめ  
ました。まばゆいけれど鋭い、体の奥から勇気を湧き出させるような光でした。  
「桃キュンソード……!」  
 剣を手にする桃子の瞳は強い決意に満ちていました。  
 
(つづく)  
 

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