アイドル:本田未央  
 
 
 
 アイドルなんて簡単簡単、なんて思っていなかったと言えば嘘になる。  
 トップアイドルなんて難しいものじゃない、なんて思ったことは絶対の秘密だ。  
 歌を唄えば友達に褒められて、誰々あのアイドルより上手じゃない、なんて持ち上げられて。  
 見よう見まねでダンスを踊ってみれば、凄い上手いだとか格好いいなんて褒められて。  
 元気よく愛想よく愛嬌よく。  
 笑って明るくトップアイドルを目指していれば、いつかは叶うんじゃないかな、なんて思ったりもした。  
 けれど。  
 
「それじゃあ、今日のオーディションLIVEで優勝したアイドルにインタビューしてみましょー」  
「あ、あの、みなさん、応援してくれてありがとうございます! わ、私、これからも頑張るのでよろしくお願いします!」  
 
 現実は、あまりにも非情だ。  
 とあるLIVE会場のステージ脇、その暗闇の中から光輝くステージ上を見つめながらそんなことを思う。  
 私より一つ下の緩くてふわふわした雰囲気を持つ女の子が、私が参加していたオーディションLIVEの司会者からマイクを渡されてしどろもどろで答えていく。  
 私ならこう言うのに、とか。  
 私ならもっと笑顔で答えるのに、とか。  
 どうしようもない、どうすることも出来ない感情がぐるぐると胸の中を渦巻いて、それがちょっともやもやしてて。  
 これまでどれだけ抱いてきたか分からない感情に嫉妬という名前が付く前に、私――本田未央はステージ上を振り返ることなく控室へと脚を進めていた。  
 
◇◇◇  
 
「よっ、未央。お疲れさん」  
「あっ……プロデューサー」  
   
 控室で橙色を基調とした可愛らしいステージ衣装から学校の制服に着替えてLIVE会場を後にすると、黒のスーツを着た細見の男性――私のプロデューサーが手を上げて声をかけてくる。  
 地元の千葉からたまたま東京に出てきた時に、これまたたまたまアイドルにならないか、なんて一歩間違えれば犯罪の匂いもしそうな声をかけてきたままの格好で、いやになるほど涼やかな表情だ。  
 というか、黒色の同じようなスーツしか見たことが無いので、正確に言えば声をかけられた時の格好では無いような気もするが。  
 一度聞いてみたところ、黒なら汚れても気にする必要が無い、だなんて、本当に芸能界の人かこの人は、と思うようなことを聞いたのは記憶に新しい。  
 まあ、それはともかく。  
 胸に渦巻くもやもやがばれないように、私は平静を装いつつ口を開いた。  
 
「え、えへへ……ごめん、また落ちちゃった」  
「そっか。うん、まあ仕方無いな」  
「……怒んないの?」  
「ん? 別に、今までも怒ったこと無かったろ?」  
「……うん」  
 
 なんだ怒られるのが趣味とか言い出さないよな、とプロデューサー。  
 そんな訳ないじゃん。  
 そう答えてはみたものの、怒られたりした方が気が楽になるのに、なんて感傷。  
   
「今回はたまたま未央が選ばれなかった、ただそれだけだろ」  
「……そうかな」  
「需要と供給ってな。たまたま向こうさんが期待してた子がいただけの話だ」  
「そっか……」  
「……なんだ、納得してないのか?」  
「そういう訳じゃないけどさー……」  
「顔に書いてある」  
「うそ?!」  
「冗談に決まってるだろ」  
   
 けらけらけら、といつもと変わらない笑顔を見せてくれるプロデューサーに、ふっと少しだけ心が軽くなる。  
 もやもやもやもや、とした黒い何かは消えた訳じゃないけれど、それでも、その笑顔に少しだけ光が差した気がした。   
 分かっている。  
 これはプロデューサーなりの励ましだ、と。  
 ぷんすか、と怒る――ふりをする――私にすまんすまんと全然心のこもってない謝罪のプロデューサー。  
   
「すまんかったって。な、機嫌直してくれよ、未央?」  
「むー……新しい服買ってくれるなら、いいよ?」  
「……安いシャツとかだけでもいいか?」  
「えー、どうしようっかなー」  
 
 あそことかー、あれとかー、最近出来たあそこにも行ってみたいよねー。  
 おいおいおいおい、ものの見事に高いとこばっかりじゃねえか、頼むよ給料日前なんだよ。  
 えー、どうしようっかなー。  
 棒読みで答えた後に、別に冗談だけどね、と答える私に、助かるよ未央、なんてプロデューサー。  
 女子高生としては年上の社会人に色々と奢ってもらったりもしたいものだが、まあ、このぐらいで許してあげるかな、と。  
   
「……それにしても、どうだった、今日のLIVEは?」  
「……落ちたって話をしておいて、いきなりそれ聞く、普通?」  
「これでも未央のプロデューサーだからな。締める時はきっちりしないと」  
「……んと……」  
「うん」  
「……私、トップアイドルになれるのかな?」  
 
 やっぱりみんな凄かったよ、私ももう少しだったんだけどな。  
 そう口にした後に。  
 そう口にしたと思い込んだ後に、自分の耳に飛び込んできた自分の声が、全く思い描いていたものと違って、あっやばい。  
 そう思った時にはすでに遅くて。  
 言葉と想いが逆だった、なんて誤魔化すことも出来ずに、私の口はすらすらと、いっそ何でさっきのLIVEの時にこれが出ないのかなんて思うほどに、言葉を紡ぎだす。  
 
「……年下に負けちゃったの。一つ下の子。緩くて、ふわふわで、近所の公園を散歩して写真を撮るのが趣味な、そんな子」  
「うん」  
「ファンの人が優しい気持ちになれるような、微笑んでくれるようなアイドルになりたいって……そんな子だったの」  
「うん」  
「……凄いんだよ、ファンの顔、全員覚えてるんだって。実際にさ、アピールの時に来てたファンの人の名前を答えたりしてさ……」  
「うん」  
「…………ああ、トップアイドルになる人ってこんな人なのかなぁって……何でか、思っちゃった」  
「うん……」  
「トップアイドルになるなんて、私には無理かな、なんて思っちゃったの……」  
 
 ああ、一生懸命押さえつけていたのに。  
 黒いもやもやをどうにか一人で処理出来ると思っていたのに。  
 プロデューサーはずるいと思う。  
 ずるくて、卑怯で、非道で、悪賢くて……それでも優しくて。  
 一人で抱え込もうとした想いに気付いてくれた、なんて思ったりするほど、その顔はどこか優しい。  
   
 えへへ、と口癖のように笑ってみても、口から出てくるのは何処か空虚な笑み。  
 プロデューサーが優しいもんだから、黒いもやもやに押し出されるように涙が一筋流れた。  
 私にはファンの顔を覚えるようなことは出来ないし、しようとも思ったことが無い。  
 自分が元気で明るくいればいい、なんて、自己のことしか考えていない私にとってそれは当然のことだった。  
 ただ元気なだけな、普通の人より少しだけアイドルになりたい、って気持ちが強かっただけの、普通の女の子。  
 それが私だ、と否応なしに気付かされて、一粒、また一粒、と涙が頬を伝っていった。  
 
「……プロデューサー、あの、ね、私、私ね……」  
「……未央はさ」  
「ぐすっ……」  
「元気で明るいアイドルになりたい……そう言ったよな?」  
「ひぐっ……うん」  
「元気で明るく笑ってさ、歌って踊って……俺はさ、そんな未央のファンなんだ」  
「……」  
「未央が元気なら俺も元気が出てくるし、未央が明るければ俺も気分が上がる。未央が笑ってくれれば、俺も楽しくなって、嬉しくなって、笑うんだ」  
 
 それに、とプロデューサーは言った。  
 それに、俺の中で未央はトップアイドルなんだ、俺は未央のファンで、俺の中で未央はトップアイドルで。  
 だからさ、未央の泣き顔も可愛いけれど、俺は未央に笑っててほしいんだ、元気で明るく笑う、トップアイドルの笑顔を、俺は見たい。  
 
 ああ、本当にプロデューサーはずるい。  
 アイドルを止めたい、そう私が言うであろうことは話の流れから分かっているだろうに、それでも私に優しい言葉をかけてくれる。  
 その言葉が嘘か本当かなんて、私には分からない。  
 これでいて意外と冷たいところもあるし、プロデューサーからすれば私は商売道具に近い、その全てを信じるには少々疑問が残るかもしれない。  
 だけど。  
 けれど。  
 いつのまにか俯く形で涙を流していた私の顔を覗き込むように優しい笑みを浮かべるプロデューサーになら、騙されてもいいか、なんて思ってしまうのは。  
 その言葉を信じてもいいか、なんて思ってしまうのは。  
 プロデューサーのためだけにアイドルしてもいいかな、なんて思ってしまうのは。  
 彼の中でずっとトップアイドルとしてありたい、なんて願ってしまうのは。  
 プロデューサーと一緒にトップアイドルを目指したい、なんて想ってしまうのは。  
 ――ああ本当にずるい、プロデューサーにそんなこと言われてしまえば嫌が応にも元気が湧いてきてしまうというのに。  
 
「……プロデューサーって」  
「うん……?」  
「ずるいですよね」  
「……そうか?」  
「その確信犯的な顔がむしょーに腹立つ時があります」  
「む。中々イケてる顔だと思ってるんだが」  
「……殴っていいですか?」  
「遠慮しておくよ」  
 
 さて、飯でも食いに行こうか。  
 奢ってくれるんですか?  
 安いラーメンならいいぞ。  
 女子高生にラーメン勧めるんですか?  
 嫌ならいい。  
 行きます、行きますって。  
 
 ぐすっ、と一度だけ鼻をかんで、袖で涙を拭う。  
 現金だな私、なんて思ったりもしたが、これが私だ、本田未央なのだ。  
 元気で、明るくて、トップアイドルを目指す私。  
 その横で私を導いてくれるプロデューサーがいるのだ、めそめそと泣いている場合じゃない。  
 
「……もし」  
「はい?」  
「もし本当に疲れたら、その時はハンカチぐらい貸してやるよ」  
「……そこは胸じゃないんですか?」  
「なんだ、貸して欲しいのか?」  
「はい」  
「……えらい素直だな」  
「元気で明るく素直なアイドルを目指そうと思いまして」  
「そうか……いいことだ」  
 
 私は完璧じゃない。  
 歌も踊りも喋りも、普通の人より少しだけ上手な、普通の女の子。  
 元気で明るい普通の女の子が、元気で明るくて素直なアイドルを目指すなんて。  
 そんなシンデレラストーリー。  
 きっと悪くない。  
 
「ねえ、プロデューサー?」  
「ん、何だ?」  
 
 シンデレラに必要なのは、手を伸ばしてくれる魔法使いと王子様。  
 普通な私とアイドルを目指してくれる魔法使いなプロデューサーと。  
 アイドルを目指す私に元気をくれて、一緒に歩いてくれる王子様なプロデューサー。  
 二人一役、ほら完璧。  
 そんな完璧に心に力が湧いてきて、黒いもやもやを吹き飛ばして、私の足取りを軽くする。  
 プロデューサーを追い抜いて、くるりと回って。  
 さっきの泣き顔とは違う、出来る限りに元気で明るい、そんな笑顔で。  
 私は――。  
 ――これからも、トップアイドル目指します。  
 
 
「私がトップアイドルになるまで、ちゃーんと面倒みてねっ。えへへ〜、これからも力を合わせて頑張ろーっ!! 」  
 
 
 
(元気の裏側、見せるのはあなただけだから)  
 

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