祝言から2ヶ月ほどが経ち、春華と風雅、2人の夫婦ぶりもようやく板についてきた。  
まあ、どうにか形になっているのは他人の前でだけで、2人きりの時には相変わらず春華が優勢なのだが。  
もともと女王様と下僕のような間柄だったので、夫婦になったとはいえ、この関係性は短期間でどうにかなるものでもない。  
しかし風雅は、妻となる前とちっとも変わらない春華の態度に、別に文句を言うわけでもなかった。  
彼とてまた、結婚によって2人の関係を180度転換することは望んでいないのだ。  
いきなり春華が従順になったとすれば、彼はきっと腹でも下すに違いない。  
 
 
ところで、この花札の国には、新婚旅行という物は無い。  
初夜が明けると、男は妻の手によって朝の支度を済ませ、商人は店へ、農夫は田畑へと通常通りの一日を始める。  
風雅も例外ではなく、祝言の翌日からまた春華の父の右腕として働き始めた。  
少しだけ変わったのは、彼が有望な若い衆から、大店の若旦那になったことだけ。  
以前からもそれなりの仕事は任されていたが、その朝からは店の正式な後継者として扱われはじめた。  
店に出ることは少なくなり、交渉ごとや店の経営方針などを、売場の最前線からは一歩引いた立場で考えることを求められる。  
ただの使用人ではなく、経営者としての目を養う必要性が新たに生まれたのである。  
風雅の舅となった春華の父も、それについては思うところがあったようだった。  
生まれながらの跡継なら幼い頃から自然に慣れることでも、3年前まで商売に全く関わりの無かった者に、経営者のイロハを教えるにはどうすればよいか。  
まずは第一歩として、春華の父は、風雅に少々過酷な仕事を申し付けた。  
風雅を、2ヶ月あまり商用の旅に出させることにしたのだ。  
この国を出てずっと遠くへ行き、売り物になる他国の産物を探し出して商談をまとめ、持ち帰るという大事な仕事。  
仕入れの目利きと値段の交渉、相手方と一から新しい信頼関係を築く、なかなかハードな内容である。  
父から内々にそれを聞かされた時、普段は散々夫につれない態度を取っている春華も、さすがに反対した。  
いくら必要でも、2ヶ月もの長旅など風雅には絶対に無理だ、と父に食って掛かり、撤回を求めたのだ。  
だが春華の父は、娘の意見を受け入れなかった。  
娘婿によい跡取りになってもらうにはどうすればいいのか、彼なりに考えた結果であるからだ。  
有望な跡取り育成マニュアルなどという物が無い以上、これと思うことをやらせるしかない。  
しかし、さすがに娘の激しい反対には彼も辟易したのか、先手を打つべくすぐに風雅を呼び、旅のことを了承させた。  
風雅としては、舅からの申し付けであるから従う他はない。  
なんでそんなの了承したのよ!と食って掛かる春華に苦笑しながら、風雅は早々に旅支度を整えた。  
そして数日後、道中で売って路銀にするための大荷物を抱え、古風に傘をかぶって彼は館を出た。  
「可愛い子には旅をさせよ、だ。あんまり心配するんじゃない」  
座敷でむっつりと膨れる春華に、娘婿を見送った父は言い訳のように小さく呟いた。  
 
風雅が旅立って、ものの数日で春華はすっかり日常の生活に飽きることになった。  
物見遊山ではなく商用の大事な旅であるから、道中で私的な内容の手紙なども送れない。  
風雅なら毎日でも手紙を……と春華は漠然と考えていたのだが、その予想は全く外れた。  
彼女にしてみれば、非常に面白くない。  
新婚早々夫を他国にやられ、当の夫は無事を知らせる手紙を送ってくることもせずに、可愛い新妻をほったらかし。  
まるで自分だけが、かやの外に追いやられているかのように思えるのだ。  
しかし、ただ不機嫌でいるだけでは、これもまた面白くないものだ。  
こうなったら、娘時代のように思い切り好きなことをするしかない……と春華は考えた。  
そして「亭主元気で留守が良い」というどこかで聞いたことのある言葉を思い浮かべ、せいぜい気楽にすることを決める。  
女友達と茶を飲んだり、市で買い物をしたり、自由気ままに過ごそう、と。  
予定を詰め込まなければ「夫の帰りを待つ従順な妻」ということになるから、それは彼女のプライドが許さない。  
だから遊んでやろうというわけなのだが、しかしそこでもまた、彼女は面白くない経験をすることになった。  
会う人会う人が、誰も彼も風雅のことを口にするのだ。  
友人のみならず、外ですれ違う人ごとに「若旦那はお元気で?」と尋ねられる。  
たまには手伝おうと店に顔を出しても「若旦那がご不在で、お寂しいんでしょう」などと、女衆にからかわれる。  
それにうんざりして、春華は外へ遊びに行くのをやめた。  
 
仕方なく、屋敷の中に留まることにする。  
だが舞いや書の稽古にも熱が入らず、ただ絵草子をぱらぱらとめくってみたり、猫と戯れたりするだけの日々が続いた。  
単調な生活は、考え事をする時間が多くなる。  
頭に浮かぶのは、今はここにいない夫の風雅のことばかりだった。  
「……ふん。別に、待ってなんかないんだから」  
誰に言い訳するでもなく呟かれた春華のせりふは、夜のしんとした空気に触れ、そっと馴染んで消えた。  
 
2人が初夜を過ごした屋敷の離れは、そのまま若夫婦の居室となっている。  
あまり広くはないその部屋も、一人だと妙にがらんとして見える……と、春華は常々感じていた。  
少々けばけばしい内装に手を入れ、落ち着いた趣に変えたせいか、そのシンプルさが物寂しさを呼び起こす。  
床についた春華は、洗いたての上布がかけられた風雅の枕を横目で見た。  
彼が帰ってくるのは、10日以上も先のことだ。  
「(あいつ、今頃なにしてるんだろ。どんな宿で寝てるんだろう)」  
野宿だけはするなと春華が言い渡したので、風雅はそれに従い、粗末でも一応は宿と呼べる場所にいることは想像できる。  
「(相部屋かしら。もしそうだとして、男女が一緒の部屋になることはあるのかしら)」  
風紀上、この世界では家族以外の男女の相部屋はご法度なのだが、宿場になど行ったことのないお嬢様の春華がそれを知るわけもない。  
もし風雅が自分の知らない女と一緒だったら……という、ふと頭に浮かんだ不愉快な想像に、彼女の美しい眉がひそめられた。  
「(あのスケベ、もし誘われたら、ふらふらっとなっちゃうんじゃないかしら)」  
祝言以降、春華は風雅の「そっち」については、ほとほと苦労していた。  
といっても、彼が下手だというわけではなく、妙に「そっち」に熱心なことが、彼女の頭痛の種なのだ。  
幼い頃から好きだった女を妻にして、今まで抑えていた異性の体への興味が一気に高まったのだろう。  
風雅は3日にあげず、夜になると春華の体に触れ、隅々まで探索をするようになった。  
春華が気持ちいい場所はどこか、どう触れば反応を示し、声を上げるのか。  
純粋な興味に突き動かされて、やたらと前戯に時間をかけるようになったのだ。  
触れ方も、最初の頃はおずおずと遠慮がちだったのに、最近では随分と大胆になってきていた。  
「(そうよ。こないだなんか……)」  
春華の頭を少々不愉快な感情がかすめ、彼女は、風雅の枕を軽く叩いた。  
その夜の風雅は、春華の内腿や腹、二の腕の内側などの柔らかい場所に次々と吸い付き、彼女の体にたくさんの赤い痕をつけたのだ。  
「(やだって言ったのに、胸にまでつけたのよ。本っ当に信じられない)」  
春華はぷんぷんと怒りながら、思わず自らの胸をかばうように手を添えた。  
「んっ……」  
不意に親指が乳首をかすめ、彼女の唇から小さな声が漏れる。  
己の耳にも届くかどうかの微かなものだったが、その声は彼女の頬をほんのりと赤く染めた。  
「あ、やだ……」  
その夜の別のシーンが、彼女の頭の中に再生する。  
風雅が胸に頬擦りをし、まるで赤ん坊のように乳首に吸い付いたことを。  
その後に彼が舌でそこを散々なぶって、自分は言いようもなく喘がされてしまったことまで。  
春華の頬はますます赤くなり、一人寝の褥の上でじたばたと悶えた。  
「(馬鹿っ。風雅の馬鹿っ)」  
この場にいない夫に心の中で悪態をついて、溜飲を下げようとする。  
しかし、今しがた胸に感じた甘い刺激は、それをもっと欲しいと望む彼女の女の部分を呼び起こした。  
まだ覚えて間もないとはいえ、そこに何かが触れることで感じられる快感は、彼女を夢中にさせる力を持っていたから。  
春華は、胸に触れた指をゆっくりと動かし、襦袢の上から乳首を捏ねるように撫で回し始めた。  
「あんっ……ん……んっ……」  
今度ははっきりとした嬌声が、春華の口から漏れる。  
己の感じる場所に触れ、思うさま刺激するという背徳感に彼女は思わず息を飲んだ。  
しかしその感情は、未知の行為への興奮にいともたやすく押しのけられる。  
「(私がこんなことをしなきゃいけないのは、あの2人のせいだわ)」  
娘夫婦の仲を割くようなことをする父と新妻を放っておく夫のせいにし、春華は自制を緩めた。  
「(欲しい。もっと、いつもみたいに)」  
彼女の脚に力が入り、両膝がわなないた。  
 
どうにも物足りず、春華は自らの帯をするりと緩めた。  
弾力のある乳房が寝巻きの袷から零れ落ちるように覗き、触られることを望むように疼く。  
上掛けの下で襦袢を大きく乱し、春華は自らの胸に直接手を這わせた。  
「ああ……」  
遮る物が無くなった素肌に指が接し、どう触れば快感が得られるのかを興味深げに探索する。  
春華は両手を使って胸を揉み上げ、また掌で胸の頂上を擦り、乳首を指の股に挟んで締め上げた。  
「あんっ……あ……はぁん……」  
乳首を弄るのが特に気持ち良くて、春華は強弱をつけながら、何度も何度もそれを繰り返した。  
指の股に挟むより、指先で直接摘んでくりくりと擦り合わせる方が、もっと強烈で身を捩りたくなるような快感を生む。  
呼吸も上がり妙に甘い声が出て、彼女は、体の中心で何かが締まるような感覚にとらわれた。  
それが何かは分からないが、しかし、もっと何度もしたい。  
だから手を動かし続けるのだが、急速に高まる欲望に対し、愛撫がついていっていないようにも思える。  
「(もどかしいわ。この指があいつのだったなら、もっと……)」  
風雅ならもっと、ずっと気持ち良くしてくれるのに。  
あいつは今頃どの空の下にいるのだろう、もう眠っているのだろうか。  
また頭をもたげてきた憂いに、春華は大きくかぶりを振った。  
夫の身を自分が心配するなどということは、彼女にとっては断じて認められないことだ。  
そういえばこの間、風雅と肌を合わせたのはいつだっただろう。  
指をはしたなく動かしながら、春華はぼんやりと考えた。  
旅に出発する前だから、最後に抱かれてからかれこれ1月以上は経っているだろうか。  
褥で自分に触れるとき、風雅はしごく優しくしてくれるのに、時折ひどく意地悪になることがあることを春華は思い出す。  
もっと、とか、早く、とか。  
短く頼んでも、彼はそれをかわすかの如くに微かに笑うだけで、自分のペースを乱すことはない。  
つい最近まで、春華春華と自分の後を追いかける、頼りない弟のような少年だったのに。  
彼はいつから、女を思うがままに翻弄できるような男になったのだろうか。  
勿論それは、この家へ入り婿として来るため、彼が頑張ってくれたからだ。  
仕事がうまくいって彼の心に生じた自信が余裕となって、ああして夜に春華を翻弄することができるようにもなった。  
それを思うと嬉しいのだが、反面、春華にはひどく悔しく感じられる。  
風雅は頼りないから、私が引っ張っていってあげなければという気負いが、春華を何年も支えていたのに。  
当の風雅に頼り甲斐や余裕を身につけられてしまっては、自分の立つ瀬がないというように感じられるのだ。  
 
「(あんな奴いなくったって、私は自分で……)」  
そう思うことが既に負け惜しみであるのに、春華は無理矢理、風雅のことを頭から追い出した。  
一人で十分、などと自分で自分に強がってみせ、それを証明するかのように片手を下半身へと滑らせていく。  
滑らかな腹、ふんわりとした茂みを抜けて、春華の指は自らの秘めやかな部分へたどり着いた。  
「あ……」  
さすがにここを自分で触るのはまずいのでは……と、春華は迷って体を固くする。  
今までそういう意図を持って触ったことなど無く、胸以上に、どうすれば良いのか全くわからない。  
風雅なら、きっと最も適した方法で優しく触れてくれるのかもしれないが……。  
「(やだ、またあいつのこと)」  
追い出してもなお浮かんでくる夫の面影を、春華は頭を振って追い払う。  
とりあえず痛くしなければ大丈夫だと自らに言い聞かせ、春華は指を下へやった。  
繊細な部分を両側から覆う肉をそっとかき分け、皮膚よりずっとしっとりとした場所に触れる。  
「あ……」  
指先にべっとりと濡れた感触をとらえ、春華は驚いて硬直した。  
自分で触っているだけなのに……と、とても信じられない思いで。  
『すごい。いっぱい濡れてるよ、春華』  
祝言をあげて間もない頃、風雅が褥の上で感嘆と共に呟いた言葉が脳裏に浮かんだ。  
「(自分で触っただけで、こんなになっちゃうなんて……)」  
濡れ具合を確かめるように、指先でそこを擦りながら春華は思った。  
上手くもなんともない触れ方だったのに、どうしてこんなに溢れているのか。  
「(あいつのせいだわ。あいつが、私をこんな風に……)」  
肌を合わせるようになってまだ日が浅いのに、風雅は春華の体を非常に感じやすく仕立てつつあった。  
初夜の日まで童貞であったとはとても思えないほど、しごく的確に。  
それは何よりも愛情のなせる業であるのだが、今日の春華にはそれが妙に腹立たしく感じられた。  
 
「(だめだわ。こんな風に触ってたら、まるであいつがいないのが淋しいみたいじゃない)」  
自らの行為が急に恥ずかしくなって、春華は慌てて指を止め、ふうっと大きく息を吐いた。  
しかし彼女の体の火照りは、そんなことで静められる範囲をとっくに超えていた。  
一旦動きを止めた春華の指が、己の最も感じやすく、弱い部分へと向けられる。  
風雅と繋がるための場所より少し上、襞の合わせ目より少し下。  
「ここだよ」と戯れに風雅に触らされた場所を思い出し、春華は恐る恐るその場所へ指を届かせた。  
「あっ、ああっ!」  
隠された小さな肉芽に触れた瞬間、春華は体を震わせ小さく叫んだ。  
自制心と羞恥心を束ねてかかっても敵わない、体の芯が蕩けていくような快感に呼吸が乱れる。  
一度触れてしまえば、そこから指を離すことなど、もう不可能だった。  
「あんっ……風雅、だめ……」  
いやいやをするように首を振りながら、春華は夫の名を呼んだ。  
制止する言葉を吐きながらも、彼女は秘めやかな場所を濡らしている物を指で掬い取り、肉芽へ擦りつける。  
ぬるぬるとした物をまとって指先から逃げるそこを逃すまいとして、胸に触れていた左手で秘所を割り開いた。  
「はんっ……ん……あぁん……」  
邪魔な襞を押さえて肉芽を露出させ、思うさま指先で弄び、声を上げる。  
春華の腰が快感にくねり、彼女は恍惚とした表情のまま、時折夫の名を呼んで自慰にふけった。  
やめなければ……という後ろめたさは、もうすっかりどこかへ消えてしまっていた。  
 
カタリ。  
一心に指を動かす彼女の耳に、不意に小さな物音が飛び込んできた。  
自慰の熱と溜息で満たされたこの空間には、明らかに不似合いな微かな音。  
春華は凍りついたように動きを止め、目をいっぱいに見開いた。  
音の出所を探し、視線をさ迷わせる彼女の目が捉えたのは、今まで思考の中でに自分触れていた夫の姿だった。  
「あっ……」  
なぜ風雅がそこに立っているのか分からず、春華は絶句して固まってしまう。  
一方、風雅もまた目を大きく見開いたまま硬直していた。  
春華と風雅は、二人とも言葉を失い見詰め合ったまま、場を沈黙が満たした。  
 
「は、早かったのね」  
長くも短くも感じられる沈黙を先に破ったのは、春華だった。  
その声が上ずっていなければ、もう少し余裕が感じられたのだが。  
「……う、うん。予想以上に商談がうまくいったから、ね」  
風雅もまた挙動不審になりながら、早口で言う。  
まだ予定が10日ほども残っているのに、もう全て済んだのかと、春華は感嘆した。  
しかし、今は暢気に驚いている場合ではない。  
「……お夕飯とお風呂は?まだなんだったら……」  
一縷の望みを託して言うのだが、風雅は首を横に振った。  
「もう済んだんだ。こっそりこっちに戻ってきて、『早いわねえ』って、春華を驚かせてやろうって思ってたんだけど……」  
驚かされたのは、僕の方だよ。  
そう言いたげな風雅の表情を見て、春華の頬は燃えるように熱くなった。  
「別に急いで帰ってなんかこなくたって、良かったのよ。私はもう寝るから、あんたはあっちで寝て」  
この状況は明らかに自分に不利なことに、春華は既に気付いていた。  
風雅にいつものように隣に入り込まれては、自分が何をしていたかが彼にばれてしまう。  
「なんで?せっかく帰ってきたのにさ。一緒に寝ようよ」  
しかし風雅は、春華のにべもない拒否をものともせず、褥に近付いてきた。  
「ちょっと、こっちに来ないでったら」  
上掛けを抱え込んで必死に体に巻きつけながら、春華は慌てて何度も繰り返す。  
彼女がかもし出す拒否の姿勢に気おされたのか、風雅はふと立ち止まって黙り込んだ。  
何でも自分の言うことを聞いた昔の彼のことを思い出し、春華は少し愉快になる。  
「そう、それでいいわ。あっちを向いて……って、きゃあっ!」  
風雅を遠ざけようと目論んだ春華の口から、場違いに大きな叫びが出る。  
指示に素直に従うと見せかけて、風雅は隙をついて、春華に近付いて抱きすくめたのだ。  
「何するのよ、あっちへ行ってったら。馬鹿、風雅っ」  
腕を振り解こうとじたばたもがきながら春華が言うも、聞き届けられず。  
風雅は抱く力をますます強め、彼女に顔を近付けてきた。  
 
「ねえ春華、今、何をしてたの?」  
「えっ……」  
「僕がいなくて寂しかったから、あんなことしてたんでしょう?」  
「っ!」  
からかうような風雅の言葉に、春華は目を白黒させた。  
「な、何もしてないわよ……」  
力ない春華の反論の言葉は、届く手前で床に落ちたようだった。  
「春華が自分で触ってるの、見てたんだよ僕」  
耳元で囁かれた風雅のせりふを聞いて、春華はこれ以上ないくらいに大きく目を見開いた。  
一体いつから見られていたのかと、彼女の頭の中は上へ下への大騒ぎになった。  
「『風雅、風雅』って、僕のことを呼んでたよね。僕に触られてること、思い出してたの?」  
「馬鹿っ!誰が、あんたのことなんか」  
その通りであるのに、春華は懸命にもがきながら風雅の言葉を否定した。  
逃れようと必死に身をよじるのだが、彼女を戒める夫の腕はたくましく、ちっとも緩む気配がない。  
「僕はもっと丁寧に、時間を掛けて触るよ?」  
言った風雅は、上掛けをまとったままの春華の体に手を這わせだす。  
「やだっ!ちょっと、何するのよ!」  
固く勃起した乳首や濡れそぼった秘所を見透かすような夫の手の動きに、春華は声を荒げて抵抗する。  
これを剥がれてしまえば、乱れきった襦袢が彼の目に触れ、自慰をしていたことはもう言い訳ができなくなる。  
「春華があんなことしてるの見たのに、このまま寝られないよ」  
風雅に耳元で囁かれ、春華はいやいやと身を捩った。  
「奥さんに寂しい思いをさせるなんて、夫失格でしょ?だから取り返さなきゃ」  
風雅は続け、そのまま春華を背後から抱きすくめた。  
そのまま上掛けを剥ごうとするも春華に阻止され、代わりに中へ手を忍ばせる。  
「あ……」  
愛しむように春華の肌を撫でると、彼女の口から小さく吐息が漏れた。  
それに気分を良くした風雅は、彼女のふっくらとした胸に手を這わせて包み込む。  
柔らかく揉み上げてうなじに口づけると、抱きすくめられた春華がびくりとした。  
「やっ、あ……んっ」  
時折、抑えきれない声が耳に届き、風雅を煽る。  
春華の手前堪えていたが、離れて寂しかったのは彼とて同じこと。  
大好きな春華が愛撫に応えてくれるのを目の当たりにして、途中でやめられるわけもない。  
「春華。我慢しないで」  
「えっ……。あっ、あんっ!」  
風雅の指が、春華の胸先の尖りを円を描くように撫で回す。  
途端に春華の息は大きく乱れ、体が震えた。  
「あ、風雅。やだ……」  
嬌声の合間に春華が弱々しく抗うが、風雅は取り合わず、さらに彼女の胸を責める。  
少し前まで細く頼りなかった彼の指は、今はもう立派に大人の物だ。  
しかし繊細に動くそれは、春華を快感を煽り、呼吸困難にするほど乱れさせた。  
「やっ……あ……あぁん……」  
春華が艶めいた声をあげ、脚をもぞもぞと動かす。  
風雅に胸を触られ、先程から体に燻っていた火がまた燃え始めのだ。  
それに気付いた風雅は、片手をゆっくりと下に滑らせていく。  
その手を掴んで阻まれても止めず、そしてとうとう彼女の秘めやかな場所にたどり着いた。  
「や、んんっ」  
身を捩って暴れる春華に手を焼きながらも、風雅は脚の間に指をこじ入れる。  
しっとりと湿った下着を指先に感じ、彼は知らずに微笑んでいた。  
「春華、ほら。濡れてるよ」  
思わず口に出すと、途端に首まで真っ赤になった春華が矢継ぎ早に悪口を言ってくる。  
それに一切構うことなく、風雅はそこを何度も撫でた。  
春華が抵抗をほんの少し弱めた隙に、彼は指を春華の下着の中に押し込む。  
柔らかな茂みを掻き分け、彼女の柔らかい場所に届くと、春華は諦めたように大人しくなった。  
「あんっ……あ……あぁん……」  
春華が切れ切れに喘ぐ声を聞き、風雅の下半身に血が集まる。  
抵抗を抑え込むのに必死な時はともかく、こうして全てを預けられると、気分が盛り上がらないわけもない。  
 
矢も盾もたまらず、風雅は一気に上掛けを掴み、背後へ放り投げた。  
「あっ」  
乱れた襦袢を慌てて掻き合わせようとする春華の手首を掴み、褥に押し付ける。  
春華と目を合わせ、彼女がひるんだ隙にその唇を奪った。  
「ん……ん、んっ……」  
浅く深く、何度も口づけながら、風雅は久しぶりの妻の唇の感触に酔う。  
長い不在を詫びるかのように、時間を掛けて丁寧に口づけ、慈しむように春華の体を撫でた。  
 
「風雅……」  
ようやく唇を解放すると、春華が微かに夫の名を口にする。  
目を潤ませ頬を染めて名を呼ばれ、動揺しない男がいるわけもなく、風雅は体の中から膨大な熱が湧き上がってくるのを感じた。  
春華にもっと触れたい、声を上げさせ乱れさせたいという男の本能が、押さえ切れないほど高まってもきた。  
それにはどうすればよいか、彼は既に知っている。  
「きゃっ」  
帯が解けた状態で、どうにか彼女の体を隠している襦袢の裾を払いのけると、雪のように白く美しい下半身が現れる。  
旅に出発する前に思うさまつけた赤い印は、とうの昔に消えてしまっていた。  
それを残念に思いながらも、風雅は春華の膝の裏に手を掛けて大きく開かせる。  
露になった彼女の秘めやかな場所に顔を近づけ、躊躇なく舌を這わせ始めた。  
「ああっ!」  
春華が鋭く嬌声を上げ、全身を大きく震わせる。  
先程までの自慰行為では到底得ることができない、温かく濡れた舌での柔らかい愛撫に彼女の体が歓喜の声を上げた。  
こうされるのをずっと待っていた、早く帰ってきて欲しかった。  
そんな思いが胸を満たし、春華は秘所を風雅の顔にこすり付けるかのように腰をくねらせた。  
「あ……あぁんっ……もっと……」  
恥じらいを忘れたはしたない願いに応えるように、風雅は春華の肉芽を舌先で捉えて舐め上げる。  
今日一番の強烈な快感に、春華は気を失うのではないかと思うほど頭がふらついた。  
とにかくそこを丹念に可愛がって欲しい、待つだなんだという強がりなどもう一切どうでもいい。  
だからお願い……とねだるように、春華は風雅の頭を引き寄せて求めた。  
 
「春華、気持ちいい?」  
風雅の問いに、春華がしごく素直に頷く。  
言葉で拒んだり、脚を閉じる気力はもう残されていない。  
しかし僅かな羞恥が残るのか、彼女は自分の弱い場所を責める夫の手をギュッと握った。  
もっと触って。気持ち良くして。  
彼女の戸惑いを、風雅はそう言っているのだと捉えて頬を綻ばせた。  
舌を使う合間に、染み出してきた愛液を指に絡め、彼は春華の芽を執拗に責め立てる。  
胸の先にも悪戯を繰り返すと、春華はさらに乱れ、喘いだ。  
「春華。いきたい?」  
問われた彼女が頷くと同時に、風雅は指の動きを一層強める。  
ややあって、春華は短い叫びと共に体を大きく長く震わせ、ぐったりとなった。  
 
達した妻を褥に横たえ、風雅がその上に覆いかぶさる。  
絶頂の余韻に息が乱れ、頬を染めた春華は、彼に覗き込まれて慌てて目をそらせた。  
愛撫だけであっけなく達してしまったのが、恥ずかしいのだろう。  
「(可愛かったって言いたいけど、怒られるかなあ)」  
風雅は言葉を口に出さず、乱れた春華の髪を手で梳き、整えてやる。  
それが心地良いのか、春華の表情がほんの少し和らいだ。  
「春華、可愛い」  
一旦は言うのを思いとどまったのに、風雅の口から素直な言葉が漏れる。  
しかし春華は、それを聞いて眉根を寄せるが早いか、彼の頬をギュッと引っ張った。  
「痛っ。春華、痛いったら」  
「くだらないこと言う口は、この口?」  
ほんの今まで羞恥に悶えていた女らしさはどこへやら、春華はぷりぷりと怒りながら指に力を入れる。  
こうされては勝ち目がないが、ここで諦めないのが風雅のしぶとい所だ。  
何とか彼女をなだめようと考えた挙句、彼は上体を倒して無理矢理口づけることにする。  
「んーっ、ん……ん……」  
不満気に暴れる春華を体全体で押さえ込み、何度も角度を変えて口づける。  
握りこぶしで彼の腕や肩を叩いていた春華は、やがて諦めたように体の力を抜いた。  
風雅が顔を上げ、2人の唇の間に銀色の糸が引き、切れた頃には春華はすっかり静かになっていた。  
 
「春華?」  
急に大人しくなった彼女の様子を奇異に思ったのか、風雅が呼びかける。  
その声に、春華はこれ以上ないほどに頬を真っ赤にして、精一杯あちらの方向を向いた。  
どうして……と理由を探る風雅は、自分の腰が春華の腹に押し付けられているのに気付いた。  
すっかり熱を持ち固くなった彼の昂ぶりの感触が、春華の柔らかい肌に届いているのだ。  
「あっ、ごめん春華」  
風雅は慌てて腰を浮かせようとするが、それより先に春華の手が彼のそこにそっと触れる。  
そのまま撫でるような、さするような微妙な動きを繰り返す彼女の手が、今のままでは不満であることを彼に伝えた。  
その意味を理解した風雅の頭に、全身の血が一気に集まったようになる。  
「うん」  
頷いて、汗にしっとりとした春華の前髪をそっと掻き分けてやり、風雅は衣の前をそっと寛げる。  
春華のふくらはぎに手を触れてそっと脚を開かせ、彼の訪れを待っている場所に自らの昂ぶりを押し付けた。  
「あ、風雅……」  
熱く猛っている物を押し当てられ、春華が心細げに夫の名を呼ぶ。  
「大丈夫だよ、さっきいっぱい濡らしたから」  
「もう、馬鹿っ」  
風雅が冗談めかして言うと、春華がまた腹を立てたような声を上げる。  
まあ、これが春華の不安を取り除くための彼なりの冗談であることは、彼女とて承知なのだが。  
大丈夫だと言ったことを証明するように、風雅はきわめてゆっくりと彼女の中に自身を挿入していく。  
一息に貫きたいという欲望をねじ伏せ、あくまでも春華の負担にならぬようにしようと、彼の額にはじっとりと汗がにじんだ。  
ようやく奥まで入ったところで、風雅がふうっと大きく息をつく。  
春華もそれに合わせるように深呼吸し、体をうがつ熱く固い物の感触に耐えた。  
「春華、いい?」  
頃合いを見て声をかける風雅が、また頬をつねられて悲鳴を上げる。  
「いちいち聞かなくていいわよ、馬鹿っ」  
なんかそうされると、あんたの方が偉いみたいで不愉快だわ。  
そう呟き、なおも夫をなじる言葉を続けようとした春華の声は、突然かき消すように小さくなった。  
「ん、あんっ!」  
代わりに彼女の口から発せられたのは、甘く短い喘ぎ。  
つねられた頬をそのままに、風雅が姿勢を落として春華の首元に唇を寄せる。  
吸い付いて跡を残しながら、唇はだんだんと下り、彼を誘うように固くなっている胸先の尖りを包み込んだ。  
舌を絡めるように舐めしゃぶる風雅の愛撫に、春華の背が大きく反り返る。  
そこに軽く歯を立てられると、彼女の反応は一層艶を増した。  
「あんっ……や……。風雅っ」  
熱に浮かされた声で春華が呼び、腰をくねらせる。  
彼女の秘所の収縮が、風雅を煽った。  
愛撫を続けながら、彼は知らず知らずのうちに腰を使い始めていた。  
浅く深く春華の中を穿ち、時折内壁にこすり付けて自らの快感を求める。  
男女の交わりにまだ慣れない春華を思いやり、いきなり激しく責め立てはしないものの、その動きは着実に2人を昂ぶらせていく。  
「あ、やだっ……」  
風雅が春華の脚をさらに大きく開かせると、彼女が真っ赤になっていやいやと首を振る。  
「本当にいや?奥まで挿れるの、嫌い?」  
動きを止めないまま風雅に問われ、春華は彼を涙目で睨みつけた。  
「(なによ、そんな恥ずかしいこと聞かないでったら)」  
そう言いたくても、「恥ずかしい」という言葉を口にするのが彼女には癪だった。  
ほんの少し前までは子分か下僕同然だった風雅に、一糸まとわぬ姿を晒して貫かれている、今のこの状況も。  
風雅といえば情けない、情けないといえば風雅。  
ずっとそうだったのに、彼はいつの間にか一足飛びに成長し、大人への階段を駆け上がった。  
春華のほうはといえば、この3年で新しい舞いをいくつか覚えたくらいで、大した変化は無いというのに。  
夜の営みに関してもそうだ。  
うぶだとばかり思っていた少年が、今では自分を思うように翻弄し、責め苛む。  
「(私は、いやとかやめてとか言うだけなのに。風雅はすっかり慣れたみたい)」  
幼なじみの少年が、いつの間にか自分の手の届かない所へ行ってしまったような気がして。  
褥で肌を合わせていても、春華の胸には言い表せぬ寂しさが去来していた。  
 
「春華」  
問いに答えない彼女をせかしたいのか、風雅がさらにその脚を開かせる。  
「んやっ……。馬鹿、痛いったら」  
深くなった繋がりに上ずった声を上げながらも、春華はあくまで抵抗しようとする。  
痛いという嘘を真に受けてか、風雅が繋がった部分に掛かる力を少し弱める。  
遠のいた快感を追いかけようと、春華の両脚が風雅の腰に絡みついた。  
「(どっちなのさ、春華)」  
風雅は口の端に笑みを浮かべて思う。  
痛いなんて嘘だと、今の春華を見ていると自然に知れる。  
仕返しに抜け落ちる寸前まで腰を引くと、春華の脚に力が入り、風雅を引き寄せる。  
夫婦になっても、春華が自分の感情に素直なのは変わらない。  
しかし風雅には、彼女の精一杯の強がりが可愛らしく感じられた。  
「ほら、春華」  
風雅が上体を倒すと、春華は彼の背に手を回して抱きついた。  
1ヶ月以上も離れたことを責めるように力を込められ、風雅は知らずのうちに微笑んでいた。  
口では可愛くないことばかり言うくせに、こうして肝心な時には寄り添ってくる妻が、彼には愛しかった。  
「あっ、あんっ……んん……」  
風雅が腰を深く沈めるたび、春華の口から上ずった声が漏れる。  
彼が戯れに繋がりを浅くすると、抱きつく腕に力が込められ、背に爪が立てられる。  
まるで、焦らさないでよと怒られてるみたいだと風雅は思った。  
それならば、春華の望むようにするしかない。  
「んっ……やぁ……あ……」  
さらに脚を開かせるようにと風雅が腰を押し付けると、春華の声が一際高くなった。  
まるでいやいやをするように首を振り、顔をそむけようとする。  
「春華。声、聞かせてよ」  
彼女の耳に触れそうなほどの距離で、風雅が囁く。  
「やっ……。いやよ、そんな……」  
しかし春華は、強情にも唇を噛み、声を封じた。  
せっかく久しぶりにこうして睦みあっているのに、声を殺されては楽しみも半減するというもの。  
どうにかして、春華に声を我慢させない方法はないものか。  
「ん……」  
ややあって、風雅が春華の抱きつく腕を払い、上体を起こす。  
「風雅?」  
訝しげに名を呼ぶ妻に微笑みかけてから、風雅は彼女の胸に顔を埋めた。  
「ひゃあっ」  
先端の尖りに彼が舌を這わせると、耐え切れずに春華が悲鳴を上げる。  
「やだっ、何するのよ馬鹿っ」  
威勢はいいものの、肩を押し返そうとする彼女の手には力が入っていない。  
「あ……あぁ……」  
風雅がねっとりと乳首に舌を這わせ、吸い付くとまた声が漏れる。  
秘所と胸の両方を責められ、春華はもう声を上げるしかなかった。  
「風雅っ……。あ……だめ……」  
肩に爪を立てられた風雅は、春華の限界が近いことを知る。  
長い禁欲がようやく解けた彼もまた、すぐそこに限界が迫っていた。  
共に達するべく、彼は一気に畳みかけるように腰を使いはじめる。  
「あ……あんっ!はぁん……あん……あ……」  
いきなり強く責め立てられた春華が、のけぞって高らかに喘ぐ。  
その声にはもはや余裕が無く、2度目の絶頂がそこまで来ていることを示していた。  
「んっ……風雅、風雅っ」  
うわ言のように、春華が何度も夫の名を呼ぶ。  
風雅もそれに応えるように春華を呼び、2人して快感の頂上へと駆け上がっていった。  
「あっ……もうだめ……ん、あああっ!」  
先に音を上げた春華が、風雅の背に一際強く爪を立てて達する。  
それにしばし遅れ、風雅も彼女の中に自らの欲望を注ぎ込んだ。  
そして、一切の体の力を抜いた2人は、事切れたように褥へと沈み込んだ。  
 
先に動いたのは、風雅だった。  
体の繋がりを解き、ぐったりと放心したようになっている春華を湯殿へ運んでやる。  
離れていた期間の長さを埋めるように彼女を丁寧に洗ってやり、ついでに自分も体を流した。  
若夫婦の部屋へ戻り、乱れた褥を整えて寝かせてやると、ようやく春華が人心地ついたように身動きをする。  
「……ごめんね」  
性交の後の掠れた声で春華が小さく呟くのに、風雅は笑って首を振った。  
「久しぶりに会えて、嬉しくて頑張っちゃったから。付き合うの大変だったでしょ?」  
やりすぎたかなあ、などとおどける彼の額を、春華がこつんと指でつついた。  
「ねえ、どんなだったの?」  
ここにいない間、夫はどうしていたのかという、妻らしい質問。  
尋ねる春華を見て、風雅は旅先でのことを話して聞かせる。  
船でずっと川を下った先の地方で産出される織物の話、工芸品や珍味など、こちらではなかなか手に入らないあれこれについて。  
宿でボヤ騒ぎがあったことや、しつこい客引きに捕まって閉口したことなども。  
「……そういう宿には、夜に相手をしてくれる人が、いるんでしょう?」  
少し不安げではあるが、聞かねばという意思の感じられる表情で春華が尋ねる。  
宿場の大衆宿になど泊まったことの無い彼女にも、そういう知識はあった。  
「まあね。芸者を揚げたり遊郭に行くほどのお金が無い人が、‘ 買う ’みたいだよ?」  
「そう……」  
眉根を寄せて小さく呟く春華に、風雅は笑ってみせる。  
「心配しなくてもいいよ。僕は旅の途中、やましいことなんかしてないから」  
「本当……?」  
いつもなら考えられないほどに弱々しい、春華の声。  
さっき抱き合っている時に感じた、いつのまにか置いてけぼりを食らわされたような寂しさが、彼女の胸にまだ残っているのだ。  
「(もしかしたら、風雅はもう私なんか好きじゃないのかも……)」  
今しがた間であれほど濃密に愛し合っていたのに、彼女の心は不安に揺れていた。  
「本当。だから安心して」  
風雅はにっこりと笑ってみせ、春華を抱き寄せた。  
「僕には春華だけ。昔からずっとそうだったよね?」  
「でも……」  
世界が広がった今は、どうなの?と春華が視線で風雅に訴える。  
「春華。僕がいない間、他の男に心を惹かれた?」  
風雅が問うと、春華は即座にふるふると首を振って否定した。  
「僕も一緒。早く帰って春華に会いたいなあ、お土産はどうしようかなあって、そればかり考えてた」  
 
「べ、別に私、会いたいってばっかり考えてたわけじゃないわ」  
さすがにそこまでは……と言いたげな面持ちの春華が、慌てて抗弁する。  
「僕の帰りを待ちきれなくて、こっそりあんなことしてたのに?」  
「っ!」  
先ほどの一人遊びのことを風雅が持ち出すと、春華の頬が面白いほど赤くなる。  
「風雅の馬鹿っ!最低!」  
抱き寄せられている腕を振り解き、春華は風雅を所構わずぽかぽかと殴りつける。  
「痛いったら。ごめん、悪かったよ」  
攻撃の手を緩めない春華をなだめながら風雅が言う。  
彼女との結婚を夢見て頑張り、それが叶ったものの、まだからかって楽しむところまではいかないようだ。  
「(まあいいさ。春華の心の中には、ちゃんと僕がいるんだから)」  
手は止めたものの、尚も不服そうに睨んでくる春華を、風雅はもう一度引き寄せる。  
「お土産に桜貝のかんざしを買ってきたんだ。明日の朝、起きたら見せてあげる」  
「かんざし?」  
「うん。春華に似合いそうな、いい色合いのを見つけたからね。あと、南方の甘蔓蜜も持って帰ってきたんだ」  
「えっ……」  
「春華、あの蜜を白玉団子にかけて食べるの、好きだっただろ?」  
「う、うん……」  
好物の話を持ち出され、春華は唇を尖らせて頷いた。  
風雅のことだ、きっと商売抜きにして、自分を喜ばせるために持って帰ってきたのに違いないことは容易に察しがつく。  
かんざしにしても、風雅はこれでなかなかセンスがいいから、きっと素敵な品だろうと春華は想像した。  
だが、土産なんかで懐柔されるわけにはいかないという天邪鬼な気持ちが、彼女に素直に礼を言わせない。  
ついつい綻んでしまう口元に力を入れ、春華は風雅の腕の中でぷいとそっぽを向いた。  
「ふうん。そのかんざしが気に入ったら、つけてあげてもいいわ。蜜も、食べてあげてもいい」  
「うん。楽しみにしてる」  
つれなく言っても、その反応も織り込み済みだという風雅の、余裕のある受け答えが彼女の癇に障る。  
「(本当にむかつくわ。これじゃまるで、私が馬鹿みたいじゃないの)」  
こんなことで腹を立てるあたり、なるほどまだ子供なのだが、当の本人はそれに全く気付いていない。  
「いやだったらつけないし、食べないからね」  
未練がましく言い切って、春華は風雅の方を見ないまま目を閉じる。  
しかし心はもう、明日の朝のことを考えて、ふわふわと幸せだった。  
 
 
 
 
 

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