足音がする。  
 "あの子"が、この部屋へ続く階段を一段一段降りてくる。  
 その気配を感じ、私はゆっくりと顔を上げた。  
 姿を現したのは想像した通り。  
 闇色をした無愛想な少年だった――  
 
「……いらっしゃい、ナータちゃん」  
 私がそう言うと、彼はちらりとこちらを見た後、フゥ…とため息をつく。  
「……一体いつまで、ちゃん付けなんだ? ……竜王の……竜術士」  
 少し困った顔をしてそんな事を言う。  
「あら、あなたの竜術士や他の子竜ちゃん達も、みんなちゃん付けよ?」  
 そんな様子が可愛らしく思え、ふふ、と思わず笑みをこぼしてしまう。  
「……3000年前の人間から見たら、1000年生きていても子供、か……」  
 そう、ポツリ、と漏らした彼の言葉が聞こえてしまった。  
 ナータ自身は、私には聞こえていないつもりだろう。  
 他の子竜ならばこの年頃なら気になること、とも思うのだが、  
 彼がそこまで気にするというのは、それとは別なもののように感じた。  
 けれど私は、うすうす気が付いているその事柄について、気が付かない振りをした。  
 
 確かに――  
 初めて会った頃に比べれば、彼もずいぶん成長していた。  
 人間でいうと14、5といった外見年齢だが、彼は1000年近い年月を卵のまま過ごしている。  
 そのせいか、落ち着いた物腰が彼をより大人に見せていた。  
 この頃は背も急に高くなり、いよいよ体の方も大人に近づきつつある。  
 本当に、彼がこの場所に訪れる度ごとに、感じる。  
 もう子ども扱いなど出来ないのだ、と。  
 
「この頃よく来るのね。……どうして?」  
 尋ねてみても返答はない。  
 だけど、私はなんとなく気が付いている。  
 彼はある日を境に、頻繁に訪ねてくるようになっていた。  
 その日は――  
 
「さぁ、そんなところに立っていないで、こっちにいらっしゃいな」  
「……ああ」  
 促されるままナータは近くにやってきて腰を下ろす。  
 ナータはいつも同じ場所に陣取っては、言葉数は少ないけれど  
 日々のたわいない事や自分の事を話してくれる。  
 私は、毎日決まった時間に訪ねてくる彼を、いつしか心待ちにするようになっていた。  
 そして私は、ナータが陣取ったその場所――  
 ほどんどそこへ向かって話す事が癖になってしまったその場所に、視線を向けた。  
 その先には、うずたかく積まれた手紙の山。  
 しかし、それを受け取るべき者の姿はない。  
 この地下部屋のもう一人の住人たる、魔族の幽霊。  
 その日、彼は最後の手紙を読み終えて、満足げに逝った――。  
 
 だからナータは、私の事を心配して来てくれているのだろう。  
 自分の生きた時代から、気が遠くなるぐらいの歳月が流れ、移ろった。  
 竜王や"あの子"の事が気がかりで、長い間ずっとこの世に留まっていたけれど、  
 もはやその憂いも消えていた。  
 私がこの世に留まる理由は、なにもなくなったはずだ。  
 だとしたら……私はやはり――  
 
 ふと、  
 射抜かれるような視線に気が付いて、私は顔を向けた。  
「ナータちゃん……?」  
「……今、何を考えている」  
「え?」  
 彼は、一瞬口を開きかけ――ぐっと言葉を飲み込んだ。  
 それも、痛みを無理やり堪えるような表情(かお)で。  
 ナータは、いとも容易く自分の思いを飲み込んでしまう。  
 彼としては珍しいことではない筈なのに、その瞬間、私はひどく不安な気持ちに襲われた。  
 
「竜王の竜術師。 おまえも、逝きたいと思っているのか?」  
 俯いたまま、ナータは言った。  
「……それは……」  
 返答に困ったのは、彼があまりに不安げに尋ねたからだろうか。  
「お前が居なくなったら、悲しむやつがいる。  
 だから……」  
 くすっ。  
「? なにがおかしい」  
「ごめんなさい。……やっぱり心配性なのね、ナータちゃんは」  
 いつもと同じように、笑顔を浮かべることが出来ているだろうか。  
 私はその事に気を使っていて、だから気付かなかった。  
 ナータが、その表情を僅かに変えたことを。  
「だいじょうぶよ。私はどこにも行ったりしな――」  
 ぐいっ  
 いきなりだった。  
 気が付くと私は、ナータに抱き寄せられていた。  
 
 すぐ近くにナータの顔がある。  
「ナ、ナータちゃん……?」  
「いまさら、そんな言葉で誤魔化されると思っているのか?」  
「何を……」  
「お前は本心から話そうとしていない。……そうやっていつまで逃げているつもりだ」  
「っ!」  
 そんなことはない、と否定出来なかった。  
「――私は……、とおの昔に死んでしまった人間だから」  
 そんな風に気持ちをぶつけられても、応えることは出来ないから。  
 だから、目を瞑って自分を誤魔化した。  
 どうやっても、今を生きる者と死者が、隣り合う事は不可能なのだから。  
 必要以上に深入りしないよう、関わらないよう、傷つけないように――  
「そんなことは関係ない。……それにもう、遅い」  
 
 言い終わると同時にナータは顔を寄せた。  
 唇が、触れる。  
 
「っ……ナー……タ……」  
「……好きだ。……フェルリ」  
 
 私は思わず目を伏した。  
 ナータのあまりにも真っ直ぐな目を、とても正面から受けていられなかった。  
 
「……本当なら、言うつもりは無かったんだがな」  
「なぜ?」  
「一方的に気持ちを押し付けるだけになることは、分かっていた」  
 なのに、それを言わせてしまったのは私なのだろう。  
 ナータの気持ちにうすうす気付いていながら、気付かない振りをしていたことに  
 彼も当然のように気付いていた。  
「っ……ごめんなさい、ナータ…………ごめんなさい」  
 本当に彼を遠ざけようと思うなら、こうなる前に出来たはずだ。  
 それをせず、ただ逃げていただけの、これが報いだった。  
「出来なかった……あなたを遠ざける事が、どうしても出来なかった。  
 あなたがここを訪ねてくれて、本当に楽しかったわ。  
 本当に、嬉しかった。  
 ここに存在(い)ていいって、思えたの。  
 だから、たった一言が言えなかった……」  
 
 この場所を訪れる人がいる。  
 それは、私にとって、私の居場所がここにあってもいいのだと言われているも同じだった。  
 自分がまだこの世にいることを許されているように感じた。  
 だから出来なかった。  
 けれどそのせいで、ナータをきっとすごく傷つけた。  
 
「遠ざけられないなら、受け入れればいい。それとも、このまま中途半端にしておく気か」  
 意地の悪い台詞を吐くナータを、そしてなにより自分自身を恨めしく思った。  
 
「私を好きになったのが、あなたでなければよかった……」  
 
 他の誰かなら、こんな気持ちにはならなかっただろう。  
 好きだと言われた瞬間、震えるほどに嬉しく思ってしまった。  
 
「……ナータ。あなたの望むままに。……私は、ここに居るわ」  
 
 ナータは驚いた表情のまま、信じられないように私を見つめた。  
 あれほど言っておいて、そんなに驚かなくても、いいのに。  
 と思った時、今度は自分が驚く番になり、私は思わず息を呑んだ。  
 ナータの瞳から澄んだものが零れていた。  
 そのまま、ナータは私を抱きしめた。  
 それまでの暗い気持ちや、遠い昔の思い出も何もかもが、純化されていくようだった。  
 
「……ありがとう。……ナータ」  
 
 彼の背を軽く抱き、後ろ髪に触れる。  
 感じることの無いはずの暖かさを、私は確かに感じていた――。  
 
おわり  
 

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