夢を見た。  
 二度目の恋の始まり。それと共に訪れた、別離の始まり。  
 長い長い。けれども、いつか必ず春が来ると信じて自分を磨き続けた、やはり長過ぎる冬を終えて、ようやく隣りに立つことができた彼の女の――  
 
 これっぽっちも変わることのない、後ろ姿。  
 
 おかしいな。寝不足で目が疲れているのだろうか?  
 しかし、いくら瞬きをしても、目を擦ってみても、その幻影は消えたりしない。  
 よく見ると、彼女が着ている制服は、昔通っていた卒業校のセーラーではなく、白い上着にチェックのスカートだ。  
 時々、出歩いた先で見かけることもある。記憶が正しければ、高校の制服。  
 おかしい。  
 出会いは高校生の頃だが、ぼくの彼女は、今、二十代半ばのはず。  
 それでも、長年、恋いこがれた彼女の姿を見間違うわけがない。  
 その証拠に、ばいばいと手を振って、こちらに振り向いた制服姿の『文学少女』は、ぼくと目を合わせるなり、肩を強張らせた。  
 まるで、いたずらが見つかった子どものように。  
「こここここ心葉くん!? なんで、ここにいるの!?」  
 目を泳がせる彼女から視線を逸らし、先ほど手を振って別れた相手の姿を確認すると、あちらは、どうやら本当の高校生のようだ。  
 彼女が気にかけて、側にいる男子高校生、と考えれば、それが誰かは顔を見なくても想像できる。  
 なるほど。  
「これから打ち合わせですよね。迎えに来たんです。一緒に帰りましょう? 遠子先輩」  
 遠子さん、ではなく、わざと先輩呼びして、有無を言わさないだけの笑顔を向けると、彼女は四の五の言い訳をしたりはせずに、ただ肩を落として見せた。  
 ああ、本当に、これが夢だったら良かったのに。  
 
 実年齢はともかく、傍目からは女子高生としか思えない少女を、大人のぼくが手を引いてマンションに連れ込む様子が、周囲からどう見られていたか。  
 中学生の妹の隣りに並ぶ時とは異なる、どう聞かれても誤魔化しのきかない状況ではあったが、それを考えるだけの余裕など無かった。他の誰にも見られず、声もかけられなかったのは、ただ単に幸運だったのだ。  
「あの、あのね。心葉くんっ!」  
「なんです? 二十代も半分に差し掛かろうといういい年をした大人の女性が、年甲斐もなく制服なんて着ている言い訳ですか?」  
「ああっ!! ひどいわ。その言い方は差別よ! 大人は制服を着ちゃいけないなんて法律はないわ。ううん。むしろ、大人だからこその楽しみ方もあるのよ」  
「ふぅん」  
 えへんとつるぺたの胸をそらし、やや無理矢理めいた言い訳を遠子さんが語るのを、ぼくは冷めた目で見つめた。  
 遠子さんも、自分で言っておいて後から居心地が悪くなったらしい。耳を近づけなければ聞こえないようなか細い声で、溜めに溜めてから、ごめんなさいと呟いた。  
 けれど遠子さんは、ぼくが何を怒っているか、正確には理解していないだろう。  
 制服を着たことに対して怒っているのではない。ぼくにとって、彼女の制服姿は、この恋の象徴で、思い出深い特別な姿だ。それを、よりにもよって、彼女に恋するぼく以外の男に会うために着たという、そこに対する引っ掛かりは、簡単に胸から失せやしない。  
 かと言って、直接そうと口にすれば、感情のままに怒鳴ってしまいそうだ。  
 しょんぼりと項垂れる遠子さんに背をまわして、ぼくは無言で机に向かった。  
「これ、そんなに似合ってないかしら?」  
「…………」  
「快斗くんは、いいんじゃないかって言ってくれたんだけど……」  
 やっぱり、全然分かってない。  
 手にしたシャーペンの針が、ぱきっと音を立てて折れる。けれど、返事を口にはしなかった。  
 
 無言の部屋に、物を書く音と、身じろぎする衣擦れの音だけが響き渡る。そこに、遠子さんも、静かな怒りと羞恥を感じ取ったのかもしれない。しばらくしてから、思い立ったかのように遠子さんが立ち上がった。  
「わたし、着替えてくるわね」  
「だめです」  
「えっ?」  
「もう少しで終わるから、そのままで待っていてください」  
「えぇっ!?」  
 動揺を露にして、遠子さんが心細いような声を掛けてきたが、これにも返事はしなかった。  
 ちらりと視線を向けると、遠子さんが制服姿でそわそわと正座して待っている。  
 意味が分からないなりに、お願いを聞こうとする姿勢がいじらしい。  
 恥ずかしそうに俯く顔に背を押されて、ぼくは原稿用紙に締めの言葉を走らせた。  
「読んでください」  
 食べないでくださいね? と念を押して手渡すと、遠子さんは少しだけ不服そうな顔で、ぼくを見上げた。  
 いじわるだわ、とでも思っているのだろう。でも、これくらいの意地悪は許してほしいところだ。  
 お題は、『嫉妬』『接吻』『恋敵』  
 今の状況に沿った想いを託した三題噺を読むにつれ、遠子さんの頬が紅く染まっていく。  
「どうです?」  
「えぇ。とても美味しそ……、素敵だわ。井上ミウの作風とは違うけれど、極上のお酒に浸したさくらんぼみたい」  
「それは、ミウの作品ではなくて、井上心葉が書いたものですから」  
 ほぅっと息を吐く遠子さんから原稿用紙を取り上げる。  
 惜しそうに手を伸ばして、引っ込めて。でも、次にぼくが取った行動には我慢ができなかったらしく、目を丸くして抗議の声を上げた。  
「いやあぁぁっ!! 心葉くん! なんで、心葉くんが食べようとするの!?」  
「ぼくが書いたものですから」  
「だめよ! だめだめ、そんなの勿体ない……。はっ!! じゃなくて、食べたらお腹を壊しちゃうわ。ね? お願いだから、こちらに寄越して」  
「ぼくの心配よりも、おやつの心配をするんですね。あなたは」  
 いやしんぼの本音が駄々漏れになっている間に、ぼくは破った原稿用紙の欠片を口にくわえて、遠子さんの両腕を掴んで引き寄せた。  
 これで、手を使って紙を奪うことはできない。  
 さあ、どうします? と目線で挑発すると、遠子さんは一瞬きょとんとした後、その意味に気付いて目を見開かせた。頬どころか、耳までがさくらんぼのように紅い。  
 
「いじわる」  
 恥ずかしそうに目を伏せ、ぼくとの間に残っていたわずかな距離をゆるゆると埋めてくる。  
 かさりと音を立てて、目を閉じたぼくの唇に軽い口付けが落とされた。  
 未だ慣れることのない、固い口付け。微かな息がかかって顔が離れた時、口に挟んだ原稿用紙の欠片は、遠子さんに飲み込まれていた。  
「どうでした?」  
「思ったよりも、お酒が強いみたいだわ」  
「じゃあ、もういりませんね?」  
 かき集めた原稿用紙の欠片を抱え、立ち上がろうとすると、  
「なんて勿体ないことを言うの! 食べ物は粗末にしちゃいけないって、いつも言っているでしょ!!」  
 慌てた遠子さんにさっと奪われた。  
 食べ物の恨みは恐るべし。一瞬で、怒られる側から怒る側へと転化した遠子さんが、くるりと背を向ける。その華奢な肩を掴んで、今度はぼくの方から口付けた。  
 遠子さんの口付けよりも深く、息も奪うようにして。  
「んっ」  
 手から紙切れがひらひらと落ちる。  
 長い口付けの後、わずかに顔を離して見ると、遠子さんは本当に酔ったかのように、ぼうっとしていた。  
 くすりと、我ながら意地悪い笑みが漏れる。このまま、ぼくだけしか見えなくなればいい。熱をもった首筋に唇を寄せ、耳元で囁く。   
「仲直りのあとで、もっと甘いおやつを書いてあげます」  
「え?」  
「大人の楽しみ方を教えてくれるんですよね?」  
「!?」  
 あわあわと腕から逃れようとする様が可愛らしく、余計に内の熱を掻き立てられる。  
 ささやかな抵抗の後、逃れられないことを悟って、遠子さんが静かに瞳を閉じた。  
 あの頃と同じようで、しっかりと大人の色香を身に付けた仕草に、ぼくまで酔いそうになる。  
「心葉くん?」  
「好きです」  
 ぼんやりとした表情のまま、遠子さんがすみれのような笑顔を向ける。  
 わたしもよ、と呟く唇を塞ぎ、制服のリボンに手を掛けた。  
 

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