花札の国のツンデレ美女の春華と、彼女を慕うヘタレ男の風雅。両名ともおそらく十代後半。  
時短中、姿を消した春華を追って風雅が森を探し回る演出があります。  
オフィシャル設定が↑これだけなので、このSS内では春華は裕福な商家の一人娘ということにしてあります。  
 
 
〈森にて〉  
 
「春華、どこに行ったんだ!」  
日暮れの森の中を走りながら、風雅は必死に叫んでいた。  
おりからの雨で視界は悪く、寒さと不安で彼の心は折れそうになってくる。  
しかし風雅は歯を食いしばりながら走り、まだ屋敷に帰っていない春華を探し続けた。  
怪我をして動けなくなっているのではないか、野犬にでも襲われてはいないだろうか。  
頭の中に悪いイメージがどんどん膨らんできて、風雅の心には焦燥感だけが募っていた。  
 
たどり着いた森の奥、狩人でさえも滅多に足を踏み入れない場所にある、小さな洞窟。  
入り口に見慣れたかんざしが落ちているのを見つけ、風雅は駆け寄ってそれを拾い上げた。  
間違いない、春華の物だ。  
彼女はこの中にいるのだろうか、ならば探しに行かなければならない。  
しかし、コウモリやムカデがいるかもしれない洞窟に一人で入るのは、彼には恐ろしく感じられた。  
「(こ、怖くないっ怖くないっ)」  
しばらく迷った後、風雅は強引に自らに言い聞かせ、洞窟へと足を踏み入れた。  
歩を進めるうちに、背後の雨音が次第に小さくなっていき、代わりに洞窟のひんやりした空気が体にまとわりつく。  
自分の足音に時折ビクリとしながら、風雅は一歩一歩洞窟の奥へと歩いていった。  
臆病な彼には長い距離に感じられたが、実際はまだ少ししか来ていない。  
洞窟は相変わらず狭く暗く、彼の侵入を阻むように奥へと続いていた。  
 
森を走っていた時とは大違いに、恐る恐る歩いていた風雅の足がふと止まる。  
あちらの岩陰で、白い影がちらりと動いたのが目にとまったのだ。  
まさか幽霊……と怖気づく心を必死になだめ、風雅は懸命に目を凝らして影を注視する。  
しかしまだ暗闇に慣れない目では、影の正体を掴むことはできなかった。  
「は、春華……なの?」  
彼は意を決し、暗闇に微かに浮かぶ白い人影に尋ねる。  
もしも違ったら即座に逃げようと、その腰は完全に引けていた。  
 
「風、雅……?」  
白い人影が発した言葉を聞いて、風雅の心臓がどきりと跳ねる。  
振り返った、見覚えのある衣を来た女性は、やはり春華だった。  
「遅いわよ、来るの」  
「……ごめん」  
相変わらず高飛車な声で、春華が言う。  
それに思わず謝った風雅だったが、次の瞬間にはハッとして顔を上げていた。  
「もう!心配させないでよ、春華っ」  
元はといえば、こんな雨の夜に春華が一人でいなくなったのがいけないのだから、自分が怒られる筋合いはない。  
そう思った彼は、今日はいつもの僕じゃないぞとばかりに春華を少しだけ睨みつける。  
心配が解消された後に来るのは、振り回されたことに対する微かな怒りだった。  
「一人でこんな所まで来て、危ないじゃないか」  
風雅は、日頃春華に従順なことも忘れ、声を荒げて文句を言った。  
普段ならば、決して口にしない類の言葉だ。  
「……うん」  
「うんじゃないよ。春華の家の人が『春華様がまだお戻りではない』って言って、僕は心臓が止まるかと思ったのに」  
こんな雨の中いなくなったなんて、心配だったから探しに来たというのに。  
ありがとうという言葉を掛けてくれることもなく、さりとて冷たい態度を取るわけでもない春華が、風雅には不満だった。  
 
「無事だったんなら、いいよ。雨がやんだら帰ろう」  
もうちょっと何か言ってやりたい気持ちはあるが、あんまり責めるのはよくないだろう。  
だから、これ以上は言うまいと早々に決め、風雅はなるべく穏やかに言った。  
「いや。帰りたくなんかないわ」  
しかし、春華は風雅の精一杯の譲歩をあっけなくはねつける。  
そしてそのまま洞窟の岩に腰を下ろし、ぷいとそっぽを向いてしまった。  
「どうして?お腹空いてるんじゃないの?」  
「お腹なんてどうだっていいわよ。帰りたくないの」  
「なんで?皆が心配するじゃないか」  
「いいのよ、いいんだったら!」  
「春華……」  
春華はワガママで気分屋ではあるが、進んで人に迷惑をかけることはしない。  
なぜ今、彼女がこうも強情なのか、風雅には分からなかった。  
「どうしたの?家の人に怒られたの?」  
尋ねても、春華は顔をそらしたまま答えようとしない。  
「ねえ春華、どうしたのさ」  
しつこい男は嫌われると知りつつも、尚も風雅はその後姿に問うた。  
 
「……今日、家に男の人が二人来たの」  
長い沈黙の後、春華がぽつりと言う。  
「山向こうの商人と、そこの三男だそうよ。色々手広くやっていて、上り調子の家なんですって」  
突然、全く関係ない話題が持ち出され、風雅の頭に疑問符がいくつも浮かぶ。  
「それが、どうしたの?」  
「『わしがご当主と商談している間、ご子息に庭でも案内して差し上げなさい』ってお父様に言われたわ。  
言われたとおり案内して、夕方二人は帰ったんだけど……」  
「うん」  
「その後で『あの男を、お前の婿にするつもりだ』って、お父様が……」  
「ええっ!」  
春華の言葉に、風雅は思わず腰を浮かせた。  
「む、婿?」  
「そうよ。うちに迎えて、家を継いでもらうんですって」  
まるで他人事のように、春華が言葉を続ける。  
「私より十五も年上で、でっぷり肥った人だったけど、商才はあるんですって。  
『商いに熱中するあまり、婚期を少々逃してしまった』そうよ」  
春華の言葉を聞いた風雅は、頭を棒か何かで殴られたようなショックに襲われた。  
この花札の国で、女の適齢期は二十歳前後だが、名家の子女ならもっと早くに縁談が決まることも珍しくない。  
春華は裕福な商家の一人娘で、入り婿をもらう必要がある以上、縁談を少しでも早く進める必要がある。  
むしろ今まで、そういう話が一つもなかったことの方が不思議だったのだ。  
 
「駄目だよ!そんな人と結婚なんかしちゃ」  
春華の袖をつかみ、必死の形相で風雅が言う。  
彼女がよくも知らない男の妻になると言ったことが、彼には堪らず恐ろしかった。  
「私は一人っ子だもの。どっちにしろ、他所からお婿さんに来てもらわないといけないのよ」  
「だって、春華はその人のこと、好きじゃないんだろう?」  
「風雅」  
春華が、真剣な顔で風雅を正面から見据える。  
「好きとか嫌いじゃないの。家同士のことだから、私の気持ちなんか二の次なのよ」  
言い切ってみたものの、春華の瞳が揺れているのが風雅には分かった。  
いくらつれない態度を取られ続けていたとはいえ、ずっと一緒にいた彼が、春華の心模様に鈍感であるわけもない。  
「嬉しいのなら、もっと晴れやかな顔をするはずじゃないか。そうじゃないってことは、その人がいやだってことなんでしょう?」  
「え……」  
「ねえ。僕にまで嘘をつかないでよ」  
風雅に食い下がられ、春華は言葉に困って黙り込んだ。  
 
「(春華の中で今、建前と本音が戦っているんだ)」  
春華が本心を言ってくれるのを待ち、風雅は彼女を見つめ続ける。  
長くも短くも感じられる沈黙の後、ようやっと春華が口を開いた。  
「……そうね。全く知らない人を『未来の夫』って言われても、困るわ」  
「うん、そうだね。僕だって同じ立場だったら、きっとあっけにとられていたと思う」  
やっと春華が話し出してくれたのが嬉しくて、風雅はさらに言葉を誘うように相槌を打った。  
「すごく素敵な人なら、一目ぼれするかも知れなかったけど……」  
「うん」  
「全く心惹かれなかった。ただの、お父様のお仕事関係の人という感じだったし」  
「そうなの?」  
「ああいう引き合わされ方も、騙されたみたいで腑に落ちないわ。まるで政略結婚じゃないの」  
春華の家系は、代々裕福な商家である。  
彼女の両親も祖父母も、互いの家の思惑によって縁づけられた夫婦だ。  
だから今回のことも、彼女の父親にとってみれば、当然のことをしたに過ぎない。  
しかし春華には、今まで何も言わなかった父がそのように取り計らったことが、裏切られたように感じられるのであろう。  
「お父様とお母様みたいな夫婦になんか、なりたくないわ。  
いつもお互いを疑って、ちっとも心がつながっていなくて。そんなのいや」  
「うん」  
「お父様みたいに、よそに女を作る人なんかいやだわ。お母様みたいに、溜息ばかりの人生もいや」  
「そうだね。元気のない春華なんて、僕だっていやだよ」  
誰が何と言おうと、春華の魅力は天真爛漫で自分本位だということであると、風雅は確信している。  
年の離れた夫に仕えるとか、家のためという名目で意に染まぬ結婚をするなどということは、およそ春華らしくはなかった。  
 
「春華は、その人と結婚したくないんだね?」  
「そうよ、あんな人と結婚するなんて絶対にいや!」  
正直な気持を言って欲しいという、風雅の心が届いたのだろう。  
春華はついに本心を叫び、、彼に抱きついて泣き始めた。  
涙が落ち、風雅の衣をじっとりと濡らしてゆく。  
お転婆な彼女の、普段は全く見せない女らしい姿に、風雅の胸がざわついてくる。  
風雅とて、春華に結婚などして欲しくないのは同じだ。  
よちよち歩きの頃から、彼はいつも彼女の背を追いかけ、春華待ってよと呼びかけていた。  
それがもうできなくなるなどということは、風雅には想像するだに恐ろしかった。  
春華は言いたいことを全部言っているように見せながらも、本当に言いたいことは心に留める傾向がある。  
幼い頃からいつも一番近くにいた風雅には、それがよく分かっていた。  
「あの人、とてもいやらしそうな目で私を見たわ。下から上まで、嘗め回すようにじろじろと」  
身震いをしながら春華が言い、抱きつく腕に力を込める。  
「あんな人と結婚なんかしたら、私の人生終ったも同然よ」  
発育が良く魅力的な肢体を持つ春華を、男がそういう目で見てしまうのはある意味仕方がないこと。  
しかし年頃の娘にしてみれば、そうあからさまなのは耐えられないというわけなのだろう。  
 
風雅の手が、そっと春華の背を撫でる。  
表向きは、泣く春華を落ち着かせるため。  
しかし本当の目的は、好きな女性に抱きつかれて動揺しきっている、彼自身の心臓を静めるためだった。  
「春華は、どんな人と結婚したいの?」  
自分を懸命に抑えながら、なるべく落ち着いた声色を使って風雅が尋ねる。  
春華の中から、昼間に会ったというその男のイメージを、消し去ってやりたいと思ったのだ。  
「私のことを、すごくすごく好きな人がいい。私だけを一生愛してくれる人じゃなきゃ、絶対にいや」  
「うん」  
「どんなことがあっても、私だけを見てくれる人がいい。  
それさえ叶えられるなら、顔がまずくても甲斐性が無くても全然構わないわ」  
愛ではなく実利によって結ばれた両親を見て育ってきた反動か、春華は瞬時にそう答えた。  
「春華のことを、ずーっと想ってくれる人がいいの?」  
「ええ」  
「(それなら、僕じゃないか)」  
声に出さずに風雅は思った。  
春華のことだけを見て、春華だけを追いかけて生きてきた自分が、幸せにしてやるべきじゃないのか。  
ふと頭に浮かんだその考えは、瞬く間のうちに膨れあがり、彼の思考を支配した。  
 
「春華」  
深呼吸を何度かして、風雅は気持ちを落ち着けてからおもむろに口を開く。  
さっき彼女に抱きつかれた時よりも、彼の心臓はより早鐘を打っていた。  
「僕が、春華をもらう。僕と結婚してよ」  
「えっ?」  
泣き濡れたままの顔を上げて、春華がぽかんと風雅を見つめる。  
濡れた大きな瞳が、パチパチと大きくまばたきを繰り返した。  
「ねえ、僕じゃだめ?春華は、僕が君の夫になるんじゃ不満なの?」  
あっけに取られたまま返事をしない春華の姿に、風雅は焦りを覚えた。  
もし断られたら……という不安に苛まれ、知らずのうちに早口になる。  
「だって、そんな、風雅は……」  
「僕は?」  
「弟……みたいなものでしょう?」  
確かにそうだ、と風雅は思う。  
まるで姉を慕う弟のように、始終春華の後を追いかけては、邪険にされて泣いていた。  
告白しようと決意したのに、もう少しのところで思いを伝えられなかったことなど、何度あるか彼自身にもわからない。  
しかし、もうそんな子供だましの関係を続けているわけにはいかない。  
春華を他の男に取られそうな今、頑張らなくていつ頑張るというのだという思いが、彼を雄弁にした。  
「僕、大人になるよ。春華のお父さんに認めてもらえるように、きちんと商売を仕込んでもらう。  
頑張って認めてもらえれば、春華をお嫁さんに下さいって、ちゃんと言うから」  
「本当……なの?」  
「うん、だから安心して。春華を山向こうの三男坊とは結婚させたりしない」  
風雅が春華の正面に回り、その両腕を握って力強く言う。  
今までにないその男らしい振る舞いに、春華の胸を甘酸っぱい感情が満たした。  
「(何かしら、この気持ち)」  
残念ながら、彼女がその感情が何であるかに気付くのは、もう少し先のことだ。  
 
「でも、いいの?私を奥さんにするのよ?」  
涙を拭って顔を上げた春華が、自信なさげに風雅に尋ねる。  
風雅を邪険にし続けていたという自覚は、ちゃんと彼女にもあるのだ。  
なのに今こうして、彼が自分のために頑張ると大見得を切ってくれたことが、春華には些か不思議であった。  
「いいも悪いもないよ。だって僕は、春華のことがすっ……すっ……」  
「何?」  
「すっ……すっすっすすっ……すっすっ……す、好きなんだもの」  
風雅のたどたどしい告白に、春華は驚いた後に頬を綻ばせた。  
女々しくて頼りないばかりだったこの少年も、ここ一番ではちゃんと言いたいことが言えるのだ。  
それにしても、結婚を申し込むより、好きだと言う方が難しいとは。  
「(なんか、風雅らしいわね。ちょっと可愛いかも)」  
さっきの甘酸っぱい感情がまた胸にこみ上げ、春華は知らずに微笑んでいた。  
あの風雅にここまでさせたのだ、自分がもうこれ以上めそめそするわけにはいかない、と思いながら。  
 
「いいわ。あんたが本当に一人前のいい男になってくれたら、お婿さんにもらってあげる」  
「春華っ。ほ、本当!?」  
一転して有頂天になる彼を見ながら、今はまだ『ありがとう』と言うべきではないのかもしれない、と春華は思った。  
「(だって、風雅は辛く当れば当るほど、私を慕ってくれるんだもの)」  
今までがそうだったのだから、今回もきっとそうに違いない。  
自分のために頑張ってくれると言う彼に感謝をしていても、春華はそれを口にするのを思い留まった。  
「せいぜい頑張ってね。お父様には『今日の人は絶対いやだ』って言っておくから」  
彼女の言葉に、風雅が大きく頷いて微笑む。  
「そうだね。『あんまりいやだから、家出しちゃった』とでも言えば、きっと無理強いはしないと思うよ」  
なるほど、それなら家人も自分の振る舞いを咎めないかもしれない。  
この際、風雅のアイデアを頂くことにしようと、春華はちゃっかりと決めた。  
「でも誤解しないでね。別に、あんたと結婚したいから今日の人を断るわけじゃ、ないんだからね」  
「わ、分かってるよ春華……」  
「冴えている」と褒めようとした言葉を飲み込み、春華はいつもの高飛車な口調で釘を刺す。  
おどおどと口ごもった風雅を見て、彼女はふうっと溜息をついた。  
「(先は長いわね、今のままじゃ、絶対お父様に認めてもらえないわ)」  
早く風雅が男らしくなってくれるよう、自分も鍛えてやらねばならないという使命感が春華の胸に湧いた。  
「ねえ、帰りに森で木の実を集めて帰りましょう。私が拾うから、あんた、木に登って落として頂戴」  
「えっ、そんなの危ないよ。落ちてるのを拾うだけにしようよ……」  
「だめよ。やるっていったらやるの」  
「う、うん……」  
「いいわね。じゃ、さっさと寝る!」  
夜の森を帰るより、ここで朝になるのを待ってから帰った方がよさそうだ。  
風雅を隣に座らせながら、春華はてきぱきと指示を出した。  
それに従った風雅が、彼女にもたれかかられてうっすらと頬を染める。  
「(そういえば、夫婦になったら、こいつとあんなこととかこんなこと、するのよね……)」  
想像してみても、春華にはいまいちイメージが湧かなかった。  
「(まあいいわ。どうせまだまだ先のことなんだし)」  
考えるのを放棄し、春華はさっさと目を閉じる。  
男らしい風雅など想像できないと思いつつも、彼女の頭の中では、彼と夫婦になることはすでに決定事項だった。  
 
 
 

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