消えた春華を追って森へ行き、洞窟で一夜を明かしてから。
風雅の行動は、彼を知る者なら誰もが驚くほど迅速なものだった。
まずは翌朝、森で拾った木の実を手土産にして春華を屋敷へ送っていく。
心配していた家の者に叱られる役は春華が一手に引き受けている間に、風雅はそっと人の輪を抜け出して春華の父の元に向かった。
「お願いします。僕に商売を仕込んでください」
いつもとはまるで別人のように熱心に頼み込む風雅に、春華の父親はいささか驚いた顔を見せた。
が、何かしら思うところがあったのか、しばしの後に彼は謹厳な面持ちで頷いた。
春華の父も、娘が自分の薦めた相手を気に入らなかったことには気付いていたらしい。
風雅は重ねて、明日には春華の家の使用人たちの大部屋へ住まわせてもらうことも決めて、屋敷をあとにした。
家に戻って荷物をまとめ、そして夕方には再び屋敷へと戻ってきたのである。
ぐずぐずしていては、春華が今にも他の男の嫁にもらわれていきそうな気がして。
いてもたってもいられず、風雅は毎日がむしゃらに働き、結果を出すべく頑張った。
そして、3年。
風雅は、周囲が驚くくらいに商才を発揮し、いまや春華の父の右腕となっていた。
まさかこれほどとは、周囲の者はおろか、きっと彼自身も想像していなかったに違いない。
無駄飯食らいの冴えない少年が、いまや大店に欠くべからざる貴重な人材となったのだ。
店に立つのみならず、仕入れや帳簿にも明るく、果ては新しい販路の開拓にも積極的に取り組む。
そのオールラウンダーぶりに、当初の彼に対し「まあやらせてみるか」程度に思っていた春華の父も喜んだ。
場さえ与えてやれば、今までが嘘のように輝ける。
短期間で彼がこれほどまでに力をつけたのは、隠れた商才のおかげもあったが、何よりも春華のためであることは言うを待たない。
「春華を僕の奥さんにするためなら、何にだって耐えられるよ」
折に触れて風雅が言う言葉は、春華の胸を熱くした。
まさかそこまで思っていてくれるとは、彼女自身全く考えていなかったから。
ふうんとか精々頑張ってとか、相変わらずそっけない風ではあったが、春華はどんどん風雅に惹かれていった。
そして二人が21歳を迎える年、春華の父はとうとう、風雅を婿養子に迎えたい旨を彼に告げた。
それを聞いた風雅は飛び上がらんばかりに喜び、昔の少年らしい表情になる。
春華も今度は父の勧めに素直に頷き、家出することもなかった。
大店の娘の婿になる者といえば、商家の次男坊がほとんど。
家も同程度の縁組が普通なせいもあり、二人の婚約は地域の耳目を集めた。
中には「成り上がり」などと口さがなく言う者もいたが、風雅は笑っていた。
「春華のお婿さんになることが僕の目的だからね、そう言われても仕方ないよ」
無事に婚約を済ませた日、風雅はまぶしいほどの笑顔を見せた。
半年の婚約期間は無事に過ぎ、いよいよ祝言の当日がやってきた。
慣れない紋付袴を着た風雅と、白無垢に身を包んだ春華、そして盛装した両家の親族。
地域の人々にも盛大に祝福され、二人は緊張した面持ちで祝言にのぞんだ。
その場にいる人々で花嫁の美しさを口にしない者はなく、それが風雅の自尊心をいたく満足させた。
花嫁衣裳に身を固め、晴れの日の化粧を施した春華はなるほど、ちょっと正視できないほどに美しかった。
本当に彼女が自分の妻になってくれるのかと、風雅は祝言の間中、何度も自分の頬をつまんだ。
神前で厳かに一通りの儀式をつつがなく済ませ、皆揃って春華の家の屋敷に帰ってくる。
大広間には客人が入りきれず、ふすまを取り払った別室や廊下にまで人が溢れて、大宴会が始まった。
主役たる二人が緊張に押し黙っているのに対し、気楽な参列者は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎで盛り上がる。
しまいには長唄や腹踊りまでもが飛び出し、館の喧騒は続いた。
夜も更けてきた頃、花嫁の介添人に促された春華がそっと席を立つ。
その瞬間、列席者から次々に酌を受けてへろへろになっていた風雅の体がこわばった。
「(いよいよだ……)」
花嫁が先に宴席を退出するのは、初夜の準備を整えるため。
婚礼衣装を脱ぎ、身を清めて薄化粧をして夫の訪れを待つ。
貧富の差により違いはあるが、それがこの花札の国で連綿と続いてきた初夜の作法であった。
酒でぼんやりとしていた風雅の意識は一転して冴え渡り、心臓は早鐘を打ちはじめる。
あれほどやかましかった周囲の喧騒も、戸を隔てたように遠くに聞こえる。
時間が経つのがもどかしいような、逆に怖いような複雑な気分で彼は傍らの誰もいない空間を見た。
「(春華は、今頃……)」
湯を浴びているのだろうか、それとももう褥の設えられた部屋にいるのだろうか。
様々な想像がむくむくと湧き上がってきて、彼を気もそぞろにさせる。
この3年半、商売のことを学ぶためにひたすら自分に厳しく生きてきたとはいえ、風雅もまだ21歳の若者だ。
今日めでたく妻とした人のことを考えて、血を滾らせてしまうのは仕方がない。
幸い、袴をはきあぐらをかいている上に、目の前には膳がある。
多少‘元気’になったとしても、見咎められる心配はなかった。
半時ほどの後、婿側の介添人が風雅に近付く。
その瞬間、今まで思い思いに宴を楽しんでいた人々が、彼を一斉にはやし立てた。
エールから指笛、果ては下品な掛け声に至るまで、およそ思いつく限りの方法で。
年配の者は、頑張れよという親心から。
若者は、比類のないほど美しい花嫁との初夜を迎える風雅に対しての羨望と嫉妬から。
皆に口々に言われて頬を真っ赤に染め、風雅はつんのめりながら広間を出る。
背中にまだ止まぬ声援を浴びながら、彼はぎくしゃくと長い廊下を歩いた。
「(落ち着け、落ち着け俺)」
自らに言い聞かせても、一足ごとに胸は高鳴り、身体中を熱い血が駆け巡る。
長年待ち侘びたその時がすぐ目の前に迫っているのだから、落ち着けるはずもなかった。
浮き立った気持ちのまま何度も何度も体を洗い、ふやけるのではないかというほど湯をかぶり、ようやっと風呂から上がる。
湯殿を後にした風雅は、用意されていた新品の白小袖に着替えて廊下に出た。
夜風が、微かに湿り気を帯びた彼の首筋をついと撫でていく。
彼の足は、広間の喧騒もほとんど届かない屋敷の離れの方に向かっていた。
そこに、今日夫婦となった二人の新床がしつらえてあるのだ。
胸を高鳴らせながら歩く風雅は、一対の精緻な鳳凰の絵が描かれたふすまの前で立ち止まる。
「(この向こうに、春華が……)」
胸に手を当てて心臓をなだめ、それでも気もそぞろな動きで彼はふすまに手をかけた。
ふすまの向こう、ついたてで仕切られた奥の間に、小さな明かりが灯っている。
控えめに香が焚きしめられているその小さな空間に、春華はいた。
彼女は花嫁の装いを改め、風雅と同じに新品の長じゅばんを身にまとい、所在なげに壁を見つめて座っている。
昼間に高く結い上げられていた髪は、今は肩に下ろされ、黒い流れとなって彼女の背を艶やかに彩っていた。
「春華」
風雅の呼び掛けに、春華がゆっくりとこちらを向く。
「あ……」
いつもの快活な彼女らしくない、不安と動揺に彩られた小さな声。
その意味に、風雅はまた心臓をドキリとさせた。
「(緊張してるんだ、春華も)」
三年半の間、商売の勉強に打ち込むため、風雅は以前のように春華と野や森で遊ぶことはなくなっていた。
春華の父へ少しでも印象を良くするためにと、婚前に男女の仲になることも我慢して。
頬への軽い口づけ程度にとどめていた触れ合いが、今日やっとこれから前進することになる。
「(大丈夫、かな……)」
年の近い者に閨でのイロハを教わったとはいえ、実践するとなると不安が募る。
しかし、せっかくここまできたのだからと、風雅は自らに活を入れた。
「は、は春華っ。つっ、疲れてない?」
さりげなく尋ねるはずが、予想以上に上ずった声が出て、風雅は今にも倒れそうになる。
彼の問いに対し、春華は少し迷ってからこくりと頷いた。
「あ……。え、と……」
次に言うべき言葉が見つからず、風雅は口を開けたまま固まる。
調子っ外れの自分の声を笑うでもなく、緊張気味に座っている春華は、彼の知っている春華ではなかった。
「(どうしよう、どうすればいいんだよ!)」
焦れば焦るほどますます頭の中が真っ白になり、風雅は酸欠の魚のように口をパクパクとさせるばかりだった。
「……お酒、飲む?」
言葉を探そうと必死になっている風雅の耳に、春華の声が届く。
ハッとして顔を上げた彼の目に、白い瓶子と盃、そして何かつまみのような物が載せられた高坏(たかつき)が見えた。
「う、うん。もらおうかな」
金縛りが解けたように、早口で風雅が言う。
酌をしてもらえるのなら、春華の近くに寄れる。
すでに広間で散々飲まされていた身であっても、その誘惑には勝てなかった。
風雅はふらふらと春華の前まで歩いていき、足の力が抜けたように畳の上に座り込む。
「はい」
胸を騒がせたまま、震える手で盃を手にし、風雅は春華の酌を受ける。
濁り酒のほの白さは、瓶子を持つ春華のまとう長じゅばんの色にも似て、ひどく艶かしく彼の目に映った。
また、先程まで花嫁衣裳に身を包んでいた春華の顔に、美しくはたかれていた白粉にも。
その眩しさに、風雅はギュッと目をつぶり、一息に盃を干す。
まるで空腹の時に酒を飲んだように、彼の喉の奥がカッと燃えるように熱くなった。
「春華も、飲んでよ」
動揺を気取られまいと、春華から瓶子を奪い取り風雅が言う。
春華は彼の言葉に従い、素直に盃を取り、胸の高さまで持ち上げる。
瓶子と盃がカチャリと音を立てて合わさり、次いでとくとくと音を立てて酒が注がれる。
少々量が多くなってしまったその酒を春華は見つめ、おもむろに口を付けた。
「あ……」
その光景に、風雅は昼間の祝言の時のことを思い出す。
三々九度の盃に口を付ける春華の横顔を見て、「あの盃になりたい!」と馬鹿な願望を抱いたことを。
「んっ」
さすがに一息では飲みきれなかったのか、酒が一しずく、春華のあごを伝う。
その雫が滴り落ち、彼女の胸元に微かなシミを作った。
「あ……」
春華が僅かに動揺し、袖であごを拭おうとする。
しかしそれより早く、彼女は不意に腕を伸ばした風雅に抱きとめられていた。
その拍子に盃が彼女の手を離れ、畳に落ちてカラリと乾いた音を立てる。
「風雅……?」
耳を澄まさなければ聞こえないほど小さな声で、春華が夫となった彼の名を呼ぶ。
かつて彼を子分のように扱い、女王のように振舞っていた頃の面影は、そこには無かった。
「春華、一生、大事にするから」
噛み締めるように話す風雅の言葉に頷いて、春華が微かに頬を綻ばせる。
それを合図のようにして、二人は見詰め合った。
顔と顔の距離がじりじりと近くなり、そして、そっと唇が重なり合う。
ひどくぎこちない口づけであったが、二人にはこれ以上ないくらい刺激的なものであるように思えた。
互いの唇を味わうように、何度もしっとりと触れ合うその様子は、次の段階に進む不安を打ち消したいと願うかのようでもあった。
意を決した風雅の指が、春華の頬からそっと下ろされ、彼女の帯を捉える。
軽い力で引くだけで、帯はあっけなく結び目を失い、だらりとなって彼女の腰から滑り落ちようとする。
「きゃっ」
頼りなく前が割れようとする衣をかき合わせるべく、春華が風雅から体を離そうとする。
しかし彼はそれを許さず、そのまま畳に彼女の両手首を押し付け、動きを封じた。
「やっ……」
春華がいやいやをするように首を振り、体を固くこわばらせる。
初夜に対する不安の表れのようなその行動は、しかしこの場において風雅を煽った。
彼女の両手首を戒める手に力を入れ直し、風雅はもう一度春華に口づける。
今度は先ほどの子供じみたキスではなく、全てを奪うような腕ずくのキスだった。
春華が左右に身を捩っても脚をばたつかせても、構わず押さえ込み、解放を許さない。
そして彼女が大人しくなった一瞬をつき、風雅はじゅばんの裾を大きく割り開いた。
「いやっ、やめて!」
春華が驚き、必死のなりで風雅を突き飛ばして壁際に逃げる。
夫婦になった二人が初夜でどんなことをするかは知っていても、未経験のことに対する恐怖が彼女に抵抗させた。
不安と緊張が競うように大きくなり、風船のようにふくらんで彼女の心を圧迫する。
あまりのことに耐え切れず、春華は自分の身を守るようにかき抱き、しゃがみ込んだ。
「春華……」
振り払われたままの姿勢で、風雅が呆然と彼女の名を呼ぶ。
幼い頃からずっと好きだった女の子を、やっとの思いで妻にしたというのに。
初夜に触れ合うことを拒まれるなどとは、彼は想像だにしていなかった。
「(もしかして、春華は僕のこと、やっぱり好きじゃないのか?)」
そう思った次の瞬間、彼の意識はふうっと遠くなった。
目を覚ますと、風雅は自分が褥に横たわっていることに気付いた。
「気がついた?」
額に乗せられた手拭に手をやると、春華の声が聞こえてくる。
「あれ、僕……?」
「いきなり倒れるんだもん、びっくりしたじゃない」
もうっ、と春華が恨みがましい目をして頬を膨らませる。
さっき怯えていたときとは違う、普段の彼女らしい行動に、風雅は心がフッと軽くなるのを感じた。
「そうだったんだ」
「ここまで運んで寝かせてあげたのよ。感謝してよね、ほんとに」
傍に寄ってきた春華が、風雅の頬をペチリと叩く。
彼女の昔のようなその仕草は、先ほどの不安そうな表情が幻だったのかと彼に思わせた。
「どうしたのよ、いきなり倒れるなんて」
「えっ……」
春華の問いに、風雅は横になったまま視線をさ迷わせる。
「春華が、僕のことをいやだって言った、から……」
拒絶されて、それがショックで失神した。
というようなことを、風雅は言葉少なに説明した。
「何よそれ。それじゃまるで、私が悪いみたいじゃないの」
「(みたい、じゃなくて。実際そうなんですけど……)」
反論が怖くて、風雅はそれを言葉にすることを早々に諦めて心の中で呟き、視線をそらした。
「……悪かったわよ」
背中に感じる春華の声には、彼女らしくない申し訳なさげな響きがあった。
「春華?」
「仕方ないでしょ、初めてで怖かったんだもの。しょうがないじゃないの」
「え……」
逃げたのは、彼を嫌いだからではなくただ怖かったからだと、春華はそう言っているのだ。
本来ならそれに安堵すべきところだが、彼女の言葉は、風雅の想像を大きく裏切るものだった。
「え、だって春華、僕のことを童貞だの何だのって、いつも馬鹿にして……」
もう経験があると思っていた彼女が、まだ男を知らないと言ったも同然の事態に、風雅の胸はまた激しく高鳴り始めた。
「……だって。ああやってからかうと、あんたがしゅーんとなって、面白かったんだもの」
顔を真っ赤にした春華が、きまり悪そうに小さく呟く。
「じゃあ、僕が嫌いだからいやだって言ったわけじゃ、ないんだね?」
「今更何言ってんのよ。そんなんだったら、あんたが婿になるって言い出した時にきっぱり断ってたわよ」
相変わらずそっけなくはあったが、春華本人の口から「嫌いではない」と説明されたことに。
風雅は一転して有頂天になり、一息に飛び起きて、少女のように頬を膨らませている春華を力いっぱい抱きしめた。
「きゃあっ、変態!何すんのよっ」
じたばた暴れられても、もう風雅の心は乱れることはない。
先ほどのやり直しとばかりにきつく抱きしめていると、春華はやがて大人しくなり、彼に寄り添うように身を預けた。
「……私の夫になったからには、あんたにはちゃんとしてもらわなきゃ、困るのよ」
動きを止めた春華が、それでも心残りのある声で言う。
「うん。だから……」
春華にふさわしい男になりたくて、あの日から必死に頑張ってきた。
念願かなって祝言をあげたはいいが、先ほどみっともなく失神するかっこ悪い所を見せた彼ではあるけれど。
「さっきのを無かったことにしたければ、ちゃんとしなさい」
「うん」
「そしたら皆には黙っててあげるし、見なかったことにもしてあげるから」
「うん」
春華の言葉に、風雅は素直に頷く。
もしかして、自分が失神している間、彼女は決意を固めていたのかもしれないと彼は頭の片隅で思った。
もう一度、正面から見詰め合う。
春華がそっと目を閉じたのを合図のようにして、風雅は改めて彼女に口づけた。
くっついては離れるだけの、子供のようなキス。
しかし、今日まで体をほとんど触れ合わせたことの無かった二人には、それでも十分刺激的なものだった。
「んっ……」
息が苦しくなり、先に唇を離したのは春華だった。
おそらく、キスの時は息を止めねばならないと思っているのだろう。
肩をわずかに動かし、大きく息を吸う彼女を風雅は組み敷き、褥の上にそっと横たえる。
びくりと体をこわばらせた彼女は、しかし気丈にもまた逃げ出すことをしなかった。
「優しくしなさいよ。もし乱暴にしたら、叩き出してやるから」
憎まれ口を言う春華に微笑んで答え、風雅はもう一度彼女の帯に手をかけた。
帯を解き、するりと衣を脱がせると、春華の生まれたままの姿が彼の目に晒される。
その瞬間、彼は目を限界まで大きく見開き、魂を抜かれたようになった。
彼女が魅力的な体つきをしていることは、衣の上からも分かってはいたが、こうして一糸まとわぬ姿を見ることはなかったから。
シミ一つ無く雪のように美しい肌、すらりと伸びた手足、キュッとくびれた腰に滑らかな腹。
視線を下へ這わせるほどに、彼は体中の血液が沸騰しそうになるのを感じた。
春華の裸は、散々想像していたそれを遥かにしのぐほど、美しかったから。
「……じろじろ見ないでよ。お金取るわよ」
感嘆の思いで一杯の風雅に、春華の冷たい声が届く。
しかし、そこに恥じらいの色を感じ取れるあたり、風雅も大人になったのだろう。
なんといっても初夜だ、ここで呆けてなどはいられない。
「(春華にいっぱい触れて、気持ちよくしてあげなきゃ)」
男らしくそう決意し、風雅は妻となった人の体に手を這わせはじめた。
頭のてっぺんから脚の指一本一本に至るまで、触れぬ所が無いくらいに。
くすぐったいのか、春華が時折身をよじり、小さく声を上げる。
その仕草に煽られた風雅は、彼女の弱い場所を探した。
首筋、腰のくびれ、腿の内側を触れると特に反応がいい。
「(これが、感じるってことなのかな)」
乏しい知識を頭に浮かべながら、そこを重点的に責め立てる。
そして目を閉じて心を落ち着けた彼は、意を決して、目の前でふるふると揺れている彼女の両の胸にそっと手を伸ばした。
細い体に似合わぬ豊かな膨らみが、手の中で踊るように弾む。
「(女の人の胸って、こんなに柔らかいんだ……)」
感動しながら彼は春華の胸を堪能する。
「優しくして」と言われたため、痛みを与えないよう十二分に気をつけてはいたが。
「ん……あっ……」
膨らみのてっぺんの薄桃色に染まる場所を彼の指がかすめると、春華がピクリと身じろぎして声を上げる。
くすぐったい時の声とは違う艶が含まれていたのを、風雅の耳はしっかりと捉えていた。
甘やかなその響きをもっと聞きたくて、指の腹で交互にそっと刺激してみる。
いくらもしないうちに、そこは僅かに突起して、彼の指を押し返す固さを持ち始めた。
「やっ……あ、んっ……」
春華の声も一層甘さを増して、風雅の興味を煽る。
「(なんか、美味しそうだな)」
指先で撫でるだけでは飽き足りなくなり、彼はそこへ舌を触れさせたくなる。
色といい艶といい、森になる小さい果実のように思えたから。
思い切って顔を近づけ、舌で何度かつつき、口に含んでチュッと音を立てて吸い付いてみる。
「馬鹿っ!何てことするの、信じられないっ」
その瞬間、春華は悲鳴を上げて風雅の背を両手で叩いた。
涙のにじむ目で睨みつけられ、彼は激しく動揺する。
条件反射で謝りそうなのを何とか堪え、彼は言葉を探した。
「僕達は結婚したんだよ?春華は、夫の僕のすることに反抗するの?」
わざとらしく怖い口調で言うと、春華が息を飲んで固まる。
「別にそういうわけじゃ……」
続く言葉を口の中に留め、春華が黙ってしまったのを見て風雅は快哉を叫んだ。
自分史上初めて、春華をやりこめた……という、はなはだ情けない喜びではあったが。
「じゃ、いいよね」
間髪いれずにまた春華を褥に組み敷いて、今度こそ抵抗を封じる。
しかし怖がらせるのは彼の本意ではないので、唇を噛んで黙る春華に断りを入れることも忘れなかった。
「心配しないで。頑張って気持ち良くするからさ」
「……馬鹿っ」
春華は火がついたように頬を赤くして、そっぽを向いて目をつぶった。
それを契機に、風雅はまた春華の胸に触れる。
白く柔らかい乳房を手の中でやわやわと揉みながら、その先端に代わる代わるに吸い付き始めた。
「んっ……ん……あっ……や……」
春華が時折いやいやをするように体を左右に身じろぐが、風雅は決して頭を上げることはなかった。
柔らかさと固さ、相反するその二つを併せ持つ彼女の胸は、いくら触ってもちっとも飽きなかったから。
むしろ、このまま夜が明けなければいいのになどと、馬鹿げた願いを胸に抱いてさえいた。
「(毎日触っても飽きないかも、たぶん)」
しかしそんなことを頼めば、春華は烈火のごとく怒るに違いないことは容易に想像できる。
それはさすがに無理だから、初夜のこの場でせいぜい触り、何日分かの「貯金」を作っておこうと彼は決めた。
「やんっ……。あ、何して……風雅っ……」
膨らみに口づけて柔らかさを堪能するように唇を這わせると、春華が弱く抗議の声を上げる。
先ほど声を荒げて怒った時の剣幕は、もう残っていなかった。
吐息には明らかに熱がこもり、語尾は掠れて最後は聞き取れないほど小さい。
春華は、風雅に触れられている胸から発した熱が、体全体に染み渡っていくような奇妙な感じに捉われていた。
これが快感なのだと彼女が認識するのは、残念ながらもう少し先のことになる。
春華の胸に夢中になる風雅の頭に、ふと友人の言葉が思い浮かぶ。
『とにかく女の股を濡らせ。じゃないとお前、後々までしつこく恨み言を言われるぞ』
経験の無い風雅に、気の置けぬ友が大人ぶって教えてくれたことだ。
「(そうだ、濡らさなきゃいけないって言われたな)」
思い出した風雅は、胸に埋めた顔はそのままに、右手を春華の体にそって下へ這わせた。
滑らかな腹を通り抜け、へその下を過ぎると、やがてふんわりとした物が指に絡まる。
「やだっ!」
春華がまた声を上げ、風雅の肩を押し返そうとする。
また押し問答を繰り返すのかという予感に震え、風雅は強引に指をさらに下へ押し付けた。
胸や腹などとは違う熱く湿り気を帯びた感触に驚き、えっと短い声が彼の口から出る。
初めて触る女性のその部分は、彼にとって全く未知の物だった。
上下にゆっくりと撫でると、そこはあくまで柔らかく、もっと指が沈みこんでいきそうな気がする。
思い切って指先にかける力を強めると、やはり柔らかい肉が、彼の指を包み込むように絡みついてきた。
そこに感じる水気に、風雅はホッと胸をなで下ろす。
「(よかった、濡れてる)」
これで春華に恨み言を言われることはあるまいと、彼は早くも安心した。
「ん……やだっ……あ……あっ……」
誰にも触れさせたことの無い部分を撫でられ、春華が弱々しく抗議の声を上げる。
しかし先ほどのように風雅を突き飛ばして逃げるようなこともせず、彼女は大人しく褥に横たわっていた。
おてんばで跳ねっ返りの彼女にも、ちゃんと初夜の作法を守ろうという意識はあるのだ。
例え心の中では「風雅の馬鹿。明日思いっきり引っぱたいてやる」などと思っていても。
春華が自分のしたいようにさせてくれることに、風雅の胸を喜びが満たす。
「(結婚ってすごい、春華がこんなに、僕に……!)」
有頂天になった風雅は、さらに指先に力を入れて、友人に教えられた「穴」を探索する。
しかし両側からそこを覆い隠すようにする彼女の襞に阻まれて、この姿勢のままではそこを捉えにくい。
じれったくなった彼は、左手でそこを押し開き、邪魔な肉をどけようとした。
「んっ!」
春華が足をばたつかせても構わず、強引にそこを押し開く。
見なければ分からないと、彼は春華の足元に下がり、手元に顔を近付けた。
「あ……」
自分の指が押し広げている場所に視線を合わせ、風雅は目を見開いた。
濡れた柔らかい肉が、まるで口を広げるように展開し、春華の呼吸に合わせてひくひくと動いている。
衣の上から何となく想像のつく乳房とは違い、初めて見る女性のその部分は、彼にとってひどく刺激的だった。
自分のそこと比べてみても、当たり前だがまるきり違う。
ひどく赤く、いかにも繊細そうな彼女のその部分は、手荒に扱っては決してならないことをまるで風雅に示しているかのようだった。
「ごめん。ゆっくり触るから、大人しくして」
慌てて指先の力を抜き、風雅は言う。
「大人しく、って……」
頬をバラ色に染めた春華が、どうしろというのだと言うように小さく呟く。
「春華が暴れると、どうしても僕にも力が入っちゃうから。痛くするといけないでしょ?」
「……うん」
だからね、と風雅がなだめるように笑ってみせると、春華はしぶしぶ頷いた。
「濡らさなきゃいけないんだって。それには、触るしかないんだって」
「っ!」
直接的な風雅の言葉に、春華はさらに頬を赤くした。
「勝手にしなさいよっ。もう、知らないからっ」
出来る限り大きく溜息をついてみせ、春華はぷいと横を向き、枕に顔を埋めた。
その可愛らしい仕草に、風雅の頬がだらしなくほころぶ。
「(春華なりに、照れてるのかな)」
そうに違いないなどと都合よく解釈し、風雅は再び彼女の柔らかい部分に触れた。
じっくり見てはまた怒られるに違いないから、「見てないよ」とアピールするために、彼女の腹や胸に軽く口づけながら。
しかしそうしながらも、風雅は「そこ」をとうとう捉え、指を一本挿入した。
怖がらせないように、できるだけゆっくりと指を奥へ伸ばして中を探る。
指先から伝わる柔らかさと濡れた感触は一層強くなり、それに風雅の頭の中はちりちりと熱くなった。
温かく濡れた場所といえば口の中だが、そことは遥かに手触りが違う。
ここに自分の物を押し込み、彼女を自分の物にする時がすぐそこまで迫っていることに、彼の頭には卒倒しそうなくらい血が昇った。
「んっ……風雅?」
口づけることも忘れて指先の感触に酔っている彼をいぶかしんで、春華が呼びかける。
それにハッとして、風雅は慌てたようにまた春華の肌に吸い付き始めた。
その肌の美しさと柔らかさも彼の心を奪ったが、やはり、未知の場所への興味が上回る。
いくらもしないうちに、風雅は取繕うことを諦め、再び春華の足元へと下がった。
来るべき時が来たのだと、自らを精一杯鼓舞して。
「春華。痛かったら、痛いって言ってね」
風雅の言葉に、春華は体をびくりと跳ねさせる。
彼女もまた、来るべき時が来たのだということを察した。
目を何度かしばたたかせ、春華がゆっくりと頷く。
それを合図にしたかのように、風雅は彼女の肉を押し開き、既に準備万端整っている自らの部分を彼女のそこに押し付けた。
初めての場所に初めての物が触れ、春華の体がまた跳ねる。
まだ入り口に押し付けられているだけでも、その固さと熱さは十分すぎるほどに感じ取れた。
「(こんなの入れられたら、きっとすごく痛いに決まってるわ。怖い……)」
しかし、もうこうなった以上は後戻りできない。
もし今みっともなく抗えば、後々まで風雅につけいるスキを与えてしまうことになると彼女は考えた。
精一杯の余裕を顔に貼り付け、平気よとでも言うように風雅の腕にそっと触れる。
限界まで深く息を吐き、春華はこわばる体を少しでもほぐそうと試みた。
「あっ……!」
押し当てられている風雅の一部にグッと力がかけられ、今さっきまで誰にも触れさせたことのなかった場所が少しずつ開いていく。
狭い場所を無理矢理こじ開けられる痛みに、春華は声にならない声を上げ、風雅の腕をきつく握り締めた。
「痛い……」
耐えられずに春華の口からこぼれる声には涙の色があり、その悲痛さが風雅の胸をきしませる。
「(ごめん、ごめん春華。本当にごめん)」
すぐにでも謝って解放してやりたいが、今この場でそうするわけにはいかないのは、経験の無い彼でもわかる。
初夜を中断するなど、花嫁に対する侮辱と取られても仕方がないことだ。
それならせめて、少しでも春華の気がそれるようにと、風雅はまた春華の肌に舌を這わせた。
「やっ……」
くすぐったさに春華が短く声を上げると、呼応するように彼女のそこが収縮して風雅の物を締め付ける。
「(だめだ、これじゃ僕の方が先に参ってしまう)」
絡みつく彼女の内部から与えられるえも言われぬ快感に、風雅の頭に警報が鳴り響く。
ただ腰を進めるだけでは春華に悪い、しかし気をそらせながらでは自分の方がやばい。
ああ一体どうすればいいのだと、彼の頭は大混乱になった。
「風、雅……?」
固まったように動きを止めている風雅の耳に、春華の微かな呼びかけが聞こえる。
「大丈夫よ、あんまり気を使いすぎないで……」
痛くないわけがないだろうに、けなげにも春華がそう言ったことに、風雅はハッと冷静になった。
目を潤ませながら、それでも懸命に微笑もうとしている彼女は、彼が今まで見た彼女のどんな時よりも綺麗だった。
いつも風雅より前を歩いていて、子分扱いしたり馬鹿にしたりと、その時々でいいように扱ってきたおてんばな春華。
しかし今の彼女は、夫の不安を敏感に感じ取り、少しでも助けようとするまぎれもない「妻」の顔をしていた。
その美しさに風雅はぽかんとなって、まるで魂でも抜かれてしまったかのように、穴の開くほど春華の顔を見つめた。
「…………」
至近距離で見つめられ、春華は慌てて視線を横へそらす。
顔を隠したくても衣は既に奪われているし、痛みを堪えるために夫の腕を掴む手は外せないしで、それが精一杯だった。
彼をやりこめるためにタンス何棹分も持っている憎まれ口も、こんな時に限って全く浮かんでこない。
「(どうしよう、どうしたらいいのかしら)」
一転して、春華が大混乱する番になった。
「(風雅の馬鹿、もっと強引にやりゃあいいじゃないの)」
およそ花嫁らしくもない悪態をつく彼女らしさが唐突に戻ってきたところで、ふと目の前の風雅のまとう空気が変わったのを彼女は敏感に悟った。
先程までの今にも泡を吹いて倒れそうなほど余裕を失った雰囲気が消え、ひどく落ち着いているようにも見える。
まるで導かれるように、春華は上になった風雅へと視線を戻した。
「あ……」
自分を見て目を細め、僅かに微笑んでいる彼を捉え、春華の心臓がトクンと跳ねる。
情けない弱虫だと、かつて散々からかいの種にした頃の風雅とは、全く違っていた。
今彼女の目の前にいるのは、少年の殻を脱ぎ捨て、大人の男になろうとしているたくましさを持った風雅だった。
彼がそうなったのは、春華のけなげな仕草を見たからこそなのだが、当の本人はそのことに全く気付かない。
ただ彼がひどく大人びて見え、彼女はただ目を奪われるだけだった。
「春華。たぶんもっと痛くなると思う、本当にごめん」
風雅が春華の頬にそっと触れ、許しを乞うように呟く。
心底申し訳なさそうなその表情は、彼女を心から思いやっていることを示していた。
大人の男になりつつあるとはいえ、やはり風雅は風雅のままなのだ。
「……馬鹿ね。最初は痛いってことくらい、とっくに知ってるわよ」
まるで通夜の場にいるほど不景気なオーラをまとっている風雅を見て、春華は苦笑するしかなかった。
痛いのは自分だというのに、この男はなんでまた、こんなに苦々しい顔をしているのだろう。
「いいわ。ごちゃごちゃ言ってても仕方がないもの。やるんなら、とっととやってちょうだい」
まるで経験豊富な年上女のようにぞんざいな言葉を使い、風雅の気持ちを和らげようと春華は試みる。
どうせいつかは越えねばならない壁なのだ、それが今であるというだけなのだと、彼女は自分にも改めて言い聞かせた。
なおも迷う風雅の背に腕を回し、軽く抱きついて準備を整える。
「私も我慢するんだから、あんたも我慢しなさいよ」
最後の後押しをして、春華はギュッと目をつぶり、風雅が行動を起こすのを待った。
彼女の決意に応えるように、風雅はまた少しずつ、彼女の中へと入り始めた。
しばらく落ち着いていた痛みがまたぶり返してきて、春華は知らずのうちに風雅に抱きつく力を強める。
「(やっぱり痛い……けど、我慢しなきゃ……)」
最初は誰でもひどく痛いものだと、一足先に経験を済ませた女友達が言っていたことを思い出す。
逃れられない痛みであれば、開き直る他はない。
気が遠くなるほどの時間が経ち(実際は数分のことであったが)、風雅がふうっと息をついたのを見て、春華は彼の物がすっかり自分の中に納まったことを知った。
汗と涙で顔はぐちゃぐちゃになっていて、それを夫となった男に見られるのがたまらなく恥ずかしかった。
風雅がまた心配そうな表情になったのを見て、春華は慌てて、首をすくめて彼の胸に顔を隠す。
こうすれば、まだほとんど乱れていない彼の衣が、汗と涙を吸い取ってくれるような気がしたから。
そんな色気のかけらもないことを考えながら、春華は風雅の衣にぐりぐりと顔を擦りつける。
しかし風雅は、彼女のその行動が怯えと甘えから来るものだと解釈した。
「春華、大丈夫。たぶん大丈夫だから」
懸命になだめてくれる夫の言葉を聞いて、春華は胸中をいささか複雑にした。
顔を上げられないまま彼女がうんと頷くと、風雅がそろそろと腰を動かし始める。
じんじんとした鈍い痛みは、今度は押しては返す波のように緩急つけたものになり、春華はギュッと唇を噛んだ。
強弱があるほうが、余計に痛みを痛みとして認識してしまう。
しかし、それを口にするのはためらわれ、春華はひたすら耐えた。
やはり、最初から快感を得ることなどできない。
一方、春華が気丈にも苦痛を悟られまいと頑張っているのとは裏腹に、風雅は初めての感触に身も心も打ち震えていた。
この行為がこんなにも恍惚を呼ぶものであるとは、彼の想像を超えていた。
腰を引き挿入が浅くなると、すぐさままた深く押し入りたくなる。
押し入ったら、今度は浅い所まで引き抜き、暖かく濡れた彼女の内部と自分の物を心ゆくまで擦り合わせたい。
彼女の胸に触れていた時と全く同じに、彼はこの時がずっと続けばよいのにと、かなわぬことを願った。
しかし、達する時に特有の腰の震えが、じわじわと体を這い登ってくることを感じる。
女の体に触れるのは今日が初めてでも、自分の手でそこを処理することには経験があったので、「それ」が何であるかは知っていた。
「(あ、だめだ、もう……)」
眉根がくっつくほどに顔をしかめ、唇を噛んで絶頂を堪える。
達することで彼女との体のつながりを解くことが、途方もなくもったいなく思えた。
「春華っ……あ!」
組み敷いた妻の名を呼び、我慢の甲斐なく、ついに彼は自らの熱を解放する。
どうしようもなく体が震え、堪らず彼は布団に両手をついた。
心臓は爆発しそうに高鳴っていて、呼吸も乱れてたまらなく苦しい。
しかしその一方で、今まで感じたことのない強烈な快感を下腹部に感じていた。
『一度やると、くせになる』
友人がしみじみと呟いた言葉がふと思い出され、風雅はそれに心から頷いた。
「春華……?」
ようやく落ち着いた風雅が、妻を恐る恐る呼ぶ。
行為の心地良さに思わず失念してしまっていたが、終ってみると、やはり痛みを与えたことに対する罪悪感が彼の胸に生まれた。
しかし、春華はその呼びかけに応えることはなかった。
「あ……」
痛みと不安、その他色々のことに追いつめられ、春華はとっくに意識を手放していた。
慌てて風雅は彼女の口に顔を近づけ、息を確かめる。
規則的な呼吸を感じ、彼は心から安堵した。
花嫁が初夜で失神するという話は、随分前に聞いたことがあるような気がする。
周囲を見回し、準備してあった桶と手拭を使って春華の身を清め、ぎこちなく襦袢を元に戻してやる。
人一倍口の悪い彼女が、最後には自分を立てて身を任せてくれたことが、彼の胸を改めて熱くした。
「幸せにしてあげなきゃ、な……」
自らに言い聞かせるように呟いて、そっと手拭を置く。
今までは春華の夫になるために頑張ってきたが、これからは彼女を幸せにするために頑張らなければならない。
さし当っては、もっと気持ちよくさせてあげるための方法を学ぶこともしなければ。
規則正しく寝息を立てている妻の艶やかな髪にそっと触れ、これからの夫婦生活のことを思いながら、風雅はそっと目を閉じた。