「ほんとに行かないの?マシェル君」  
兄さんが僕の顔を覗き込んで尋ねる。  
「うん。だって僕の子竜たちをいったいどうするの?まさか他の竜術士さんのとこ  
ろへ預けてまわるわけにはいかないじゃない」  
それじゃお泊り会のときみたいに大騒ぎになっちゃうよ、と僕は続けた。  
「そ、それはそうなんだけど」  
兄さんは歯切れの悪い口調で言った。  
「でも、君の妹でもあるんだし…」  
ここは風竜家。  
兄さんに妹がいることがわかって、兄さんは郵便屋さんの案内で外の世界を訪ねに  
行くことが決まっていた。  
「だからさっ兄さん」  
僕は明るい声で言った。  
「僕、エプロン作ろうと思うんだっファナのために。僕が作れるものってそれくら  
いしかないし、急いで作るから、兄さん風竜の里のほうに許可をとってくれる?」  
「僕はマシェル君も行ったほうがいいと思うんだけどな…」  
「もう兄さん。だから、ムリだから。エプロンのことお願いするね?」  
「…うー。うん」  
ようやく納得したようすの兄さんの、上掛けに隠れた足の上あたりをぽん、と叩く。  
「それより兄さん、早く身体を直してね。まったくジェンを探してムリするから」  
「もっもう大分いいんだよっ」  
むきになって子供のような表情になった兄さんに僕は笑いかけた。  
「早く行けるといいねっ」  
 
僕は急いでグイ族の人たちから布を調達してエプロン作りを始めた。  
僕はどうもお裁縫は苦手なんだよなぁ。  
久しぶりのせいか、急いでいるせいか、結構針で指を突いてしまう。  
「…いたっ」  
「…マシェル」  
眉を顰めて僕を見上げているのはナータだ。  
「少し焦っているのではないか。もう少し落ち着け。傷が増える」  
「うんでも、ミリュウ兄さん今日エプロン取りに来るから。それまでにこのフリルを  
つけちゃいたいんだ」  
「間に合うのか…?もうフリルはつけなくてもいいだろう」  
「でも女の子のだし。手に入った布の色が白でちょっと地味な気がするから、せめて  
可愛いのにしてあげたいんだ」  
「…まったく…夕べも遅くまでずっと…」  
ナータはぶつぶつと僕に文句を言う。  
「これくらいなんでもないよっ。兄さんの妹のためだもん」  
僕が笑うと、ナータは漆黒の瞳でじっと僕を見上げて、ぽつりと言った。  
「マシェルの妹、ではないのか」  
僕の針を持つ手がちょっと止まってしまって…暫くして僕はナータに向かって答えた。  
「うん勿論…僕の妹でもあるよね。だから作ってるんだし、エプロン」  
「マシェル…本当はミリュウと一緒に行きたくなかったのか」  
「そっそんなこと!ナータ何を言うの」  
「マシェルは最近時々何か上の空で考え事をしている。…何を考えているのだ」  
僕は絶句してナータを見つめた。  
…ほんとに、ナータに隠し事をするのは難しい。  
 
僕は、実は…エカテ母さんたちの暮らす家へ行きたくなかった。  
なんとなく、怖かったんだ。  
エカテ母さんがいて、ミリュウ兄さんとファナのお父さんがいて、ミリュウ兄さんが  
いて、ファナがいて…僕の居場所はどこにあるんだろう。  
そんな考えが頭の隅にあって…だから僕は子竜のことを口実にしたんだ。  
ミリュウ兄さんはほんとに何度も、僕も一緒においでって言ってくれたんだけど。  
これは、いくじなしな考えなのかなぁ…。  
だけどその代わりに僕は、エプロンを作ってファナにあげるんだ。  
次の機会には、僕も行けるようにみんなに協力してもらって、僕もファナのお兄ちゃん  
なんだよって…うん、次には言えるかもしれない。  
そのためにはせいいっぱい可愛いエプロンを作らなきゃね。  
僕は、外の世界の服装でやってきた兄さんに出来上がったエプロンを渡した。  
水晶のおひめさまのところに遊びに行っていたみんなや地竜術士さんも帰ってきてて、  
僕は慌しく兄さんを見送った。  
兄さんは明日朝いちで外の世界に出かけるんだ。  
あんまり浮かれて迷子にでもならないといいんだけど。  
僕はその晩は落ち着かなくてあんまり寝付かれなかった。  
 
兄さんが帰ってきた。  
外の世界にあるエカテ母さんの家に一晩泊まって、一緒に行ったジェンといったん風竜家  
に戻ったあと、僕の家に報告にきてくれたんだ。  
「お帰りっミリュウ兄さん、ジェン!どうだった?コーセルテルの外は?」  
兄さんもジェンも笑顔で楽しかったよ、と答えた。  
初めて見た外の世界は、やっぱり興奮するものだったみたいだ。  
いろいろお土産話をしてくれるふたりに、僕はなかなか切り出すことができなかった。  
─ファナは?  
─エプロンを受け取って、喜んでくれたのかな…。  
ぼくはやっと適当な話の継ぎ目を見つけて、何でもないような顔をして尋ねた。  
「えと…それで、あのファナに、エプロンは渡してくれた?」  
僕はそれを尋ねて…そして聞かなければよかったかな、と思った。  
兄さんの顔がうっと詰まるような顔になって…すぐに笑顔でこういったからだ。  
「もちろん!喜んでくれたよっ」  
ジェンが何でだか怒ったような顔をして口をつぐんでいる。  
僕はすぐに話題を変えた。  
「そう良かった…ところで、エカテ母さんの料理はどうだった?」  
「いや、すごかったよっまったく変わらないねあの酷さはっ──」  
兄さんはほっとした顔になってエカテ母さんがどんなにすごい料理を出してきたかを説明  
し始めた。  
僕はそれを聞きながら、表面だけ笑顔を浮かべていた…。  
 
僕は、兄さんとジェンが帰る前にそっとジェンを掴まえた。  
「ジェン…エプロン、ファナに気に入ってもらえなかったのかなぁ?」  
僕ができるだけ何でもないように聞くと、ジェンはすごいしかめっ面をして、うーと言った。  
「あの、話しづらいようならいいんだけど…」  
「…ううん、マシェル君すごく気になるよね?師匠は言うなって言ってたんだけど…やっぱ  
あたし我慢できないっ」  
そう言うと、憤慨した顔で話してくれた。  
「あのねっマシェル君、ファナは師匠に会えてとっても喜んで懐いたの。マシェル君のこと  
もエカテさんから聞いてたみたいで、マシェル君は?って尋ねてた。それで、子竜がいるか  
ら今回は来なかったよって聞いたらぷうぅっと頬を膨らませちゃって…そこでね、師匠が  
マシェル君の作ったエプロンを渡してあげたのよ」  
そしたら…とジェンは怒って言う。  
「ファナったらこんなのいらなーーいって叫んで、思いっきり風を起こしちゃって…マシェ  
ル君のエプロン、飛んでっちゃったの。みんなでうんと探したんだよ?でも見つからなくて  
…」  
「そっか」  
だからミリュウさんはあんな顔してたんだ。  
「なんだ、そんなことか」  
ジェンは上目遣いに僕を窺う。  
「そんなことって…マシェル君。がっかりしたでしょ?」  
僕はにっこりと笑った。  
「ファナはまだ3歳なんだよ?僕が直接会って渡せればよかったんだから、ファナのせいじゃ  
ないよ。…それに急いで作ったから、ちょっと可愛くできなかったしなぁ」  
「うう…やっぱりマシェル君は優しいなぁ。…あたしがマシェル君の立場だったら怒って引っ  
叩いちゃったかもしれない」  
「何言ってるの、だめだよ未来の風竜術士に。…ほんとに、ファナのこと悪く思っちゃダメだ  
からね」  
「うん…わかった」  
ジェンは頷いた。  
「ジェンさーーん」  
「あっ師匠が呼んでるっ急がなきゃ」  
「じゃぁね、ジェン」  
「うんっじゃ、マシェル君さよならっ」  
ジェンはミリュウ兄さんのところへ駆けて言って、ふたりは空を飛んで風竜家へと帰っていった。  
 
真夜中にふと眼が覚めた。  
僕は顔をごしごしとこすった。  
なんだかイヤな夢を見ていた。  
僕は身体を起こして、部屋着をはおって、子竜たちの部屋へと向かった。  
そのまままた眠って、イヤな夢の続きを見たくなかった。  
そっと音がしないように扉を開けて、月明かりの差し込む部屋の中へと入る。  
…またサータは上掛けをはねのけてるなぁ。  
ひととおり子竜たちの寝ているところを点検して、僕は扉を背にして小さくため息をついた。  
ファナは。  
あんまり考えたくないことが、否応無しに頭に浮かんでくる。  
エプロンを受け取ってくれなかった。  
僕はどうしよう。  
「また作ろうかな…今度はもっと可愛い色で…そうだ、モーリンさんに型紙を借りて…」  
それでも受け取ってもらえなかったら?  
僕はずるずると背を扉につけたまま床に座り込んだ。  
石の床はひやりと冷たい。  
ファナは何がイヤだったんだろう。  
ジェンは僕が直接渡さなかったから怒ったんだっていう風に話してくれたけど…。  
…本当は、家族以外の人間からの贈り物がイヤだったんじゃないだろうか。  
僕を直接見たら、ファナは何でマシェル君は黒い髪じゃないのって言うかもしれない…。  
僕は眼を閉じて、膝の上に額をくっつけてぎゅっと両腕で膝をかかえた。  
僕はどうしてこんなことばかり考えているんだろう。  
実際に行ってみれば、ファナは笑顔で迎えてくれるかもしれないじゃないか。  
でもそうじゃなかったら…。  
ジェンに見せたみたいに笑顔で誤魔化しきれなかったら怖いから、僕は直接ファナに会う勇気が  
ない。  
エプロンは、そんな臆病な僕とファナとを繋いでくれるはずだったんだ…。  
 
イヤな予感がして、ナータはがばっと跳ね起きた。  
…まだ、真夜中ではないか。  
ナータは周りを見回し…扉のところの床の上に白いぼうっとしたかたまりがあるのを見つけて…。  
「マシェル!」  
かたまりは、膝を抱えて丸くなっているマシェルだった。  
こんな冷たい床の上に、直接座り込んで──!  
「マシェルっ何をしている」  
ナータは急いでベッドから降りて、マシェルの身体を揺すった。  
ゆっくりとマシェルは顔をあげる。  
結わずに梳かれた長い髪の間から顔がのぞいて…。  
…はっとした。  
マシェルはとても寂しそうな…悲しそうな顔をしていた。  
だけどそれは一瞬で、すぐににっこりと笑ってマシェルは言った。  
「あ…ナータ」  
ナータは気を取り直して言った。  
「あ、じゃない。なんてところで寝ているんだ。風邪を引くだろう」  
以前もナータのベッドの端で眠り込んでいたことがあったが、この場所はさらに冷たく冷える。  
身体に良いわけがない。  
マシェルの手に触れてみたら…案の定、とても冷たい。  
「マシェル、立て。自分の部屋のベッドに帰るんだ」  
まだ時刻は真夜中で…だが、こんなに身体が冷えてしまっては、もう一度眠るまでがとてもつらい  
ことだろう。  
マシェルは素直に立ち上がった…身体がかじかんでいるようで、とてもゆっくりとだったが。  
ナータは扉を開けて部屋に帰るマシェルにくっついていった。  
「マシェル。何故あんなところで寝ていた」  
ナータがそう問うと、ベッドに腰をおろして部屋着を脱ぎながらマシェルは答えた。  
「さぁ…なんでだろう…」  
「なにかあったのか」  
「ううん別に…そうだ、イヤな夢を見ちゃってね。それで起きたからついでに君達の様子を見に行っ  
たんだった…」  
「イヤな夢…とは?」  
「…もう覚えてないなぁ…」  
マシェルはゆっくりと答えてにっこりと自分に笑いかけた。  
なんだか…少し様子がヘンな気がする。  
「…とにかく…休め」  
「うん、ありがとね。お休み、ナータ」  
ナータは内心疑問を抱えながら、マシェルの部屋を出て行った。  
 
翌朝、マシェルは何事もないように笑っていた。  
だが、朝食のお皿を片すために何気なく触れたマシェルの手の指の冷たさにナータは驚いた。  
「マシェル、こんなに手が冷たくて──つらくはないか?病気なのか?」  
「何でもないよナータ。どうせ今から水仕事するから冷たくなるし」  
マシェルはにっこりと笑ってそう言う。  
だが、マシェルの指の冷たさは皿洗いや洗濯を済ませてから大分経っても治らなかった。  
昨夜、冷たい床に座り込んでいた…あのせいだろうか。  
マシェルは熱が出ているわけじゃなし、と何でもないようにいつもの仕事をこなしている。  
…心配だった。  
ナータにはマシェルのおかしな様子にひとつ心当たりがあった。  
二番竜に頼んで、こっそりと手紙を風竜術で届けてもらう。  
そして家の裏手に、手紙の相手──風竜のジェンはやってきた。  
ナータはジェンに昨日マシェルと話した内容について聞いた。  
マシェルがふたりの帰り際、ジェンと立ち話をしているところをナータは見ていたのだ。  
何を話しているかまでは聞こえなかったが…。  
そして、ジェンの話した内容を聞いて──。  
ナータは怒りのあまり地震を起こしそうになった。  
 
「マシェル」  
おやすみの後、そっと子竜の部屋のベッドを抜け出してマシェルの部屋の扉を開けると──あきれた  
ことにマシェルはまた、ベッドに寄りかかって冷たい床の上に座り込んでいた。  
「あ…ナータ」  
「ベッドへ戻れっ」  
ナータはほとんど怒鳴りつけるように言った。  
マシェルはゆっくりと立ち上がって、ベッドの端に腰を下ろして、ナータ何の用?と首を傾げて尋ね  
る。  
ナータはふぅ、とため息をついた。  
どう…話したらいいものか。  
マシェルはじっと自分を見つめている。  
「…その…あまり気にするな。子供のすることなど」  
やっと考え付いた言葉を言うと、マシェルはふわっと笑った。  
「ジェンに何か聞いた?うん、僕気にしてないよ、だってファナに悪気なんかないもの──」  
「マシェル」  
悪気がない行為だからなおさら…マシェルには気持ちの持っていきようがないのだろう。  
一生懸命夜遅くまで頑張ってエプロンを作っていた。  
一針一針思いをこめていたのに。  
「マシェルには家族がちゃんといる…自分たち子竜がいるだろう。今度エプロンを作るときは自分たち  
に作ってくれ。皆喜んで身に着けるだろう」  
「ナータもエプロン着けてくれる?」  
マシェルが面白そうに言ったので、ナータは一瞬ぐっと詰まったが大きく頷いた。  
「もちろんっ身に着けるとも!マシェルの作ったものならばな!」  
マシェルはくすくすと笑った。  
「それじゃぁ僕新しいの作ろうかな」  
「マシェル、自分たちにはもうエプロンはある。新しいのを作るのは自分達の身体が大きくなって寸法  
が変わってからでいいだろう」  
また、あんなに指を突いて怪我をされては堪らない。  
「うん、君達のはそうだけど、ファナのエプロン新しいのもう一度作ろうかと思って」  
 
「マシェル──もう気にするな、と言ったろう」  
「うん、ナータが慰めてくれたから僕元気出たよ。もう一度挑戦してみなくちゃ」  
マシェルは明るい声で畳み掛けるようにそう言う。  
「マシェル…やめておけ」  
「だってナータ、僕の妹だもの。何かしてあげたいよ。そもそも色が可愛くなかったと思うんだ。もっと  
明るいきれいな色の布を選んで、女の子らしい凝ったのを作ってあげて、そうしたら──」  
「マシェル、そこまですることはない」  
あの白いエプロンは充分可愛かったのに、とナータは思う。  
それに、その娘がまたひどいことをしたら、マシェルは…。  
部屋の扉に背をくっつけ、膝を抱えて丸くなって冷たい石の床にうずくまっていたマシェル。  
あの悲しげな顔。  
あんな姿はもう二度と見たくない。  
マシェルの手をとる。  
…ひんやりとして、冷たい。  
いつもならずっと暖かいはずなのに。  
「…それともナータ、受け取ってもらえるはずないって思ってる…?」  
それまでの明るい声とは一転した、小さなか細い声。  
マシェルの顔を見上げる。  
俯いたその表情は長い髪に隠されて、よく見えない。  
「…わからない。3歳の人間の子供の考えることなど、まぁ幼竜のようなものなのだろうからどうせとても  
気まぐれで好き嫌いが多いのだろう。兄弟たちを見てきたからな、わかるのはそれくらいだ」  
だから、とナータは続けた。  
「そんな気まぐれにマシェルが振り回されて悲しい思いをするのは絶対見たくない。それで反対している」  
マシェルはナータを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。  
そして、ナータはあったかいね、と呟いた。  
「…兄さんに相談してみるよ。…僕、あきらめたくないんだ。自分から手を離しちゃうのだけはいけないっ  
て思ってる。だから…」  
ナータは反対したかったが…笑ってそう言うマシェルを見てそれ以上、強く出ることはできなかった。  
 
「…ジェンさんから聞いたのかい。口止めしておいたんだけどなぁ」  
兄さんはため息をついた。  
「兄さん、ジェンにも言ったけど僕全然気にしてないからっ。それより」  
新しいエプロンを作ったら届けてもらえるかな、と勢い込んで聞くと兄さんはうーーん、と腕を組んで考  
えた。  
「ファナも結構ヘンなところで意固地になる性格らしくてね。僕そっくりだってウィルフさんは言うんだ  
けどっ。あの時はすっかりへそを曲げちゃってね、みんなでエプロンを探している最中にひとりで勝手に  
ふわふわ飛んでいこうとするもんだから、まだ3歳だよ?とにかく大騒ぎで…」  
僕は水をかぶったような、身の置き所のない気持ちになった。  
僕の作ったエプロンのせいでそんな騒ぎになっちゃってたなんて。  
せっかくの一家水入らずの団欒だったのに。  
僕が余計なものを持ち込ませちゃったから──。  
僕の頭を兄さんがこつんと叩いた。  
「こら、マシェル君。余計な気を回さないこと」  
僕は兄さんを見上げた。  
「ファナにエプロンを作ってあげるのはとりあえずおよしよ。どうせもっといいやつを作るつもりなんで  
しょ?甘やかしになるからね、あんなに騒いだあげく、もっといいものが手に入るんじゃ」  
「…そっか」  
僕が余計なことをしないほうが、いい。  
「マシェル君」  
なんだか心配げな兄さんに僕は笑いかけた。  
「うん、わかったよ兄さんっプレゼントはまたの機会にするよ。相談にのってくれてありがと」  
僕は身を翻して風竜家をあとにした。  
 
マシェルは風竜家から帰ってきてから、一言こう言って笑った。  
やっぱり、エプロン作るのはやめたよ、と。  
それで元気になったならともかく…マシェルが無理やり笑っているのがナータにはわかった。  
ナータは心配で堪らない。  
マシェルは、もう己のことは何も言おうとしなかった。  
子竜たちに向ける笑顔に曇りは無く、竜術士としての仕事に一切手抜きはしない。  
いつも傍についているナータにさえも、己のことを気づかれまいとしている。  
だがマシェルは、それからは食べる量も減ってしまったのだ。  
己の分を取り分けるとき、ほんの少ししかよそわないのにナータだけは気づいている。  
ミリュウの奴──何を言ったのだ。  
兄のくせに弟を落ち込ませるようなことしか言えんのかっ。  
だがそうひとり毒づいたからといって、では自分がマシェルを元気づけられるかといえばそれもまま  
ならない。  
自分がミリュウやファナを責めてもどうにもならないことはナータにもわかっている。  
そんなことをマシェルの前で言ったりしたら逆に…ますますマシェルは悲しむだろう。  
ナータが言えることといえば、気にするな、忘れろ、といった自分でも芸がないと思う言葉ばかりだ。  
マシェルだって、出来るものなら気にしたくないし忘れたいだろう。  
困ったように笑って、マシェルはただナータをぎゅっと抱き締める。  
その手は、この前からずっとひんやりとして冷たい。  
また夜中に床に座り込んでいるのではあるまいな、とナータが問い詰めるとマシェルはそんなことして  
ないよ、ちゃんとベッドで寝てるよ、と微笑む。  
本当だろうか。  
このままではマシェルはほんとうに病気になってしまうのではないだろうか。  
どうすればマシェルは元気を取り戻してくれるのだろうか。  
マシェルはおそらく、風竜の家族からのけ者にされたように感じているのだ。  
何もできない自分が歯痒くて仕方がなかった。  
 
それはある日、空からやってきた。  
風竜術の風の気配がごうっと押し寄せてきて、僕は洗濯物のシーツの陰から飛び出した。  
「兄さん?」  
それは確かに兄さんとジェンだったけど、それともうひとり──。  
「もしかして──ファナ!?」  
兄さんの腕の中で黒髪黒眼の小さな女の子が笑ってる。  
その子は真っ白なスカートをはいていて…ううん、あれは…。  
「僕が作ったエプロン──見つかったのっ?」  
風竜の風に、エプロンがはためいている。  
フリルが風にのって揺れている。  
「マシェルお兄ちゃーーん」  
ファナがふわりと兄さんの腕から飛び出して、僕に飛びついてきた。  
子供の甘い香りが鼻腔をくすぐる。  
「ファナね、お兄ちゃんに会いたかったの!だから来たの」  
「いらっしゃい…ファナ」  
僕はぎゅっとファナを抱き締めた。  
「あはは、突然で驚いた?」  
そう言いながらミリュウ兄さんが着地した。  
「マシェル君がコーセルテルを離れられないなら、ファナだけでもって話が出てたんだよね。ごめんね、  
内緒にしてて。エプロンも母さんが探してね、やっと見つかったんだ、だから」  
「ううん、兄さん…ありがとっ!」  
ファナは兄さんそっくりで…とっても可愛かった。  
この子が僕の妹なんだ──。  
「コーセルテルへようこそ!ファナ、僕の子竜たちを紹介するねっ」  
僕がファナに笑いかけると、ファナはこっくり頷いて笑ってくれた。  
 
マシェルはすっかり元気になった。  
良かった、と思う反面、何もできなかった自分にナータは忸怩たるものを感じる。  
「ナータ」  
マシェルがナータに笑いかけてくる。  
ぎゅっと抱き締めてくれる手は、もう冷たくなくて暖かい。  
…やはり、良かった…。  
ナータは思う。  
あのときもマシェルは自分を抱き締めていたけれど、その手は冷えたままだった。  
自分の身体も手も小さくて、マシェルを暖めるにはとても足りなかった。  
自分がもっと大人で身体が大きければ…逆にマシェルを抱き締めて、その身体を暖めることができた  
のではないか。  
大きく賢くなれば、マシェルを慰める言葉も見つかったかもしれない。  
早く大きくなりたい。  
せめて少年竜に、できれば成竜になって、マシェルを守りたい。  
自分の竜術士にこの手でやすらぎを与えられるようになりたい。  
いつか、必ずそのようになってみせる、とナータは固く決心したのだった。  
 
 

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