わたしは水。
海をめぐり空をたゆたうかたちのない水。
わたしがもっとも綺麗なとき。
それは冬。
幾千もの結晶となり、世界にわたしはふりそそぐ。
冬。わたしが一番綺麗になれるとき。
わたしは冬のこいびと。
秋が終わった。冷たい風が吹き、早朝には水溜りに薄く氷が張るようになった。落ちる
木の葉はあらかた落ちきってしまい、常緑樹以外はみんなはげあたま。どんよりと曇った空
はわたしの待ち焦がれるものを期待させる。
でも冬はまだこない。秋はとっくに終わってしまったのに。
「おねえさまは毎年それを作るのよね」
妹が呆れ気味にわたしの手元を見ながらそう言う。
わたしは一針一針、ゆっくり縫いとめる。想いを込めて刻むように。
わたしがコーセルテルを去ってからもう五年の月日が経とうとしている。
あっというまといえばあっというま。あんなに長い間、あそこにいたのに、里へ戻ってきて
からというもの毎日が忙しくてならない。
嘱望されていた族長の任を受け継ぐまでに、里の様々なことを学んでいる最中には
コーセルテルに遊びに行くことも出来なかったくらい。すっかり族長の座に収まった頃には、
少しくらいは時間を都合することは出来るようになったけれど、マシェルの元を去ってから
皆――「マシェルの一番竜」たちは一度しかそろったことがない。
窓の外は相変わらず曇っている。
こんな天気は「年長さん」、わたしたちを纏めているような顔をして実は一番問題児
だったナータの仏頂面を思い出させる。彼はマシェルの補佐竜いてコーセルテルに残
っている。
本当はわたしだって、補佐竜になりたかった。ううん、ずーっとコーセルテルで、マシェル
のそばに、七人全員でずっといたかった。
本格的にコーセルテルを去る日が近づいたとき、わたしは泣いた。ハータが背中を
さすってくれた。サータが泣くなよっていいながら自分も泣いてた。最後の夜にアータと
タータが別れを惜しんで二人で一晩どこかへ行っていたのにも、皆知らん顔してたな。
カータがだだこねてナータに叱られて。
クスッと笑いがもれる。
なんたって、誰よりも泣いていたのはマシェルだったもの。
今生の別れじゃないけど、物心ついたときから8人で暮らしていたのに、滅多に会えな
くなってしまうなんて。悲しいことに、誰も違いなんかなかった。
いつもドライなナータですら、あの時は必死で唇を噛んで下を向いてた。
あれからもう五年。……五年。
マシェルのもとには新しいおちびさんたちがいる。タータと訪ねたとき、愛想のないナー
タがちっちゃい子の面倒を見てるのに、もう少し笑いなさいと二人でからかったのが、
コーセルテルへ行った最後か。
その後で、火竜の里へ、守長になったハータが怪我をしたって連絡があって行った。
人間たちが近くまで来て、それを追い返すのに反撃されたらしい。あの優しいハータに
戦いを強いるのはひどいんじゃないかって怒りながら行ったんだけど、ハータのベッドの
前で火竜族長になっていたメオさんが土下座してて、怒る気は失せた。
各里を転々として、里で育つ子供にコーセルテルでのことを教える役目のサータは
たまに会いに来てくれる。
カータは族長になったおかげで遠いの仕事が相まってわたしとはろくに会うことができない。
アータは……タータが喧嘩をするたびにここに飛び込んでくる。のんびりやの煮え
切らない彼に勝手にタータが腹をたてているのだろう。わたしには五十歩百歩でうまく
やってるように見える。
ぷち、とおわりの縫い目を結んでから糸を切る。完成……。
出来上がったそれのしわを、指で押さえてのばす。
完成。
完成したよ。
今年も一年、マータは頑張りました。水竜を纏めて、お仕事もちゃんとして。失敗もあった
けど、お祭りだって成功させたし、エレさんのところへ送る子竜たちの選考も公平になる
ように選んだよ。淋しいのも辛いのも精一杯我慢して、泣くのも独り部屋にいる時だけに
した。
そして、これが出来上がったのよ。
……なのに、なんで冬がまだこないの……?
唇を結んで、窓の外の空を睨む。
寒いよ。とても冷たい風が吹くよ。湖だって朝には凍るわ。霜だって降りてる。
秋が終わってもうずいぶん経つよ。
ねえ。
ゆるく波打つたっぷりした髪を結んでいた紐を解いて、手に取る。これも、わたしが
作ったもの。そっと鼻を寄せてみても、もうするのはわたし自身の髪の匂いばかり。
息を吐く。
外を見る。
「おねえさまー! 森住まいの精霊さんが、根の奥に水が滞っちゃってこのままじゃ
腐ってしまいそうって! 診てくださるー!?」
妹の呼ぶ声。作ったものを箱に仕舞って、わたしは外へ行く。
数日経った。
相変わらず空は曇っているくせに、全然アクションを起こさない。起こしてくれない。
ベッドから離れるの、嫌。毛布を頭からかぶって世界に知らないふりをしていたい。
わたしはここにはいません。
いない。いない。わたしはいなーい。
「おねえさまーん。朝食の準備ができましてよー」
「いまいきます……」
どうせ起こされるのよね。マシェルだったら、気分が悪いって言ったら一日寝かして
いてくれるのに。族長は辛いわ。みんなに心配かけるわけには、いかないもの。
たとえどんなにココロ憂こうとも、よ。
……まったく。
朝食の席で、給仕してくれる妹に愛想笑いをしながら、窓には絶対目を向けないように
食事を摂る。
「寒くなりましたわね、マータさま」朝のお仕事で、いつもどおり書類を山ほど抱えてきた
秘書。「すっかり、冬ですわ」
秋が終わっただけよ。冬はまだ来てない。
そう言い返したいのを抑えて、わたしは書類に目を通して里で起こってる問題や、
住民の嘆願に耳を傾ける。
あれこれ秘書に指示を出して、寝付いている長老様のお見舞いに行き、また机に
かじりついて、子供たちに術の扱い方を教える。
そうやって、一日が過ぎる。
夕刻、晩御飯のまえには時間が空く。
好きな本を読んだり、物思いにふけったりするのもこの時間だけは自由。
といっても、したいことはない。ぼーっとしている時間が痛い。
待つことしかできないのよ、わたしは。
いい加減草臥れて拗ねていると、リリックさんが訪ねてきてくれた。
光竜のマリエルと結婚したリリックさんはエレさんの補佐をしながら、前のラスエルさん
のように里とコーセルテルと、月を行き来している。こっちに来るときは必ずわたしを
訪ねて、コーセルテルやマシェルの近況を知らせてくれる。
「マータ、えっと、今度さ、マリエルに赤ちゃんができたんだ」
すごく照れながらの報告。
彼らは種族が違うのとそれぞれの仕事があるため現在は別居中。エレさんのところの
次の補佐竜が育ったら、リリックさんは里へ戻ってきてマリエルを呼び寄せて一緒に
住む予定。まだまだ先のことだとおもわれたが、しかしそれもこれで早まりそう。
赤ちゃん。
「可愛いでしょうね」
「うん、きっと、マリエルに似た子だよ。美人になるだろうなっっ。生まれたら絶対見せに
来るよ!」
リリックさんらしい気のはやり方だわ。女の子とは限らないのに。
「マータは?」
どき。
「マータならいい縁談も続々きてるんじゃない?」
きている。全部けっとばしているけど。
「いいえ、わたしは――」
「そう? まあ、生涯の伴侶だからじっくり決めないとね」
呑気にいうリリックさん。
これでも、彼がマリエルと結ばれるには紆余曲折を経ている。まず、種族が違うことで
各々の一族から大反対を受けた。ラスエルさんのように竜術士と結婚するのとも桁はずれ
だったらしい。もちろんコーセルテル中で応援して、なんとか結婚を認めさせたはいい
けれど、せめて子供が出来るまではと別居を強いられている。
ねたましい。
夫婦なのに別居がしなくてはならないのは可哀想よ。それはね。でもリリックさんは
ちゃんと毎週のように月へマリエルに逢いに行っている。
……うらやましい〜〜〜〜……
床に転がってのたうちまわりたくなるほど羨ましい。
もうっ、ホントにもうっっ。
とはいえ、喜んでいるリリックさんにそんなこといってもしょうがない。
卵ちゃん。赤ちゃん。子供。好きな人と自分を半分ずつ備えた新しいいのち。
マリエルはお腹で、そんな存在を育てているんだ……。
リリックさんに気づかれないように、重い息を吐いた。
「それじゃ、僕はこれで帰るよ。今日中にコーセルテルに帰るってエレに言っちゃった
から。また来るね」
リリックさんを見送りに玄関まで行った。
コートを着込んだリリックさんがドアを開けて、わたしは別れに振るために手を上げ――
「うわぁ、雪だ! 初雪だよ、マー……マータぁっ!? どこいくのっっ」
リリックさんを最後まで見送らずわたしは自分の部屋へ走った。はばかりなく着ている
服を脱ぐ。下着になりクロゼットを開けて持ってる最高の礼服をひっぱりだす。そもそも
誰かに手伝ってもらって着る服だから手間取ったけどちゃんと着る。スカートをはらって
鏡台の前に座る。紅をひきおしろいをする。化粧をすませて鏡に映るのは、水竜一の
名花と言われるに申し分ないわたしの顔。うん、大丈夫、綺麗。
最後に髪を梳く。ようく。髪が流れる川のそのもののに見えるくらい、櫛を通して梳る。
整えた身だしなみで、食事の用意する妹に気づかれないようにわたしは外へ飛び出した。
「遅い!」
「こっちのセリフよっっ!」
約束の場所で立っていた彼のもとへ、全速力で走る。始めてあったときから大して
変わりない姿かたちの彼。礼服が走りにくくて思うように早く進めないのに、こっちに
向かって来てもくれない彼。
「カシっっ!」
ほぼ全速力のまま、わたしは遠慮なしでカシに突っ込む。カシはわたしの体なんか
ものともせずにすっぽり受け止めた。
「マータ」
名前を呼ぶ声。久しぶりの声。
わたしはぐーで彼の胸板をばんばん叩く。
「もうっもうっっ! 遅いのよっ」
「悪かったな。ちっとばかり面倒ごとがあったんだよ」
「ばかーっ」
せっかくしたお化粧、くずれちゃうから、泣かないように泣かないようにこらえてるのに、
カシがわたしの髪を撫でてくれる。優しく。
ちらついた雪がほっぺたに当たって溶けた。
カシの胸に額を埋めて、つん、と痛くなってきた鼻をすする。
「ばかぁ……」
「悪かったって」
困ったようにいうカシ。ああ、カシだ。カシがいる。
背中に腕をまわしてぎゅーっと彼を抱きしめる。
あったかいカシの腕の中。しあわせ。昔は、マシェルが本を読んでくれたり、みんなで
一緒に寝たりするときが至福のときだと思ってたけど……今は、カシがいちばん。
わたしのいちばん。
カシを見上げる。カシは少し頬を赤くして、それから、わたしにくちづけを落とす。
ひたい。まぶた。くちびる……。
早々に離そうとしたカシのあごを捕まえて、背伸びしてキスをする。
カシが背中をつかむけど、だめ。ゆるさない。
たっぷり時間をかけてしたキスのあと。
川岸の大きな流木に二人で腰かけて、
「はい。これ」
手渡したのは、いつものはちまき。
「サンキュ」
カシは受け取って、かわりに今までつけていたのをわたしにくれる。これで、わたしは
カシがいない間の淋しさをまぎらせるのだ。
「どのくらい滞在できる?」
「そーだな。一週間くらいか」
「……短い」
拗ねる。わかってるのよ。カシは冬の偉い人で、実はもうこんな風に各地をまわらなく
ていいのに、わたしのためにわざわざ来てくれてるの。……わかってるの。でもわがま
まはいいたいのよ。
「その代わり春の休みには頻繁に来てるだろ」
「でも夏と秋は全然こなくなるっ」
黙っちゃった。
「ごめんね」
カシの腕に寄り添う。
「だって、リリックさんがすっごく幸せそうにのろけるんだもん。マリエルに赤ちゃんが
できたって。わたし、うらやましくて」
あー、とカシ。
「俺のとこにも手紙きたな、マリエルから。生まれたら是非おいでくださいって」
「ねえカシ、わたしたちも子供つくりましょうよ」
「なっっ……」
カシは顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。
「子供ができたら、きっとなんとかなるわ。一族だって反対するわけにはいかなくなるもの。
ね?」
「……そんなことして、一族追い出されたらどうするんだ?」
「そのときは――」くるん、と瞳をまわして、「カシにさらってってもらうわ」
わたしの言葉に、頬をかくカシ。
「そうだな」
笑顔がにじむ。首をのばしてちょん、とカシと唇を重ねる。
「どの道」
と、耳元でささやく。
「今日は朝までいっしょでしょ?」
END