アレグレットの靴音が、青空に吸い込まれていく。  
 香穂子が駆けているその路地は、金澤のアパートへの近道だった。  
人通りも少ないし、来るならせめて大通りから、と金澤はいつも言うのだが、  
香穂子がそれを聞き入れたことは一度たりとてない。  
『だって、ここを通ってくれば、先生の部屋のテラスが見えるじゃないですか』  
 部屋の様子も分かるし、何よりできるだけ早く顔を見たいのだと笑って、  
金澤のため息を誘うばかりだ。  
「どうにかならんもんかなぁ……」  
 呟いて、金澤は煙草をくわえ直す。そのテラスへと続く窓を開け、窓枠にもたれた  
体勢のままで。  
 人気のない道をやってくる香穂子のことは心配だが、堂々と送り迎えができる  
身分でもない。それならせめて見守るくらいは──そんな思いから生まれた習慣  
なのだが、外から金澤の姿が見えるせいで、結局のところ香穂子に裏道を選ばせて  
しまっていることに、金澤自身は気づいていなかった。  
 そして、今日も今日とて、行く手に金澤の姿を見つけた香穂子は、そこからは  
全速力で走ってやってくる。呼吸や髪、衣服の乱れなどは一切気にかけずに。  
「お邪魔しまーす」  
 解錠しておいた玄関のドアを開け、ひと声かけて靴を脱ぎ始める。その声を合図に、  
金澤は火の点いていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。それから少し考えて、  
香穂子が苦い顔をするのは承知の上で、わざと携帯灰皿をテーブルの上に置いてみる。  
 案の定、上がり込んできた香穂子は、金澤の手元を見て小さく眉をしかめた。だが  
それも一瞬のこと。小さく息が吐き出された後には、仕方がないとでも言いたげな  
苦い笑みになる。  
 灰皿の贈り主が、他ならぬ彼女自身だからだろうか。喫煙の痕跡を責めるでなく、  
かといって許容している訳でもなさそうなその反応を、金澤は勝手にそう解釈していた。  
 
「冷蔵庫、借りますね」  
 勝手知ったる他人の家。言うが早いか、香穂子はキッチンへと足を向けて、  
コンビニ袋の中身を冷蔵庫に移しはじめる。ちらりと見えた中身はペットボトルの  
緑茶が2本。毎回毎回律儀なことだ、金澤は小さな苦笑を香穂子の背中に向けた。  
 趣味は料理だが、美味い料理に合う飲み物も、金澤の家には常備されているのだ。  
コーヒーも紅茶も酒も──最後はさすがに、香穂子に出すわけにはいかないが。  
「コーヒーでも淹れるか。お前さんも飲むか?」  
「あ、それはちゃんと別に」  
 冷蔵庫を閉めて振り返った香穂子は、金澤の問いかけに答えると、ごそごそと  
自分のバッグを探る。目当てのものはすぐ見付かったとみえて、香穂子は嬉々と  
した様子で金澤を見上げ、次いでバッグの中からミニサイズのペットボトルを取り  
だした。両手に持ったそれを金澤に見せながら、満面の笑みを浮かべて口を開く。  
「じゃーん! 限定ゆずはちみつミルクティー!!」  
「……いつも思うんだが、お前さんはどこでそんなものを見つけてくるんだ?」  
「え、コンビニとかで普通に」  
 あまりにも微妙なその商品名に、金澤はどこか遠くを見るような目つきになった。  
だが香穂子は気にした様子もなく、平然とオレンジ色のキャップを捻る。そうして、  
飲み口に鼻を近づけてくんくんと臭いを嗅いでから、意を決したようにボトルを傾け、  
中身を口に含んだ。  
 こくり。細い喉が上下した一瞬あとに、柚子の匂いが金澤の鼻腔を刺激する。  
「で、ご感想は」  
「んー、微妙だけどまずくはない」  
 問われて香穂子は、小さく首を傾げて答える。  
「柚子の匂いがするでしょ。でも飲んだら甘くて、甘いなって思ったあとにまた柚子の  
匂いが鼻に」  
 身振りを交えながら、香穂子は感想をどうにか金澤に伝えようと試みる。だが、  
金澤の手がひょいとそれを遮った。香穂子の手からペットボトルを取り上げ、自分の  
口に運ぶことで。  
 あ。香穂子の間抜けな呟きが、喉仏の動きに重なった。  
 
「……なるほど、こりゃ甘いな」  
 直後、金澤は嘆息と共に低い呟きを吐き出した。  
 だから言ったのに。言いつのる香穂子に苦笑とペットボトルを返して、そのまま  
金澤はキッチンへと向かう。湯を沸かしてコーヒーを淹れるために。  
 だが、香穂子の手がそれを押しとどめた。金澤のシャツを掴んでくいと引き、  
自分に注意を向けさせる。そうして、金澤が立ち止まって振り返るのを待ってから、  
自分は俯いたままで口を開いた。  
「先生のばか」  
「何だ、いきなり」  
「いきなりなのは先生のほうじゃない。こんな、その」  
 ──間接キス。  
 消え入りそうな香穂子の声は、それでもしっかりと金澤の耳に届いた。  
 意外な言葉に驚いて、金澤はまじまじと香穂子を見つめる。よく見れば、俯いた  
せいで表情は隠れているものの、耳も薄着の胸もとも、目に見える香穂子の肌は  
見事に真っ赤だった。  
(しまった)  
 ここまで免疫がないのか、こいつは。金澤の脳裏をそんな考えがよぎる。いや、  
何もしてないんだから免疫なんざつきようもないんだが、それでもたかが間接キスだ。  
学生どうしで普通にやることじゃないのか。  
 だが、既にやってしまったことはどうにもならない。これからはもっと気を遣わんと  
なぁ、と結論づけて、金澤は香穂子の手からペットボトルを取り上げた。  
 香穂子がハッと顔を上げる。向けられた不安げな瞳に、金澤は穏やかに笑いかけて、  
おどけた調子で口を開いた。  
「んじゃ、これは俺が責任持って飲んでやるから。お前さんには普通のミルクティーを  
淹れてやろう」  
 論点をずらした答え。金澤にできるのは、そうやって逃げることくらいだった。  
 
 本音を言えば、恥じらう香穂子の姿はかわいらしかったし、もっとそんな姿を見たい  
とも思う。だが、こうして特別な関係になったとはいえ、いまだ教師と生徒でもある以上、  
それは踏み越えてはならない一線だ。大人なのだから、その線引きは自分がして  
やらなければならない。  
 衝動を抑え込んで、金澤はキッチンへ向かおうとする。だが、香穂子の指は  
相変わらず金澤のシャツを掴んだままで、それ以上離れることを許さなかった。  
「日野」  
「いや」  
 それどころか、ますます指先に力を込めて、金澤を引き留めようとする。  
「なんだ、カフェオレのほうが良かったか? それとも」  
「そんなことじゃなくて」  
 じゃあどんなことだ。答えの分かり切った疑問を、金澤は口にすることができなかった。  
答えを求めれば、自分にも相応の態度が求められる。  
 ──大人だから、なんてのは言い訳に過ぎない。意気地がないだけだ。先へ進む  
勇気も、なかったことにしてしまう思い切りも。  
「そう言われてもなぁ」  
 だから、曖昧な拒絶だけを返して、香穂子に察してもらおうとする。  
 そんな金澤の意図を汲むつもりは、もちろん香穂子にはなかったのだが。  
「大丈夫。だから、私」  
「日野」  
「先生、私を甘く見てるでしょ」  
 頬を染めたまま、それでも香穂子は背伸びをして、金澤の顔に自分のそれを  
近づける。金澤が慌てて押しとどめようとしても、香穂子の空いた手はそれをさらに  
抑え込んだ。取り上げるんじゃなかったか、手の中の熱を金澤は苦々しく思う。  
「そりゃさっきは驚いたけど。……覚悟、できてるから」  
 香穂子の言葉は、耳より先に唇に届いた。続いてやわらかな感触。唇を押しつけ  
られたのだと、近すぎて焦点の合わない視界で金澤は気づく。  
 接触はほんの一瞬で、香穂子の唇はすぐに離れていった。  
「男のひとの家にひとりで来るのがどういうことかくらい、分かってる」  
 
 それが覚悟か。金澤は内心で苦々しく思う。香穂子は嘘をついているつもりは  
ないのだろうが、言葉と実際の反応にあまりにも差がありすぎる。  
 こんな拙いキスで、抱かれる覚悟はできていると言われても、まるで説得力が  
ない。  
 真っ赤になりながらも目を逸らさないあたりは、よく頑張っていると思うが。金澤は  
内心で嘆息して、この事態を収拾する方法を考えはじめる。  
 いっそ本気で抱いてしまおうか。過激な考えは即座に却下した。だが、それ以外に  
香穂子を納得させる方法となると、これがなかなか思いつかない。女子高生のよく  
回る口に、金澤は勝てる自信がなかった。  
(──仕方ない。これくらいは)  
 ならば。次善の策として浮かんだのは、これもまた実力行使に近かったが、それ  
くらいはしないと香穂子はまず納得しないだろう。そう自分に言い聞かせて、金澤は  
香穂子の手を振り解き、骨ばった指先で香穂子の顎を持ち上げる。  
 今度は目を閉じて触れた唇は、やはり柔らかくふっくらとしていた。その合わせ目を  
舌先でなぞると、ひゅっと唇の両端が引き結ばれる。だが構わず、強引に舌を  
ねじ込んだ。同時に指先を後頭部に回し、香穂子が逃げられないように固定する。  
「ん……っ、」  
 きつく吸い上げてやると、歯列は簡単に道を空けた。金澤の舌は遠慮なくそこへ  
割り込んで、口蓋をざらりと舐め上げる。くぐもった水音がふたりの脳裏に響いた。  
 金澤のシャツを掴んでいた香穂子の手が滑り落ちる。そこでようやく、金澤は唇を  
離し、香穂子を解放してやった。途端、へなへなと香穂子の膝が崩れ落ちる。  
「これに懲りたら、覚悟なんて簡単に言いなさんな」  
 皮肉げな笑みを浮かべて、金澤はぽんと香穂子の頭を叩く。そうして、今度こそ  
湯を沸かすべく、キッチンへと体を向ける。  
 ──はずだった。  
「日野」  
「へいき、だから」  
 そうできなかったのは、香穂子に触れられたからだった。  
 スラックスに小さなしわをつくった指先。ただ触れているだけで、何の強制力も  
持たないそれに、だが金澤は確かに引き留められていた。  
「はなれないで。もっと──そばに、きて」  
 
 どこから自分は道を踏み外していたのだろう。  
 硬直したままで金澤は思う。挑発に乗ったせいか、気を抜いて間接キスなんか  
したのがまずかったのか。香穂子がここに来ることを許した時か。  
 まだ多くはない香穂子との思い出が、次々と脳裏に甦ってくる。そのどれもが今の  
状況を導き出した原因にも、そうでないようにも思えた。いっそ出会ったこと自体が  
原因かと、ファータに責任転嫁してみる。コンクールがなければ、こんな想いを抱く  
ことはなかったのだと。  
 だが、それを今更掘り返したところでどうしようもない。  
 賽は投げられた。そして、もう目を変えることはないのだ。  
「……日野」  
 今日4度めに呼んだ名前は、明らかに今までとは違う響きをもっていた。それを  
敏感に聞き取って、香穂子がゆっくりと顔を上げる。  
 真っ赤な顔は、笑みの形に歪められていた。  
「覚悟ってのはな、そう生やさしいもんじゃないぞ。……言葉にも態度にも、絶対に  
出しちゃいけない」  
「そんなの、最初から」  
 どこか苦々しい顔で、金澤はゆっくりと香穂子に語りかける。だが香穂子は、  
前置きはもううんざりだとばかり、その言葉を遮った。  
「私がここにいる時点で、そんな線は越えてきてるんだから、もっと進んだって同じ  
ことじゃない」  
「お前さんの屁理屈には、ときどき感心するぞ」  
「茶化さないで」  
「おいおい、これでも誉めてるんだぞ」  
「嘘ばっかり」  
「嘘じゃない」  
 金澤は畳に膝をつき、同じ高さからまっすぐに香穂子の目を見据えた。いつになく  
真面目なその表情に、香穂子の心臓がトクンと音を立てる。  
「よくもまあ、次から次へと俺の理性をぶち壊してくれるもんだ」  
 
 ──それって。  
 問うよりも先に、香穂子は唇を塞がれていた。  
 はじめは軽く触れるだけ。だが、あまりにあっさりとしたその接触に物足りなさを  
覚えて、香穂子は金澤の唇を追う。からかうように金澤が舌を出して、香穂子の唇を  
ぺろりと舐めた。  
 ぴちゃり。ふたたび唇どうしが触れ合って、軽い水音が立つ。だが、それを気に  
かける間もなく、金澤の舌が侵入してきて、香穂子の意識はかき乱されていった。  
 器用な舌先が、丁寧に口腔をまさぐっていく。その感覚だけでいっぱいいっぱい  
なのに、かき回されるぐちゃぐちゃという音が、酸素と一緒に脳へダイレクトに届いて、  
香穂子の羞恥心を煽った。  
「んふうっ」  
 その上に、衣服の上から胸をまさぐられて、たまらず香穂子は小さくうめく。  
 ふくらみの大きさを確かめるように、骨張った指が広げられる。かと思えば、すっと  
布地を滑った中指が、胸の頂をかすめていった。その瞬間、身体に電流が走ったかの  
ような刺激に見舞われて、たまらず香穂子は唇を離し、息を継ぐ。  
「あんっ!」  
 こぼれ出た高い声に、驚いたのは香穂子自身だった。こんな、雑誌の体験談とか、  
こっそり読んだそういうマンガみたいな。そんな声が本当に出るなんて、知らなかった  
のだ。  
 金澤とて驚かなかったわけではない。だが、場数のぶんだけ立ち直りも早く、  
そしてどうすればいいのかも心得ていた。  
 香穂子の様子に全神経を集中させ、少しでも反応が見られれば、そこを重点的に  
刺激する。その繰り返しで金澤は香穂子から嬌声を引き出し、かわりに身体の力を  
奪っていった。  
 そして、熱を上げた身体から衣服を取り去ろうとして、そこでふと気づく。  
「あー……そうか、ちょっと待ってなさい」  
 
「……せん、せ?」  
 香穂子を組み敷いた体勢から、金澤は上半身を起こす。急に開いた距離に、  
香穂子が不安げな声を上げた。それを宥めるように軽く髪を撫でて、金澤は努めて  
穏やかな口調で話す。  
「畳だからな。このままだとお前さんがすり傷だらけになる」  
 それに、このままでは余裕がなくなりそうだ。理由の後半は呑み込んで、金澤は  
布団を取りに立とうとした。せめて敷き布団だけでも出してやった方がいいだろう。  
 だが、その動きはまたしても、香穂子の指先に引き留められる。  
「いや」  
「おいおい、すり傷なんか作ったら演奏にだって」  
「はなれるのは、いや」  
 金澤の弁解は、言い切る前に遮られた。それもとびきりの破壊力で。  
「……お前さん、あんま可愛いことを言いなさんな」  
「え、」  
 やれやれ。金澤は心中で呟いて、それからバサリとシャツを脱いだ。そうして、  
香穂子を促して少しだけ背中を浮かせ、その隙間に脱いだばかりのシャツを滑り  
込ませる。香穂子の方から足のつけねくらいまでなら、これで何とかまかなえるだろう。  
 それからようやく、金澤の手が香穂子の衣服の下に滑り込む。裾をたくし上げ、  
露わになった肌にキスを落とすと、香穂子の身体がぶるりと震えた。決して寒さの  
せいではなく。  
「ひゃ、あんっ」  
 ゆっくりと肢体が暴かれていくのを、香穂子は恥ずかしくも、もどかしくも思う。金澤の  
手が優しいのは嬉しいけれど、じっくり見られているようで落ち着かない。けれど、  
完全に裸にされてしまえば、それもやっぱり恥ずかしいのだろう。熱に浮かされた頭で  
そんなことを考える。  
 そんな香穂子の心を知ってか知らずか、秘所を覆う布一枚を残して、金澤の手は  
動きを止めた。  
 
 先生。香穂子が呼ぼうとした矢先、静かに唇が重ねられる。  
 それは今までのどれとも異なる口づけだった。挑発でも警告でも、かといって  
ただの接触でもなく──言うなれば、合図。  
 仰向けに寝転がっているせいで、少しばかり形のくずれた胸を、金澤の手は  
整えるように揉む。その感触と、指先から直に伝わってくる熱が、さらに香穂子の  
体温を上げた。どうにかそれを逃がそうと、汗と、意味をもたない音の羅列を香穂子は  
こぼす。  
 そして、もちろんそれだけではなく。  
「ああっ!!」  
 白い肌を滑り落ちた指先が、薄布ごしに茂みをなぞる。そこは既に、隠しきれない  
ほどの熱と蜜を孕んでいた。  
 ひときわ高い嬌声とともに、香穂子の背が弓なりに反る。その反応に金澤は、  
興奮と共に奇妙な安堵を覚えていた。少なくとも、緊張で感じないということは  
なさそうだ。それより先は、自分の腕と香穂子の体質次第だが。  
 薄布をわずかにずらして、金澤の指が香穂子の秘所を探る。大小の花びらに  
守られた狭い入口を探し当てた頃には、指先はすっかり香穂子自身の蜜に濡れて  
いた。  
 だが、それを生み出す蜜壺は、いまだ固く閉ざされたままだった。わずかに指先を  
押し込んでみると、ぎちぎちと容赦なく締めつけてくる。これではまだ早いと、金澤は  
あわてて指を引き、少しばかり前へと滑らせた。中指と人差し指、2本の指が、ほどなく  
香穂子の肉芽を探り当てる。  
「っ──!!」  
 組み敷いた身体ががくがくと震える。痛いか、質問には首を横に振って返された。  
それに少しだけ安心して、金澤はわずかに指先を動かす。弱く、ほんとうにかすかな  
刺激だけを与えられるように。  
 それでも、香穂子の反応は金澤の予想を超えていた。こらえるように四肢を突っ張って、  
なのに顎だけが耐えかねたように天井を向いている。声は既に出ないと言うよりは  
出せないといった様子だった。ただ口を開いて、時折ひきつったような音をこぼす。  
 
 気持ちいいか、とは聞けなかった。ここまで分かりやすい反応をもらっておいて、  
そこまでやると言葉責めの域だ。それに、またどんな爆弾を投下されるかも分からない。  
 そうなってしまえば今度こそ、金澤は自分を律する自信がなかった。  
 こうしている時点で手遅れなんだろうが。自嘲気味に思いながら、金澤は一気に  
香穂子の下着を取り去る。恥ずかしさにか、すらりとした脚を閉じようとする仕草は、  
両脚の間に膝を挟むことで邪魔をした。そうして、無防備に晒されたそこへと、今度は  
顔を近づける。  
「やっ……あ、ああっ!!」  
 香穂子は腰を引いて逃げようとするが、金澤が両脚を抱えたのが先だった。秘所を  
襲った熱い感触に、香穂子はふたたび甘い声を上げる。金澤の腕の中で、抱え込んだ  
両脚がびくびくと暴れた。  
 ぴちゃぴちゃといやらしい水音が香穂子の耳に届く。香穂子自身がこぼした蜜と、  
金澤の唾液が交じり合った音だ。それらが混じり合って香穂子自身を汚し、だが  
香穂子に伝わる刺激を緩和している。  
 金澤は何も言わない。言えばそれは香穂子の羞恥を呼び起こしそうだった。だから  
ひたすら、舌で香穂子の快楽を引き出すことに専念する。  
「あ──はぁっ……、やっ、も、いあああああっ!!」  
 香穂子がそれに屈するまで、そう時間はかからなかった。  
 びりびりと、強い痺れが広がって、香穂子の身体をけいれんさせる。全身がまるで  
火のように熱く、触れられれば痛みを感じるほど敏感になっていた。  
「……はぁ、っ……あ……」  
 荒い息をつく香穂子は、焦点の合わない瞳で天井を見上げている。それを気遣って  
金澤は声をかけ、畳の上に広がった髪を優しく撫でた。途端、そこにも神経が通って  
いるかのように、香穂子はびくりと身体を震わせる。  
 少しの間は、触らずにおいたほうがいいか。そう判断して、金澤は香穂子の上から  
身体を退ける。香穂子の膝が崩れ、日に灼けていない脚が畳の上に投げ出された。  
無防備なその姿に、金澤の下半身が強い疼きを覚える。  
 
 ここでやめておくべきじゃないのか。金澤の中の冷静な部分が、ふと浮かび  
上がってくる。最後までやらなくても、これだけ乱れさせることができれば、最初と  
しては上出来だろう。  
 けれど。金澤の本能は正直に、そして冷静に動いて、クロゼット下の引き出しを  
開けさせる。  
 使うこともないだろうと思いながら、いつだか買っておいたコンドーム。  
 それを役立てる日がこんなに早く来るなんて。ビニールのパッケージを引き開け  
ながら、自嘲気味に金澤は思う。  
「……せんせ」  
 その背中に、細くたよりない声が投げかけられた。  
 倒錯的だ。そうは思っても、今さら止まることなどできはしない。小さな箱から取り  
出した避妊具を、ひとつだけ切り取って金澤は振り返る。視線の先では、金澤の  
シャツの上に身を横たえた香穂子が、必死に顔を金澤の方へ向けようとしていた。  
「大丈夫か、お前さん」  
「ん、すこし落ち着いたから……ね、」  
 弱々しい声に招かれて、金澤はふたたび香穂子のそばに腰を下ろす。髪を梳いて  
やると、香穂子は嬉しそうに目を細めた。  
 と、唐突にその指先に香穂子の手が触れる。  
「どうし、」  
「もっと近くにきて。──やめない、っあ」  
 香穂子の望みは、すべて言葉になることはなかった。金澤の指先に耳をくすぐられた  
せいだ。いちど高みへとのぼりつめた身体は、そんな小さな刺激でも、すぐに鋭敏さ  
を取り戻す。  
「お前さんはよっぽど、俺を堕落させたいとみえる」  
 そんな香穂子の反応は、金澤を煽るには十分だった。言うが早いか香穂子に覆い  
被さり、濃厚なキスを仕掛ける。その間にも右手は下肢を這い、いまだ湿り気を帯びて  
いる叢をまさぐった。  
 亀裂をなぞると、指先に蜜がからみついてくる。それがますます指の動きをなめらかに  
して、香穂子にさらなる快感をもたらした。こらえきれず、合わせた唇の隙間から、  
くぐもった喘ぎがこぼれはじめる。  
 
 頃合いを見計らって、金澤の指が蜜壺への侵入をはかる。愛液の助けを借りて、  
第一関節まではどうにか埋め込んだものの、はじめて異物を受け入れたそこは、  
驚いたようにきつく金澤の指をしめつけてきた。とてもではないが動かせない。だから  
金澤は、無理に香穂子の中をかき回そうとはせずに待つ。  
「痛いか?」  
「ううん、なんか……へんな感じ」  
 痛みはない。だが異物感も否めない。そんな不思議な心地で、香穂子は金澤の  
問いに首を振る。  
 ふぅ、と香穂子が息を吐くと、指への圧迫が少しだけ緩んだ。その隙をついて、  
金澤は慎重に指先を進めていく。狭いながらも、じゅうぶんに濡れた通路は、その  
動きに応えて少しずつ抵抗を弱めていく。  
 けれど、それだけではまだ不十分だ。金澤は遊んでいた親指の腹を使って、さっきは  
舌でこね回した肉芽に触れる。あくまでわずか、かすめる程度に。  
「っや! あ、そこ、は、」  
 ひときわ高い嬌声と共に、香穂子の身体がびくりと跳ねる。同時に、金澤の指を  
くわえ込んでいる肉壁が、ドクンと大きく収縮した。その動きにつられて、埋め込んだ  
ままの指先が、香穂子の身体の奥へと入り込む。  
 金澤の中指はいまや、ほぼ根元まで香穂子の中に埋まっていた。そのことに  
ちょっとした感動を覚えながら、金澤は香穂子に軽いキスを落とす。いたわりと、  
少しだけ申し訳ない気持ちを込めて。  
 時間をかけ、慎重すぎるほどじっくりと、金澤は香穂子の身体を開いていく。まるで  
飴とムチだ、快楽にしびれた頭で香穂子は思った。心地よい刺激をエサにして、  
じわじわと異物が入り込んでくる。けれど、それを嫌だとも思えない。そんな思考は  
既に麻痺していた。  
 ぬぷ。くちゅ、くちゅ、ずぷ。2本に増えた指の抜き挿しに合わせて、淫猥な水音が  
耳を打つ。  
 それに煽られたのは、香穂子よりもむしろ金澤のほうだった。そろそろ大丈夫だろうか、  
だいぶ壊れかけた頭で思う。初めての香穂子のためとはいえ、やせ我慢もそろそろ  
つらくなってきている。  
 さて、しかしどうやって切り出したものか。答えを求めるように、金澤は香穂子の顔を  
見遣る。すると、涙の薄膜の向こうから、金澤を見つめる視線に出会った。  
 
(──もっと、近くに)  
 さっき香穂子が言った言葉が、不意に脳裏で甦る。  
 金澤はそっと指先を引き、香穂子の胎内から抜け出す。それが合図だった。何を  
言葉にしたわけでもないのに、香穂子がゆっくりと頷く。その唇にキスを落として、  
金澤は一度身を起こした。手早く衣服を脱ぎ去って、張りつめた欲望をゴムで覆う。  
「無理かもしれんが、力を抜いてるんだぞ」  
 香穂子の秘裂に、熱い昂ぶりが押し当てられる。今ごろ緊張を思い出したかの  
ように、組み敷いた身体がこわばった。  
「──香穂」  
 金澤はそこへ、とっておきの爆弾を落とす。  
 不意をつかれて、香穂子の思考が一瞬止まる。その隙をついて、金澤はぐいと  
香穂子の中に己を侵入させた。  
 指とは比べものにならない質量に、香穂子の身体が悲鳴を上げた。あるいは、  
それは破瓜の音だったのかもしれない。ふと馬鹿な考えが金澤の頭をよぎる。  
 初めて男を受け入れた身体は、金澤自身を半ばほどまでは呑み込んだものの、  
それ以上の侵入を頑なに拒もうとする。その上、既に埋め込んだ部分までもはじき  
出そうとするかのように、きちきちと強く締めつけた。  
「息、吐いて」  
「む……りぃっ……」  
 これではさすがに、金澤のほうも痛みが先に立つ。一度抜くべきか、そんなことも  
思ったが、腰を浮かせかけた途端に香穂子が「いや」と小さく首を横に振った。  
「嫌ったってなぁ、お前さん……」  
「だいじょぶ、だから……っと、だけ、って」  
 もうちょっとだけこのままで。香穂子のその意見を拒めるわけもなく、金澤は  
中途半端な体勢を強いられることになった。おかげで片手が手持ち無沙汰になって、  
手慰みに香穂子の髪など撫でてみたりする。これで少しでも落ち着けばいい、  
そんな勝手な希望も込めて。  
 浅い呼吸をくり返しながら、香穂子はその手に意識をやる。乱暴な質量によって  
こじ開けられた痛みが、少しだけ和らいだような気がした。下肢はもうじんじんという  
痺れを訴えるばかりで、痛いのか苦しいのか、それさえもよく分からなかったけれど。  
 ただ熱い。そして、愛しい。  
 
「ねえ、」  
 香穂子が甘く呼びかける。金澤はそれに応えて、やわらかな唇をそっと塞いだ。  
 肌の触れ合う面積が増えて、また少しだけ金澤が奥に進む。だが、香穂子は  
それを嫌だとは思わなかった。むしろもっと、可能な限り深い場所まで入ってきて  
ほしいとすら願う。  
(あー……ヤバいぞ、これは)  
 一方の金澤も、香穂子の様子が変わったことにはすぐ気が付いた。  
 ただ締めつけるばかりだった内壁が、圧迫を緩め、埋め込んだ金澤自身を奥へと  
導くようにうごめく。あやうく達しそうなほどの快感を覚えて、金澤はあわてて下腹に  
力を入れた。そうして射精感をやり過ごし、またゆっくりと香穂子の様子をうかがう。  
 探り合いの視線は容易くぶつかって、小さな笑いをふたりにもたらした。だが、笑った  
ことで生まれた身体の震えが、お互いの身体に刺激を与える。  
 くっ、と金澤は声を漏らした。さざめくように揺れた内壁が、金澤自身を強く刺激  
したせいだ。声だけでどうにかこらえられたことが、むしろ奇跡に近い。  
 あ、と香穂子は声を上げた。力など抜けたはずの身体が勝手に反る。それに一拍  
遅れて、いま自分は快感を覚えたのだと気が付いた。金澤自身を受け入れることで、  
痛み以外の感覚を得たのだと。そう自覚して、無意識のうちに口もとがゆるむ。  
「日野?」  
 表情の変化を目に止めて、金澤は香穂子に呼びかける。香穂子はゆるゆると首を  
横に振ってそれに応えた。そうして、訝るような表情の金澤に、少しかすれた声音で  
告げる。  
「も、いっかい」  
 思わぬ言葉に金澤は面食らう。だが、すぐに香穂子の言わんとするところを悟って、  
少しばかり頬を赤らめた。まったく、油断するとすぐにとんでもないことを言い出す。  
 けれど、そんなところも含めて、自分は彼女に惚れたのだ。金澤は自分に苦笑して、  
それから香穂子の耳もとに唇を寄せた。  
「今だけだぞ。──香穂」  
 
 ゆっくり、ゆっくりと、金澤が腰を押し進めてくる。  
 薄膜越しにも伝わってくる熱に、香穂子はぶるりと身を震わせた。投げ出された  
指先は、縋るものを探して畳の上を彷徨う。そこへ、金澤の手が重ねられた。  
 身体の内も、外も、すべてが金澤の熱を感じている。そのことがやけに嬉しくて、  
香穂子は指先にわずかな力を込めた。ただ重ねられている金澤の手を、しっかりと  
握り返すように。  
「つらかったらすぐ言うんだぞ」  
 気遣いの声には首を振って、落とされたキスに目を閉じた。香穂子の身体の奥で、  
ズ、と熱の塊がうごめく。  
 その律動に合わせて、香穂子はまた少しずつ体温を上げ──やがて、何かが  
弾けるような感覚と共に、自らの意識を手放した。  
 
 目を覚ますと、まずコーヒーの香りが鼻についた。  
 してみると、コポコポという軽い音は、コーヒーメーカーのものだろうか。ぼんやりと  
考えながら香穂子は目を開けて、見慣れない天井の模様に驚く。それに慌てて身を  
起こすと、下腹部にズキンと鈍い痛みが走った。思わず手で押さえてからようやく、  
香穂子は意識を失う直前のことを思い出す。  
 ──ああ、そうか。  
 見回してみれば、そこは何度か来たことのある金澤の部屋だった。布団に寝て  
いたから気がつかなかっただけで。  
「お、目が覚めたか」  
 物音に気づいたのか、キッチンと部屋を仕切るガラス障子の向こうから、金澤が  
ひょいと顔を覗かせる。どことなく上機嫌な声音に対して、表情はやや苦々しい。  
器用なものだと、香穂子は妙な感心を覚えた。  
「ちょうどコーヒーが入ったところだ。お前さん、運がいいぞ」  
 カフェオレでいいな。そう言って金澤は踵を返そうとする。その後ろ姿に、香穂子は  
無意識のうちに呼びかけていた。  
「先生、」  
「逃げやせんよ。……だから、服は着てくれ」  
 小さく笑って、金澤はふたたびガラス障子の向こうに消える。言われて見てみれば、  
香穂子の格好はひどいものだった。身につけているのはぶかぶかのシャツ一枚、  
それも嫌になるほど見覚えがある。おまけに自分で着た覚えはないときた。  
 今日、香穂子を出迎えたときに、金澤が着ていたシャツだった。  
 
「──さて」  
 小さなちゃぶ台にマグカップがふたつ。ひとつはカフェオレ、もうひとつはブラック  
コーヒー。  
 それらを挟んで、香穂子と金澤は向かい合って座っていた。その中で、会話を切り  
出したのは金澤のほう。香穂子は黙って、その続きを待つ。  
「あー……まあ、こんなことの後で言うのも何だが」  
「先生と私は、教師と生徒。でしょ」  
 だが、あまりの歯切れの悪さに、香穂子は早口で言葉の続きを引き取った。  
 まさに今言わんとしていたことを先に言われて、金澤がぽかんとした表情を見せる。  
だが、それも一瞬のことで、すぐに「分かってるんなら話が早い」と片目だけを細めて  
笑った。  
「ったく、お前さんに好きにさせてると、秘密ばっかり増えていくな」  
「嫌?」  
「そういうことを聞くな、こら」  
 金澤が右の拳を固め、香穂子を殴るふりをする。香穂子も、当たらないのを知って  
いながら、頭をおさえてよけるふりをした。教師と生徒の、他愛のない悪ふざけ。  
 と。パフォーマンスを終えてコーヒーを取ろうとした右手に、香穂子の手がふと  
伸ばされる。  
「日野?」  
「ね、先生」  
 骨張って、すこし大きな手。それをしげしげと眺めながら、香穂子は金澤に呼び  
かける。  
「灰皿、もういらないんじゃない?」  
 
「は?」  
 予想外の展開に、金澤は今度こそ目を丸くした。  
 なんでいきなり灰皿の話になるんだ。金澤が目まぐるしく思考を巡らせる間にも、  
香穂子の言い分は続く。  
「やめたでしょ、タバコ」  
「お前さんを待ってる間、俺はタバコをくわえてたんだが、見えてたか?」  
「火はついてなかったでしょ。においも残ってないもの」  
「そうは言うがな、お前さんが見てないところでは」  
「吸ってないでしょ」  
「……なんで断言できるんだ、お前さん」  
 実のところ、香穂子の言うことが正解だ。もう一度歌ってみよう、そう決意した瞬間  
から、タバコは一本たりとも吸っていない。さっき、香穂子を待っていた時のように、  
時折口にくわえることはあるけれど。  
 だが、それを香穂子が断言できるのが解せない。そう訊ねると、香穂子は少し頬を  
赤らめて答えた。  
「だって、甘かったもの。先生のキス」  
 ──それは柚子はちみつミルクティーとやらのせいじゃないのか、日野。  
 突っ込む気力も奪われて、金澤は左手でコーヒーの入ったマグを掴み、一気に  
半分ほどをガブ飲みする。いまキスしたら苦いと言うだろうか、そんなこともふと  
考えた。実践する気力はなかったが。  
(それに、口さみしくなんてさせてやらないんだから)  
 そんな金澤を見て、香穂子が密かにそう思ったのはここだけの話。  
 

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