アイドル:高橋礼子  
 
 
「――今日の予定はこれで終わりです」  
 
 ぺらぺら、と手帳を捲っていた彼――プロデューサーの指がぴたっと止まって、今日のお仕事の終了をその口から伝えられる。  
 時刻は、既に時計の短針が11を過ぎた頃。  
 勿論、夜中の11時だ。  
 所属するプロダクションの事務所のため、私――高橋礼子は人目を少しだけ気にして、口元を抑えながら欠伸をした。  
 その様に、プロデューサーがくすりと笑う。  
 
「……笑ったわね?」  
「いえ、滅相もございません」  
「言葉がカタコトになってるわよ?」  
「ちゃんと日本語で喋ってるでしょう?」  
「……あの頃は、もう少し可愛かったのに」  
「礼子さんッ」  
 
 顔色一つも変えないままに私の追求を逃れようとするプロデューサーに、少しだけちらつかせる過去の話。  
 私より二つ年下であるプロデューサーは、何を隠そう大学の後輩だったりする。  
 しかも同じサークルの後輩なもんだから、大学入り立てでおどおどしていた頃のプロデューサーが懐かしい、などという話は、彼にとって恥ずかしい話でしかない話を、私はよく知っていた。  
 あの頃は可愛かったなあ、なんて言えば、今も可愛いと言えるほどに赤面するプロデューサー。  
 歳の割には少しだけ甘い顔立ちは年下のアイドル仲間達にも評判で、彼に想いを寄せる子も多いと聞くが、そんなプロデューサーを知っているのは私だけ、なんて少しだけ優越感。  
 年甲斐も無い自らの思考に少しだけ落ち込んで、でも少しだけ嬉しくて。  
 夜も遅いから送ります、なんて片付けを始めたプロデューサーの背中をぼうっと眺めながら、私はもう一度、くすりと笑った。  
 
「? ……何、笑ってるんですか?」  
「いえ……そうね、ナンデモナイワヨ?」  
「……何でカタコト、なんてことは聞かないでおきます」  
「あら、つれないのね。お姉さん、寂しいわ」  
「どう見ても俺で遊ぶ気満々の顔してますが?」  
「てへっ、ばれちゃった」  
「……」  
「な、何よ?」  
「いえ……」  
「何なのよ?」  
「……あの頃と同じで、礼子さんは可愛いなあと」  
「なッ」  
 
 私が笑ってることを不思議に思ったプロデューサーの言葉に、お返しとばかりに態とらしいカタコトの言葉。  
 けれど、付き合ってくれない彼に少しだけ膨れて涙の物真似を見せてみれば、今度はじろりとした疑いの視線に、ちょっと気圧されてしまう。  
 ……本当に、あの頃は可愛かったのに。  
 新入生らしい初心、子供から大人になり損ねたような容貌に、当時の同期――彼にとっての先輩は、みんなこぞって彼を可愛がった。  
 大学デビューを目論むような感じではなく、ありのまま大きくなったそんな彼が、人気者になるのにさしたる時間はかからなかった。  
 男の同期には色々と悪い遊びに無理矢理付き合わされていたみたいだし、私を含めた女の方からも、散々に彼を面白がって、弄り倒した。  
 冗談交じりで迫ったことなど一度や二度ではないが、その度に顔を真っ赤にして逃げていった彼を思い出すと、また笑いがこみ上げてくる。  
 だと言うのに、なんとまあ可愛げの無くなったことか、とプロデューサーを見る。  
 歳を取ったことによりそれ相応に落ち着きが出てきたみたいで、その顔立ちも少年であったあの頃と比べると、随分と大人になってしまったようだ。  
 今もそう、けろりと息を吐くように世辞を吐くプロデューサーに驚愕していると、そんな私を無視して戸締まりを済ませた彼は、事務所の扉に手をかけた。  
 
「あっ……あー、雨降ってるし」  
「ん……。あら、本当ね。明日の明け方くらいから降るって言ってたから、早まったのね」  
「そう見たいですね……まあ、俺は置き傘置いてますけど」  
「……私、置いてないわね」  
「……」  
「……」  
「俺の傘使って下さい」  
「……一緒に入って行きましょう? 私とあなたの家、確かそんなに離れていない筈でしょ?」  
「確かにそうですけど……ちょ、礼子さんッ?」  
 
 がちゃり、と扉を開けた向こう、ざあざあ、と降りしきる水音に雨だと知る。  
 事務所に帰ってきた時は降っていなかったことから、この数分――色々とプロデューサーで遊んでいたために十分以上になるが――で降り始めたのだろう。  
 明日の天候も明け方から雨と予報であったしただ早まっただけ。  
 そう考えていた私の耳に、プロデューサーの傘という単語に、あっ、と声を上げた。  
 あっ、と声を上げて――ふと思いついた考えに、不意に顔が熱くなる。  
 顔が熱くなって、紅くなってるんだろうな、なんて考えて。  
 気付いた時には、紅くなっているであろう顔を見られないように、腕を取る形でプロデューサーを引っ張っていた。  
 
◇◇◇  
 
◇◇◇  
 
「……けっこう振ってるわね」  
「……そう、ですね」  
 
 いつもは11時を過ぎた時間でも人通りの絶えない街中は、雨が降っているからか、殆ど人通りが無かった。  
 ざあざあ、と降りしきる雨は屋根を打ち、コンクリートを打ち、道路をアスファルトを打って音のカーテンを造り上げていた。  
 車道を走る自動車が水たまりを切り裂く音だけが、私とプロデューサーの間に――二人で入っている傘に潜り込んだ。  
 
「それにしても助かったわ、それなりに大きな傘で」  
「……小さかったらどうするつもりだったんですか?」  
「その時はその時よ。どちらかがコンビニにでも傘を買いにいけばいいだけの話だし」  
「……別に今回もそれで良かったんじゃ?」  
「あら、もったいないじゃない。……それに――」  
「……それに?」  
「――ううん、何でもない」  
 
 相合い傘、なんて一体何年ぶりだろうか。  
 ここ最近では記憶になく、大学を卒業してからのことに思いを馳せてみても、これもまた記憶にない。  
 一体いつが直近だったか、なんて思いを馳せようとしていると、ついつい口に出そうになる言葉に慌てて口を閉じる。  
 ……少しでもあなたと一緒にいたかったなんて、言える訳ないじゃない。  
 閉じた口から飛び出そうになった言葉を頭の中だけで処理をすると、熱くなる顔に雨が降っていて良かった、なんて。  
 雨によって冷えた空気が、暗くなった夜が、紅くなった私の顔を隠してくれた。  
 
 思えば、大学の時の私はあまりプロデューサーと親しかった訳ではない。  
 大学の後輩、サークルの後輩、ただそれだけだったと言っていい。  
 男友達や女友達などは、人なつっこい笑顔の彼を大層気に入って、可愛い可愛いと言っていた気がする。  
 自分で言うのもなんだが、大学当時から大人びていた私にとって、彼の笑顔を可愛いと思うことはあっても、ただそれ止まりだったことが懐かしい。  
 それでも、それを気にすることなく私の名を呼んで笑顔を見せてくる彼――若き日のプロデューサーは、ほんの少しずつだが私の中で大きくなっていたのだろう。  
 何事もなく大学を卒業して普通のOLになって。  
 ふと過去を懐かしもうと大学時代に思いを馳せてみれば、途中の記憶から浮かんでくるのは彼の笑顔ばかりだった。  
 初めて会った時、初めて名前を呼ばれた時、初めて見た彼の泣き顔、最後に見た卒業式での彼の笑顔――色々だ。  
 その時、私は初めてしったのだ、理解したのだった。  
 ――私は、自分でも知らない内に彼に恋をしていたのだ、と。  
 
 それを理解したときは後悔したものだった。  
 後悔して、泣いて、悔しくて、悲しくて、もう彼の笑顔が見られないのだと知ると、また泣いて。  
 今では若かった、なんて一言で片付けれそうな日を抜けて、私は大人になっていった。  
 彼の思いでを忘れようとした訳ではないが、徐々に記憶は薄れていって、私は色んな恋をした。  
 大人な恋、少しだけ危険な恋、アダルトな恋、色々だ。  
 そうして色々なことがあって、大人になって――そんな時、プロデューサーは再び私の前に現れた。  
 彼もまた、大人になっていた。  
 
 ……そうして、あれよあれよという間に私がアイドルになるなんて話になっちゃったのよね。  
 偶然、偶々、街中で出会ったプロデューサーは記憶の中よりも随分大人になっていて、けれどもその笑顔に変わったところは一つもなくて。  
 懐かしさと、ふと思い出した在りし日の恋心についつい話をしたい、と言った彼に付き合ったのが、私の運の尽きだったらしい。  
 大学当時からは想像も出来ないほどに口の良く回る彼に、いつのまにやらアイドルとしてスカウトされていた私が、今日の元凶だった。  
 とは言うものの。  
 そう考えて、ちらりと横を窺い見る。  
   
「ん? どうかしましたか?」  
「どうもしてないけど……傘、もっとそっちに寄せてもいいのよ?」  
「……別に、今のままで大丈夫じゃないですか?」  
「もう、そんなこと言って。あなたの肩、濡れてるのは分かってるのよ?」  
「うぐっ……ばれてました?」  
「呆れた……本当に濡れてたのね」  
「うっ……カマをかけたんですか……」  
 
 私より頭一つ分大きくなった身体は私の視界を遮るけれど、けれどそれでも分かることがある。  
 プロデューサーが置いていた傘は、それなりに大きい傘だとはいっても、さすがに大人が二人はいるには小さい感じでしかない。  
 普通に考えれば私の肩の辺は雨に濡れてもおかしくはないのだが、けれど、濡れるような気配は本当に少ししかない。  
 時々、ぱらぱらと打たれる程度なのだ、不思議に思わない方が――プロデューサーを疑わない方がどうかしていた。  
 そうしてみれば、私のカマかけに見事に引っかかる彼に、ついつい溜息が零れてしまう。  
 どきんっ、と。  
 まるで初心な少女のようなことを考えついてしまった思考が発した熱を逃すためのものであることが、ばれないようにと願いながら。  
 ……駄目だな、私……やられちゃってるわ、これ。  
 きっと私が濡れないようにと気を使ってくれたのだろう。  
 なんたって私は――自分で言うのも何だが――アイドルなのだ、身体が資本で、売り物なのだ。  
 雨に打たれて風邪を引かないように、というプロデューサーの配慮を受けるべき身なのだ――が、一人の女性として私はそのプロデューサーの行動にどきどきしていた。  
 大人の対応、けれど少しだけ覗かせる少年のままの心。  
 ばれたことによる照れ笑いが向けられて、そんな笑顔でさえ、どきんっと胸が高鳴ってしまうという事実に、ああ本当にやばい、と熱くなった身体を冷ますように息を吐く。  
 
「……でも、礼子さんを濡らす訳にはいきませんからね。俺はこのままでも大丈夫ですよ」  
「でも、あなただって身体が資本でしょう? そこは私と変わらないじゃない」  
「礼子さんが風邪を引けば大問題ですが、俺が風邪を引いてもさほど影響は出ないでしょう?」  
「私が困るわ。私が悲しいもの……」  
「礼子さん……」  
「だから……これでどうかしら?」  
 
 ああヤバイ、本当にやばい。  
 そんなことを思いながら、それでも決心を鈍らせないように出来るだけ冷静を装いつつ、プロデューサーの腕を取る。  
 ぴくんっ、と反応するプロデューサーの動きに合わせるように、ゆっくりと、けれど確実に自分の腕を絡ませた。  
 どきんどきん、と高鳴る鼓動が伝わってないだろうか、なんて変に緊張してしまう。  
 
「……ファンに見られたら大変なことですよ?」  
「あら、別に少々は構わないでしょう? 私のファンになる人なんて、アダルトな雰囲気が好きな人ばかりでしょうし」  
「それは……そうかもしれませんが……」  
「それに……」  
「はい?」  
「優しいプロデューサーさんと傘の中とはいえ腕を組みたいと思う私の女心は、駄目なものなのかしら?」  
「……………………駄目じゃありません」  
「ふふ……良かった」  
 
 だから、振りほどかれたりしないということに、私は内心で安堵した。  
 それどころか、雨に濡れないようにとプロデューサーが組んだ腕に力を入れるのを、どうしても嬉しいと感じてしまっている。  
 ……この感覚、随分感じていなかったわね……老けた、ってことなんでしょうけど……。  
 けれども、この歳になって少女のような恋心を胸に抱くとは思っていなくて、その感覚が実に心地よくて、ふと零れた笑みが、私の心の中を温かくさせていった。  
 
 また君に恋してる。  
 以前よりもずっと、これまでよりも深く。  
 それを認めるように、私はプロデューサーと組んだ腕に力を込めた。  
 
 
「ふふっ……これからもよろしくね、プロデューサーさん?」  
 
 
 
(また、君に恋してる)  
 
 
 
「……本当に、大学時代から変わらない……。そんなんだから、俺は……」  
「……? 何か言った?」  
「いえ、何も言ってませんよ」  
 
 

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