「あっ!」
あたしのメアド(当然捨てアド)に添付ファイルつきのメールが送られてきた。
「遠子!琴吹さんから写真届いたわよ!」
奥で悠人をあやしていた遠子に声をかけると、遠子は悠人を抱きかかえながら、あたしの元にやってきた。
「どれどれ?あっ!コノハちゃんメイド服着てる〜」
「…丈が若干短いあたり、元々は琴吹さんの衣装だったのかしら?」
「うわ〜やっぱり可愛いわね〜…でも」
「「恥じらいが足りない」」
最後の方はヤケなのか楽しくなってきたのか、笑顔を浮かべてポージングまでしている。
それはそれで中々に楽しい絵面ではあるものの、あの日見せてくれた羞恥に打ち震える姿が見たかったのに、少々残念だ。
人は変わっていく生き物、そんな言葉をあたしは今まで信じていなかったが、あたしの周りがこうも変わっていったならば、信じざるを得ない。
悠人を産むことを決めて、祖父と立ち向かうことになったとき、高見沢だけでなく、父や草壁までもがあたしの味方についた。
姫倉の因習を打ち壊したいという気持ちは、父や草壁、そして祖父自身があたし以上に強かったのかもしれない、と今では考えている。
当然あたしの婚約は破棄されたが、世間体もあるから勘当も出来ない、ので病気療養の名目で姫倉の名義のマンションで悠人と二人暮しをしている。
屋敷から放り出された身ではあるが、それこそがあたしの切望してやまなかった自由であった。それにあたしは一人で悠人を育てているわけではない。
父や草壁、高見沢は、様子見という名目で、屋敷にいたとき以上に頻繁にあたしを訪ねてくる。
かつての浮気な預言者である悠人の父親は、麻貴ひとりに任せておくと悠人がどうなるかわかったもんじゃない、
と悪態をつきながら面倒を見にくる。
その悪態にかぶせて、かつての死にたがりの道化は、あたしたちの将来の予行演習だよね、
などと笑顔で語りかけながら慈しみに満ちた表情で悠人を抱き上げていた。
暇を見つけてはお義母さまもよくやってきて、悠人の写真を大量に撮っていったり、初孫の世話を買ってきてくれる。
ちなみにあたしとの関係は極めて良好で、悠人を抱きながらいつも父親にだけは似ませんように、と呟いている。(当人がいる時でさえも)
そういえば今回のコノハちゃんの写真と、お泊り中の遠子の寝顔はセットで送っておこう。間違いなく喜んでくれる。
あたし自身も悠人が生まれたことで大きく変わったんだと思う。
当初は悠人は、姫倉への復讐、祖父に対抗するための道具、という考えが確かにあたしにはあった。
けれども、祖父との衝突や周りの人の協力を得て、そして自分自身がお腹を痛めたということで、そのような考えは今では微塵も存在しない。
ただただ、この子とあたしが幸せになる為に全力を尽くすだけだ。
一度だけ、あいつをこの部屋に呼んだ。
悠人を前にどうすればいいか分からない様子で困っていたが、それでも確かに悠人を抱きかかえた。
人は変わっていく、あいつも例外ではないはず。
あいつが変わることは、蛍にとっても決して悪いことではないはずだ。
「それにしても、麻貴」
遠子の声であたしは現実に引き戻された。
「いくらなんでもこの前のは言い過ぎよ。打ち合わせではあそこまで言うはずじゃなかったでしょ?」
「打ち合わせ以上のことをやらないと、おたくは演技下手だからすぐバレてたわよ」
この写真の撮影者、琴吹ななせに協力を仰いだときの話である。
正直、お人よし過ぎる親友のことを想い、少し意地が悪くなったこともあって、必要以上に挑発的な口調になったかもしれない。
ただ、それ以上に…
「それにしても、からかい甲斐のある子だったわね」
虚勢を張って平静を装おうとして、欠片もうまくいってない姿は一種遠子に通じるものがあった。
「あっ!やっぱりそう思うわよねっ!ななせちゃんって純情で、一生懸命で、色々考えていることが表情に出て、それがすっごく可愛いわよね!」
かつての恋敵にここまで思わせるというのは、ある種魔性の女といえるのかもしれない。
寧ろ、琴吹ななせにメイド服を着せるべきだったろうか。一度描いてみたい。
ただ、それにしても
「ところで、遠子。おたくは…心葉くんには会わないの?」
遠子を傷つける質問だったかもしれないが、あたしは聞かずにはおれなかった。
人は変わっていく生き物。この言葉はこの文学少女にもあてはまるのだろうか。
関係性という意味においては、あたしと遠子の関係は高校時代と今では、大きく変わったといえる。
遠子が北海道の大学に進学したことで、物理的な距離は遠くなったにも拘らず、心理的な距離は信じられないほど近くなった。
今みたいに、泊りがけであたしの家に遊びに来るなんてことは以前では考えられなかった。
関係が変わったのは、あたしが変わったことが理由のひとつだが、遠子もあの事件が解決したことで変わったのだろうか。
「…あのね、麻貴。わたしが大学でも文芸のサークルに入ってることは話したわよね?」
遠子は急に神妙な顔をして、語り始めた。
「ええ、確かそこのサークルで、おたく、小説を書き始めたって言ってたわね」
そうなのだ。正直、遠子は文学少女であるが、今まではあくまで純粋な読み手であったが、今は書き手たろうともしていると聞いて、正直あたしも驚いた。
「わたしがずっと願っていたこと、それは小母さまのために、母さんの物語をつむげる作家を見つけること
そして父さんのように作家を成長させる人になること、だったわ」
あたしは口を挟んだらいけないと思い、ただ黙って聞くことにした。
「幸いにして、井上ミウという作家を見出すこと、そして心葉くんに出会うことが出来たわ。
だから、わたしは心葉くんに書いてもらうことで、その二つの願いを同時に叶えようとしたの」
あくまで穏やかに、大切なものを見るように遠子は語り続けた。
「それでも、その願いは中々叶わなかったし、わたしはそれ以上のことも願おうとした。
けれど、それを抑えつけて、当初の願いだけを叶えようと思ったわ。
それでもわたしの高校生活も終わろうとして、どうしても時間が足りなくて、
結局焦って我慢できなくなって心葉くんを傷つけてしまった」
柄にもなく、遠子が悪いわけじゃない、と叫びそうになってしまった。
彼女がもっと我侭一杯振舞ったところで、誰が責めることができようか、そう思った。
「それでも、心葉くんは、わたしたちが囚われていた過去の桎梏を全て解き放ってくれた。
そして、その時心葉くんが立派に成長したこと、想像から物語を紡げる本当の作家になったんだって実感したわ」
実際、井上心葉は、作家井上ミウとして、遠子の卒業後も、学生との兼業作家として執筆活動を続けていると聞く。
「だからあたしももう過去に囚われたままではなく、変わっていかなきゃ、そう思うようになったの。
そして、心葉くんに告白した…」
その結果については今更反芻するまでもない。
「勿論期待はあったけど、心葉くんが誰のことを本当に好きなのかは分かってたわ。
告白したのは、わたしが変わっていくために必要なことだったの。例えそれが失敗に終わったとしてもね。
だから、吹っ切れたといったら嘘になるけど、別に心葉くんに会いたくないわけじゃないし、
ななせちゃんと仲良くしているっていうのは本当に嬉しいことなのよ」
そう言い放った遠子は嘘も衒いもない、眩しい笑顔を浮かべていた。
「会えない理由は、もしかして今本を書いていることにあるの?」
ようやくにしてあたしは口を開いた。
「ええ。今までの本当のことを知っても、やっぱり父さんはわたしにとって大事な人なの。
だからわたしの作家を成長させる人になりたいという願いが変わらないわ。でも、父さんとは別のやり方で、その願いを叶えてみたくなったの。
だから、わたし自身、物語を紡ぐことをやってみたいと思うの」
「作家になりたいわけではないの?」
「わからないわ。もしかしたらわたしも作家になりたいと願うかもしれない。
まだまだ色んな可能性があるわ。だからわたしも物語を紡ぐ、そしてそれがどんなに稚拙な物語だったとしても
それを自分で成し遂げることが出来たとき、その時、改めて心葉くんに会って、読んでもらいたいの。
だから、それまでは会わないでおこう、って決めたの」
そう締めくくった遠子の眼は、あくまで輝いていた。
みんな変わっていく。
ずっと変わらないままだと信じていたものも、変わっていく。
多分それは、嬉しいばかりじゃなくて怖いことでもある。
それでも、みんなみんないい方向に変わっていけばいいと思う。
「でもね、麻貴。変わらないことだってあるのよ」
そう、それでもやっぱり変わらないことだって存在する。
「わたしは物語を紡ぐことをしようとも」
「わたしは、古今東西のありとあらゆる物語を愛している」
「「正真正銘の"文学少女"ってこと」よ!」