地竜術師家――
朝食の片付けを終えたユイシィは、"その姿"を見咎め、背中に声をかけた。
「今日もまたお出かけですか?ランバルス師匠。」
その声にわずかにギクリと緊張した後、ランバルスはゆっくり振り返った。
「あぁユイシィ、午後には戻るつもりだから留守番よろしく頼むわ。」
言って浮かべた笑顔も、どことなくぎこちなかった。
「それはかまいませんけど…。」
思わず口淀むユイシィ。
明らかに態度のおかしいランバルスを見たところ、また危ない遺跡に黙っていくつもり
だったのかもしれない。
一度遺跡で大怪我をして以来、最近では行き先を告げてから出かけていたのに。
心配をかける己の竜術師を少し恨めしく思いつつ、ユイシィは続きを口にした。
「どちらにお出かけになるんですか?」
たとえランバルスが伏せたがったとしても、やはり聞かずにはいられなかった。
しかし――
「いや、今日は遺跡じゃないんだ。危ないところでもない。ちょっとした用事で出るだけだから。」
その応えはユイシィの予想に反したものだった。
遺跡でも危ないところでもないなら心配はない、はずだ。
にも関わらず行く先自体ははぐらかされてしまった。
これ以上聞いてしつこい、と思われるのを良しとしないユイシィは、それ以上は聞けなかった。
結局その時ユイシィが出来たのは
「それじゃ、いってくる。」
というランバルスを、
「はい、行ってらっしゃい。ランバルス師匠。」
と、いつものように笑顔で送り出すことだけだった。
ユイシィはランバルスの出かけた先が、激しく気になっていた。
思わず留守番はロービィ達に頼み、こっそり後をつけてしまうほどに。
こんな短絡的な行動は、普段のユイシィならやらなかっただろう。
しかし、以前にあった事故とランバルスの度重なる一連の行動から、
理性よりも心配の方が、先に立ってしまった。
(私…なにやってるんだろう…。)
しばらく後を付けて、早くも自分の行いを後悔してきてしまうユイシィ。
(こんなのって、師匠を信用してないって事よね…。)
信用できるような行動をランバルスが取っていないのが根本的問題ではあるのだが。
(でも…本当に遺跡でないなら、どこに行くつもりなんだろう…?)
ふとした疑問を感じ、ユイシィは考え込む。
少なくともユイシィには全く心当たりがなかった。
今向かっている方向には、竜術師の家も、獣人族の村も、ない。
ただ深い森があるだけだった。
地竜は地脈が読める為迷うことはないし、後を付けるなら隠れる場所にも困らないが…。
と、ランバルスは木々が少し開けた場所で立ち止まる。
ランバルスの視線は、彼が立った位置の正面手前に注がれていた。
そこに何があるのかユイシィからの位置では見えなかったが…。
気づかれないようにそっと位置を変えたユイシィは、それを捉えて疑問の答えを知った。
そこには、二つ並んだ小さな墓標があった。
(……お墓参り……)
彼はコーセルテルへ来る前に家族を…奥さんと子供を亡くしている。
ランバルスが大怪我を負ったあの事故の時、少しだけ話をしてくれていた。
行き先を告げなかったのは、それが自分の中で秘しておきたい事だったから。
ランバルスへの疑いが氷解すると同時に、プライベートを覗き見てしまったことへの
どうしようもない後ろめたさと自己嫌悪がにじみ出た。
(私…最低だ…)
寂しげに、どこか懐かしむような表情を浮かべた竜術師の横顔を見て、胸がぐっと苦しくなるのを感じた。
それ以上見ることは出来なくて、ユイシィはそっとその場を離れた。
ふと。
かすかな気配を感じてランバルスは顔を上げた。
振り返ってはみるが、木々がわずかにざわめきを返すばかりで、特に変わった様子はない。
(気のせいか…?)
そう思い、再び墓標に向き直る。
そしてまた、胸の内で静かな近況報告を続けた――。
家に戻ったユイシィは、昼食の準備をしながらランバルスの事を考えていた。
あんな姿を見てしまうと、普段あまり考えないようにしている事を、嫌でも思い出してしまう。
つまり、亡くなってもう何年も経つといっても、ランバルスには奥さんに子供までいたということ。
ランバルス自身はユイシィのことを家族以上には思っていないことも、ユイシィは分かっている。
ユイシィがたとえどう思っていても、ランバルスとの関係はこれ以上進展しようもないのかもしれない。
これまではただ単純に"好き"という気持ちだけで、そんなことは特に考えたことはなかった。
けれど今は、自分の置かれた現状の困難さを、思い巡らせずにはいられなかった。
「……はぁ……。」
思わずため息が漏れる。
「ユ、ユイシィ……?」
傍で見ていたロービィも思わず問いかけてしまう。
ランバルスについていくなどという行動もユイシィらしくないとは思ったが、
帰ってからのユイシィは輪をかけて様子がおかしい。
ロービィが一体何があったのか、と気を揉むほどであった。
(補佐竜として一緒にいることは出来るけど…ずっとこのまま…?)
もちろんランバルスはユイシィたちをとても大切に思っていてくれているし、
ユイシィもそれは分かっているけれど。
(私…私はどうしたらいいんだろ……?)
思いを伝える、なんてことは出来ない。
そんなことをしても、今のここにある幸せを壊すことにしかならないのだから。
ユイシィの気分は重かった。
「ユイシィ、ちょっといいか…?」
ランバルスがそう声をかけたのは、昼過ぎに帰ったランバルスが遅めの昼食を食べ終わった後だった。
「は、はい…何ですか?」
「片付けは後にしていいから、少し話したい。…ロービィ、リド、クレット、しばらく表で遊んでてくれ。」
なんだろう…と疑問に思いながら、片付け作業の手を止めるユイシィ。
話ができる体勢が出来上がると、ランバルスは切り出した。
「朝、どうして付いてきたんだ?」
「っ!」
まさか知られてしまうとは思っていなかった。罪悪感がさっとユイシィに戻り、表情が硬くなる。
「…ロービィから聞いた。」
どうして、とこちらから聞く前にランバルスはそう言った。
ロービィは、帰ってからのユイシィの様子を心配してランバルスにそのことを言っていたのだろう。
「…ご、ごめんなさい私っ…!」
「あー、いや…!」
あわてて謝るユイシィをさっと手で制して、ランバルスは続けた。
「行き先をキチンと言わなかった俺も悪い。…心配して付いてきてくれたんだろ?」
次からは行き先を言うから、こっそり後を付けるのはやめてくれよ――と笑うランバルスに
ユイシィはなぜかカアッと頭に血が上った。
「…どうして…!」
「…え?」
「どうして怒らないんですか!?私は…っ!」
「ユイシィ…?」
突然大声で言うユイシィに、なにがあったのか分からず戸惑うランバルス。
「どうしたんだ?」
「私なんかに言わなくても何処へでも行けばいいじゃないですか!」
もう支離滅裂だった。勝手に後を付けた上ランバルスがひっそりと大切に思っていたものに土足で
踏み入った気がして、嫌われたのではないのかと思うと誰かに当たらずにいられなかった。
「ユイシィ、理由をちゃんと説明してくれ。…俺が何か悪かったのか?」
「師匠は何も…私が全部悪いんです…!」
ユイシィは泣きじゃくるように声を荒げる。
「私が…私が師匠を好きになってしまったから…!」
言ってしまってからハッと口を閉ざすがもう遅い。
「ユイシィ…?……今……」
その声を聞きユイシィは、それは全身赤くなり頭の中は真っ白で心臓の音だけがやけに脳に響いた。
"どうしよう" と、 "言ってしまった"
それだけが頭の中でぐるぐるまわり、ユイシィはぎゅっと目を瞑って審判を待った。
一瞬。
確かに耳にしたはずの言葉が、どうしても頭に入ってこなかった。
以前から、ユイシィが自分に好意を持っていることに、気づいていないわけではなかったが…。
今の今まで、このまま時が過ぎ、そのうち他の誰かに気変わりするだろうと安易に考えていた。
いや、ユイシィにしてみたところで打ち明けるつもりではなかったろう。
「ユイシィ………。」
ランバルスは、何かを堪えるように顔を伏すユイシィをどう扱っていいものか、正直心底困っていた。
恋というものは本当に扱いづらい。
それが、いままで家族として過ごしていたならなおさらだ。
自分が誰かに思われるというのは、やはり嬉しい。
ユイシィのことは家族として大切に思っているし、信頼もしている。
しかし、娘ほど歳の離れたユイシィにそれ以上の感情を持ったことはなかったし、
持ってはいけないとも思う。
ランバルスはユイシィの頭にそっと手を乗せる。
「……ありがとう、ユイシィ。」
ユイシィがゆっくり顔を上げる。
「俺は…ユイシィの事は家族として大切に思っているし、信頼もしているつもりだ。」
先程思った事を、素直に言葉に変えてゆく。
「けど、それ以上の感情を持ったことはなかったし、これから先も今の関係を変えるつもりはない。」
ユイシィの表情に次第に影が落ちていくのを見て、心苦しくなるのを堪え、先を続ける。
「だから…勝手だがユイシィには、これからも家族として一緒にいて欲しい。」
終わりの鐘の音を聞いたユイシィは、ゆっくり口を開いた。
「は…い…、分かりました……っ。」
言うと同時にくるりと身を翻すと、ランバルスに背を向け小走りで離れる。
「ユイシィ…っ!」
「明日からは…っ」
思わず呼び止めるランバルスに、背中を向けたままで言うユイシィ。
「明日にはちゃんと…家族でいますから…今日は……一人にしてください…っ。」
言って表へ飛び出してゆくユイシィに、かける言葉は見つからなかった…。
夕方になっても、ユイシィは帰ってこなかった。
家でただ誰かを待つという事が、これほど負担になるとは思ってもいなかった。
ユイシィが自分の帰りを待つときも、いつもこんな気持ちだったのだろうか。
「ユイシィ…帰ってこない…。」
「師匠…一体ユイシィと何話したんですか?」
ロービィ達も飛び出してゆくユイシィを見ている。
それに、いつもならユイシィが夕食の準備をしている時間だ。
さすがに異変に気が付いているし、リドやクレットも心配顔をして外を見ていた。
「大丈夫だ。じきに帰ってくるさ。」
子竜たちを安心させる為にそう言ってはみるが、心配しているのはランバルス自身も同じだった。
「よし、ロービィ、リド、クレット、ユイシィが帰ってくるまでに皆で夕飯作るぞ。」
そうして本当に何年かぶりに包丁を握る。
がしばらく後、考え込んでいて手を切ったランバルスは、ロービィに包丁を没収された。
夕食の準備が整って、5人分の食事が並べられても、席はまだ一つ空いたままだった。
「…おまえらは先に食ってろ。ユイシィを捜してくる。」
そういって席を立つと、留守をロービィに任せ家を出る。
とはいえこの時間になっても帰らないということは、誰かの家や村にいるということもまず考えられない。
道に迷うということはないが、何か事故にでも遭っていたら…。
時間が時間だが仕方がない。マシェルに頼んで暗竜術で探してもらおう――。
そう思いながら表の長い階段を下りきる。
そこに――
「――っ。」
ユイシィがいた。
階段脇の大岩に身を預け、うずくまって眠っているユイシィの姿を見て、ひとまずホッと息をつく。
帰り辛くて、ここでこうしている内に眠ってしまったのだろう。
月明かりで浮かぶユイシィの顔には涙のあとが浮かんでいた。
その姿に思わずドキリとしてしまう。
(ユイシィ…。)
今まで本当の娘のように思ってきた少女。
その少女にまっすぐに気持ちを向けられ、初めて女性としてのユイシィを見た気がした。
静かに眠るその姿は本当にいとおしく思える――。
(――と、いかんいかん。何を意識しているんだ俺は…。)
かぶりを振って邪念を払ってから、ユイシィを起こさないようそっと抱え、階段を上る。
一段一段進んでいくその間ランバルスは、ユイシィが卵で初めて家に来た時から
これまでの事を思い出していた。
思い返せばあっという間だったように思う。
竜が大人になるまでの成長速度は人間より早い。
頭で分かっていても、まだまだ子供だと思っていた。――思いたかった。
今のように恋を知り、誰かに認められたり挫折したり…多くの経験をして成長し、
いずれ自分の手を離れ、大人になってゆく――。
それを思うと少し…寂しく思う。
補佐竜としてこれからもずっと傍にいるというのに。
いや――、
ふと……死に別れた妻と子供の顔が脳裏に浮かんだ。
あの頃は、そのままずっと一緒にいられると信じて疑ったことはなかった。
ユイシィも、補佐竜だからといって、何時どんな理由で一緒にいられなくなるか分からないのだ。
だからこそ、今ある幸せの一瞬一瞬を大切にして生きたい。
そう思いを新たすると、階段を上りきる。
見るとそこには、ロービィとリド、クレットがそろって表に出ていた。
「おまえら…。」
ランバルスとユイシィに気づくと、3人はそろってこちらに駆け寄った。
「師匠…っ!」
<<ユイシィーっ>>
ランバルスはあわてて片方の手で”静かに”という合図を送ると、
「夕飯も食わずに待ってたのか?」
と小声で問いかけた。
「……」
子竜たちの表情の変化を見ると、どうやらそういう事らしい。
今回はロービィたちにもずいぶん心配を掛けてしまったようだった。
(子竜に心配ばかりかける俺は、本当に竜術師失格だな…。)
そう自嘲気味に思うと、
「ユイシィなら心配ない。起こさないように部屋に運ぶから手伝ってくれ。」
やはり小声で、すこし苦笑い混じりにランバルスはそう言った。
「……師匠……。」
ユイシィをベッドに寝かせて部屋を去ろうとするランバルスの背を、小さな声が呼び止めた。
「……ん?」
振り返り見るが、そこにはやはり眠ったままのユイシィ。
(……寝言か?)
そう思い、ユイシィの顔を覗き込む。
「――。」
"それ"を見て、ランバルスは思わず言葉をなくす。
ユイシィの頬が、目から零れた一筋の涙で濡れていた。
「………。」
胸を痛めながらその頬に触れ、そっと涙を拭うと、その手がユイシィの体温を伝える。
その瞬間…初めてユイシィに対して、恋愛に近い感情が湧き起こる。
さっきユイシィを意識した時とは違い、今度は否定しようとも抑えようとも思えなかった。
何においても守りたいと願う。
もう二度とこんな涙を流させなくて済むように。
明日から、多少ぎこちなくなるのは仕方がないだろう。
明日からは…少しだけ多く家にいよう。
明日からは…少しずつユイシィの手伝いをしよう。
明日からは…、……
…少しずつ自分の気持ちを伝えてゆこう。
そしてもし、大人になった後もユイシィが自分の事を思ってくれていたのなら――
……この日が運命の日になったかどうか。
……それが分かるのは、もうしばらく先のこと――。
終わり。