'Philip,I Love'ee'
(あなたを愛しているわ、フィリップ)
−完−
と。ふう。外伝の書き下ろし分を、書き上げ一息ついたところで、ななせが入ってきた。
「お疲れ様、一息ついたら?」
「ああ、ありがとう」
脱稿した喜びもあって晴れやかに答えた。
「それにしても、プロジェクトメモワールだっけ?本編終了したのにこんな企画が立ち上がるなんて
随分な人気ねえ、"文学少女"シリーズ」
「まあ、嬉しい限りではあるけどね。ただ次のシリーズを書くのにプレッシャーにはなるね。」
「次のシリーズかあ、まあでも…次のシリーズではもうわたしを出さないでほしいんだけどね、あ・な・た」
ななせがぼくのことを「あなた」と呼ぶときは、決まって怒ってる時だ。
「…ごめんなさいっ!外伝で幸せにするから」
「ってインタビューでも答えて、舌の根も乾かないうちに出すこの短編集。
全編読んでみたけど、ますます不幸になってるのはなぜかしら」
「…いやまだ出るからね、短編集。それにこれはあくまで小説の話だから」
「そうよね!例えあたしが、最初はテンプレどおりのツンデレで後半は骨折られたり散々な目にあって、
せっかく付き合うようになっても、最後はあなたの都合のいい女になって捨てられようとも
あくまで小説の話だもんね」
眼が笑ってない。
余りにも身内の人間をモデルに使いすぎたせいか、やたら回りからは不評だったりするこのシリーズ。
「いいわねえ、天野さん。美味しいところ全部持っていって、ラストは綺麗に別れと再会が出来て。
ホントに羨ましいわ」
当然主人公の文学少女にもモデルがいる。現在担当の天野さんという若手の編集者なのだが、
彼女があまりにも文学少女だったから、思いついた話といってもいい。
まあ彼女からもちょくちょく文句を言われる。
『あ、あの井上先生!ヒロインのモデルにしていただけたのは光栄なんですけど、
なんでわたし紙を食べてるんですか!あれじゃまるで妖怪じゃないですかっ!
それに胸だってちゃんとありますっ!奥様は時折わたしのこと涙目で睨んでくるし…
売れたからいいんですけど…』
いやあ申し訳ない。
そういえば、この前姉からも電話があった。
『コノハ、読んだわよ、"文学少女"。ねえ、なんでアンタが小さい頃色々話しつくって
聞かせてあげた優しいお姉さまが、ヤンデレとして描かれてるのかしら。
犬の分際で随分と偉くなったものねえ…』
姉より妹が欲しかったのでその欲望は小説に表してみた。
作家志望だった姉は今では福祉の仕事に就き、公務員の旦那とつつましく暮らしている。
が、相変わらず弟=犬の図式は変わっていない。
実際に、姉に内緒で、薫風社に原稿を送ってぼくの方が入選したとき、
姉は飛び降りたりはしなかったが、弟を突き落とそうとはした。
今となっては笑い話だ。
電話の途中義兄さんが姉を宥めながらも一言、
『心葉くん、きみのなかではオレはあんなにどMか』
あの姉と結婚するという選択をした時点で超ドMです。
友人として中々に味のあるキャラクターになったと思うのだけど。
ヒロインの異父弟のモデルの大学時代のサークルの後輩からも久しぶりに電話が
『いや、愛する女に殺されたら最高!とか言いましたよ、酒の席で。けど井上さんの中では
オレはあんなに危ないヤツだったんすか!?』
でも、刺されたよね、2回。実際に。
もう何年も会ってないけど
やたらヌードモデルを女子に迫っていた美術部の先輩
いつも朗らかに笑ってたけど素に戻ると凄い無表情で怖かった同級生(竹田くんという男子だった)
話したことはないけど、インパクトのある名前でよくからかわれていたらしい、隣のクラスの女子
みんなぼくが勝手にモデルにしたことを知ったら、怒るだろうか。
それとも、ぼくのことはもう忘れてるだろうか。
元気にしてればいいのだけど。
無性に、高校時代が懐かしくなった。
「扱いが酷いのもともかく、なんで校章の話とか小説にするのよ」
ななせの声で現実に引き戻された。
「まあ細部は変えてあるから、そうそう知り合いが見ても気付かないと思うよ」
実際には
ななせとは中学の頃から一緒だし(このとき初めて喋った)
パンツはしましまじゃなくくまのパンツだったし
校章は翌日投げつけられて返してもらった。
「うう〜やっぱり恥ずかしい…もう絶対あたしのこと小説に書いたらダメだからねっ!」
ななせもあの当時に比べれば随分落ち着いたけど、すぐ顔を真っ赤にする癖は直っていない。
「まあ、それでも人気が出たから、次の短編集では主役だから」
当初はサブキャラクターとして出しただけなのに、正直ここまで人気が出るとは思ってなかった。
「ふんっ!ど、どうせ主役って言ってもまたずっとスルーされる役回りなんでしょっ!
なによ、自分は実際はこんな繊細なキャラじゃない癖に!どっちかっていうと毬谷先生寄りの癖に!」
ななせがみみずを嫌いなのも本当。
まあ主人公を余りにぼくに似せすぎるのも、ななせをメインヒロインにするのもあまりに恥ずかしいからね。
小説はあくまで小説、実際にぼくらの青春時代はこんなに事件にあふれていたわけじゃないし、
トラウマばかり抱えていたわけでもない。
それでも、作品の中のキャラクターが、
自分の判断が正しいか迷ったり
自分が嫌になったり
素直になれなかったり
恋をしたりしたのは
これは誰にとっても本当のお話。確かにぼくらが抱えていた気持ちでこれらは作り話じゃない。
今だって毎日は平穏でも、色々悩んだりする。
それでも今は、愛する妻がいて
「おとうさん!おかあさん!レモンパイ焼けたよお!」
かわいい娘もいる。
「そういえば舞花だけはモデルに使ったけど文句を言わなかったね」
「別に文句を言うようなところなかったでしょう。舞花にだけは甘いんだから」
まあこれでレモンパイに一杯のチャイもつけてくれれば、人生もすばらしい、かな。
なんてね。
−完?−