それなりの付き合いが始まって以来、逢瀬といえば自分の方が相手の家へ赴くことが多かった。  
申し込んだのもこちらからで、誘う時もいつもこちらから。ごくたまに、二人きりの時でも憂い顔を見せられると、まだミリュウのことを引きずっているのかと思うこともある。  
それでもかまわない。  
自分と彼女の過去を思えば、拒絶されないだけでも十分だ。これから時間をかけて絆を深めることだってできるだろう。――そう考えることで、かすかな不安を押し殺してきた。  
 
けれど、こんな夜は。  
 
駆け足で過ぎる雲が時に地上を濡らし、時に月暈を輝かせる。不安定な天候を映すように心がざわめく。普段忘れていることが表に出てきてしまう。  
とうとうはかどらない仕事を放り出して寝床にもぐり込んだ。が、今度は一向に睡魔が訪れない。  
 
会いたい。  
その肌の温もりで不安を鎮めてほしい。  
 
どうにも寝付けないことを確信し、諦めて寝台を出る。  
子竜たちの様子を見てから彼女のところへ行こう。大声では呼べないから、深く眠っていれば会えないかもしれないが。近くまで行くことで多少なりともこの気持ちが収まればいい。  
着替えを済ませ寝室を出ようとした、その時。  
 
こん、と窓を叩く音がした。  
小さくカディオ、と呼ぶ声。驚きながら、足早に部屋を横切り窓を開ける。  
たったいま会いに行こうとしていたその人が、小雨に濡れて立っていた。  
「エレ。どうした、こんな時間に……とにかく中へ入れ」  
そう言って、乾いたタオルを引っぱり出して玄関に回る。  
訪問者はさほどずぶ濡れというわけではなかったが、その代わり、浴びるほど飲んだと思われる酒精の匂いを漂わせていた。  
タオルをかぶせて髪と肩を拭いてやりながら、思わず眉根を寄せる。  
「……こんな夜中に一人で酒盛りか?」  
「そうよ。うちのお酒じゃ足りなかったから新しいのをもらいにきたの」  
「新しいの、って」  
つい先日、料理用もかねてかなりの量の果実酒を届けたばかりだ。あれを全部飲んできたというのか。  
足りないと言うその口の呂律がすでに怪しいというのに、まだ飲むつもりか。  
「飲みすぎだ。酒じゃなくて水を飲め、水を」  
彼女の肩を抱えて自室へ連れて行き、また部屋を出て、ピッチャーに冷水を汲んで戻る。  
コップに水を注いで渡せば、意外に大人しくそれを受け取って飲み干した。  
二杯目を注ぎつつ、先刻と同じ言葉を問いかける。  
 
「それで、一体どうした。――酒で何か紛らわせたかったか」<br>  
軽い口調で訊いたのは、嫌なら答えなくていいという意味だ。  
案の定エレは突っぱねた。  
「別に、何か気分を誤魔化そうとしたわけじゃないわ」  
「それにしちゃずいぶんと酔いが回ってるんだな」  
「そんなのじゃないって言ってるでしょ。私はただ……」  
何か言いかけたまま、言葉を切る。続きを口にする気はないようだった。  
やれやれと、小さく肩をすくめる。  
こんな関係になった今でさえ。  
お姫様の意地っ張りは直らない。  
つと手を伸ばし、彼女の手からコップを取り上げる。不思議そうに見上げる相手を尻目に、それを離れた机の上に置き。  
 
軽く頭をかき寄せて、掠めるように口づけた。  
 
「な、」  
その姿勢のまま小声で囁く。  
「――今夜は。独りでいるのは寂しかったんだ。本当はこっちから会いに行こうと思ってた。理由がどうあれ、あんたの方から来てくれて、俺は嬉しかった……」  
しなやかな背中を、意外すぎるほど華奢な肩を、愛しむように抱きしめる。  
しばらくの間そうしていて、やがて張り詰めていたものが解けたように、彼女の重みがほんの僅か自分に預けられるのを感じた。  
 
「……私も」  
「うん?」  
「私も、独りでいるのが落ち着かなかったの。お酒をもらいにくれば、貴方に会えると思って」  
「……まさか。そのために家の酒を飲み尽くしたのか?」  
思わず顔を覗きこむ。エレはそっぽを向いた。  
「あのなあ。理由なんか作らなくていいんだ、そういう時は。……誰にだって独りでいられない時はあるんだから。一緒に過ごす相手に選んでくれるなら、その方がよっぽどいい」  
 
陽光を浴びた霜のように、さっきまで抱えていた不安が溶けていく。大丈夫、自分の存在は彼女に受け入れられている。  
これからも、二人の時間を重ねていける。  
 
「今度また同じような気分になって酒なんかねだりに来たって、飲ませてなどやらんからな」  
そう言うと、ぱっとエレが顔を上げた。  
「ちょっと待って。今日はともかくとしても、本当にお酒がほしい時だってあるのよ?」  
「どうせ飲みすぎるんだろう。体に悪い。第一、そんなことをしなくても」  
すいと重心を移す。酔いの回ったエレの体は容易く均衡をくずし、寝台の上に崩折れる。  
「――もう少し健全な気分転換の方法があるじゃないか」  
寄り添うように囁けば、どこが健全よ、と返された。  
けれども彼女は、そのまま瞳を閉じて。  
 
そして俺は、部屋の明かりを消した。  
 
<終>  
 

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