放課後を告げるチャイムが鳴り、バタバタと教室が騒がしくなる。  
 さて今日も部室に向かおうかな、と鞄を持ち上げたら、廊下の向こうに長いお下げが跳ねるのが見えた。  
 やれやれ。待ちきれなかったのか。  
「部活の時間よ! 心葉くん」と以前は教室に怒鳴り込むようにやってきて、拝み込むようにして文芸部に強制連行されたりしたのだが、最近は自分から足を運ぶようになったので、この状況は久しぶりである。  
「どうしました? 先輩」  
「あのね、心葉くん、ポストにお手紙が入っていたの」  
 ポストというのは遠子先輩は校内に不法設置した『恋愛相談受け付けます』という鳥の巣箱をそう呼んでいるのである。  
 サンタからの贈り物を喜ぶクリスマスの子供のようなにこやかな表情で手を引っ張り部室に連れ込もうとするのだ。  
 情熱的ともいえる様子だが、残念なことにその対象はぼくではなく机に置かれた変哲も無い茶封筒にあったのである。  
「ほら。心葉くん、これよ」  
 宛名は書かれていなかった。当然裏側に署名も無い。ちょっと厚みがあり、僅かに重い。中には本が入っているのだろう。  
「開けるわね」  
 初めてのプレゼントを開ける幼児のようにウキウキワクワクという擬態語が見えそうな遠子先輩は封筒の中身を取り出す。  
「これは……文庫本ね……?」  
 それは瞳の異様に大きなアニメ絵の少女が扇情的な肌を晒す表紙イラストの、いわゆるジュブナイルポルノと呼ばれる本であった。  
「異次元ファンタジー文庫だ―――」  
 ぽかんとした表情で遠子先輩は表紙をめくり、カラー口絵の際どい色彩に眉をひそめる。  
「これは女の子が読むような本ではありません。ぼくが没収します」  
 奪い取ろうとすると強固な抵抗にあった。  
「駄目よ。これは文芸部に寄贈された本なんだわ。だとしたら、わたしの手によって検閲されるべきなのよ」  
「これは先輩のごはんになりませんって。ぼくのおかずにします」  
「まっ」  
 遠子先輩が耳まで真っ赤になったのを見て、僕までも赤くなってしまう。  
 
 その隙に先輩は本を確保すると窓際にまで逃げ出した。  
「異次元ファンタジー文庫はテキストデザイン社から刊行されている官能小説のシリーズよ。その名称が示すとおりファンタジーやSFを主題とし、イラストを強化したこのシリーズは、従来の官能小説の読者層と異なる若年層に向けて爆発的にヒットしたわ」  
「詳しいですね」  
「邪の道はヘビーよ」  
「・・・・・」  
「蛇の道は蛇よ」  
「いいなおしたっ!?」  
 検索したら思ったよりもヒットしたので、さすがの遠子先輩も使用するのが躊躇われたのであろう。  
 ページを一枚、千切りとって口に入れる。  
「……ん、コクがある。くどいほどに描写を重ねてコッテリした味付けになっているわね。擬音が多いのは噛まずに読める、柔らかな……というよりむしろ歯応えが無い感じ。例えるならジャンクフード。脂とスパイスたっぷりのスナック菓子の味だわ」  
 意外そうな顔ではむはむと頬張った。  
「思っていたよりも酷くないわ」  
「それはよかったですね」  
 遠子先輩の悪食ぶりにはホトホト頭が下がる。こんな本までも守備範囲なのか。  
 ところが、むしゃむしゃと食べるペースが次第に落ちて、形の良い眉をしかめる。心なしか口元も歪んでいるようだ。  
「どうしましたか?」  
 口もとに浮かぶ笑みを押さえるようにして、気遣う言葉をかけた。  
 いつもならハイテンションで『うーまーいーぞー』とか『まずーい』と叫びながら独楽のようにクルクル回るというのに、遠子先輩は口数も少なく、心なしか青ざめているようである。  
 
「描写がくどすぎて舌に絡みつくようだわ……味も刺激的なだけで単調。一言でいえば、飽きてきた……」  
 弱々しい口調で呟く。  
「スパイシーな激辛チップにマヨネーズをかけて黒胡椒と粉チーズをトッピングしたような味だわ。濃厚にまとわりついて舌を刺激し、塊となってゆっくりと喉を通過するの。それが十ページ、二十ページならともかく、二百枚を越えて延々と続くなんて……」  
 口元を押さえうつむく。  
「なら、やめればいいじゃないですか」  
「本を残すのなんてもったいないわ」  
 それだけは毅然とした表情で宣言した。  
「……う、気持ち悪い……」  
 すぐに下を向いてえずく。顔色は蒼白に近い。  
「ごめんなさい。心葉くん。今日の部活はここまでということで……」  
 ふらふらと、それでも文庫は手放さずに遠子先輩は扉に向かった。  
「あ、今日の三題噺はどうします?」  
「明日に……」  
 か細く言い残して扉を閉める。  
 部室にひとり残された。  
 あの食いしん坊の先輩が、おやつも食べずに帰るなんて。  
「悪いことしたな……」  
 思わず呟いた。  
 欲情した先輩をみてみたい。そのためにはエロ小説を食べさせればいいじゃないか。安易な考えでポストに異次元ファンタジー文庫を投函したら、この様である。  
 明日のおやつはおなかに優しい、ほのかに甘い文章でも綴ろうか。  
 反省する井上心葉であった。  
 

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