十崎家は決して貧相な家ではない。むしろ裕福な家庭であり、家屋はそれなりに格のある一戸建てである。  
が、それなりの歴史ある一般住宅である以上、壁に防音が施されているはずもなく。  
つまるところ、壁が薄いわけでは決してない。が、しかし隣の部屋の物音は漏れ聞こえてくるのだった。  
 
「ああ、倫子、倫子……!」  
「あなた、あなたっ……!」  
 
押し殺した、それでいて相手を求める必死さを隠し切れない声音。  
その感情、情景の匂いすら壁越しに感じられそうな、魂の発露とさえ感じられる切なさを孕んでいて。  
引き込まれているのだろうか。  
湿った泥を捏ねまわすような、聴こえるはずのない挿抜の音までが聞こえてくるようで。  
──そう、お隣さんは今まさに「寝台上の格闘技」の真っ最中なのだった。  
 
その実況生中継を先ほどから(半ば強制的に)聞かされている人物がいる。  
倉本きずなは人知れず溜め息をつき、体温の篭もった枕に熱を持った顔をうずめた。  
隣で何が行われているのか分からないほど無垢なわけでもない、多感な高校二年生の心中は複雑である。  
最初は何事かと思った。  
それでも嬌声が聞こえてくれば、如何に経験がなく奥手な少女であっても、伝聞の知識ですら分かろうというものだ。  
正直な話、まず自分の耳を疑った。  
ある意味、きずなと内藤夫妻は同じ立場である。いずれも端的に言えば「十崎家の居候」となるのだから。  
だからこそ、信じられなかった。  
軒先を借りている身分で、しかも転がり込んでそうもしない内に、そんな行為に及ぶなんて。  
控えめといってもいい性格のきずなでさえ、これには呆れの感情を禁じえなかった。  
 
どれくらいの時間が経っただろう。  
睦言は絶えず聞こえつづけていた。「愛してる」「好き」といった言葉。素直に快感を告げる言葉。  
うわ言のような、意味を含んでいるのか分からないけれど、熱量だけは持っている言葉たち。  
一回りは年上の大人を相手に失礼なことかもしれない。  
それでも同情と呼ぶべき感情が、聞いているきずなの胸に湧いた。  
行為に走るのは大変な出来事があったからだ。逃避……なのだろう、きっと。  
どうしようもなく心臓を駆り立てる不安をもてあまして。  
だからお互いがお互いを求めて、快楽の中に不安を忘れ去ろうとする。  
それを悪いことだと、いったい誰が断罪できるだろう。  
そう感じさせるほどに、隣から聞こえてくる声は切実だった。ともすれば慟哭とすら思えてしまうほどに。  
ふと、あの時<<幻影城>>で聴いた歌が、今隣から漏れ聞こえてくる声に重なる。  
Dominus Deus──神に希(こいねが)うような、それは何か大きなものに救いを求める祈りにも似て。  
神さまに手が届かないから、人は身近にいる似姿に想いを寄せて求め合い、不安を解消しようとするのかもしれない。  
そんな埒もない空想の中、きずなはぼんやりとたゆたっている。  
 
まんじりともできぬまま、既に2時間が経過していた。  
現在時刻はきずなの感覚にして25時。午前1時である。23時ごろから始まったお祭りは未だ終わる気配を見せない。  
温和なきずなをして、流石に我慢の限界が近づいていた。  
見事なまでの安眠妨害である。いろいろな意味で。  
だいたい2時間も持続するものなのかとか、場違いな感心をしている場合ではない。  
聞かされつづければ、当てられて当然である。この場合はよく2時間も平静を保ったと称賛されるところだろうか。  
初めは照れから赤みを帯びていた頬は今や異なるもので高揚を見せ、溜め息は仄かに熱い吐息に変わっている。  
部屋を満たす夜気が熱を帯びたみたいで、どうしようもなく体が熱い。  
熱に浮かされるように、手が自分のものとは思えないくらい自動的に動いて、寝間着のボタンをひとつひとつ外していく。  
玉となった汗が、豊かな胸の谷間をゆっくりとすべり落ちていった。  
前をはだけるとき、指が胸を軽く触れただけだけなのに。どうしてこんなに甘い痺れがはしるのだろう。  
隣の部屋の荒い呼気と呼応するように、きずなの中で、水位が少しずつ増していく。  
 
熱で茫洋とする頭の中。浮かんでくるのは、武原仁のこと。  
優しくて、まっすぐで、一生懸命な人。  
でも必死で何かをきずなに隠している。  
きっとそれは、魔法世界と<<地獄>>との間の焦げ付きのようなもの。  
この世界を好きな魔法使いになってもらいたいと、そう言った彼は。  
だから「汚いもの」をきずなに見せまいとして、ひとり傷だらけになっているのだろうか。  
まもられているのは、子どもだから? 未熟な魔法使いだから?  
まもられて嬉しいと思う気持ち。対等に扱って欲しいと──全てを抱え込まないで欲しいと思う気持ち。  
──ああ、メイゼルちゃんも、こんな気持ちで武原さんのそばにいるのかな。  
生き様も、覚悟も、何もかもが違うと──届かないと思っていた小さな魔女と重なるものが見つかったみたいで、嬉しくなる。  
きずなは再演魔法で過去を覗くことは出来ても、人の心まで覗くことは出来ないから。  
だから、わたしは。あの人がこんなにも気になるのかもしれない。  
 
唇は声を漏らさぬよう右手人差し指の第2関節を甘く食み、左手は右胸を下着越しに撫でまわしていた。  
いかにも慣れていないといわんばかりのぎこちない動き。  
それでも隣から伝染した高揚は、不慣れな自慰の動きでも十分な燃料として官能の炎を燃え立たせていく。  
 
胸に仁の視線を感じることは幾度もあった。  
男性なんだから仕方がないと。クラスメイトとそんな話に興じたこともあったから納得はしていた。  
この大きく育ってしまった胸が男性の視線を惹きつけることなんて珍しいことではなかったから。  
そんなものは感じなかったけれど、もしもあの視線に性的なものが含まれていたとしたら。  
……あの時、<<幻影城>>で見た、仁の表情を思い出す。  
メイゼルを失くして、それでもきずなを救うために、前に進んだ彼が漲らせていたもの。  
全ての奇蹟を<<沈黙>>させる視線。その強さに、遠くから観測していただけのきずなでさえ焼き尽くされると思った。  
あの時垣間見たもの──彼が抱えているあれだけの情念が、情熱が、もしも性的な意味合いで自分へ向けられたとしたら?  
そんなことを考えてはいけないと、きずなの理性は叫んでいるのに。  
それでも主の心底の欲求に答え、奇蹟は力を揮うのだ。  
 
召喚された魔法生物<<無色の手>>が、真に主が望むまま、武原仁の代替として主の身体を貪り始める。  
性感を探るように全身を這いまわり、両の乳房を捏ねまわし、摘まみ、甘噛みするように先端を押しつぶす。  
そして下着をずらし、淡い茂みに包まれたもうひとつの慎ましやかな唇へ割って入ろうとするのだ。  
与えられる快感に思考もままならなくなったきずなの大きな瞳が、はじめての感覚でさらに大きく見開かれる。  
従者は決して主を傷つけるようなことはしなかった。  
痺れを残しわななく唇を撫でながら、襞を労わるように優しく、しかし力強く入り口の付近を押し広げ、擦りたてる。  
どんどんと水位が増していく。溢れそうになる。もう天も地も分からない。  
いつしか唇は色が変わるくらい強く指を噛み締めており、左手はシーツを下のマットレスごと強く握り締めていた。  
おとがいが天を衝くように振り立てられる。白い喉がアーチを描く。唇から不意に漏れるくぐもった言葉、  
「……武、原、さんっ……」  
官能の波が一点を目指し収束する、跳ね上がる腰、  
「…………っっっ!」  
──まなじりからは、一筋の涙。  
 
 
翌朝。完全に寝不足だった。  
彼を汚してしまったような気がして、仁の顔がまともに見られない。  
原因は異なれど同じように寝不足で時折舟をこぐメイゼルの左薬指には、当てつけるようにおもちゃの指輪が。  
メイゼルちゃんがわたしがしたことを知ったらどう思うだろう。軽蔑するだろうか。  
俯いて、両手に包んだマグカップのトマトジュースを啜る。ただ時よ過ぎ去れと。  
しかし自己嫌悪真っ只中のやさしい魔女の葛藤など知る由もなく、小さな魔女は平然と地雷を踏みつけるのだ。  
メイゼルの発言で、朝食の話題が「サミュエル夫妻の寝室の電気が早く消えた件について」へとシフトする。  
微妙にうんざり風味の京香、指輪を嵌めた左手をだいすきなせんせの手に重ねるメイゼル、そしていろいろと大パニックなきずな。  
三者三様の女性陣の反応の中で、ひとり全く気付かなかったらしい仁の間の抜けた顔。  
テラスから差し込む朝日に照らされたその横顔に、不意に胸を打たれて。  
 
続くならば今よ続けと。奇蹟でもなく神にでもなく、ただ何かに向けてきずなは一心に祈っていた。  
 

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