小さな窓が一つしかない薄暗い部屋の中、一人の少年が立っていた。  
彼の前には小さな机が一つあり、一本の蝋燭が明かりを灯している。  
蝋燭の光に照らされたその顔は、少年と呼んでしまうにはあまりにも大人びてはいるが、青年の域にも達していない微妙な年齢……。  
彼は、目を閉じ一心に何かに集中している。  
ゆらりと蝋燭の炎が揺れた。  
「───っ!」  
声にならない悲鳴とともに少年の輪郭が急にぶれ、少女へと変化する。同時に今まで誰もいなかった空間に先程の少年とよく似た火竜の少年が姿を現した。  
「あいたたっ。同化竜術、また失敗しちゃったぁ〜」  
二人になった瞬間バランスを崩し、床でしたたか腰をうったアグリナがそのままの体勢で頭を掻いていた。  
「おい、大丈夫か?」  
心配気にメオが手を伸ばして、アグリナの腕を掴んで引き起こそうとしたが、アグリナその手を振り払って拒否した。  
「ほっといてよ、自分で起きあがれるわよ」  
「人がせっかく親切にしてやってるのに、その態度……はぁ〜」  
自力で起きあがるアグリナを横目に、メオは大げさに溜息をついた。  
「親切ぅ〜?よけいなお世話って言うのよ」  
「なんだとぉ、下手に出ていれば言いたい放題!おまえの練習に協力するんじゃなかったぜ」  
「失敗したのは、あんたがちゃんと協力しないからでしょっ」  
「あー、自分の失敗を人のせいにするかぁ?」  
「なんですってぇ〜!!そっちこそ人のせいにしないでよっ」  
メオより背の低いアグリナはどうしても下から見上げる形になってしまうのでよけい腹立たしい。  
「いつ・だれが・人のせいにしたって?」  
「目の前のぼけなすよっ」  
「ぼけなす〜???てめぇっ」、  
いつまでもぎゃあぎゃあと言い争う二人の傍らには、どこからともなく取り出した湯飲みで茶をすする火竜術士の姿があったのは言うまでもない。  
 
 
「もう、全く頭にくるっ」  
ぶんぶんと右手を振り回しながら、アグリナは森の中を歩いていた。  
目指しているのはマシェルの家だった。過去形なのは、お約束に漏れずしっかり森の中で迷っているから。  
「あーっ、もうっ」  
いらいらする──アグリナは自分の気持ちを持て余していた。  
ただでさえ筋金入りの方向音痴なのにこんな状態で森の中を歩くなんて……。  
自殺行為だとは思っているが、なぜか無性にマシェルの顔が見たかったのだ。  
マシェルの前だと落ち着いて素直な自分が出せる。  
あいつとは正反対。  
燃えるような真っ赤な髪の少年の姿が思い浮かぶ。  
メオの前ではダメ。なぜか意地を張ってしまい売り言葉に買い言葉、気がつけばいつも喧嘩ばかり。  
最近、急に身長が伸びいつのまにか自分を遙かに追い越してしまったメオ。  
自分がコーセルテルに来たばかりの時はほぼ同じだったのに。  
どんどんと大人びていくメオを見ていて、自分一人がおいてけぼりにされた感じがするのが堪らない。  
それに……時々見せるメオの自分に対するやさしさに素直に答えられない自分がいかにも子供っぽくて……。  
本当は自分が悪いのだ。同化竜術はお互いの心を一つにしないと絶対に出来ない。  
自分がメオを素直に受け入れることが出来ないのが原因だとうすうす気がついていた。  
そんなに嫌いなんだろうか?メオのこと。  
自分に問いかける。心底嫌いだから術が出来ないのだろうか?  
嫌い……ううん、そんなこと…ない。  
アグリナは軽く頭を振った。  
口は確かに悪いし、短気だし、性格悪いし…  
でも、それでも………。  
「え?」  
ぱたっとアグリナの足が止まった。  
えっ、えええっ〜!わたしっ!  
顔が火照っているのがわかる。  
うそー、うそー、うそ〜!!!  
突然気がついてしまった自分の想いに、アグリナはほとんどパニックに陥っていた。  
 
 
「助けてーっ!!!」  
突然聞こえてきた子供の悲痛な叫び声でアグリナは我にかえった。  
顔をあげると小道を向こうから、必死の形相で獣人の女の子が走り込んでくる。  
「どうしたの!?」  
アグリナの姿に気がついた子供が飛びついてきた。  
「向こうの川でお兄ちゃんが・・・お兄ちゃんがっ」  
何度か転んだのだろう、あちこちの擦り傷が痛々しい。  
「落ち着いて。お兄ちゃんがどうしたの?」  
ひざまづいたアグリナは目線を子供に合わせ、次の言葉を促した。  
「お兄ちゃんが…お兄ちゃんが川に…」  
「川に?」  
「川に落ちちゃったのっ」  
「えっ」  
思ってもない緊急事態に驚く。  
どうしようかと戸惑い悩む様子を感じたのか、  
「お兄ちゃんを助けてっ!!!」  
と、その女の子はぎゅうっと彼女の服を掴み、必死に訴える。  
アグリナを見つめる涙を溜めた大きな瞳。すがりつく小さな手は小刻みに震えている。  
アグリナはその子の手を取って言った。  
「案内してっ」  
 
アグリナは、子供を抱きかかえてその子の兄が落ちた川へ急いだ。  
昨夜降った雨のせいで水かさが増し激しく流れる川の中で、必死に岩にしがみついている子供の姿が目に付いた。  
「じっとしているのよ」  
川の中へそう呼びかけ、飛び込もうとした瞬間、後ろから腕を捕まれた。  
「メオっ!」  
振り返ると、そこにはメオが立っていた。  
「ばかか、無茶するなっ」  
いきなり怒鳴られた。  
今まで見たこともない真剣な表情。捕まれた腕が痛い。  
「でもっ」  
「俺にまかせろ」  
メオそう言うと、アグリナを押しやり上着を脱ぐと川に飛び込んだ。  
「メオッ」  
体格は成人と変わらないメオだったが、それでも激しい流れに、なかなか子供のところまで辿り着けない。  
「メオッ」  
わからない、なんだか泣きそうになる。心配で心配でたまらない。  
「お願い、無事に戻ってきてっ」  
自分でも気づかなかった心の中にしまいこんでいた言葉が、無意識に口をついて出ていた。  
 
流されつつも、ようやく岩にたどり着いたメオは子供を抱きかかえると、こちらに向かって泳ぎだした。しかし子供を抱えているせいか、あっという間に下流に流されていく。  
アグリナは川に沿って下流に向かって走り始めた。  
メオ、無事でいて。お願い。  
頭の中はそれしかなかった。  
 
かなり下流に流されながらも、メオはなんとか岸にたどり着いていた。  
「はぁ〜、溺れるかと思ったぜ」  
肩で息をつきながらも子供をしっかり抱きかかえて、メオは自力で岸に這い上がってきた。  
そこへアグリナが走り込んでくる。  
「メオっ」  
無事なメオの姿を眼にしてアグリナは張りつめた気が緩んだのか、その場にへたり込んだ。  
「あ?どうした?」  
座り込んでしまったアグリナにメオは子供を渡しながら、顔をのぞき込む。  
間近に見る彼の顔にアグリナの心臓がドキリと跳ねた。  
少し頬が熱い。  
顔を見られたくなくってメオの視線を避けるように顔を背け、助けられた子供を受け取る。  
「別に、どう……」  
途中で言葉が止まった。預かった子供の体温が異様に低いのに驚いたからだ。  
「冷え切っているわ」  
氷のように冷たいその身体からは生命の熱が全く感じられない。  
いますぐ身体を暖めなければ。  
──身体を暖める──  
物を暖めるのは火竜術で出来るけど、まだ力を安定させることの出来ないアグリナにとって竜術でそれを行うことは危険の伴う行為であった。  
「同化竜術しかねぇな」  
メオがぼそりと呟いた。  
同化術の方が遙かに力を安定させやすい。  
しかし…成功させたことのない術。  
不安がないわけじゃない。でも……。  
だけど、今はやるしかない。  
アグリナは覚悟を決めた。  
 
「メオ」  
メオをみつめ、頷く。  
瞳を閉じ、身体から力を抜く。  
子供を助けたい。その一心で術に集中する。  
──冷えた身体を暖める──それだけを考えた。  
ふわっと子供の身体が明るい光に包まれていく。  
しばらく、その状態が続いた。  
どれくらいの時間が経ったのだろうか、男の子が身じろぎをはじめた。ほんのりと赤く染まった頬が体温が元に戻っていることを告げていた。  
 
「あれ?だるく……ない?」  
術を解いたアグリナは驚いた。  
同化竜術はとても疲れるはずなのに、今の自分の身体には疲労の痕跡はほとんど無い。  
術の大部分をメオが背負った事にアグリナは気がついた。  
「メオ……」  
 
振り向いてメオを見る。  
「ふん、ちょっとはうまくなったんじゃねーの」  
いつものように悪態をつくメオの表情は、少し長めの深紅の前髪に隠れてアグリナにはよくわからなかった。  
 
 
 
 
「ところで、どうしてここにいるの?」  
二人の子供を村に送った後、森の小道をメオとアグリナは並んで歩いていた。  
「えっ、そりゃぁ…いきなり出ていったから気になって…探している内に迷って…声が聞こえたから行ったら…」  
目線を上にむけ、切れ切れに言葉を紡ぐメオの様子がなんだかおかしくって笑ってしまう。  
「なんだよー」  
「なんでもなーい。それより服まだ乾いてないよね。竜術で乾かしてあげようか?」  
「自分で乾かせる」  
「あたしがしたいの」  
気がついてしまった自分の気持ちは当分しまいこみたいけど、メオに対して少しは素直になれそうなそんな気持ちがしたアグリナだった。  
 
 
嘘か誠かメオがその後、服を燃やされてすっぽんぽんになったという話が森の精霊の間でしばらくまことしやかに流れていた。  
    
         ───fin───  
 

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