アイドル:神谷奈緒  
シチュエーション:髪梳き  
 
 
 どきん、どきん、と胸が喧しいぐらいに高鳴る。  
 アイドルとしてスカウトされた時とか、初めてLIVEした時とか、CDデビューが決まった時よりもずうっと、大きな胸のときめき。  
 なんでこんなことしてんだあたし、と思いつつも、心の奥底では楽しみにしていたのだ、と認めるのが恥ずかしくて、低いうなり声。  
 そんなあたしの葛藤など気に掛けるふうでもなく、あたしの後ろに座っている男――プロデューサーは声を発した。  
 
「さて……そろそろいいか、奈緒?」  
「ひぅ……ちょ、ちょっと、待てよ。もう……するのか?」  
「もうするのかって……そりゃそうだろ、このままだと奈緒が風邪ひくだろ?」  
「それは、その……そうなんだけどさ……もう少し、雰囲気ってものが……」  
 
 雰囲気、その言葉を自らの口で放って、その意味に顔が熱くなる。  
 何言ってんだよあたしは、と自らの言葉に若干後悔しつつ、あたし――神谷奈緒は覚悟を決めてプロデューサーの行動を待つことにした。  
 どきん、とか、ばくん、とかそんな音では形容出来ないほどに高鳴る鼓動。  
 緊張、恥ずかしさ、後悔。  
 色々な感情が高鳴る鼓動に混じって胸の中を占めていく。  
 あまりの鼓動の大きさに心臓が口から飛び出しそうで、この鼓動が後ろに座るプロデューサーに聞こえやしないかと別の意味でもどきどきする。  
 うー、なんてうなり声をあげてみても状況が変わる訳でもない。  
 ふわり、と軽く触れるような感触が髪から伝えられて、あたしは声を上げていた。  
 
「ひゃっ」  
「おっと、悪い……痛かったか?」  
「い、いや、そういう訳じゃないけどさ……」  
「んー、まあ、すまん……もう少し優しく触ることにするよ」  
「う、うん……ん……」  
 
 シャワーを浴びて湿った髪が、少しだけ持ち上げられるのを感じる。  
 プロデューサーがあたしの髪に触れてるってだけで凄い緊張してるのに、その指があたしの髪の確かめるように動くもので、その動きが髪を通じて伝わってきて、あたしとしては余計に緊張が強くなってしまう。  
 なんてこんなことになったんだろう、なんて思ってみても、意外と答えは簡単なものだ。  
 営業回りの帰りに急な雨に降られてびしょ濡れで事務所に辿り着き、シャワーを浴びたら髪を乾かしてやろうとプロデューサーが言ったから。  
 なるほど、実に簡単だ。  
 簡単なら回避することは余裕だったように思われるが、急な雨で濡れて冷えた身体をシャワーで温めてほっとしていたところに乾かそうか、なんて言われたものだから、ほっとしたままつい反射的に答えてしまったのだから、どうしようもない。  
 どうしようもないったら、どうしようもないの。  
 
「ふうん……」  
「……なんだよ、意味有り気な声出しやがって」  
「いや、ちょっとね……」  
「だから、その意味有り気なのが気になるんだって」  
「いや、その、なあ……奈緒の髪って、随分ふわふわしてるんだなっと思って」  
「な、なあッ?」  
 
 かちっ、ぶおー。  
 ドライヤーから渇いた音が響くと、髪と頭に感じる温かい風。  
 その風にのるように動く櫛に頭がわずかばかりに動かされて、その動きが別段不快に思えない不思議。  
 むしろ心地いい、なんてどきりとするような感情を表に出さないようにしてみれば、プロデューサーの言葉に自然と漏れ出てしまう。  
 なんだよ、なんなんだよ、ふわふわの髪って。  
 そりゃ確かにあたしの髪はまとまりがなくて、雨の日とか湿気た日には凄いことになるけどさ。  
 まるで爆発したような髪のあたしに向かって、それを強調することないだろうに、と少しだけ拗ねてみる。  
 気にしていることを突っ込まれるのは心に悪い。  
 むぅ、と口を尖らせてみる。  
 
「ふわふわふわふわ」  
「……何だよ、喧嘩売ってんのかよ」  
「へ? なんで喧嘩?」  
「だ、だって……あたしの髪、雨でぼさぼさだし……」  
「あー……あれか、湿気で爆発するタイプか、奈緒の髪は」  
「そうだよ、悪いかよ」  
「いや、悪いわけじゃないけどさ……」  
「……何だよ?」  
「奈緒の髪、甘い匂いがしてふわふわで綿菓子みたいな、砂糖菓子みたいな髪で俺は好きだよ」  
「……なッ、なななななっっ」  
 
 鏡が正面にあるわけでもないのに、あたしは自分の顔が真っ赤になっているだろうな、なんて容易に想像する。  
 ぐぼんっ、と身体中の熱が顔に集まったような感覚に熱を感じ、髪にあてられるドライヤーの熱が逆に涼しく思えてくる。  
 確かに雨に濡れた髪は放っておくと痛むからってシャンプーを使ったけどさ。  
 ななななななんだよ、さ、砂糖菓子って……あぅ、恥ずかしいことを言うなよな……。  
 さらに高鳴る胸の鼓動に合わせて身体が揺れているような錯覚を覚える。  
 胸の鼓動が肺から空気を押し出して、何でもないけど声を上げたい気分。  
 いま歌えばいい感じかもしれない、なんて思っていると、ドライヤーの風に合わせてシャンプーの甘い香り。  
 綿菓子、砂糖菓子、なんて単語が不意に頭の中に流れて。  
 その言葉がプロデューサーの声で再生されて、再びぐぼんっ。  
 
「ふふーん、ふふーん、ふーん」  
「……何でそんなにご機嫌なんだよ」  
「んー……奈緒の髪を弄るのが楽しいから」  
「うぐぅ……」  
「あ……奈緒は嫌だったか、髪を弄られるのは?」  
 
 落ち着けあたし、そうだ落ち着け、クールだ、クールになるんだあたし。  
 少しだけ引っ張られる頭が揺れるままに、あたしはプロデューサーにばれないように静かに深呼吸。  
 別にばれたとしても問題はないのだが、なんとなくイヤだった。  
 そんなふうに落ち着こうとしているあたしが怒ったと思ったのか、ふと途切れるドライヤーと髪の感触。  
 あ……。  
 それに少しだけ寂しいと思ってしまって、それを認めてしまうことが何だか悔しくて。  
 あたしはついつい本心とは別に口を開いてしまう。  
 
「別に……イヤ、じゃない」  
「……続けてもいいのか?」  
「……まだ髪乾いてないし……今止められたら、あたし風邪ひいちゃうかもしれないし……その、なんだ、仕方なく、だからな……」  
「ああ、分かった。奈緒は嫌々だけど、俺が弄ってるから仕方なく任せる……それでいいんだよな」  
「そう、それで良いんだよ……ただ、なんだ……もう少し、優しくしてくれた方が……」  
「ん……了解」  
 
 口にして思った。  
 別に本心と違う訳じゃないし、なんて。  
 それもまた認めてしまうことがなんだか悔しくて、ついつい逃げ道を用意してしまう。  
 それに乗ってくれるプロデューサーが嬉しくて、何だか恥ずかしくて。  
 けど。  
 顔が熱くて(あかくて)振り向けないけれど、きっとにこにこと笑っているプロデューサーを想像してみて、ふわっと軽くなる高鳴り過ぎていたあたしの心。  
 さっきまでの乾かそうとしていた手つきとは違う、慈しむように、愛しむようにと動く手つきがやっぱり恥ずかしくて、けれど温かくて。  
 ほっこりと落ち着いてしまう空気に、ふわりと漂う甘い香りと髪を梳く音。  
 それと一緒に漂う言葉に出来ない、したくない感情に、甘い香りと甘い味。  
 ああ、やばいなぁ……ずるいよ、プロデューサー。  
 なんて思ってみても、当の本人は気付くことはない。  
 
「……」  
「……」  
「……」  
「……」  
 
 気付いて欲しい、気づかないで欲しい。  
 そんな感情に名前は無くて、けれど確かな想いはあって。  
 甘い甘い、あたしを包み込む香りと空気がそれを表しているみたいだ。  
 ありがとう、なんて声に出さずに気持ちを抱いて。  
 感謝してる、なんて想いを感情に描いて。  
 アイドルにしてくれて、あたしのことを見てくれて――あたしのことを見守ってくれて。  
 今はまだ駆け出しだけど、いつかはきっと。  
 だからそれまでは――。  
 ――よろしく頼むね。  
 
 
 
「……プ、プロデューサー……」  
「ん……どうした?」  
「えと……その……」  
「ん?」  
「い、一回だけしか言わないからな……。プロデューサー、いつも……あり、がと  
「……ぷっ。くくく……はっはっはっはっ」  
「あ、このっ…笑うなよな…………ばか…」  
 
   
(紅く染まったこの顔を、いつか見せるその日まで)  
   
 

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