「じゃあ、俺は都築さんと図書館に寄って行くから。気をつけて帰れよ」
何事もないような口調で言い放つ長身の男と、その隣に立つ大人の女性の背中を無言で送り終えると、香穂子はそっと溜息を吐いた。
本当はこう言いたかったのだ。『やっぱり一緒に帰ってほしい』と。
しかし、一心不乱に夢へ突き進もうとしている彼に対し、その言葉は自分の我儘でしかないことを香穂子は知っている。
指揮の夢を抱いてから、彼は翌年度からの転科を即座に決めたのをはじめ、図書館で関連の書籍を借り集めるなど、今まで以上に余念がない。
実際、二人でいる時間は少なくなってはいるが、香穂子はそれを残念には思ってはいなかった。
そう、あの女性が現れるまでは。
都築茉莉。
この春に行われる音楽祭で、オープニングオーケストラの指揮を務めることが決まっている、星奏学院大学で指揮科に通う学生である。
香穂子がそのオーケストラのコンミスに選ばれたことがきっかけで、コンクール出場者とも顔なじみになっており、既に土浦とは、大学生しか入ることが出来ない大学併設の図書館へと何度か一緒に足を運んでいる。
それを快く思えない自分を忌々しく思いながら、既に大学のキャンパスへと姿を消したその二人の影に背を向けて、香穂子は家路を急いだ。
そうすることで、自分の不安を掻き消そうとしていることに、そして、帰路の間、何度も溜息を吐いていたことに、自分でも気がつかないくらいに。
そんな香穂子も、自分に課せられた課題をクリアしなくてはならない状況に身を置いていた。
理事長より言い渡された、コンミスという大きな壁を乗り越えなくてはならない。
そのための協力を惜しまないと言ってくれているのは、かつてのライバルでもあり、しかし今は強い絆で結ばれた若き音楽家たちである。
もちろん、受験で忙しい柚木や火原に迷惑をかけるわけには行かないと断ったのだが、彼らはそれを強い言葉で跳ね除けた。
「残念だな、日野さん……。僕には両立できないと思っているんだね……」
「水臭いよ、日野ちゃん!そりゃ、勉強も大切だけどさ、きみへの協力は最優先事項だよ!」
ほかにも、作曲活動に没頭している志水や、オケ部に入部して頑張っている冬海、そして留学準備に忙しいはずの月森までもが、香穂子のバックアップ体制を取ってくれていた。もちろん、香穂子の音に惚れ込んでいる加地に至っては、言わずもがなだ。
香穂子は彼らがくれた温かい言葉に甘え、アンサンブル結成の際には、あえてピアノを参加させずに弦と管だけで編成された曲を選んだ。
そうしたのはほかでもない、勉強に勤しむ土浦の手を、出来るだけ煩わせたくない一心からだ。
香穂子の秘めた思いを、ジャーナリスト特有の勘で察した天羽は、暫くの間は何も言わずに見守っていた。
しかし、最近になって流れ出した噂にいち早く反応したのは、天羽だった。
『土浦が年上の女性とつきあっているらしい』というその噂が、おかしな形で香穂子の耳に入る前に、天羽は敢えて自分の口から香穂子にその噂を伝えた。
土浦をアンサンブルに入れなかった香穂子なりの心遣いを彼は仇で返していると、天羽は怒りを抑えつつ話し、最後には、
「日野ちゃん、彼女であるアンタが遠慮する必要なんてないと思うよ?」
と進言した。
しかし、香穂子は寂しげに首を横に振ると、
「……仕方ないよ」
と、小さく呟いただけだった。
香穂子が作ったアンサンブルの情報が土浦の耳に入るのは、それから間もなくのこと。
ピアノの入らない編成ばかりのそれは、土浦にとっては不愉快なものでしかなかった。
誰よりも優先的に香穂子の隣で音色を奏でるはずの自分が、そのリストから外されているのだ。不愉快にならないわけは無い。
昼休み、香穂子の背中を廊下で見かけた土浦は、咄嗟に彼女を呼び止めていた。
「香穂!」
決して人前では名前で呼ぶはずのない彼が、生徒でごった返している廊下でこう叫んだことに、香穂子は驚いた。
言い換えてみれば、周りすら気にならないほど、土浦は香穂子に怒りを向けていた、とも言える。
「……どうしたの、土浦君」
「ちょっと、来い!」
乱暴と言われても仕方のないような力強さで、土浦は香穂子を音楽棟の屋上へと連れ去った。
その尋常らしからぬ様子を、報道部の天羽が見逃しているはずはなかった。
「どういうことだ?」
開口一番、土浦は香穂子に詰め寄る。土浦の怒りの矛先が何なのか、香穂子にはさっぱり見当がつかない。
「……どういうことって……何が?」
「どうして俺に何も言わないんだ?」
「……だから、何のこと?」
「アンサンブルのことだ!」
「……アンサンブル……?」
「なんでピアノが入ってないんだ?」
「……え」
土浦の怒っている理由がアンサンブルの編成によるものだと、香穂子は夢にも思わなかった。
多忙な彼の手を煩わせまいと選んだ選択肢は、感謝されても怒られる筋合いではないと、香穂子は思っていたのだ。
「どうして土浦くんが怒るの?」
異を唱えた香穂子の肩を、土浦が強く掴む。
「あたりまえだろ!俺は、香穂、お前の……っ」
『彼氏だろ』と続けるはずの土浦の言葉は、急に飛び出してきた天羽によって封じられた。
天羽は香穂子の肩を掴んでいる土浦の手を、パチンと強く叩いて払い落とす。
「いてっ!……んだよ、天羽っ」
眉根を寄せて怒りを露にする土浦に対し、天羽も怯まずに怒鳴り返す。
「土浦くんこそ、酷いと思わないの?」
天羽はいつもの明るい声を低いそれに変化させ、鋭い視線で土浦を睨んだ。
「……なんのことだよ」
「日野ちゃんに酷いと思わないの?最近、都築さんとばかり一緒にいるじゃない。日野ちゃんがどんなに我慢してるか、知ってる?」
「日野が、我慢?」
土浦の呟きに、このボクネンジン、とでも言いたげな視線で、天羽は土浦を睨み続ける。
「そうだよ!ほら、言ってやんなよ、日野ちゃん!」
天羽に背中を押され、香穂子は初めて自分の気持ちを声にした。
「……最初は仕方ないとは思っていたけど……やっぱり、ちょっと我慢してたっていうか……ほっとかれてるなって思ってたよ……」
「……」
香穂子の告白に戸惑う土浦だったが、次第にさっきまでの怒りが再度こみ上げてきて、思わず本音を口走っていた。
「……俺は別に、やましいことをしているわけじゃない。じゃあ、勉強止めますって言えばいいのか?」
「そんなこと……っ!」
土浦のセリフに、香穂子が反論しようとした刹那、土浦が踵を返した。
「……悪い、俺、頭冷やしてくるわ」
そういって屋上の重い扉を開き、階下へ消える。
土浦がこの場を離れた、ということは、この話はもうこれ以上したくはない、という彼の意思表示だ。
「ありがとう、天羽さん」
香穂子は、援護射撃をくれた天羽に力なく感謝の辞を述べるが、
「あれはまったく理解してないね……」
と、天羽は土浦が消えた扉を、じっと見つめていた。
険悪な雰囲気のまま、しかし二人は一緒に登校することを止めなかった。
二人の間を流れる空気は重苦しいままで会話も弾むはずがなく、まるで義務であるかのように歩を進めるだけ。
校門に着くと、香穂子はホッとしてしまう自分がいることにいつしか気付き、きっと、土浦も同じ気持ちなのではないだろうかと、思ってしまっていた。
互いの近況は噂がおのずと運んできてくれており、香穂子には以前から聞かれている都築と土浦の関係が、土浦には、『香穂子がアンサンブルメンバ
ーといい感じ』だという女子生徒からの羨ましげな声が、夫々に届いていた。
先日などは、土浦本人に対して、香穂子と土浦が付き合っていることを知らない男子生徒から
「なあ、日野って誰か好きなヤツいんのか?居なかったら、俺、立候補しようかと思ってんだけど」
などという能天気な質問が飛んだくらいだ。
しかし、土浦は、
「さぁなぁ。そういうことは、直接本人に聞くもんだぜ」
という言葉しか返せない自分を、内心苦々しく思うだけだった。
ある日、いつものように大学の図書館へと向う道すがらの土浦の耳に、高校校舎から響くヴァイオリンとトランペットの音が届いた。
音色でそれと分かる、香穂子と火原の音だ。
きっと、屋上で練習しているのだろう、途中、つっかえては繰り返し、つっかえては繰り返し綴られるその音は、何より二人の親密さを物語っていた。
土浦は、見えるはずの無い二人の姿を、屋上に走らせた視線で探る。
そこには、満面の笑みでトランペットを吹く火原と香穂子がいるに違いないのだ。
香穂子自身はその鈍感さから気づいてすらいないが、傍から見れば火原が香穂子を想っているのは一目で理解できる。
実際、土浦もコンクールの合宿で火原の気持ちを目の当たりにしているのだから、誤魔化しようがない。
そんな相手と二人きりで練習するとは。
香穂子の無防備さに、いささか腹が立たなくもなかった。
同時に、胃の少し上辺りが軽く痛んだことに、土浦は気がついていなかった。
数日後、用事を済ませて帰宅する途中の臨海公園で、練習を重ねている加地と香穂子の姿が土浦の目に飛び込んできた。
『あの臨海公園は、僕にとって思い入れのある場所なんだ。なんてったって、日野さん、君の音色に出会えた場所だからね』
いつだったか、加地が香穂子に嬉しそうに話していた内容を、唐突に思い出した。
加地のあれだけのアプローチだ、彼が自分に想いを寄せていることくらい分かりそうなものだが、香穂子はその恐るべき鈍感力からか、まったく気付いて
ないらしい。
しかし、土浦にしてみれば、香穂子が気づいていようがいまいが、このシーンが面白くないものであることに変わりは無い。
互いの指使いを意識しながら、紡ぎだされていくその音色。
時折、加地が香穂子の指を取って、弦の押さえ方などを指導をしている。
ブランクがあるとはいえ、加地の方が香穂子より弦の演奏歴は長いのだから、彼が演奏方法を指導するのは至極当然のことなのだが、ヴァイオリンの
練習を始めたばかりの自分には到底出来ない芸当に、土浦は内心歯噛みをした。
そして、声をかけようにも、どんな風に掛けてよいものかも分からずに、土浦はその場を後にした。
なんとも言い換えようのない気持ちを、胸に押し込みながら。
休日に久しぶりに気分転換しようと、土浦が南楽器へ足を運んだときのことだ。
扉を開けて入ってきた土浦の顔を見ると、店主はなにやらバツの悪そうな表情を見せた。
「どうしたんだ?」
土浦が不思議そうに言うと、
「ああ、梁……いや……なに」
店主はなにやら口篭り誤魔化そうとしたが、次の瞬間、土浦の目に飛び込んできた情景が、全ての答えをくれた。
香穂子と月森が、こちらに背を向ける格好で、ヴァイオリンの弦を選んでいる。
その背中は仲睦まじく寄り添い、時折、香穂子の髪が揺れる。きっと、笑っているのだろう。釣られるようにして、月森の背中も同じように揺れる。
表情は見えないのに、二人が微笑みながら選弦しているのが手に取るようだった。
「日野……月森……」
思わず声に出した言葉に、二人が振り返る。
「あ、土浦君」
「……やあ」
二人は声を揃えて挨拶をする。挨拶を返すことも忘れてその場に立ち尽くす土浦の脳裏に、色んな感情が飛び交う。
どうして二人でここに?なんでアイツは俺じゃなく、月森と一緒なんだ?どうしてそんなに仲良さそうに……。
「今ね、月森君に弦を選んでもらってたの」
無邪気に話す香穂子の続きを、月森が受け取る。
「先日来たときに知ったんだが、この店は大型楽器店が置かない、なかなか玄人好みな弦を置いているから。日野の音に似合うと思って」
「やだなあ、月森君。買いかぶりすぎだよ」
「そんなことはない。俺は思ったままを言ったまでだ」
まるで、土浦の存在を忘れたように繰り広げられる会話は、彼が参加することを全否定しているように、土浦には思えた。
不機嫌が、土浦の表情を変えていくのを知らぬまま弦を選ぶことに戻った二人は、そのまま張替えの作業に移る。
その間も、土浦は黙って二人の背中を見ていた。これまで見てきた、香穂子とほかの男との遣り取りを思い出しながら。
火原との練習は、実際に目にはしなかったものの、きっと香穂子にとって楽しい時間になったに違いない。
加地との練習風景は、まるで恋人同士の練習にも当て嵌まるような雰囲気を醸しだしていた。
いずれのシーンをとって見ても土浦には不愉快なものなのに、今日は月森とのこんなツーショットを見せられるとは。
歯を食いしばっている自分に気がついたのは、月森が急に自分の名前を呼んだときだった。
「土浦……調弦をしたいんだが、鍵盤をお願いしてもいいだろうか」
月森は、自分に音叉の代わりをやれ、と言う。月森に指示されたことにより、土浦の怒りは頂点に達した。
「……お前がやってやればいいだろう、月森」
「いや、君がピアノの前に座っているから、頼んだんだが」
土浦の言葉に加わった棘に気付かず、月森が続けた言葉に思わず叫ぶ。
「じゃあ、俺は帰るよ。お邪魔みたいだからな」
最後の言葉は、無意識に香穂子の顔を見て言ってしまう。
内心、土浦は自分でも情けなく思っていた。月森に、加地に、火原にさえこんなにも嫉妬してしまう自分を。
「土浦君?!」
明らかに何かに怒っている土浦に気付いた香穂子は、そのまま店を出て行った彼を足早に追いかける。
しかし、なぜか店を出たばかりの土浦の姿は既に無く、香穂子はそのまま土浦の自宅へと足を向けた。
インターホン越しに聞く土浦の声は、いつもより少しくぐもって聞こえた。
「よう」
玄関から出てきたものの、視線を合わせようとしない土浦に、少しばかり香穂子は悲しさを覚えた。
「土浦君……あ、あのね」
暫くは黙ったままの二人だったが、口火を切ったのは香穂子だった。
「……ごめんね、この間は、勝手なこと言って」
急に謝罪を始める香穂子に、土浦は面を喰らう。香穂子の言っている意味が理解できなかったのだ。
「ちょ、ちょっと待て」
そう言うと、土浦は香穂子を自室へと招き入れた。
初めて入る土浦の部屋は、グランドピアノが存在感を醸す少し大きめの部屋だった。
西日が眩しいその部屋のベッドに香穂子を腰掛けさせると、土浦は話の続きを促した。
「香穂、さっきの、勝手なことって……一体なんのことだ?」
「……うん、ほら、屋上でのこと」
「屋上?」
屋上と言えば、香穂子と火原が練習していたことしか思い出せない。まさか、本当に二人に何かあった訳じゃなかろうか。そんな不安が土浦の頭を過ぎった。
「……我慢してる、とか、ほっとかれてる気がするとか言っちゃって……。あはは、本当に勝手だよね、私」
自嘲するように笑う香穂子を見て、あの日の些細な喧嘩を思い出すと同時に、土浦は自分で言い放った言葉を猛烈に反省し始めていた。
『俺は別に、やましいことをしているわけじゃない』
アンサンブルの練習は、全体練習のほかにも、個別練習が必要なことくらい土浦自身、知っていたはずだった。
香穂子だって、別段やましいことをしていたわけじゃない。それを、土浦は勝手に嫉妬していただけで。
「……土浦君の夢を応援する、とか言ってたはずなのに。……ホント、ゴメンね」
下瞼を涙で軽く潤ませながら謝罪する香穂子の頬を、土浦はその大きな手で挟むと、香穂子の唇に自分のそれを近づけていく。
そうして重なった唇は、暫くの間離れようとはせず、付き合い始めてから何度目かのキスは、仲直りの証となった。
「俺も……悪い。……ごめんな」
唇が離れたあと、土浦は香穂子の手を両手で包んで話し始めた。
「お前が不安に思ってたこと、ちゃんと理解してやれなくて。お前だって女の子だもんな……。俺、ちょっとお前に甘えてた」
いいよ、そんなこと、と遮る香穂子を無視して、土浦は言葉を続ける。
「同じ立場に立たされて、やっと気づいたよ。……ほかの男が、お前の周りにいるだけで、気になってしょうがなかった」
「え?」
「ただの仲間だって分かってるのに、なんか、悔しいっつーか。仲良さそうに練習してたり………って、俺、何言ってんだ」
無意識に口をついて出てくる言葉に、土浦自身、焦る。こんなにも自分が執着していたことに、恥ずかしさを感じながら。
「土浦君、それって……ヤキモチ妬いてくれてたの?」
「う、うるせ」
顔を赤らめて視線を外したことで、それを肯定してしまっている土浦に対し、香穂子は少し微笑んで答えた。
「……私も、都築さんにヤキモチ妬いて、自分でもイヤだった。でも、あんなステキな人なんだもん、土浦君が惹かれちゃうのも分かるから、なんにも言えなくて」
「バカ」
土浦は軽く香穂子の額にキスを落として、髪を撫でる。
「……俺には、お前しか居ない」
言い終わると同時に、土浦は香穂子をベッドに横たえた。
「土浦くん……」
いつに無く真剣な顔で、土浦が見つめてくる。その表情から目を逸らすことが出来ず、香穂子は覚悟を決めて瞳を静かに閉じた。
香穂子は、自分の唇を割って進入してくる舌に、小さく反応する。絡める、とまでは行かないが、舌先で軽く押し戻すような感じで応えていく。
より深く交わろうとする唇は離れることを許さず、その端から香穂子の吐息が漏れる。
その吐息に押されながら、土浦は香穂子の胸をまさぐり始める。
線の細い身体からは想像も出来ないくらいの張りが、土浦の指を押し戻す。今更ながら、女性の身体の柔らかさを実感していた。
制服のボタンを外すことすらもどかしく感じるくらい、今の土浦には余裕が無かった。
制服の上着を肌蹴させると、キャミソールに包まれた香穂子の上半身が晒け出される。
キャミソールの下に、うっすらと透け見えるブラジャーが見え隠れする。制服の下に隠されていた、意外にも大きな香穂子の胸を見ているうちに、土浦は卒倒しそうになる自分を辛うじて押し留めていた。
「……香穂」
夢中で、といってもいいくらい、土浦は香穂子の首筋に顔を埋めて、思うままにキスを残した。
痕が残ろうが、そんなことは気にしない。むしろ、香穂子の白い肌に、自分を残しておきたかった。
「……つ、土浦くん……?」
いつも大人な感じの土浦には見られない焦りに、香穂子は戸惑う。
「悪い……俺、余裕ないけど……受け止めてくれるか?」
土浦が、香穂子を見下ろしながら切なげな瞳で訊いてくる。そんな、いつになく本音をぶつけてくる土浦に対し、香穂子はゆっくりと受け入れる心構えが出来た。
「……いいよ、好きにして」
その言葉と同時に、土浦の唇は香穂子の唇へと降下し、彼の手はキャミソールをたくし上げて、下着の更に下へと侵入していった。
「……あっ」
土浦の指が彼女の胸の頂を摘むと、香穂子は思わず声を漏らした。
その声に反応して、土浦はフロントホックだったブラの留め金をその長い指で器用に外すと、その圧迫の呪縛から解かれた双丘が顔を覗かせる。
真っ白なその丘に手を伸ばし、土浦はゆっくりと揉みしだき始めた。
「……やっ」
意外にもボリュームのあるその丘を揉みながら、土浦は自分の舌をその頂へと寄せ、舌先で転がし始める。
「……ああっ…」
香穂子の声が、明らかに喘ぎに変化するのを聞いて、土浦は更にその舌の動きを大胆にした。
口に含んで転がしたり、舌先でつついたり、軽く歯を当てたりする度に、香穂子は綺麗な声で啼き、土浦の「男」を膨大させていた。
香穂子の上半身から全ての衣類を取り除くと、土浦は自分もTシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になる。
スカートのジッパーを下ろしてウエストを緩めると、香穂子の腰を浮かせて足首から抜き取る。
同時にハイソックスにも手をかけて脱がすと、土浦は香穂子を下着一枚の姿に変えた。
仰向けに横たわる香穂子を組み敷く形で、その一枚だけ残されている布の上から、香穂子の秘部に触れる。
瞬間、香穂子の身体がピクンと跳ねて、感じていることを教える。
しっとりと湿るその布越しに、土浦の指は溝を上下に蠢く。
「あっ……やっ……」
喘ぎ声を抑えようとする香穂子の耳に、土浦は囁きかける。
「……この部屋、防音だから……声、好きなだけ出してもいいぜ……」
「……んっ……ばかっ………っ」
土浦の指がクロッチの脇から入り込み、香穂子の潤う場所を直接刺激する。
「ああっ」
「すげー……濡れてる」
「やだ、言わない……で……」
話には聞いてはいたが、実際にここまで「濡れる」ことに、土浦は心底驚いていた。
そして、大抵の女の子が感じるというその場所を探すのは、そんなに大変な作業ではなかった。
溝の上部にある小さな突起を見つけ出すと、触れた瞬間に香穂子が大きく喘いだからだ。
「ああんっっ」
「ここ、いいのか?」
「んぁぁっ……つ、ちうらくんっ!」
強すぎず、そして弱すぎない指の力で、香穂子の突起を攻め続ける土浦。
暫く撫でていると、急に香穂子の身体に変化が訪れた。
「やあっ…だめ、土浦くんっ…わ、たしっ…おかしくっ…」
そう喘ぎながら、腰を前後に揺るがせ始める。まるで、自分の意思ではないかのように揺れる、香穂子の腰。
「ああんっ…つち、う、らくんっっ……ああっっっ」
もしかして、これが。
土浦がそう思ったのと同時に、香穂子は一層高く喘いで、その一瞬の後に脱力した。
「もしかして、……香穂、…イッたのか?」
「そんな、こと……聞か、ないで」
香穂子は息を荒げて顔を真っ赤にしながら、小さく土浦を睨んだ。
「へえ……女って、すげえな……」
調子付いた土浦は、まだぐったりしている香穂子の腰から最後の布を剥ぎ取ると、さっきまで指を這わせていた場所に顔を近づけた。
そうされた側の香穂子は驚きのあまり腰を引いたが、土浦の力強い腕でしっかりと固定されてしまっていた。
「ちょっ!……やだ、土浦くんっ…なにす…っ」
香穂子が拒否するのも聞かず、土浦の舌は香穂子の溝に埋まる。
「ああっ…だめっ…そんなっ」
初めて味わう女の味に軽く戸惑いながらも、土浦の舌は更に潤いを増した泉に出入りし、時にはさっきまで指で転がしていた突起を、同じように舌で転がした。
「んんんっ……っ……ああんっ……そこ、ダメ……」
香穂子の言う「ダメ」は、「いい」の裏返しであることに、当の土浦は気がついている。
重点的に突起を攻めていると、さっきのような変化が香穂子に現れ、今度ばかりは、と、土浦は素早くチノパンとアンダーウエアを脱ぎ捨てて、いつか使用する日が来ると信じて用意していたコンドームを自身に装着させた。
そんな土浦の様子を見て、思わず香穂子が声に出す。
「土浦くん、……用意、してたんだ」
「そ、そりゃあ、な……」
まるで見透かされているような気分で応えると、案の定、香穂子からこんな言葉が返ってきた。
「エッチ」
「うるせ」
こうやって香穂子にからかわれるのも悪くない気分だったが、せっかく取ったイニシアチブをあっさりと明け渡すわけには行かなかった。
土浦は気合を入れて、香穂子の膝の間に腰を進めた。
「香穂、力、抜いて」
香穂子の中心に自分をあてがうと、香穂子の緊張を少しでも和らげようと、囁く。
「…香穂、……好きだ」
その瞬間、土浦は香穂子をゆっくりと貫いていった。
「ああっ!」
「大丈夫、安心しろ」
痛みを感じているだろう香穂子に、土浦は優しい声音で囁きを絶やさない。
「つ、つちうらくんっ!」
「香穂」
名前を呼ばれるたびに、愛しい名前を呼び返す。自分だけが呼べる、彼女の名前。
「ああっ…っ…」
ゆっくりと出し入れを繰り返しながら、長い時間を掛けて、土浦の全てが香穂子の中に収められた。
香穂子のナカの締め付けと温かさに、一気に放出してしまいそうな気分だったが、それでは男が廃る、と土浦は気を引き締める。
香穂子と言えば、あんな大きなモノが入ってしまったという驚きと、ナカに残された小さな痛みとで、混乱の最中に居た。
「ゆっくり動くから」
そう言って、土浦は腰をゆっくりと前後させた。
初めは痛がっていた香穂子だが、その抽送が繰り返されるたびに、なんとも言いようのない快感が、身体を廻り始めていることに気がついた。
香穂子の声が、はっきりと喘ぎに変わっていく瞬間を土浦が聞き逃すはずもなく、その後からは少し激しく腰を揺らしていく。
「ああっ…んっ…つ、ちうらくんっ……」
「香穂……」
「ああっ…いいっ…っ」
「さっきまでは、……だめって……言ってなかったか?」
「やっ……そんな、ううんっ……ああっ…」
最早、何を言っているのか判らなくなるくらいの快感の中に居る香穂子。
腰を揺らすたびに同じように揺れる胸を揉みながら、土浦は腰の動きを早める。
「ああっ……んんんっ……土浦くんっ!…ダメ、ダメっ…私っ……」
腰に打つ波は次第に大きなうねりになって、香穂子を快楽の岸へ打ち上げていく。
「んんんっ……きもち、い……っ……」
「香穂、イっていいぜ……俺も、もうすぐっ……」
「ああっ…土浦くんっ…!」
「香穂っ……」
一段と早まった最奥への刺激に、香穂子は身が砕けそうになるような感覚を覚え、頭が真っ白になる瞬間を迎えた。
「あああっ…っ…っ…つちうら、くんっっ……!」
「……香穂っ!」
香穂子がその瞬間を迎えた刹那、土浦も大きな波に飲まれて、頂点に達していた。
裸のまま抱き合って薄い眠りから覚めたとき、時計の針は既に10時を指していた。
休日とはいえ、こんなに遅くまで家を空けさせてしまったことに謝罪をし、送っていく、と言う土浦。
しかし、その言葉を丁重にお断りをして、香穂子は一人自宅へと急いだ。
なんだか、気恥ずかしかったのである。初めて身体を重ねた相手と一緒に自宅へ戻るなんて、想像するだけで緊張してしまいそうではないか。
暦上では春なのだが、夜道はまだ冬のように冷える。香穂子は冷たくなった手のひらに自分の息を吹きかけながら、足を速める。
しかし、帰り際に土浦が言ったことばが、香穂子の心を温かくしていくのを感じていた。
『やっぱ、お前がいないと、ダメだな、俺』
それは、土浦だけでなく、香穂子自身も思っていたことだ。
仲直りが出来たことを嬉しく思う反面、明日、月森や、ヴァイオリンを置いて来てしまった南楽器の店主と、どんな顔で合ったらいいのか、それが香穂子の今の悩みだった。
了