あたしが心葉に初めて出会ったのは中2の冬。  
   
 それまであたしは男子なんて嫌いだし、男子もあたしのことが嫌いだと思っていた。  
 
 あたしも、すぐに人と喧嘩してしまうあたしが嫌いだった。  
   
 けど、その時出会った男の子は、そんなあたしにも何の見返りも求めず、助けと笑顔をくれた。  
 
 一目惚れだなんて、漫画や小説だけの話だと思ってた。  
 
 だけど確かにあたしは恋をした。  
 
 ずっと伝えられなかった想い。  
 
 だけどずっと伝えたかった想い。  
 
 そして高校での再会。  
 
 そこにいたのは、あたしの知ってた曇りのない笑顔の男の子ではなくて。  
 
 笑顔の仮面を被った得体の知れない男子。  
 
 それが信じられなくて悔しかった。  
 
 訳が知りたいのに聞けなくて、ただ当り散らした。  
 
 そして高2の冬。  
 
 あたしにとって、とんでもなく辛くて、苦しくて、悲しい出来事が起こった。  
 
 あたしは弱くて、耐えられず何度も崩れ落ちそうになったけれど。  
 
 心葉が支えてくれた。  
 
 あの日と同じように心葉が助けてくれた。  
 
 心葉が戦う力をあたしにくれた。  
 
 だからあたしも勇気を出して戦った。  
 
 冬の凍てつく寒さに凍えそうになったけれど。  
 
 互いにはぐれたときもあったけれど。  
 
 あたしたちは一緒に春を迎えることが出来た。  
 
 もうこの先はなにがあろうと、ふたりなら乗り越えていける。  
 
 そう信じている。  
 
 
 
 のはともかくとして、今あたしは久々にピンチを迎えている。  
   
 目の前には、尊敬すべき先輩にしてかつての恋敵、天野遠子。とその友人である姫倉麻貴。  
場所は以前イブに心葉たちとパーティーをした店、確か櫻井の行きつけの店。  
 
 これはマズい。今更ながらあたしはここしばらく平和ボケしていたことを実感した。  
 
 
 午前中、心葉の仕事場のほうを訪ねたんだけど、心葉は〆切間近の原稿に集中していて、あたしの相手をしてくれそうな様子はなかった。  
心葉は話を書くとき、一度集中し始めたら周りのものが目に入らなくなるみたいで、放っておいたら食事も忘れて何十時間でも机に向かい原稿用紙に書き連ねている。  
いかにも作家らしいといえば作家らしいのだが、周りは気が気でない。自宅で書いているときは、心葉のお母さんや妹の舞花ちゃんが気をつけているんだけど、  
仕事場にいるときはそれはあたしの役目だ。とりあえず、今は邪魔はしないでおこう。  
 進み具合を見ると恐らく今日中に脱稿するだろうし、労いになにか美味しいものでも作って食べさせてあげたい。  
昔の文豪の妻たちもそんなことを考えていたのかな、と勝手な想像をして、思わず赤面したりもする。  
 
 そんなことを思いながら買い物に出かけたのがほんの1時間前。  
 
 そして、道で偶然遠子先輩と再会したのが50分前。  
 立ち話もなんだから、という理由でこの店に入ったのが40分前。  
 なぜか店に入ると、まるで図ったかのように赤子を抱いた麻貴先輩が声をかけてきたのが20分前。  
 そして今に至るわけだけど、あたしは久しく忘れていた感覚を思い出した。  
 
 ハメられた…  
 
 
 遠子先輩は決して悪意で動く人間ではない。  
穏やかで綺麗で賢くて、決して偉ぶらず、それでいて茶目っ気もある、あたしから見たら、夕歌とは別の意味で理想の女性だった。  
 
 心葉に芥川や臣、それにあたしや朝倉も彼女に救われた。  
 
 にも関わらず、今思い出すのは彼女にハメられた記憶ばかりである。  
 
心葉のスリーサイズの情報と引き換えにコスプレパブへの制服での潜入を手伝わされたり  
(あれであたしは骨折する羽目になった)、  
演劇で心葉が主人公であたしがヒロインという話だったから出演を快諾したのに、実際には自分がちゃっかり主人公をやったり  
(よく考えたらあのヒロインは主人公を振って別の男に走る役だった、やらなくてよかった)  
 
 悪意はないはずなのに、いつも酷い目に合わされた気がする。  
 
 いや、遠子先輩はまだいい。問題は隣にいる姫倉先輩だ。  
何度か、顔合わせはしたことがある、という程度で、直接話をしたことはほとんどない。  
ただ、聖条高校でこの人の存在を知らない人間はいない。  
余りにも多くの噂があって、しかもその全てが真偽はともあれ突拍子もないものばかりだ。  
 
 全生徒の弱みを握っているとか  
 教頭の愛人の名前や働いてる店も知っているとか  
 一声かければ、何でも従う大勢の部下がいるとか  
 高校に自分専用の部屋があり、中で気に入った子を引き擦り込んで食べてるとか  
 ノンケでも構わず食っちゃう女だとか  
 文芸部が潰れないのは、遠子先輩が姫倉先輩の情婦(イロ)だからとか  
 卒業間際に男を引きずりこんで、孕ませたとか  
 
 あたしが知っているだけでもこれくらいだ。  
今抱いている赤子が、男に孕ませたとか言う子だろうか。  
 店に入ってからもずっとあたしのことを挑発するような笑みを浮かべてこっちを見ている。  
正直苦手なタイプだ…  
 
 今のところは、遠子先輩とあたしがたわいもない近況報告をしているのを、姫倉先輩が聞いているだけ。  
あたしの進路のことや、図書委員での活動や、竹田の話。  
遠子先輩での大学生活やサークルでの話。  
 
 一見自然な会話だけど、不自然なまでにある話題を避けている。  
そんな均衡した危ういバランスを保っていた会話が姫倉先輩によって大きく崩された。  
 
「ところで、おたく心葉くんと付き合ってたわね。彼は元気にしてるの?」  
 
 きた。  
 
どの道、避けられるわけのない話題ではあったけど、遂にきた。  
 
 あたしは逃げる気は毛頭ないし、負ける気もない。  
遠子先輩には悪いけど、あたしは満面の笑みを浮かべて、  
「ええ、とっても元気ですし、すっごく仲良くしてます!」  
ちょっとでも遠慮したことを言ったら一気に食われそうな気がする。  
 
「そう、それは良かったわ」  
答えたのは遠子先輩のほうだった。  
「心葉くんが元気にやっていることも、ななせちゃんと仲良くやっていることも」  
遠子先輩はあくまで穏やかな笑顔を浮かべていた。  
 
 どうも姫倉先輩以上に、遠子先輩の真意が読めない。  
実は再会したのは本当に偶然だったのかも、とも思えてきた。  
あるいは、単純に心葉がどうしてるか知りたかっただけなのか。  
だとすると、ここになんで姫倉先輩まできたのか…  
 
「でも、本当にうまくいっているのかしらね」  
 
色々と思考に没頭しかけたあたしは、姫倉先輩の声が現実に引き戻した。  
「ちょっと!麻貴!何言ってるのよ!」  
遠子先輩が窘めているけど、姫倉先輩は止まらない。  
 
「あたしは高校時代の心葉くんにはよく遠子関連のことで頼まれごとされたりしてたから、  
よく覚えてるんだけどあの頃のふたりは本当に妬けちゃうくらい仲が良かったからねぇ」  
「麻貴!いい加減にしなさい!ごめんなさい、ななせちゃん!すぐに黙らせるから」  
 
 どうやらこの人はあの櫻井の同類のようだ。  
 それと遠子先輩の様子から見ると、ふたりがグルという訳でもないらしい。  
 
「あら、本当のことじゃない、幽霊騒ぎのときも、夏の別荘での事件でも、  
心葉くんは遠子のために駆けつけてきてくれてたじゃない」  
「そもそも誰のせいで起こった事件だと思ってるの!」  
 
なにやらあたしの知らない話を持ちだして、あたしにプレッシャーをかけようとしている。  
だけど、お生憎様!朝倉や櫻井とやりあった経験でそんなのはもう慣れっこになってしまった。  
別に心葉が過去になにかあったとしても、他人の口から聞いたものなんて信じない!  
そんな安っぽい挑発には乗らない、あくまで冷静に対処できる。  
 
「そ、そそれは、た、単に心葉が、や、や優しいから先輩のために、い、色々し、してあげたってだけで、  
べ、別に、れ恋愛感情とかじゃ、な、ないと思いますけど?」  
「あら、あたしは恋愛感情の話なんてした覚えはないけど?」  
 
即座に切り返された。  
 
「まあ、でも心葉くんがおたくと付き合い始めた理由って、案外遠子と会えなくなった寂しさの穴埋めの為で  
おたく、単に男にとって都合のいい女ってだけじゃないの?」  
「そんなことないわよ!!バカにするなっ!!」  
 
そう、そんな訳がない。でも、相手がそもそもこっちの話を聞く気がないのでは、永遠に平行線だ。  
 
「そうね、そこまで言うなら、少し賭けをしてみる?」  
 そう薄ら笑いを浮かべたまま、姫倉先輩は一枚の写真を取り出した。  
写真にはロングヘアでうちの高校の制服を着た女の子が写っていた。  
 
女の子…?  
改めてその写真をよく見ると、そこに写っていたのは女の子ではなかった。  
 
「流石に気付いたようね…それは去年、コノハちゃんが遠子のために女装した姿よ」  
「麻貴!なんてもの見せてるのよ!あんたは!」  
 
嘘…、写真に写っているのはどこからどう見ても女の子。  
長い黒髪、薄い胸、羞恥に頬を染めた様子は、同性から見ても魅力的でかわいらしい女の子。  
だけど、見間違いようもない、ここに写っているのはあたしの恋人だ。  
 
可愛い…  
 
「心葉くんは遠子のためならここまでやったわ…それで賭けというのはカンタン、  
心葉くんがおたくのためにこれと同等、あるいはそれ以上のことをやってくれるかどうかを証明してくれればいいのよ!」  
 
姫倉先輩の声でまたあたしは現実に引き戻された。どうやら少しトリップしていたらしい。  
いけない、冷静さを保たなくちゃ。  
 
「ど、ど、どどどどどういうことよ!?」  
問い返すあたしに  
「だから心葉くんにおたくが頼んで女装したら、おたくと心葉くんが互いに想いあってるってあたしも認めるわ  
どう?この勝負受ける?それとも自信ない?」  
 
当然ここは引けない、引くわけにはいかない。  
勝って、コノハちゃんの艶姿を、もとい、あたしと心葉の絆を姫倉先輩に見せ付けてやる!  
 
「の、臨むところよ!」  
そう答えると、姫倉先輩はさらに笑みを深くし、なぜか遠子先輩まで一瞬新世界の神の様な笑顔を浮かべていた。  
 
「そう、じゃあ証拠として女装した心葉くんの姿を撮影してきて、おたくデジカメは持ってる?」  
幸いにして持っている。当然言われるまでもなく、網膜のみならず、しっかりとデータにも残しておくつもりだ。  
「なら、そのデータをあたしのアドレスに添付ファイルで送って。期限は3日以内で、当然出来るわよね?」  
そういって、メアドが書かれたメモをどこに用意していたのか渡されたが、3日だなんて冗談じゃない。  
そんなに待ってられない、今すぐにでも、コノハちゃんの姿を見てみたい。そのためならあたしはどんな手段でも使うつもりだ。  
 
「じゃあ、あたしはこれで」  
「ああ、衣装なんだけど、おんなじセーラー服じゃ芸がないわ。  
そうね、メイド服でもナース服でもなんでも望みがあれば服はこっちで用意するけど」  
「そのへんはちゃんと一式揃えているので結構です」  
 
はじめて姫倉先輩の笑みが消え、一瞬真顔になった気がする。  
 とにかくメイド服もナース服も、なんならゴスロリだっていつもあたしが着せられてる分がちゃんと仕事場のほうに揃ってる。  
サイズは大きめに作られてるから、心葉もなんとか着られるはずだ。  
 
 そう色々な衣装に身を包んだコノハちゃんに思いを馳せながら、店を出たところで遠子先輩に呼び止められた。  
 
「ななせちゃん、これ」  
遠子先輩が差し出してきたのは、黒のロングヘアのウィッグだった。  
「これは以前記念にとってた物なの。ちゃんと心葉くんの頭のサイズにぴったりのはずよ」  
 
 あたしはすっかり髪の事を失念していた。  
 それを親切にもわざわざあたしに思い出の品を渡してくれるなんて本当に遠子先輩は親切な人なんだろう。  
 
「大丈夫よ、ななせちゃんはこの賭け絶対に勝てるから!期待して待ってるわ」  
そうあたしを力強く励ましてくれる遠子先輩の笑顔はまるで聖母のようだった。  
 
「はい!ありがとうございます!絶対に心葉にメイド服を着せます!」  
 ついでだから色々と普段やってくれないことや、やらされてることをやらせてみよう!  
 
「絶対よ!楽しみに待ってるからね!」  
笑顔で手を振る、遠子先輩に別れを告げ、あたしは一路、心葉の仕事場へと急いだ。  
 
 どんな困難があったって、もう絶対に負けない!  
なにがあっても、この賭けに勝って、心葉にメイド服を着せるんだ!  
 

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