「ふう……」  
 
白いバルコニイの柵に浅く腰掛けると、百合子はゆっくりと息を吐いた。  
僅かに潮の香りのする新鮮な空気を吸い込むと、ピンと張り詰めていた気がゆるむのを感じる。  
 
この三階建ての邸宅からは、黄浦江がよく見えた。  
月の光に小船の白い帆がゆらゆら浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。  
広い海に浮かぶ頼りなげなその帆船を見て、百合子はまるで自分のようだと思った。  
 
真島に連れられて日本から遠く離れたここ、上海までやってきた。  
いや、連れられ、というのは違うかもしれない。  
百合子が連れて行って、と言ったのを彼は叶えてくれただけだ。  
 
真島はそれ以来、百合子をとても大切に扱ってくれている。  
それは彼女にもはっきり分かっていた。  
 
事実、真島はいつも決まって百合子を大切な商談の場へと伴った。  
今日も表向きは英国人の貿易商の夜会に招かれた形だが、  
その実、真島は裏で招かれた商人達と大規模な阿片売買の密約を交わしているのだ。  
上海に彼女が来てからずっと、真島はいつも重要な取引の場に百合子を伴った。  
……大切な、家族として。  
 
百合子は、確かに真島の家族になりたかった。  
だがそれは彼の妻になりたかったのであって、妹になりたかったのではない。  
けれど、それは自分のもくろみが外れただけだ、と今の百合子は分かっていた。  
彼の肉親への情を、あのときの自分が勝手に異性への情と勘違いしただけなのだ。  
 
「馬鹿ね……」  
 
百合子は寂しそうにぽつりとつぶやいた。  
長いまつげに縁取られた瞳が、夜の海のように潤む。  
家族を捨て、身分を捨て、それまでの安穏とした生活すべてを捨てて、身一つで男に付いてきた。  
でも、その男は決して自分を異性として愛してくれない。  
 
「本当に、馬鹿だわ……」  
 
だが、百合子は真島に惹かれる思いを止められなかった。  
……彼が、血を分けた兄と分かっても、なお。  
 
夜ごと彼に抱かれる妓女に焼け付くような嫉妬を覚えながら、百合子はまるでその気持ちを埋める様に、裏で必死になって彼を支えてきた。  
自分の代わりはいない。  
彼にとって、役に立つのは……彼に必要とされている女は、自分だけなのだと思おうと。  
真島に頼まれたのではない。  
ただ、彼女は闇の阿片王と呼ばれる真島に対するどんな小さな裏切りも許さなかったし、彼のためには汚いこともやってきた。  
それは、ただ百合子が一途に彼を愛しているからだ。  
真島に敵対する相手にどんなに冷酷な行動をとっても平気なのは、彼が百合子にとっての世界のすべてだからだった。  
 
けれど今日のように美しい夜は、百合子の心を過去の世界に舞い戻らせた。  
借財はあったが、あたたかな家族に囲まれ、幸せに暮らしていた昔の百合子へ。  
まだ何も知らず、不安に胸を痛めながらも、真島への恋心を告白をしたあの誕生日の夜へと。  
 
けれど唐突に後ろから伸びてきた手に、一瞬にして百合子のその想いは打ち破られた。  
 
「やっと会えたな……お姫さん」  
「……!」  
 
百合子は声にならない声を、慌てて両手で押さえ込んだ。  
仕立てのいい黒い背広に身を包んだ偉丈夫。  
上海の夜。白い大理石の床に黒い革靴で立っていたのは、斯波だった。  
 
「ずっと、ずっと……あなたを探していた」  
 
興奮にかすれた声が百合子の耳を打つ。  
 
「ずっと……」  
 
むき出しの素肌を捕まれた腕にぐっと力がこもった。  
その力に驚いて顔を上げると、彼は泣きたいような笑いたいような複雑な顔をしていた。  
 
(どうしてこの人が、ここへ?)  
 
百合子は混乱した。  
斯波は、最後に会ったときよりも少し痩せているようだった。  
だが、百合子をつかんだ指はもう二度と放さない、というように細かく震えながらも強く百合子を捕らえていた。  
真島とは違う日に焼けた頑丈な指。  
その圧倒的な男の力に、彼女は脅えた。  
 
「放手!(放して!)」  
 
とっさに中国語で話すと、斯波の手から離れようと身をよじる。  
 
「下手な茶番はよせ、お姫さん。姑娘(中国娘)ごっこか?」  
 
陶酔を破られたかのように、斯波は目をしばたたいた。  
だが皮肉げな台詞を口にしながらも、決してその手を百合子から放そうとはしない。  
 
「放手!我不知道・是誰(放して!誰よ、あなた)」  
「是我。斯波……我找・找得很久(俺だよ、お姫さん……。あなたをずっと、ずっと探してきた)」  
 
感情のこもった声。  
その流暢な中国語に百合子は暴れるのをやめ、押し黙った。  
これ以上しらばくれるのは無駄だと悟ったのだ。  
 
「……」  
「なんだ?もう良いのか?」  
 
可愛い瞳でにらみつける百合子に、やっと余裕を取り戻したのか、斯波はその白い歯をこぼした。  
 
「しかし、相変わらずだな、あなたは……」  
 
うれしさを堪えきれないと言ったように満面の笑みを浮かべて、斯波は百合子を見た。  
そして深い夜色の旗袍(チャイナドレス)に包まれた柔腰を抱き寄せると  
 
「いや、ますます魅力的になった」  
 
ぎゅうと力を込めて百合子を抱きしめた。  
小さな百合子の体は、すっぽりと斯波に抱きしめられてしまう。  
あたたかな腕。  
夜気に冷やされた百合子の体を、斯波は力強い腕で包み込んだ。  
 
「や……」  
 
彼女は必死に斯波の胸を押し返そうとするが、その頑丈そうな胸はびくともしなかった。けれど、百合子のそんな抵抗を気にもとめず、斯波は彼女の首元に首を埋めた。  
そして百合子の甘い香りを肺いっぱいに吸い込むと、強い憧れのこもった口調で言った。  
「ああ……あなたはまるで美しい蝶だ」  
 
彼のうっとりと吐き出した温かい息が、一本に結い上げて無防備になった首筋の後れ毛を揺らした。  
夜会に呼ばれた楽団がせつなく美しい音楽を奏で、室内から漏れるガス灯の光がゆらゆらと二人に光を投げかける。  
 
「探して探して。あなたをずっと追い求めて……やっと捕まえたと思ったら、篭からするりと逃げていく」  
 
男らしく筋ばった指が、百合子の纏っているなめらかな絹衣の上をゆっくりと滑る。  
ひんやりとした生地の上を撫でる指に、百合子はまるで火傷しそうなほどの熱さを感じた。  
未だ純潔だが、夜ごと違う女をその手に抱く真島を思って枕を濡らす百合子には、刺激が強すぎたのだ。  
 
「だが、もう二度と逃がさない」  
 
斯波の榛色の瞳が決意に強く光った。  
 
「お姫さんは俺のものだ……」  
 
口づけをしようと迫ってくる顔。  
燃えるような情熱を秘めた真摯な瞳に、真島から女として拒絶され続けた百合子の心が僅かに揺れた。  
だが次に聞こえてきた冷ややかな声に、一瞬にしてそれは元に戻る。  
 
「おやおや、俺の大切な妹に手を出そうとは、命知らずな馬鹿がいるものですね」  
 
ふたりきりのバルコニイに突如現れた出現者に、斯波は百合子の腰を抱いたまま、ゆっくりと振り返った。  
そこには、まるで百合子と対のように黒い中国服を纏った真島が、しなやかな黒豹のようにに立っていた。  
腕を組んでたたずむ彼の唇には余裕の笑みが浮かんでいたが、その目の奥には隠しきれない冷たい怒りの炎が燃えていた。  
 
「やはりな、お前か。真島」  
 
確信の篭もった口調で、斯波は短く言った。  
 
「あれ、いつかどこかで見た、馬鹿な成金に似た奴ですね……」  
 
言っていることとは正反対に、さわやかな笑顔で真島は言葉を返した。  
だが、その瞳は全く笑っていない。  
憤怒の表情こそ表に出さないものの、いつもやわらかな声はまるでいま、氷の様に冷たかった。  
 
「お前が百合子さんをかどかわしたんだな」  
「かどかわしたとは、またおかしな事を言いますね。俺は自分の妹をここに一緒に連れてきただけですよ。ねぇ?」  
 
斯波の台詞を馬鹿にしたように笑うと、真島は百合子に向かって首をかしげた。  
その所作で、つややかな真島の髪がさらりと音を立てる。  
 
「そうよ、彼を悪く言うのはやめて!私が勝手に付いてきただけなのよ」  
 
呪縛が解けたように、百合子はとっさに真島に駆け寄ろうとしたが、斯波にしっかりと腕を捕まれていて、できない。  
 
「妹……?」  
 
斯波は理解できない、と言ったように眉間に深くしわを寄せると、真島の顔をじっと見た。  
 
男にしては綺麗に整った優美な顔。  
そこに何を見つけたのか、見つけなかったのか  
 
「まぁそんなことはどうでも良い」  
 
すぐに気を取り直したようにさばさばと言った。  
 
「あなたがこの男の妹だろうが、何だろうが、かまわない。俺はお姫さんをここから連れ出す。婚約者と、夫としてな」  
「そんなこと、私はぜんぜん望んでないわ!」  
 
百合子は必死に噛みついた。  
彼女の望みは真島とずっとずっと一緒にいることだ。  
それ以外に、ない。  
 
「だが、あなたはちっとも幸せそうじゃないか。いや、むしろ不幸そうだ」  
 
彼女はその言葉にたじろいだ。  
それと同時に、真島の瞳には斯波に対する憎しみの色が浮かんだ。  
 
「あなたに何がわかるんです?」  
 
氷点下にまで下がった冷たい声。  
目線だけで人が殺せるなら、斯波はこの瞬間殺されていただろう。  
けれど斯波はその視線をものともしなかった。  
彼が見つめているのは、追い続けているのは、百合子だけだった。  
 
「一目見ればわかるさ。……この憂いを秘めた瞳。細くなった頬の線。そして……」  
「やめて」  
 
まるで斯波に隠していたものをすべてむき出しにされてしまいそうで、百合子はそれ以上言わせまいと口を挟んだ。  
 
「あなたには関係のないことでしょう?」  
「いいや、大いにあるさ。なんといっても俺は、お姫さん。あんたを追いかけてはるばる大陸にまで渡ったんだからな」  
 
斯波は百合子をじっと見つめると、わずかにその相好を崩した。  
少し尖った八重歯がその口からのぞく。  
そうすると、彼の顔は子供のように腕白になった。  
 
「どうしてそんなことまでするの?私にはそんな価値、もうどこにも残ってやしないわ。身分も、何も。……華族令嬢としての私はとっくに死んだのよ」  
「そんなもの、なんの関係もない。俺はあなた自身が欲しいんだ」  
 
一瞬にして真顔になると、斯波はなんの迷いもなくそう言ってのけた。  
 
「………………」  
 
なぜ彼がこんなに自分に執着するのが分からない。  
あの誕生日の舞踏会の日と、次の日に二度、会っただけなのに。  
自分の身分が目当てで無いとしたらなんなのだろう?  
百合子にはまったく見当が付かなかった。  
 
「……俺が欲しいのは、百合子さん。あなただけだ」  
 
斯波のきっぱりとした言葉に百合子はたじろいだが、それでも彼を諦めさせようとなんとか彼女は言いつのる。  
 
「あなたは知らないのよ、あの頃の私とは違うの!いまの私はなんと呼ばれているか……」  
「……闇の阿片王の片腕、氷の女帝?」  
 
百合子の声を遮るように、斯波は平然と声を重ねた。  
その唇には、余裕そうな笑みまでも浮かんでいる。  
 
「……知っているのなら、なぜ?」  
 
呆然とした瞳で自分を見上げた百合子に、斯波は苦笑した。  
百合子は気がつかなかったが、その瞳には隠し切れない思慕が浮かんでいた。  
 
「言ったろう?お姫さん。俺は何があってもあなたを諦めないと。……それに」  
 
いとおしそうに、強い憧れを込めた瞳で百合子を見る。  
 
「……あなたは何も変わっちゃいない」  
 
斯波はフッと笑って百合子の耳に口を寄せた。  
紙巻き煙草の香りと共に、温かい息が百合子の耳にかかる。  
 
「まだ、百合子さん、あなたは清らかなままだ……」  
 
その途端、百合子の頬がカッと羞恥に熱くなる。  
どうして分かってしまったのだろう。  
自分の顔にでも書いてあるのだろうか?  
百合子は混乱した。  
 
けれどそんな百合子の姿を見た真島は心底不快そうに、眉をひそめると  
 
「いい加減、百合子から離れてくれませんか」  
 
不機嫌さを全く隠そうともしない口調で、斯波に銃口を向けた。  
しかし、斯波は全く余裕を崩さなかった。  
 
「何でお前が兄を名乗っているのか皆目検討も付かないが。……なぁお義兄さん?あんた、ちょっと妹愛が強すぎるんじゃないのか?」  
 
その言葉に、一瞬大きくひるんだように肩を揺らした真島だったが、  
 
「ええ、大切な大切な妹ですからね……悪い虫が付いたら困るんですよ」  
 
銃口をぴたりと斯波に向けたまま、にっこりと綺麗な笑顔で笑った。  
 
「一番の悪い虫はお前だと思うがな」  
「きゃあっ!」  
 
月明かりに照らされて、黒く鈍い光を放つ銃。  
いつの間に取り出したのか、斯波の手には、真島と同じように銃が握られていた。  
 
「撃ったことがあるんですか?」  
 
互いに銃口を向け合いながらも、余裕の顔で真島は言った。  
 
「多少はな……。あまり上手とは言えんかもしれんから、命の保証はできんぞ」  
「大丈夫ですよ、心配しなくて。俺だったら確実に殺してやれます。まあ苦しませないとは決して言えませんが」  
 
冷え冷えとした会話に、百合子は大声を上げた。  
 
「馬鹿な事はやめてっ!」  
 
黒々と光る不吉な鉄塊に、百合子の全身が震えた。  
彼女の脅えた様子に、斯波は肩をすくめるとあっさりと銃口を下に下ろした。  
 
「ああ、すまないお姫さん。驚かすつもりは無かったんだ」  
 
慰めるように百合子に笑いかけると、ちらりと真島を見る。  
冷め切った瞳。  
その唇には百合子に向けたような笑みは全くなかった。  
 
「……まあいい。今日のところは引かせてもらいましょう。だが……」  
 
そう静かに言うと、斯波は素早く百合子を引き寄せた。  
え?と百合子が思った瞬間には遅かった。  
身をかわす間もなく、百合子の頬にあたたかなものが押しつけられる。  
やわらかなそれは、斯波の唇だった。  
 
「またすぐに求婚にうかがわせてもらいますよ、お義兄さん?」  
 
嫌みなまでににっこりと笑った斯波が手を放すと、百合子は頬を染め、慌てて彼女の保護者たる真島の元へ駆け寄った。  
 
「………………」  
 
無言で百合子の手を強く握ると、真島はその場から身を翻した。  
能面のような顔は、彼の底知れぬ怒りを感じさせた。  
 
「またすぐにあなたに会いに行く、お姫さん。……どこにいたって追いかけて、見つけてみせるさ」  
 
はははっと可笑しそうに笑う、斯波の声。  
二人はまるで罪人のように互いに手を取り合いながら、後ろから追いかけてくるその笑い声から逃げた。  
 
*****  
 
あれから車も使わず、無言で租界を歩いて帰宅すると、真島と百合子は居間の卓子に付いた。  
けれどその瞬間、真島は何かに気づいたように不快そうにきつく眉を寄せると、百合子を見た。  
 
「あの男の臭いがしますね」  
 
きつい眼差しに百合子の体がびくんと揺れた。  
斯波の、香り。  
オーデ・コロンと紙巻き煙草の香りは真島の甘い体臭とは反対に、苦く渋い大人の匂いがした。  
 
百合子が斯波のことを考えていることが分かったのか、真島は嫌みなほどに、ことさらゆっくりな口調で言った。  
 
「もしかしてあいつに揺れた?……俺にどこまでも付いていくと言いながら」  
 
驚きに目を見開いた百合子の姿に、形の良い唇が嘲笑するような形につり上がる。  
 
「俺のことが好きだと言っておきながら、他の男に求婚されると、ふらふらとそちらに行ってしまうんですね」  
「違うわ、でも、……真島はっ」  
 
百合子の瞳が泣き出しそうに歪むと、吐き出すように悲痛な声で叫んだ。  
いつの間にかその口調は、彼女が華族の姫君として暮らしていた当時のものへと戻っていた。  
 
「私の事なんてただの妹としか思って無いじゃないの」  
 
石の床にこすれて、木製の椅子が大きな悲鳴を上げた。  
倒れた椅子。  
立ち上がった百合子に、真島はその動きを一瞬止める。  
だが一呼吸置くと、彼はその唇に再び、ゆっくりと笑みをのせた。  
 
「だって、そうでしょう?それはしょうがない。あなたは正真正銘、血のつながった俺の妹だ。」  
 
黒く余裕たっぷりの声とは裏腹に、真島の瞳には一瞬、何か痛みを堪えるような色が浮かんだ。  
しかしそれもつかの間。  
 
「しかも、俺の血は薄汚い近親相姦の果てに生まれた、汚れた血だ。あなたの母親と、その兄である叔父の血が全身を醜く流れている」  
 
彼の、卓子の上で強く握った拳が激情にぶるぶると震える。  
 
「この呪われた血を誰よりも嫌っている俺が、まさか、自分の妹と同衾するとでも?」  
 
そう言って立ち上がった彼の皮肉げな顔は、いつしか泣き出しそうな顔へと変わっていた。  
 
「でも……」  
 
真島の心を思えば言うべきでは無いかもしれない。  
けれど、斯波の出現で、己の恋の成就を諦めきっていた百合子の心にまた息がふきかえってしまった。  
それは今まで、真島の相手をしてきた妓女達への嫉妬と相まって、恐ろしいほどの情熱で彼女の身を焦がしたのだった。  
積み重なった思いが、堰を切ったように口をつく。  
 
「私は……私はお前のことが好きなの。兄とではなく、男性として。どうしようもなく……!」  
 
体を貫いた衝動のまま、百合子は彼に抱きついた。  
途端、甘い甘い香りに包まれる。  
誰よりも恋い焦がれたその香りに、体温に百合子は何もかもを忘れてうっとりとした。  
だが  
 
「やめてください。吐き気がする」  
 
あっさりとそのぬくもりから引き離されると、代わりに両手首をつかまれ、無理矢理彼に向き合わされる。  
 
「やっ」  
「男性として?」  
 
真島の目が光り、彼女を射貫く。  
ぎりり、と手首に食い込む指の力に百合子は脅えた。  
だが、意に介さず怒気のにじむ口調で真島は続ける。  
 
「俺に抱かれたいんですか?自分の、兄に?」  
「……」  
 
兄妹だって、そんなの関係ない。  
抱いて欲しい。  
けれど、柳眉を逆立てて怒る真島の様子に、そして彼の不幸な生い立ちに、百合子はとてもそうだとは言えなかった。  
 
「俺に抱かれれば、満足?そうなの?……もと華族令嬢ともあろう人が、男に抱いてと乞うなんて、とんだ淫売ですね」  
 
馬鹿にしたように、端正な真島の顔が歪んだ。  
まるで自分を心底憎んでいるかのような声に、百合子は冷水を浴びせかけられた様な衝撃を感じる。  
 
妹として大切に思ってもらえればそれでも良い、と今まで思っていたのにも関わらず、耐えきれずに真島に愛を乞ってしまったのだ。  
斯波の出現に、ギリギリのところで踏みとどまっていた百合子の強がりはあっという間に霧散してしまった様だった。  
 
「でも残念ですが……俺はそんな畜生にも劣る行為しません」  
「畜生……」  
 
百合子は自分が汚らわしい、と真島に言われた気がした。  
耐えきれず、ぽろり、と瞳から涙の粒がこぼれる。  
 
一粒こぼれると勢いづいたのか一粒、また一粒、と滑らかな白い頬に真珠の様な珠が次々と転がった。  
暗い部屋の中、月明かりに照らされ、それは百合子の美貌と相まって幻想的な美しさを醸し出していた。  
 
「……あなたのことは好きです」  
 
妹の美しさから目をそらすようにぎゅっと瞼を閉じると、真島は絞り出すような声で言った。  
それには先ほどまでの力強さは霧散していた。  
そうして自分に言い聞かせるように、ゆっくりと真島は言った。  
 
「たった一人の妹として、大切に思っています。愛してさえいる」  
 
一度百合子の抱擁を拒絶した腕が、彼女の体にそろそろと回された。  
けれどそれはまるで彼らしくもなく、百合子に触れるのを怖がっているようにさえ見えた。  
 
「でも俺は決して。決してあなたを抱きません」  
 
きっぱりとした拒絶の言葉に、百合子の胸は止まってしまいそうになった。  
苦しくて、悲しくて、どうにかなってしまいそうだ。  
 
「わかったわ……」  
 
けれど彼女はこれ以上、自分が好いた男を苦しめたくなかった。  
思い切るように、大きく息を吸う。  
真島の香りに、肺が引き攣れるような痛みを感じた。  
 
「ごめんなさい、お兄様」  
 
真島と決別するために、百合子はあえて瑞人と同じように彼を『お兄様』と呼んだ。  
彼を諦めなければいけないのだ。  
今までは、想うのだけは、焦がれるのだけは、自由だった。  
けれどそれも、やめなければならない。  
痛みに指先が凍えそうに冷たくなる。  
 
「ごめんなさい……」  
 
そうして真島の腕を解くと、一刻も早くここから立ち去ろうと、百合子はドアに向かって小走りで駆けた。  
 
「……どこへ行くつもりなんです?」  
 
ところが両開きの扉を開ける前に、焦ったように後ろから腕を捕まれる。  
 
「どこへだって良いでしょう?」  
 
百合子はこれ以上みじめな泣き顔を見られないように、振り返らずに答える。  
 
どうして彼は止めるのだろう。  
百合子は今この瞬間、この場にいるのは耐えられなかった。  
完膚無きほど徹底的に拒絶されたのだ。  
悲しみにうまく息が吸えない。苦しい。  
彼女はその苦しみからただ逃れたかった。  
 
「他の男の元へなんて絶対に行かせません!」  
 
だが感情が高ぶったように震える怒声に、百合子の頭にかっと血が上った。  
その勢いのまま、真島に向き直る。  
 
「どうして?どうだって良いでしょう?お前にとって私は、ただの妹なんだから!」  
 
そうして真島に捕まれた腕をはずそうとよじると、涙腺が切れてしまったのか、涙が再びあふれ出してきた。  
けれど彼は頑として聞き入れようとはしない。  
 
「俺にはあなたを保護する責任があります」  
「私はもう大人だわ、兄の保護がいる年齢じゃないのよ。他の男と寝たっていいじゃない」  
 
押さえつけるように、早口で言われた言葉に、百合子はわざとすれた言い方を返した。  
 
「良いわけが無いでしょう」  
 
真島の顔が一瞬にして鬼のような形相になる。  
今にも絞め殺されてしまいそうだ。  
でも百合子はそれにも関わらず、言いつのった。  
 
「自分は絶対に駄目、でも他の男も駄目。だめだめばっかり」  
 
泣きすぎて枯れた声で百合子は耐えきれないように絶叫した。  
 
「私はお前の何なの?ただの都合のいい愛玩動物?」  
「あなたはあのとき、それでも良いと言ったはずだ。何でも受け入れると」  
 
静かだが怒気のにじむ口調。  
切れそうに冷たい視線が、百合子に突き刺さる。  
 
「確かに言ったわ。……でも、もう苦しいの。どうして良いのか、分からない」  
 
百合子はあえぎながら震える声で言った。  
 
「私は、お前が……っ、真島が、他の女を抱くのなんて、もう見たくないのだもの」  
 
百合子は、一度は止まっていた涙が再び頬に熱く流れてくるのを感じた。  
喉に焼き付くような痛みを覚える。  
 
「おねがい、もう、手を放して……」  
 
百合子は、依然として捕まれた腕を外そうと、彼の手に自らの震える手のひらを重ねた。  
「駄目です」  
 
だが、にべもなく断られる。  
 
「どうして……?」  
 
百合子は弱々しく聞いた。  
心が疲れ切っていた。  
涙がひりついた頬に染みる。  
 
「そうしたら、姫様はどこかに行ってしまう。……他の男に抱かれるつもりですか?あなたは俺に一生付いてくると言ったじゃないですか。一蓮托生だと誓ったはずだ」  
 
いつの間にか百合子にあわせて真島の口調も、彼が百合子の家の庭師としてやっていた頃の様に元に戻っていた。  
その痛みを堪えるような声音に、百合子は呆然とつぶやいた。  
 
「真島……」  
 
「逃げる?そんなこと、許せるわけがありません」  
 
彼の目が暗く光る。  
そして、やりきれない思いをぶつけるように、真島は目前の紫檀の扉を強く叩いた。  
細かく浮かび上がる彫りの文様がつぶれ、砕ける。  
その鈍い音に、百合子はとっさに目を閉じた。  
 
「きゃっ……」  
「ましてや姫様、あなたをあの成金に、他の男に取られるなんて、そんなこと。耐えられる訳がない」  
 
怒気をにじませた口調。  
彼は僅かに赤くなった手で百合子の前髪を掻き上げると、そのままその手をそっとなめらかな頬に滑らせた。  
 
「ねぇ姫様。あなたは一体どれだけ俺を苦しめれば気が済むんです?俺は昔から、必死にあなたを拒絶しているのに、それを全く分かっていない」  
 
今にも泣き出しそうな、切ない顔  
真島はまるで永遠に癒せない渇望を癒すかのように、百合子の頬を包んだ。  
 
「毎夜女を抱いても、思うのはあなたのことだけだ。  
本当に俺が抱きたいのは姫様、あなただけなんです。  
狂ってしまいそうです。あなたを手に入れたい。  
その髪も、唇も、肌も、寸分違わず俺のものにしてしまいたい」  
 
そう言って、まるで耐えきれない苦痛を感じたように大きく顔をゆがめると、百合子を抱きしめた。  
その強さに百合子の背骨がきしむ。  
 
「だけど、それは決してできないんです」  
 
静かな声。  
強いあきらめの口調。  
万力のような力で百合子の体にを締め付ける腕が、ゆるむ。  
 
「俺は、おぞましい近親相姦の果てに、巻き込まれて殺された両親のことを決して忘れることができない!」  
 
さっきとは対照的な、今にも血を吐き出してしまいそうなほどの悲痛な台詞とは裏腹に、真島の腕は再び百合子を強くかき抱いた。  
 
「俺はこの腐った血の呪いを忘れちゃいけないんだ……なのに」  
「んっ……」  
 
熱い唇が百合子のそれを塞いだ。  
柔らかな舌が彼女の口腔をめちゃくちゃに舐めまわる。  
だがその乱暴な動きでさえも、百合子に頭の芯がしびれるような甘い快楽をもたらした。  
胸が高鳴り、求められる幸福に体が宙にふわふわと浮かんだような気さえする。  
 
「ああ、まるで姫様は阿片だ。俺を甘く苦く誘惑する。  
どんなにやめよう、やめようと思っても抑えられない。  
一度その魅力を味わうと、永遠に求める心を、体を止められない。  
そして、気づいたときにはもうあなた無しでは生きられない体になっているんです」  
 
百合子を抱きしめながら、真島の体は激情にぶるぶると震えていた。  
 
「本当に、狂ってしまいそうだ。……どうして、どうしてあなたはそんなに俺を苦しめるんです?姫様」  
 
体に回された腕の力がいっそう強くなる。  
まるで泣いているかのようにくぐもった声に、百合子は真島の背中にその白く小さな手を回した。  
互いにこんなにも強く求め合っているのに、彼は最後の一線を越えられないと言う。  
それなら……。  
弱々しい、だが強い決意を込めた口調で百合子はきっぱりと言った。  
 
「もし、兄妹で体を重ねることが罪だと誰かが言うのなら、私がすべての罪を負うわ。  
……お前のこれから負う罪。  
お前を生んだお母様と、叔父様の罪。  
そして真島の両親を殺したお父様の罪も」  
 
後ろ手にまわった百合子の手が、さらさらと真島の頭を撫でる。  
 
「……もしお前がこれ以上罪の子を世に生み出したくないというのなら、私はその瞬間、身籠もった我が子と一緒に死んでも良い」  
 
死と言う単語に、真島の体が脅えたようにびくりと震えた。  
 
「地獄へ堕ちるのは私だけで良いわ。お前には誰にも何も言わせない、だから……」  
 
百合子をきつく抱きしめたまま、真島は首を横に振った。  
 
「もともと俺なんか、生まれ落ちた瞬間から極楽へ行けるわけがないんです。  
でもあなたは違う。  
こうやって俺の仕事を手伝っている今でも、あの男の言うとおり、変わらず白く純真だ。  
……だからあなただけは綺麗なままでいて欲しかった。  
この薄汚れた俺が手に入れた中で、唯一美しいものはあなただけだ。  
……それを、俺は汚したくなかった」  
 
小さく、震える声。  
百合子の首筋が、なにかひんやりと冷たいもので濡れた。  
真島は泣いているのだろうか?  
百合子はゆっくりと彼の心を解きほぐすように、ささやいた。  
 
「私はそんな事望んでなんていやしないわ。  
たとえどんな地獄の底だって、お前のためなら喜んで一人で身を沈める。  
……たとえ誰かに石を投げられても、真島に一度抱いてもらえたらそれで死んだって良いわ。  
……だって、私の心も体も、お前と共にいなければ、死んでしまっているようなものだもの」  
 
百合子は本気でそう思っていた。  
そのことが声音にも表れたのだろう。  
真島は、いっそうきつく百合子をかき抱いた。  
 
「ああ、あなたはそんなことしなくても良い。そんなこと、する必要がない。  
……分かっているんです。本当は誰よりも罪深いのは俺だと。  
あなたの本当の願いを知りながら、ずっと分からない振りをしていた。  
でも、あなたをそばに置きたくて。  
あなたを抱ける訳もないのに、他の男にやることもできず、こんなところにまで連れてきてしまった」  
 
真島の肩が震える。  
 
「……あなたが他の男に抱かれるのを想像しただけで、気が狂いそうになったからだ。  
もしそんなことになったら、俺は、相手の男も、姫様も、きっと殺してしまっていたでしょう」  
 
だからあなたをここへ連れてきたのだ、と彼は絞り出すような声で言った。  
 
「俺は狡いんです。そうしてあなたの願いを徹底的に封じ込めて。  
けれどその裏で実の妹に劣情を抱き、毎晩想像で汚す様な男だ……本当に救いがたい」  
 
そう言って百合子を見つめて笑いながらも、真島の頬は涙にしっとりと濡れていた。  
透明な涙が、幾筋も、幾筋も、彼の頬を伝う。  
 
「お前が救われないのなら、私も同じよ。それに……私は救われ無くったっていいわ」  
 
真島の瞳を、百合子は間近からまっすぐと見つめた。  
百合子の、自分とよく似た色の、でも正反対に澄み切った、美しい瞳。  
あなたといっしょなら、とその瞳でやさしくささやく彼女の姿に、真島は一度きつく目を閉じた。  
それは、まるで何かを思い切るための儀式のようだった。  
 
「……わかりました。俺と姫様は、これからは本当の本当に、一蓮托生です」  
 
そう誓うように口にして百合子を強く抱きしめると、その腕の力とは反対に、真島は彼女を優しく抱き上げた。  
彼に横抱きにされ、白い石造りの階段を登るごとに、百合子の胸の音はどんどんと強くなっていく。  
まるで、全身が心臓になってしまったようだった。  
喜びと期待と、そして少しの不安に、百合子は押しつぶされそうになる。  
 
そしてついに真島の寝室のドアをくぐると、彼は、百合子をまるで宝物の様に、そっと高足の寝台へと横たわらせた。  
朱色の格子の付いた窓から、冴え冴えとした月の光が漏れる。  
 
「好き……」  
「俺も、好きです。愛している」  
 
真島は百合子の髪を解くと、そのままゆっくりと覆い被さった。  
その動きに、二人の下で黒絹の上掛けがさらさらと鳴る。  
 
「本当は、ずっとずっとこうしたかったんです。出会ったときから。……もう、何年も、何年も前から。ずっと」  
「んっ……」  
 
真島はすべての箍が外れたように、抱きしめた百合子の唇を熱っぽく吸いながら、彼女の喉元にある金糸でできた釦を性急に外した。  
そして現れたきめ細かく白い肌に、彼は感嘆の声を漏らす。  
 
「ああ……なんて綺麗なんだ」  
 
百合子のふくらみを両手で持つと、彼はその片方にうやうやしく唇を寄せた。  
 
「ああっ……」  
 
赤く色づいた先端を口に含まれ、百合子の体はびくんとはねた。  
口中で硬くなっていく塊をゆっくりと舌でなぶりながら、真島の指がやわやわと彼女の胸を揉む。  
そうすると、その部分から、じわじわとしびれるような快感が、百合子の背中を駆け上った。  
 
「やわらかい……」  
 
そう微笑みながら言うと、真島はもう片方の頂に唇をつける。  
ぴちゃぴちゃという水音が石造りの部屋に響いた。  
真島の唾液で濡れたそこに、彼がふうっと息を吹きかけると、百合子の足の付け根が熱くなる。  
 
「ひゃっ……」  
 
もじもじと膝をすりあわせた百合子に、真島の唇が笑みの形を作った。  
 
「これだけで、もう感じているんですね。……百合の香りが強くなった」  
「そんなこと、言わないで……」  
 
百合子は恥ずかしそうにぎゅっと敷布を握ると、真島は白い歯をこぼした。  
 
「恥ずかしがる事なんて何もありません」  
「でも……ああんっ」  
 
服の下に差し込まれた手に脇腹を撫でられ、百合子の首がのけぞる。  
 
「感じやすいんですね、姫様は。……とても可愛いですよ」  
 
そのままするりと旗袍を脱がされ、ぴんと張った首筋を舐められる。  
 
「ああっ……」  
 
百合子は快感でおかしくなりそうだった。  
真島の触れるとこ、口づけるところすべて、溶けてしまいそうな快感が走る。  
これが普通なのだろうか。  
こうして真島の寝台で彼の甘い香りに包まれ、百合子はまるでこの月夜から切り離されて快楽の膜に包まれてしまった様な気がした。  
 
ぼうっとした悦楽に身をゆだねていると、いつの間にか、真島が彼女の足を大きく開き、そのすき間に頭を埋めようとしていた。  
 
「やっ……そんなとこ、汚い……」  
 
百合子はびっくりして彼から腰を引いた。  
 
その拒絶に、真島はゆっくりと顔を上げる。  
そして、耳まで真っ赤にして泣きそうな顔をしている百合子の頭を撫でた。  
切りそろえられた前髪。  
さらりと細くまっすぐな髪が真島の手で梳かれる。  
 
「姫様のここは全然汚くなんてありません。それに、房中の男女は皆こうしているんですよ」  
「そうなの?」  
 
疑うことを知らない無垢な瞳で、百合子は真島を見た。  
彼は百合子の頭を撫でたまま、安心させるようにその目を見て微笑むと、さらりと言った。  
 
「そうですよ」  
「お前がそう言うなら、本当ね。……我慢するわ」  
「ええ」  
 
よどみない言葉に、百合子は白い頬を真っ赤に染めながら、おずおずと膝を開いた。  
彼の言うとおりそうしたものの、百合子は恥ずかしくて、おかしくなってしまいそうだった。  
羞恥に膝頭が震える。  
その姿に、真島は笑って百合子の頬に唇を落とした。  
 
「大丈夫……きっと気に入りますよ」  
 
さらりとした髪が腹を撫でるのを感じながら、百合子はぎゅっと瞳を閉じた。  
 
「ひゃっ」  
 
くちゅ、という音と共に、恥ずかしい部分を舐められ、百合子の腰が浮かんだ。  
鋭い快感が、百合子の全身を貫く。  
 
「あ、あ……」  
 
真島の舌が翻るごとに、絶え間ない快楽が百合子を襲った。  
 
「ああ……こんなところも甘いんですね」  
 
うっとりとした真島の声が、どこか遠くから聞こえる気がした。  
耳が高所に登ったときのようにぼんやりとし、過ぎる快楽に百合子は息の吸い方さえも忘れてしまったような気がした。  
 
「あっあっ……ぁああっ…うぅうっ!」  
 
赤く尖った部分にそっと歯を立てられ、百合子は大きくあえいだ。  
 
「まるで、生まれ落ちたときから桃しか食べずにいるために、その体液がすべて甘く桃の香りを放つという桃娘(タオニャン)の様だ」  
 
ちゅうと強くそのひときわ敏感な部分を吸われ、百合子の背中が大きくしなる。  
 
「あああああああっ」  
 
突然目の前が真っ白になり、百合子は大きく叫んだ。  
痛いほどの悦楽に、四肢が散らばってしまいそうな感覚を覚える。  
怖い。  
怖い。  
気持ちいい。  
 
「ああ、もう気をやってしまったんですか?」  
 
だが責めるような台詞に、百合子は高みから引きずり下ろされたように、快楽の涙で睫を濡らしながら唇をわななかせた。  
 
「……ごめんなさい」  
「いいえ、いいんです。別に責めているわけでは無いんですよ」  
 
そう言いながらも、真島の指は百合子の達したばかりでまだ細かくけいれんしている割れ目にぐちゃぐちゃと差し込まれた。  
 
「はぁあっ……」  
 
痛みを感じたのもつかの間。  
熱く熱を持った部分をひどく擦られ、百合子の体がはねた。  
 
「いっぱい出てきますね。敷布がびちょびちょだ」  
「あああぁあっ」  
 
真島の言うとおり、胎内からあふれ出した蜜が絹を汚しひんやりと腿に張り付く。  
けれど百合子にはどうしようもなかった。  
まるで海に浮かぶ小舟のように、彼女は彼にされるがままだったのだ。  
自分の体が自分のものでは無くなってしまったように感じる。  
 
「ほら、見えますか?これが姫様の感じている証拠です」  
 
百合子の奥を苛んでいた手がそこから離れる。  
真島の細く長い指に、とろとろと絡みついた、粘着質の液。  
ねっとりと糸を引いたそれを唇に運ばれる。  
 
「口を開けて」  
 
言われたとおりにすると、そこにべたべたに濡れた指を差し込まれた。  
自分の発情した香りを強く感じる。  
その行為はたとえようもなく卑猥だった。  
 
「んっ…んっ……」  
 
舌に絡ませるように、真島の指が百合子の腔内を蠢く。  
 
「はぁっ……」  
 
百合子の赤い唇の端から、飲み込みきれなかった透明な液がつうっとあごに伝った。  
それを真島は尖らせた舌で舐めると、そのまま彼女の柔らかな唇に再び自分の唇を重ねた。  
 
「んっ、ふっ……」  
 
ぴちゃぴちゃと舌を吸われ、唇で軽く挟まれ、そして歯茎の裏をなぞられる。  
 
「可愛いな、姫様は。……めちゃくちゃにして、食べてしまいたいほど、可愛い」  
 
少し意地悪そうな笑顔で、彼は百合子を見つめた。  
けれど続いた百合子の言葉に、真島は驚きに目を見開くことになる。  
 
「私も、お前に……何か、したいわ」  
「え……?」  
「真島も……気持ちよくさせたいの」  
 
百合子は頬を上気させて言った。  
 
快感に潤んだ瞳。  
白い肌に咲く薔薇のように赤い唇。  
つややかな黒髪をそっと耳に駆けてやりながら、真島は笑みを深くした。  
 
「……じゃあ、俺のそこに口づけてください」  
 
一瞬ためらったものの、百合子は真島の言うとおりに、つるつるとしたそこに唇を押し当てた。  
だが、それからどうやれば良いのか、全く分からない。  
戸惑って上目遣いに真島を見ると、その部分がひときわ大きくなった気がした。  
 
「……まず先端を吸って」  
 
先端からとろとろと流れる透明な液体を吸うと、百合子の頭に添えられている真島の手が震えた。  
 
「真島のも、なんだか良い香りがするわ」  
 
百合子はそう言うと、おそるおそる両手でその大きな棒を持った。  
熱く太いそれが、これから自分の中に入るのかと思うと、百合子は信じられなかった。  
僅かな恐怖さえも感じる。  
だがその思いとは裏腹に彼女の秘所からは、ねっとりとした蜜が止めどなくあふれ続けた。  
 
「……そう。そうやって手で持って、アイスクリィムを食べる時のように舌を絡ませてください」  
「んっ……これで良いの?」  
 
言われたとおり、それをゆっくりと舐めあげる。  
 
「ええ、お上手ですよ……それから、歯を当てないように口に含んで上下してください……」  
「ふっ……むっ……」  
 
大きくて苦しかったが、百合子はそれを一生懸命口に含んだ。  
じゅるじゅるという水音が響く。  
 
「はっ……っ……」  
 
形良い唇から短く漏れる吐息に、百合子は力づけられた。  
真島を口にしたまま彼を見ると、綺麗に整った顔が僅かに上気し、眉間にしわが寄せられていた。  
感じているのだろうか。  
そう考えると、百合子の中心がまたじゅんと熱くなった。  
 
「くっ、ぁっ……」  
 
唇で擦りあげる度に、真島の体がびくびくと揺れた。  
自分にこんな力があるなんて。  
陰茎を口にくわえたまま、百合子はその行為に夢中になった。  
 
「っ……もう、大丈夫です。気持ちよすぎて、出てしまいそうになる」  
 
百合子から腰を引くと、真島は手で彼女の頭を持ち上げた。  
そしてその赤い唇の端からこぼれた唾液を親指でぬぐうと、確かめるように百合子のぬかるみに触れた。  
 
「あれ?……またあふれてきてますね。……もしかして、俺のを咥えながら興奮したんですか?」  
 
真島は喉の奥でくくっと笑った。  
我を忘れ、淫猥な行為に夢中になった自分の心を見透かされ、百合子は恥ずかしそうに睫を伏せた。  
 
「ふふ……淫乱なお姫様だ」  
「んっ……、そんなこと、言わないで……ぁっ」  
 
淫核を撫でられ、百合子のつま先が跳ね上がる。  
 
「責めてる訳じゃありませんよ……ああ、こんなにはしたなく蜜をこぼして……そんなに俺のが欲しいんですか?」  
「あ、あぁっ……」  
 
百合子は自分が何が欲しいのか分からなかった。  
真島が触れているところから、とろとろと、全身が蝋のように溶けてしまいそうになる。  
けれど、満たされない。  
彼の言うとおり、それをもらえれば、このもやもやした感覚は晴れるのだろうか。  
わからない。  
混乱した百合子は救いを求める様に、真島を見た。  
 
その姿に真島はごくりと唾を飲み込むと、自分の指を百合子の両手の指に絡みつかせた。  
 
「……入れますよ」  
「……ええ」  
 
こくり、と百合子が小さくうなずくと、熱の塊が彼女に押しつけられる。  
それだけで、互いにどろどろになったそこは、ぐちゃりという音を立てた。  
 
「んっ……」  
 
百合子は必死に彼の手を握った。  
それに答えるように、真島の指に力が入る。  
互いに繋いだ手を放さないように力を込めると、彼はひといきに、百合子の中に自分を突き入れた。  
 
「あああああああぁッ」  
 
打たれたかのような衝撃に、百合子の瞼の裏に火花が散る。  
 
「……ああ、すごい。…絡みついてくる」  
 
彼はあえぐように大きく吐息を吐くと、そのまま、自分の剛直を最奥まで差し入れた。  
 
「……大丈夫ですか?」  
「ええ、少し痛いけど、平気よ」  
 
真島を見上げる百合子の瞳は、幸せそうに潤んでいた。  
 
「……だってやっとお前とひとつに繋がれた痛みなんだもの」  
 
ついに彼と結ばれたのだ。  
百合子は喜びに鼻の奥がつんとなった。  
 
確かに痛かった。  
今も、そこが裂けてしまいそうな痛みは変わらない。  
けれど、その焼き付くような痛みが、この行為は現実のものなのだと。  
真島と繋がった痛みなのだと百合子に感じさせた。  
夢ならば、一生さめたくない。  
百合子はそう感じてしまうほど、幸福だったのだ。  
 
「可愛いことを言いますね。……我慢できなくなってしまいそうだ」  
 
百合子の額に張り付いた前髪を優しく掻き上げると、真島はゆっくりとその濡れた唇に自分の唇を落とした。  
そして百合子の舌をきつく吸うと、そのまま彼女の膝を折りまげて、大きく広げた。  
 
「んっ、んっ……」  
 
大きな杭が百合子の中を激しく揺さぶる。  
先ほどそこを舐められたときほどの快楽はない。  
まだ痛みが勝っていた。  
けれど、百合子は全身を兄の香りに包まれて、例えようもないほどの興奮に包まれていた。  
 
「ああ、とっても、熱い……」  
 
百合子の中に激しく突き入れながら、途切れ途切れに真島は吐息を漏らす。  
 
「あっ、あっ、あぁんっ」  
 
絶え間ない律動に、百合子の白い胸が揺れた。  
真島の汗が玉となってその上にぽたり、ぽたりと落ちる。  
二人の匂いが混じり合う。  
強く甘い芳香に、酔いしれる。  
 
「ああ、俺のものだ……あなたは俺のものだ……ぜったいに手放さない。誰にもやるものかっ!」  
 
百合子の瞳を熱っぽく、じっと見つめながら、うわごとのように彼は叫んだ。  
自分の情熱で百合子を強く揺さぶることを止めないままに、再び舌を絡ませる。  
 
「んっ……ふ、……おねがい、放さ、ないで」  
 
百合子は息を切れ切れにしながら、彼に懇願した。  
 
「愛してる……愛してる」  
 
それに答えた真島の顔が、切なげに歪む。  
腰の動きが速くなる。  
そして  
 
「はあ……っ、うっ!うう……っ!!」  
「あああああああっ」  
 
百合子の腰を強くつかむと、彼はどくどくとその中に自分の情欲を注ぎ込んだ。  
 
*****  
 
月の明かりに照らされて、互いに足を絡ませあって抱き合う二人は、まるで寄り添って咲く二輪の花のようだった。  
 
「……花の香りがします」  
 
百合子の少し汗ばんだこめかみに唇を付けると、真島はゆっくりと言った。  
 
「お前もとても良い香りがするわ」  
 
それに答えるように、百合子は彼の鎖骨のくぼみに顔を寄せると、大きく息を吸った。  
肺が、彼の柔らかな香りに満たされる。  
こうやって甘い香りに包まれ、寄り添っていると、体から余分な力がすべて抜けきってしまう。  
とても、落ち着いた。  
ここ以外に、彼のそば以外に、自分の居場所など無いと感じられるほどに。  
 
「お前まるで花ね。人を引きつけて止まない。……私は蝶のようにお前の蜜を求めて、ずっとその周りをぐるぐるとさまよっていたんだわ」  
 
百合子はやっと手に入れた幸福にうっとりと息を吐くとそう言った。  
けれど  
 
「いいえ、それは姫様の事です。払っても払っても周りにうるさい虫が隙あらばぶんぶんとたかってくる」  
 
何かを思い出したのか、真島は不思議な、冷たい笑顔を顔に浮かべた。  
 
「あなたの魅力に哀れな男達は跪かずにいられない。あなたこそ、その名の通り高貴な百合の花のようだ」  
 
百合子の長く伸びた髪を撫で梳くと、彼はそのままその艶やかな髪に唇を落とした。  
 
「でも、真島。……もしも私が花というならば、あなたという太陽がいないと、枯れてしまうわ」  
 
百合子はそう言って、唇をほころばせた。  
目がいたずらっぽく輝いている。  
それはまるで、少しお転婆な少女だった、以前の彼女に返ったようだった。  
 
「それに……誰よりも花について詳しいのは、庭師だったお前でしょう?」  
 
何かをねだるように彼を見上げた百合子の姿に、真島は苦笑した。  
 
「まったく、あなたには敵わない」  
 
百合子の望み通り、二人の唇が重なる。  
とろけるような口づけに酔いしれながら、百合子はぼうっと考えた。  
 
(私はお前という庭師の手でしか、花咲けないわ)  
 
軽い口づけが、段々と深いものになるにつれて、百合子は自分の思考を手放した。  
 
 
 
 
 
 
甘い甘い、螺旋の罠。  
ついに、互いの罪を共有した二人。  
 
甘い香りに包まれて、異国の夜は更けていく。  
 
 
[END]  
 
 

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