冬海笙子が予約した練習室へと向かう途中、偶然、その声は耳に入った。  
「……普通科から参加なんて……」  
「あの生意気な女……」  
 思わず立ち止まって、周囲を見回す。  
 現在、星奏学院では学内コンクールが行われている最中だ。その参加者の中に普通科の  
少女が入っていることは、学内でも話題になっている。  
(今の……香穂子先輩のこと……?)  
 不穏な声の調子に、嫌な予感がして発信源を探す。どうやら、階段の上――屋上へと続  
く踊り場あたりから聞こえてくるようだ。  
 普通科からコンクールに参加した少女――日野香穂子への音楽科生徒の風当たりは強  
い。冬海自身、音楽科とはいえ一年生から選ばれたということで、いろいろとやっかみも  
受けたのだが、香穂子はもっと苦労していたことを彼女は知っている。  
 それでもコンクールが進むに連れ、香穂子自身の音の魅力もあって、そういった不満は  
少しずつ薄れてきていたのだが――。  
 こくりと喉を鳴らして、冬海は静かに階段をのぼった。やがて、手すりの向こう、踊り  
場の少し上のところに、男たちの頭が見えてきた。3人だ。おそらく階段にでも腰掛けて  
いるのだろう。一人だけ、妙に高い位置に頭が見える。  
 その、高い位置にあった頭がいらだたしげに振られた。  
「月森の件でも邪魔しやがって」  
「コンクールの成績いいからって、調子に乗ってるんじゃないのか?」  
「何とかして、あの女にひと泡吹かせてやりたいよな」  
「――だったらさ、ヤッちゃう?」  
 
 ガタン!  
 クラリネットケースが階段の手すりにぶつかって音を立てる。冬海は息を呑んだ。  
「誰だ!」  
 男たちが一斉に立ち上がって、こちらを振り向いた。黒いタイ――3年だ。  
「……ぁ、……」  
 声が出ない。  
 かたかたと震える冬海を男たちが取り囲む。  
「一年か。ふん、今の話聞いてたのか?」  
「黙っておけよ、いいな!」  
 恫喝され、びくんっと冬海は飛び上がる。  
 怖い……だけど……だけど、どうしても聞かなくてはならない。  
「…ぁ、の……」  
「ああ!?」  
「あの、……さっきの……香穂子先輩……日野香穂子先輩のことですか?」  
「だったらどーだってんだよ」  
 正面に立っていた男が、腕組みをして睨み付けてくる。  
(やっぱり……)  
 ヤるという言葉の意味を冬海は把握していなかったが、彼らが香穂子に何か――たぶん  
月森にしたのと同じような妨害を――するつもりなのは、はっきりとわかった。  
 怖い。震えが止まらない。  
 
 それでも、冬海は勇気を振り絞って声を上げた。――喉から漏れたその声は、自分でも  
情けないほどに小さく、かすれていたけれど。  
「か……香穂子先輩に、ひどいことをしないでください……っ」  
「なんだとお?」  
 ちょっと脅せば簡単に言いなりになりそうな、気弱な少女からの思いも寄らない言葉に、  
男は少し鼻白んだようだった。  
「待てよ、大木。こいつもコンクール参加者じゃないか?」  
「あ、そうだ。確か、冬海とかいう……」  
「へえ……」  
 大木と呼ばれた正面の男が、じろじろと冬海を眺める。  
 真っ青になって震えながら、冬海はその視線に耐えた。  
「……それで、その冬海ちゃんが、俺たちにどうして欲しいって?」  
 嫌な笑いを口元に浮かべ、大木は冬海の方へと一歩、近づいた。  
「お……お願いします。香穂子先輩に……何もしないでください……」  
 後じさりたくなるのを必死にこらえて、冬海は言い募った。  
 以前――柚木親衛隊に嫌みをいわれていた冬海を、香穂子が助けてくれたことがある。  
そのせいで、逆に彼女が親衛隊から恨みをかってしまい、衆目の前で演奏をする羽目にな  
ってしまったのだ。  
(今度は、わたしの番……)  
「お願いします!」  
「ふーん……」  
 深く頭を下げる冬海を、大木は冷たい目で見下ろした。  
 
「ま、別に止めてやってもいいけど」  
「……本当ですか?」  
 ぱっと冬海の顔が明るくなる。  
「それで、もしも俺たちが何もしなかったら、冬海ちゃんは何をしてくれるってわけ?」  
「え……」  
 ふたたび冬海の顔から笑顔が消える。  
「何、って……」  
「あの女には、俺たち、いろいろ酷い目に遭わされてるんだよな〜」  
「そうそう、水かけられたりさあ」  
「ただで止めるってのはねえ」  
 にやにや笑いを浮かべて、男たちが冬海を見る。彼女を困らせて楽しんでいるのだ。  
「……わ、わたし……」  
 冬海の声が小さくなる。男たちの視線に耐えきれずに、目を伏せてしまう。  
 その脳裏に、妖精の像の前でヴァイオリンを弾く香穂子の姿が浮かび上がった。  
(……香穂子先輩……)  
 自分をかばって、親衛隊に絡まれてしまった香穂子先輩。なのに、先輩は「気にするこ  
とないよ」って笑ってくれた。  
 普通科からの参加で、先輩の方こそ大変なのに、わたしのことを気遣ってくれる。  
 わたしのくだらない話を聞いてくれて。励ましてくれたり……時には、叱ってくれる。  
 明るくて、強くて、優しい先輩。  
 香穂子先輩のためなら――。  
 ぐっと腕の中のクラリネットケースを抱きしめて、冬海は顔を上げた。  
「わたしにできることでしたら――何でも、します」  
 
「へえ……なんでも、ねえ」   
 きっぱりとした冬海の言葉に驚いたように、大木は眉を上げた。てっきり前言撤回して  
逃げていくかと思っていたのだ。  
 こんな青い顔をして、震えているくせに――。その様子に、妙に加虐心を煽られ、ぺろ  
りと大木は唇を舐めた。  
 ふと、冬海が胸に抱えているケースに目を止める。  
「お前、クラリネット専攻か」  
 コンとケースを軽く叩かれて、冬海が慌ててケースを抱えなおした。  
「こ、こ、これは……!」  
「安心しろよ。別にクラリネットを寄越せとはいわないよ。……そうだな。練習室で、俺  
たちに演奏を聴かせてもらおうか」  
「え……」  
 緊張しきっていた冬海の顔から力が抜ける。もっと無理難題をふっかけられるかと思っ  
ていたのに。  
「俺たちが納得行く演奏ができたら、あの女には何もしないでいてやるよ。コンクール参  
加者さまなら、簡単だろ?」  
「それ、は……」  
 冬海は唇を噛みしめる。この人たちを、演奏で納得させる? 自分に、そんなことが出  
来るんだろうか。  
 
 ……香穂子先輩は、もっと大勢の前で演奏しなきゃいけなかったんだもの。それを思え  
ば、こんなことぐらい――。  
「わ、わかりました」  
 青ざめながらも決意の表情で頷くと、冬海は練習室へと大木達を招いた。  
(おい、どうすんだよ)  
(こいつの演奏なんか聴いたってさあ)  
(いいからいいから。ちょっとからかってやろうぜ)  
 背後の男たちのささやきは、冬海には届かなかった……。  
 
 
 演奏室に入ると、冬海は緊張した面もちでケースを開け、クラリネットを組み立てた。  
 そんな冬海の様子を見ながら、大木はごく静かに扉に鍵をかける。――かちりという小  
さな音は、冬海がクラリネットを組み立てる音に紛れて、彼女には聞こえなかった。  
「え、と……」  
 準備を整え、冬海が男たちの方を向く。  
「曲は、何を……」  
「そうだな……まずは軽くクラリネットポルカ、ってのはどうかな。もちろんコンクール  
みたいに編曲したんじゃなくて、フルでな」  
 冬海は目を見張った。  
 まずは、ということは……何曲か演奏しなくてはならないのだろうか。  
 
「何だ!?」  
「い、いえ……」  
 大木にじろりと睨まれて、何も言えずに冬海は俯いた。  
 目を閉じて息を整えると、ゆっくりとクラリネットを唇に持っていく。指が、震える。  
(香穂子先輩……)  
 香穂子の笑顔を脳裏に浮かべる。  
 大きく息を吸うと、冬海は演奏を始めた。  
 
 クラリネットポルカ、クラリネットのための歌曲、ロマンス……と、言われるままに吹  
いているうちに、少しずつ、冬海の緊張もほぐれていった。  
 もともとクラリネットを吹くことは好きだ。どんな状況にあっても、やはり演奏してい  
ると心が落ち着く。  
 それに演奏が終わるたび、男たちはお義理でも拍手をしてくれたり、短くても誉めてく  
れたりもした。  
(そんなに悪い人たちではないのかも……)  
 冬海が、そんな安心を覚えた頃だった。  
 男たちの一人――大木が、演奏を終えた冬海に近づいた。  
「?」  
「あ、そのまま。そのままな」  
 おびえを含んだ表情で、大木を見上げる冬海。大木は安心させるように冬海の頭を撫でた。  
 
「お前、よくやったよ。感心した」  
「あ……ありがとうございます」  
 冬海は驚いたように瞬いて、それから嬉しそうに微笑みを浮かべた。  
「じゃあ……」  
「次が最後の曲だ」  
 これで終わりかと思った、冬海のその期待をうち砕くように、大木が宣告する。  
「この曲をちゃんと最後まで吹けたら、解放してやる。あの女――日野香穂子にも、何もしないって約束してやるよ」  
 まだ終わらないとわかり、一瞬、失望の色を浮かべた冬海だったが、大木の言葉を聞いて表情を改めた。  
「……はい」  
「んじゃ、モーツァルトのクラリネット協奏曲な」  
 生真面目な顔で頷くと、冬海は演奏を始めた。  
 ――だが。  
(……え?)  
 演奏を初めてすぐに、冬海は戸惑った顔になる。  
 自分の頭に置かれていた大木の手がゆっくりと下に降りていき……首筋をゆるりと撫で  
始めたのだ。  
 
「……!?」  
「だめだよ、冬海ちゃん。最後までちゃんと吹くって約束したでしょ」  
「どんなことがあっても、ね」  
 ニヤニヤと笑いながら、もう一人の男――斉藤が近づいてくる。残りの男・平井は、扉  
の覗き窓を隠すようにして立っている。  
 冬海は後退ろうとしたが、大木が素早く後ろに立った。  
「……やっ」  
 思わず、冬海はクラリネットを口から離し、声を上げてしまう。  
 この人たちは、自分の演奏を邪魔するつもりなのだ――。  
『ちゃんと最後まで』なんて言って、吹かせる気なんか最初からなかったのだ。  
 邪魔をして……そして、香穂子先輩を――。  
「駄目だよ。冬海ちゃん。ちゃんと吹いてくれないと」  
「冬海ちゃんがちゃんと演奏してくれたら、日野香穂子は助かるんだよ?」  
 大木が猫なで声で囁く。  
「……本当、ですか?」  
「ああ、もちろん」  
 ――男の言葉を、信用できると思ったわけではない。  
 けれど、今の冬海には他の選択肢はなかった。  
(香穂子、先輩……)  
 冬海はぎゅっとクラリネットを握りしめると、そろそろと口元へ持っていった。  
 
 2人の男に挟まれる形で、冬海はクラリネットを演奏した。  
 ―――――……―――――…――――……――  
 震える唇から紡ぎ出されるクラリネットの旋律は、それまでの軽やかさとは打ってかわ  
って、とぎれがちの無惨なものになった。  
 それでも、冬海は必死に演奏を続けた。  
「なんだあ、冬海ちゃん。途端にヘタになっちゃったねえ」  
「これでコンクール参加者なんてなあ」  
 男たちが笑い声をあげる。その手は、好き勝手に冬海の体に触れている。  
 首筋に、頬に、肩に、脚に、手に。その度、冬海は大きく体を震わせた。  
 やがて、軽くつつく程度だった男たちの手が、撫でまわすように動き始めた。体をよじ  
って、逃れようとする冬海。だが、演奏しながらではしょせん無理がある。  
 肩から腕へ、そして――。  
 背後の大木の手が、冬海の胸に伸びた。  
「!!」  
 ピィっと音程の外れた高い音がクラリネットから漏れる。  
 大きく身をひねって抵抗する冬海を押さえつけて、大木が囁く。  
「ちょっとだけ。服の上からちょっと触るだけだよ」  
「で、でも……!」  
 冬海は激しく首を振った。演奏を邪魔されることは覚悟していても、彼女はこんなこと  
までされるとは思ってもいなかったのだ。知識がないわけではなかったが、性的に無垢だ  
った彼女は、男性に対しての警戒心が薄すぎた。  
 
「お前が1曲吹く間、これに耐えられたら、俺たちも日野を勘弁してやろうってことさ」  
「そ、んな……」  
「お前、何でもするって言ったよな? それともあれは嘘だったのか?」  
 冬海の瞳が大きく見開かれた。  
 それから、ゆっくりと瞳を閉じる。眦から一筋、涙がこぼれ落ちた。  
(せんぱい……香穂子先輩…………)  
 ふたたび演奏を始めた冬海を見て、大木たちはニヤリと笑う。しかし、冬海はそれを見  
ていなかった。固く瞳を閉じて、とにかく曲を終わらせることに全力を傾ける。  
 彼女が抵抗しなくなったのをいいことに、男たちの手はより大胆になった。  
 ジャケットの上から両掌で冬海の胸をつかみ、荒々しく揉みしだく。  
 もう一人の男は、ぴたりと冬海の腿に手を当てて、滑らかな感触を楽しむように撫でて  
いる。  
「やー、冬海ちゃんの胸は小さいなあ。ま、まだ一年だし。これからだよな」  
「すべすべで綺麗な足だねえ」  
 男たちのいやらしいセリフを思考から閉め出して、ひたすらに冬海は演奏を続ける。第  
一楽章……第二楽章……。  
 その演奏がふたたび止まったのは、男の手がジャケットのホックを外し、ブラウスの上  
から胸に触れてきたからだ。  
「ふ、服の上からって……」  
「これも服だろ?」  
 大木はぎゅっと手に力を入れた。ジャケットの上からとは違う、掌の体温すら感じられ  
るほど“近い”その感触に、冬海は肌を泡立たせる。  
 
「だめだなあ、冬海ちゃん。そんなに何度も演奏止めちゃ。しょうがないから、頭からも  
う一回ね」  
「そ、そんな……」  
「嫌ならいいんだよ? 俺たちは別に困らないし」  
 冬海の瞳からポロポロと涙がこぼれる。いやいやをするように首を振って、けれども男  
たちが許してくれないのだと知ると、冬海は諦めたようにクラリネットを口にした。  
 クラリネット協奏曲の旋律が最初から流れだすのを聞きながら、大木はいたずらを再開  
する。  
 本当を言えば、ここまでするつもりではなかった。  
 しかし、怯えて震えながら、一生懸命に演奏する冬海を見るうちに止まらなくなってし  
まった。  
 嗜虐心をそそる――というのだろうか。  
 この少女には、どうしようもなく男の攻撃性を煽るところがあった。  
(だから、お前が悪いんだよ)  
 勝手な理屈で大木たちは行為をエスカレートさせていった。  
 
                                                (続く)  
 

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