アイドル:島村卯月
シチュエーション:風呂上がり、シャンプー、髪
おかしいな。
なんでだろう。
どうしてこうなった。
色々な感情が私――島村卯月を占めるが、そんなことを考えても答えが返ってくる筈もない。
「卯月の髪、さらさらだな。やっぱりあれか、手入れとかするのか?」
「は、はい……リンスとかトリートメントとか……その、色々と」
「ふーん……俺はシャンプーだけだからよく分からないな」
リズムよく頭にかかる負荷に、そうだ冷静になろう、と現状の理由を思い出してみる。
歌唱レッスンに続きダンスレッスンをこなした、それはいい。
春も陽気な日において、ダンスレッスンをこなしたら汗をかいた、これもいい。
汗をかいたから流そうと思ってシャワーを浴びた、そこも問題無い。
同じようにダンスレッスンで汗をかいたアイドルの仲間達がドライヤーで髪を乾かし合っている、これも問題無い。
たまたま電源が足りなくて、仕方なく空くのを待っていた私に混乱の元凶――プロデューサーが声を掛けてきた、そうだこれが問題なんだ。
なんだ卯月、まだ髪乾かしてないのか。
はい、プロデューサー、ドライヤーの電源が空いてなくて。
ふーん、なら俺の所の電源使うか、そうだ、なんなら俺が乾かしてやるよ。
なんてやり取りの後、気付いた時には私はプロデューサーの前に座らされていた。
「それにしても、やっぱり女の子の髪って柔らかいんだな」
「そ、そうですか……?」
「うん。ふわふわで柔らかくてさらさらだ。俺とは大違いだな」
「あ……ありがとう、ございます」
なんだこの人、本当にプロデューサーか。
いつものキリッとした声と表情とは違う、何処か甘く、何処か柔らかい雰囲気に調子が掴めない。
湿っていて少しだけ引っかかる髪にドライヤーの温風と、櫛の感触が感じられる。
時々プロデューサーの手で髪を梳かれるものだから、私は顔を紅くしながらなされるがままだった。
トキメキなんてものじゃない、どきどきと高鳴る鼓動がすぐ後ろにいるプロデューサーに聞こえてはいないだろうかと不安になる。
きっと顔だけじゃなくて耳まで真っ赤だろうな、気付かれていないかな、なんて。
「んー……」
「……どうしたんです、プロデューサー?」
「いや……今日は柑橘系のシャンプーかな、と思って」
「よく分かりましたね。私のお気に入りなんですよ」
「へえ、卯月も好きなのか」
「……私も?」
「ああ、俺も好きなんだ、柑橘系の香り。いい匂いが卯月からしてくるから、髪を乾かしてる俺も嬉しくて」
「ッ」
けど、いつまでもどきどきしている訳にはいかない。
一つ二つ深呼吸をして、いつもの調子を掴もうとする。
けれど、不意なプロデューサーの言葉についついそれも崩れてしまう。
……本当に、この人は私の知っているプロデューサーなんだろうか、と怪しく思えてしまう。
顔を向けなくても、にこにことプロデューサーが笑っているのが分かるほどの陽気な声。
すっ、すっ。
まるで愛しむように柔らかくて暖かくて甘い手付きで髪を梳かれて、どきどきは一向に収まる気配がない。
「卯月の髪って、これ少し曲げてるのか?」
「ふぇ? な、何ですか、プロデューサー?」
「いや、卯月の髪って少し曲げてるのかって……」
「あっ、はい、その……私、少しだけくせっ毛で髪の先が跳ねるんです。なので」
「なるほど。その先だけ少し曲げてるのか」
「はい」
「俺も曲げた方がいいのか?」
「い、いえ。朝した分で一日もつので、そこまでは……」
「そっか」
ちりちり。
髪の先がプロデューサーの指で弄られているのが感触として伝わる。
髪の先まで触覚がある筈無いと思っていたが、そうでは無かったらしい。
髪の先を弄っていたプロデューサーの指が優しく私の髪を梳いていくと、自然とそう思えた。
春の陽気で、うとうと、ほんわり、少しだけ甘い日常。
居心地の悪くない空気に甘えていると、ふと感じる、居心地の悪い視線。
それに気付いた私は、ふと身を震わせた。
「あっ、悪い。ドライヤー、冷たかったか?」
「い、いえ、そんなことはっ」
「うん?」
「えと、その……そのままで、お願い、します……」
「はは、了解」
プロデューサーのことは嫌いじゃない、むしろ好きな部類に入る。
キリッっとして少しだけ厳しい声と表情も、LIVEバトルで勝った時に見せる嬉しそうな表情も、私――や他のアイドルを褒めてくれる時に見せてくれる笑顔も、今みたいな時に見せてくれる優しい表情も。
初めは、ただの男の人だった。
次に、私をアイドルにならないかと言ってスカウトしてくれた人だった。
その次に、一緒にトップアイドルを目指すプロデューサーになった。
気付いた時には、その姿を目で追うようになっていた。
――恋をした、なんて、一言では言い表せないような、そんな感情を抱いていた。
まあ、何が言いたいかと言うと。
そんなプロデューサーだから、私以外にも色々な感情を抱いている子は一杯いるのだ。
羨ましそうにこちらを見る妹とそれを宥めながらも自身もこちらを気にする姉な、城ヶ崎姉妹。
クールな表情で一人黙々と髪を乾かしながらもこちらをちらちらと窺っている、渋谷凜。
まるで大好きなお菓子を目の前におかれたような物欲しそうな顔をしている、三村かな子。
私もして下さいと言いたそうな顔をしては思いとどまっている、綾瀬穂乃香、神谷奈緒。
次は自分だとばかりにうずうずしている、諸星きらり、大槻唯。
まあ、その他にも一杯。
みんながみんな、乙女の表情をしてこちらを見ていた。
「ふむ……卯月ってさ、髪長いよな」
「えっ? ええ、まあ……それがどうかしたんですか?」
「いや、LIVEバトルの時に髪を二本に纏めたら印象が違って見えるなって」
「……一本を二本に、ですか?」
「うん、そう」
「……多分ですけど、ゆかりちゃんと被るんじゃないかな〜と」
「……そういえばそうだな」
まるで思い出したかのように声を上げるプロデューサーに、くすっと笑みが零れる。
ゆかりちゃん――水本ゆかりは、私より年下でフルートを吹くのが上手なアイドルの女の子だ。
吹奏楽部なんて文化系の部活動をしていたにも関わらず、体力的な面だけで言えば私より優れている女の子でもある。
ついこの間、大きな音楽番組で本格的なアイドルデビューを果たしたばかりで、私としてはちょっと、ほんのちょっとだけ嫉妬を抱く。
彼女に嫉妬しても恨んでも全く意味がないので、ほんの少しだけなのだが、そんな私の感情を知ってか知らずか、じゃあどんな髪型がいいかな、なんて悩むプロデューサー。
デリカシーが無いのなんて、もう諦めてる。
「そういえば、さ」
「はい?」
「卯月はどんな衣装がいい? 本格的なアイドルデビューの時」
「……え?」
「卯月達がダンスレッスン中にさ、電話があって。今度お願いできませんかって」
「……本当、ですか?」
「俺が嘘言ったことあるか?」
ある、あるじゃん、あるじゃねえか、日常だよね、むしろ存在意義。
プロデューサーの言葉に、色々な子――可愛い衣装を無理矢理着させられた子達の声が、事務所に響く。
おいおい濡れ衣だぞ、なんてプロデューサー。
そんな後ろからの声に気付くことなく、私はさっきの言葉を頭の中で繰り返していた。
アイドルデビュー。
小さなLIVEバトルとか、イベントの時のアイドルなんかじゃない、ファンの前で歌を唄って踊って、ファンのみんなと一緒に夢を叶えようと思えるアイドル。
そんなアイドルに、私がなる?
「……もし」
「うん?」
「もし、アイドルになれるなら……その」
「うん」
「……私らしい、衣装がいい、です」
「うん、分かった……頑張ろうな」
「ッ……はいっ」
どきどきが、胸を占めていく。
ときめきが、この身を埋めていく。
不安だとか緊張だとか、そんなものを今は感じることもなく、ただただ、柔らかいプロデューサーの声によって感情が持ち上がっていく。
どんな衣装がいいだろう、どんな衣装が着たいだろう、なんて考えた時、やっぱろ私らしい衣装が着たいな、なんて思ったりもする。
凜ちゃんも奈緒ちゃんも、拓海さんだってみんなぶつぶつ言いながらも凄い似合っていて、ああ、やっぱりプロデューサーなんだなあって感心したりもした。
そんなプロデューサーに私らしい衣装を選んで欲しい、プロデューサーが選らんだ衣装で私はアイドルをしたい。
プロデューサーと一緒なら私はどこまでもアイドルでいられる、なんて。
彼と一緒なら私はどこまでも私でいられる、なんて恋する乙女のような思考みたい、と思いつつ。
私は――。
――顔が紅いだろうな、なんて思いながら振り向いてプロデューサーに笑顔を向けていた。
(どんなに顔が紅くても、あなたには笑顔を見て貰いたいから)