とある芸能プロダクションの事務所。
ボサボサの髪をかき乱しながら、一人の男が頭を抱える。
担当するアイドルたちの数が少なく、仕事も滅多になかった時期には暇だ暇だと愚痴ってもいたが、人数が二桁を超えてからはそうも言っていられなくなった。
ましてや三桁を超えた今、一番の努力が必要なのは、彼に他ならず。
「あー!もう!事務所で何泊目だよ!」
男が限界だとばかりに吠える。
すると、彼の脇に控えていた美女――担当アイドルの一人だ――が小さく微笑む。
「たくさん勧誘したのは、Pさんですから……」
「美優さん」
ふわりと甘酸っぱい、柑橘の香りを纏わせた美女の微笑みに、プロデューサーは苦笑する。
「まぁ、そうなんですけどね」
「でも、根の詰めすぎもダメですよ?」
「詰めっぱなしですよ。風呂も事務所のシャワーで済ませてる始末ですし」
「……もしかしたら、くさいって嫌われちゃうかも知れませんね…」
プロデューサーの背中を抱き締めながら、犬のように臭いを嗅いでいるアイドル。
ファンには見せられないよな、とプロデューサーは苦笑する。
「…プロデューサーさんの汗のにおい……プロデューサーさんが、頑張っているにおいなんですね…」
「美優さんは、甘酸っぱい香りがしますね」
「……美優って、呼び捨ててください……」
恥じらいと、それとは違う感情の混じった頬の紅。
三船美優のこの表情を見られるのは、世界でもたった一人だけという特上の贅沢。
「…美優」
「はい。プロデューサーさん……」
「……すまない、恋人らしいことを全く出来ないばかりか、アイドルなんてやらせてしまって…」
「私は……プロデューサーさんの側で、プロデューサーさんの力になれれば…満足ですから…」
「最高の恋人を持てて、俺は果報者だよ。世界中に自慢したいくらいさ」
三船美優の一番の微笑みも。
三船美優の一番の泣き顔も。
三船美優の一番の照れ顔も。
三船美優の一番の痴態も。
三船美優の一番の愛も。
全てを捧げられた男が小さく息を吐く。
「仕事が落ち着いたら、二人で旅行にでも行こう。美優と二人きりで、思い切り羽を伸ばしたい」
「私は、プロデューサーさんと一緒にいられれば……幸せですから」
恋人の髪を撫でながら、男は笑う。
最愛のアイドルに抱き締められながら、だれていた気を引き締める。
頼れるプロデューサーの顔になった恋人の横顔に、美優も優しく微笑んだ。