アイドル:安部奈々、渋谷凛、三村かな子、大槻唯、諸星きらり、高垣楓、向井拓海、千川ちひろ、日下部若葉
何か、夢を見ていた気がする。
ふわふわとした雲のような、何処か綿あめのように甘い、そんな夢。
夢の中身は朦朧としていて、覚束ないようで、記憶に残るものではない。
これは夢だ、と自覚する夢は明晰夢というらしいが、果たしてこの夢はそれなのか否か。
そんなどうでもいいことを感じていると、浮き上がっていく意識がざわめきと人の気配を感じる。
「……」
「……」
「……」
まるで風が通り抜けるようにただ音でしかなかったざわめきも、ある程度意識が浮かぶとそれは人の声として捉えることが出来る。
ざわめきの中、恐らくは幾人かの人が発したであろう声に聴き覚えを感じた俺。
そういえば、昨日――というより、今日と言った方が正しいか――は家に帰らなかったことを思い出す。
午前にレッスンに付き合い、午後からは営業回りとCD発売の販促、またレッスンに付き合ってアイドル達を売り出すための企画やらCD制作
のための起案やらを纏めて。
気付いた時には既に4時で、家に帰るのも面倒くさいと思った俺は事務所のソファで仮眠を取ることにした。
8時ぐらいにはちひろさん(早川ちひろ、俺の所属するプロダクションの受付的存在)が来るから、来たら起こしてくれるようにメモも書いた。
朝飯はコンビニでいいだろう、と考えながら寝たのは記憶に新しい。
しかし、と思う。
先ほど聞こえた声にちひろさんの声は無かった、むしろ、俺が担当するアイドル達の声だった。
頭の中に疑問符が飛び回る。
飛び回るが、身体が寝ている状態では今の状況も、ちひろさんの存在も、アイドル達の状況も分かることはない。
未だ眠りたいという本能を意識で無理矢理押さえつけた俺は、目を覚ますことにした。
「……プロ、デューサー……ッぅ?!」
「……ん、おお、奈々か。なんだ、起こしてくれたのか?」
「……」
「ふぅわぁぁぁ……むにゃ。ん、どうした? 起こしてくれたんじゃないのか?」
「……あ、えと、その……はい。おはようございます、ご主人様」
「いや、俺プロデューサーなんだけど……まあ、いいか。中々新鮮な目覚めだったよ」
目を覚ますと、ばちっ、と目があったのは安部奈々であった。
東京から電車で1時間ほどのウサミン星(笑)出身の面白くて可愛いところがある彼女は、どこで仕入れたのか分からないいつものメイド服を着て俺の目の
前――本当に目と鼻の先に顔を置いていた。
ソファで寝ていたということを考えても、俺の顔を覗き込んでいたような体勢である。
永遠の17歳(本当に17歳なのは履歴書から知っているが)とかウサミン星とか言動はいろいろあれな子だが、その実、メイド服を着る通りに意外と世話
好きだということを俺は知っている。
俺を起こす直前に声をかけるために顔を近づけていたのか、と勝手に判断して俺はソファから身体を起こした。
「……ん? 何だ、みんな来てたのか? あれ、ちひろさんもいるじゃないですか。起こしてくださいってメモしてたのに」
「え、ええ……すみません、プロデューサーさん。よく眠ってらしたので、起こすのも悪いかと思いまして……」
「ふうん、まあ別に構わないんですが……って、まだ8時30分も来てないじゃないか。あれだ、なんでみんないるんだ?」
「……私は、CDの販促で何か問題が無かったかなっと思って」
「……その、私は凛ちゃんと同じなのと、あと、チョコレートケーキを作ったんでみんなで食べようかなと思って」
「唯ときらりんはそのかな子ちゃんに呼ばれてだよ」
「そのと〜り〜。おっす、Pちゃん、ばっちしにょ〜」
「……布団代わりのスーツが吹っ飛んだままですよ、プロデューサー」
「……来てちゃ悪いのかよ」
肩を回せばごきごきと音が鳴り、首を動かせばばきぼきと身体が軋む。
骨と骨の間の軟骨か何かしらに出来た空気の膜が割れている音なんだぜ、と誰ともなしにどうでもいい知識を頭の中に浮かべつつ、俺は何故か事務所に顔を
のぞかせていたアイドル達に視線を動かした。
渋谷凛、CDデビューを目前に控えた少女は、その販促が気になって。
三村かな子、凛と同じくCDデビューを前にした少女は凛と同じ理由なのと、その手に持つ白い箱の中身を目的として。
大槻唯と諸星きらり、彼女達はそんな三村かな子に誘われて。
高垣楓と向井拓海、この二人はよく分からない。
他にも。
甘いコーヒーを飲みに来ただけだよ、と東郷あい。
あいさんに連れられて、あ、甘いこーひーを飲みに、です、と日下部若葉。
その二人が来客用のソファでコーヒーを啜りながら声を上げていた。
「コーヒーは如何だい、プロデューサーくん? 眠気覚ましにブラックで一杯」
「あっ、ありがとうございます、あいさん……」
「ん、何だい?」
「いや……なんか、機嫌良くありません?」
「おや、中々いいところに気付いたね。それとも何だい、そんなに細かいところに気付くぐらい、きみは私のことを気にかけてくれていいるのかい?」
「当然ですよ。あいさんのプロデューサーですよ、俺は。それぐらい気づきますって」
「……やれやれ。細かいところに気付いても、鈍くてずれているのは相変わらずか」
「酷い言われようだ……ん?」
ことり、と奈々が持っていた盆にあいさんがコーヒーを置くと、僅かばかりにカタカタと音を立てながら運ぶ奈々。
メイド服とその様が実によく似合っていて、ありがとう、なんて自然と笑えば、何故かだんまり。
機嫌が悪いのかな、なんて、女の子特有の機嫌か、なんて思ってみれば反対にあいさんの機嫌は良さげだった。
機嫌がいいということに気付かれたのがまた嬉しいのか、普段よりも二割増しに笑顔が輝くあいさん。
この笑顔にやられました、という女性からのファンレターが多いんだよな、なんてことを思いつつコーヒーを飲めば、ふと気づく違和感。
こくり、こくり。
二口、三口飲んでみても僅かに感じる違和感に、俺はつい、と自身の唇に触れた。
「ッ……?!」
「ッ?!」
「っ!?」
「なッ……?!」
「ぅぅッ……」
「……」
「……おやおや」
「ぐぅッ」
「にゅふふー」
「にへへー」
「ん……何だみんなして?」
途端、みんなの視線が俺に集まるのを感じる。
息をのむのもいれば、無表情のままこちらを見るもの、にやにやと笑みを浮かべるものなど、様々。
凛、かな子、奈々、若葉、何故かちひろさんまでがまるでどうしようといった感じでこちらをちらちらと窺っているし。
拓海は何でこんなことに、なんて頭を抱えながら苦悶しつつもちらちらとこっちを見てくるし。
あいさんときらり、唯は何故だかにやにやと、それでいて実に楽しそうに嬉しそうに笑うものだから、俺としては訳が分からないままだ。
何があった、と聞いてみても返ってくるのは何でも無いの一言。
訳が分からないままに、まあいいか、と俺はもう一口コーヒーを含んだ。
やっぱり違和感を――ブラックのコーヒーを甘いと感じる。
おかしい、と思う。
あいさんがカップにコーヒーを注いでくれた時、確かに彼女は砂糖やミルクを入れた形跡は無かった。
備えられていたスプーンでコーヒーを混ぜてみても異物感は無いし、そもそも、ミルクを入れたように白く濁ってなければそれも当然だ。
とすれば、コーヒーを淹れた段階で砂糖を混ぜていたのだろうか、と思う。
だが、それは無いだろうと当たりをつけた。
あいさんはコーヒーはブラック派だ、それを曲げたところは見たことないし、そもそもとして彼女が淹れたコーヒーならブラックが当然であると言えた。
とすれば、やはりコーヒーはブラックなのだろう、それを甘いと感じたことに俺はまた違和感を覚えた。
もしやすれば以前に飲んだ時に洗い残しがあっただろうか、と思うが、ここまでくればもはや原因を探ることは不可能に近いだろう。
洗い残しまで考慮してしまえば、色々な可能性が浮き出てしまうからだ――。
――そこまで考えて、俺はふと思い立つものがあった。
自分の唇を舐めるように、舌を動かしてみた。
「はぅッ……きゅう」
「ふふ……若葉くんが第一号か。プロデューサーくん、君も中々に罪作りな男だね」
「はぁ……何が何だかさっぱり分かりませんが」
「それで結構。もしきみが思い至るのだとすると……私としても、少々羞恥が勝るからね」
「余計に訳が分かりませんが……」
「ふむ……まあ、一言だけ言わせてもらえるならば、そうだな……この鈍感」
「ええー……」
ぺろり、と唇を舐めれば、味わうは甘い味。
砂糖でも付いているのか、と触っても何も無く、余計に謎は深まるばかり。
寝る前に何か飲んだっけ、と思っても返ってくるのはお茶とコーヒーの記憶ばかり。
いよいよ分からなくなった俺は、まあいいか、と諦めることにした。
「まあいいや、コーヒーのお代わりくれるか、奈々?」
「はい、分かりました……この鈍感」
「今日のきらりの仕事は何かなー、にょわー楽しみにょわー、この鈍感」
「ちっ、くそッ……この鈍感」
「鈍感」
「鈍感は土管にでも潜っててください、プロデューサー」
「何このいじめ」
だというのに。
コーヒーを飲んで今日も頑張るか、と気合をいれようとした俺を襲う、鈍感という言葉。
鈍感、敏感の反対語、感じ方が鈍い、または気が利かないという意。
鈍感という言葉が持つ意味を頭の中から引っ張り出すも、アイドル達が俺に対してその言葉を使う意味が分からない。
挨拶は……したようなしてないような、まさかコーヒーの味か、美味いか不味いかを言えってのか、インスタントコーヒーの味を。
散々にいじめられながらも今日の予定を確認しておくか、とちひろさんに視線を向ける。
少しぽーっとしたように唇を抑える彼女の姿。
「ちひろさん、今日の予定を一応確認しておきたいんですけど?」
「……」
「ちひろさーん? もしもし、聞こえてますか?」
「……」
「……大丈夫ですか、ちひろさん?」
「えっ? ひょわぁッ?! 何ですか、この鈍感ッ」
指を軽く動かして唇の形をなぞるちひろさんに声をかけるも失敗、気づかれない。
紅くした顔で唇を押さえながら何処か嬉しそうなちひろさんに声をかけるも再度失敗、気づかれない。
ひょいっと顔を覗き込むように声をかけると反応有り、気づかれたが顔が赤いままに身体を離される。
嫌われているのだろうか、とちょっとへこんだ。
「……仕方ない、仕事行くか。かな子、唯、営業回りに行くぞ」
「は、はいっ」
「うん!」
「凛ときらりと奈々はボイストレーニング。あいさんと楓さんと拓海はダンスレッスンな。トレーナーさんには頼んであるから」
「承知しました、ご主人様」
「分かった」
「にょわー、おすおすばっちし」
「ふふ……心得た」
「……鈍感が入った土管がどっかーん、ふふ……分かりました、プロデューサー」
「ちっ……ったく、しゃあねえな」
「あっ……えと、その……いってらっしゃい」
それでも、まあ。
声をかけた時にみんながみんな笑顔を向けてくれるのだから、嫌われては無いのだと思う……多分。
アイドルになってみないか、なんて俺が声をかけた面々がトップアイドルを目指すだなんて、少し嬉しいのだけれど。
先ほどまでの余所余所しい空気ではなく、アイドルらしい前を向いたような雰囲気に自然と笑みを零していた。
シンデレラを夢見る少女達、それを助けるのは魔法使い。
俺の立場だな、なんて一人感慨にふけながら、俺はかな子と唯を待つことなくアイドル達の合間を縫って扉を開けた。
「それじゃあ……行ってきます」
◇◇◇
ちなみにではあるが。
あれから後、アイドル達が挙動不審な行動をしていた理由を、俺は終ぞ知ることが無かった。
しかしながら、ただ一つだけ言えることがある。
あれからというもの、事務所に泊まり込んだ時には甘い綿あめのようなものを食べる夢を見るようになった。
ふわふわとした雲のような、甘い甘い綿あめ。
寝起きのコーヒーにはその味が残っているかのように甘い味を感じ。
それでいて、頭を抱えながら鈍感と罵られる。
目を覚ませば誰かしらの顔が目の前にあるというのも、中々に新鮮で、男として言えばちょっと嬉しかったりする。
初めは奈々、先日は凛、この間はちひろさんだったけれど。
今日は一体どんな甘い夢を見るのか。
誰が起こしてくれるのだろうか、なんて思いながら。
俺は今日も眠っている。
「……やっぱりキスしたら、ばれちゃうんじゃないかな」
「でもなぁ……こいつだし」
「言えてる。何かされてることすら気づいてないかもね」
「まあまま、別にいんじゃない。それで、今日は誰からいく? 唯からでもいい?」
「きらり、最初にしたーい」
「ちょ、ちょっとみんなっ。静かにしないとプロデューサーさん起きちゃうよッ?」
「ぷろでゅーさー、さん……ちぅ」
「あっ、ちひろさん、ずるいッ」
(アイドル達の、甘い甘い秘め事)